骸骨に宝石
灰色の粒が降る。灰色が黒い夜から滲みでる。しんしんと、しんしんと。
地面へ落ちる前に闇にのまれる。
灰色の綿が積もる睫毛は凍っていた。
特別だという自覚は私へ大きな影響を与えた。
まず、小さい子の返事を待つのをやめた。辛抱してもどうせ中身がないから。もっというと会話をやめた。声掛けをやめた。遊ぶのをやめた。
子どもと話すのをやめた。
孤児院の年長者のシスター・ブラザーとも、ひとことも喋らない。
喋ってもどうせ伝わらないだもん。私の苦労をだれも理解できないの。子どもたちがみんな空っぽの骸骨に思えてくるくらい、頭に何もつまっていない。まるで異世界の扉がそこかしこに開いているみたいだ。ひと一人ひとりが異世界だった。なかみの薄い未発達の子どもの目で見る景色とは一体どんなものかを想像して……ちびるかと思った。その夜から、孤児院の子どもたちが私には骸骨に見えるようになった。
やがてお手伝いの職員も寮母も、骸骨になった。彼らも子どものときは 、普通の子どもだったらしい。なんてことだ。私とはレベルが違いすぎる。がっかりした。
黙り込んで一日を一週間を一ヶ月を半年を過ごす。ひたすら絵本を読んだり、アルファベッドパズルをしたり、着替えやボタンの付け外しの練習をしたり、運動したり、あとはベッドのうえでうずくまる。完全に外界をシャットアウトしていた。
遊び道具をときどき横取りされるものの、争う価値もないと思って無視をする。
チリひとつないのにどこか灰色に煤けた室内。古びた家具。みんなお揃いの灰色の上着。白と黒のタイル張りの玄関口。がらんと寂しい中庭を進むと、高い柵で囲まれた鉄の門が鎮座する。振り返れば正面に真四角のつまらない建物がある。
そこに住まうのは愚鈍な骨たち。
それが私の日常風景だ。
そんなこんなでハッピーニューイヤー。4歳になった。
新年から数日後、大きい白骨死体が新しいものを私たちへ与えた。
真新しい算数の教材だ。孤児院で新品みたいにキレイな物を見るのは初めてだった。
1、2、3、4、5……。
大きく数字がぬわれた布と、赤緑黄青と色分けされたボール。赤はひとつ、緑はふたつ、というように手に取って数というものを理解しやすく作られている。おもちゃを使って数のしくみを学ぼうということらしい。
私は、算数のおもちゃを手に取ってまじまじと観察する。まわりには私と同じように新しい物に関心を示す小さい頭蓋骨がいた。
この孤児院で新しい物を見かけるのは、とてもめずらしいから、みんなも興味津々なのだろう。
短い手が横から伸びてきて、だれかに1の布が持っていかれる、私はどうしても無視できなかった。
わたさない。ぜんぶぜんぶ私のモノよ。
私は子どもの骨から教材をむしり取って、まわりのみんなを蹴飛ばして蹴散らして、教材をまるごと抱えてプレイルームを飛び出した。やたらとある白骨がしつこく横取りしようとして付いてくる。じゃま。遅いし。意識的に身体を動かして育てている幼児と凡人の幼児では勝負にならない。
なぜか耳元でバチバチと変な音が鳴る。
よくわからないけど、部屋はもう目の前だ。
私はなにひとつ奪われることなく、ひとりで寝室にかけこみ、ドアを閉めて、体重をかけて開けられないようにした。私たちはカーテンで区切られた部屋を四人で使っているけれど、今はみんな外に遊びに出ている。
無人の部屋で新しい教材に視線を落とす。
背後でドアが激しく蹴られているのも気にならない。
どうして私は、これを自分のモノにしたかったんだろう? くだらないと思っていたおもちゃの争奪戦をしてまで。
真新しい。キレイだからか。
べつにコレクションしたいとも最初に使いたいとも思わない。
真新しい。
孤児院になかった物。
存在すら知らなかった物体。
大きい白骨死体−−大人が持ってきた。どこから?
大人は私の持たざる物を持ってくる。どこから?
大人は子どもへ新しい食べ物や着替えを与える。どこから?
私の知らない何処かから。
孤児院の外から、知らない話を持ち込んでくる。私の知らない何処かから、私の知らない知識を運んでくる。
五歳になれば子どもは学校に行き、先生から勉強を学ぶ。先生は大人で、大人は私より物知りだ。大人の過去はどうあれ、未来の私はどうあれ、今の大人は今の私より頭が良い。大人は子どもたちと比べればずいぶんマシだと思った。
私は特別で選ばれし者だけれども、私より知識豊富な人間がこの世に存在している。
らしい。
気付かなかった自分がバカなんじゃないかと思ってしまう。いや、でも。しかたない。同い年の子どもの脳みそが空っぽだという事実がそれだけショックだったんだということにしておこう。だって中身のない骸骨が転がっているみたいなのは分かるでしょ? ホラーでしょう? あとたぶん拗ねていた。うん、私はバカではない。
◇
「ジェーン、算数のおもちゃはみんなで使いなさい」
「わかった」
食事の時間に注意してきた大きい白骨死体が目を丸くした。目である。骸骨に目がはまっている。私のほうが目を丸くしたい。いっそうホラー色が強まった気がする。食堂に座る小さなしゃれこうべたちがくるりと向きを変えて私に注目している。孤児であろうしゃれこうべには目玉はなかった。
なにをそんなに驚かれているんだろう? 算数のおもちゃを独り占めしたくなった理由がわかったので素直に頷いたのだ。私、普段はイイコにしてたからそんなに驚くことないと思う。ひと通り遊んだしどういう作りになっているか調べたし、やっぱり私にコレクション癖はないみたいなので、もうみんなと共有しても良い。「あとでプレイルームに持っていく」と言うと、骸骨は瞬きをした。瞼がついた。
「良かった。あの子とケンカしてから一言も話さなくなってしまって……」
あなたは一番お喋りの上手な子だったから、ああ良かった。
そっか、貝みたいに黙りしていた子どもが急に喋ったから驚いたのか。良かった、と吐息交じりに言われたということは心配? されていたみたい。孤児のひとりが話さなくなるくらい誰も気にかけないと思っていた。
黙っていた理由は問われない。声掛けもされない。けれど心配はする。孤児院の孤児と職員はそういう距離感らしい。
自分が選ばれし者だと自覚して物言わぬ幼児になってから1年が経っていた。そのあいだに降り積もる埃のように不満に思っていたことがある。
私は離れていこうとする白骨−−職員を呼び止めた。
「ジェーンと呼ばないで」
「え?」
「……メイズがいい」
話はこれで終わり、の合図に私はパンをかじる。
ジェーン・メイズ。
名前は孤児院で付けられた。親からは名前すら貰わなかった。どうせ赤子を捨てた親だ。貰っても嬉しくない。
ジェーン、どこにでもいるありふれた名前だと思う。いま孤児院に『ジェーン』は三人いる。私が入所したあとに、孤児と掃除婦がひとりずつ増えた。
平凡でつまらない名前だ。
選ばれし者である私には相応しくない。
ただでさえ嫌いだった自分の名前がますます疎ましくなった。
黙々とパンをかじっているうちに了解したのか了解していないのか不明なまま職員は立ち去った。頬に視線が刺さる。しゃれこうべたちが日常に訪れた異変を遠巻きに観察しているのだ。スープを飲んだところで、正面に居た骨が、雨のシミがコンクリートに染むような呟きを落とした。
「……あんた、話せたんだ」
女の子の声だ。私は前髪の隙間から発言者を見た。
相変わらず見事なスケルトン。白くてツヤツヤした頭蓋骨が蛍光灯の光を反射していて、真珠みたいだ。この大きさだと五歳くらいだろうか。少し考えて、この一年間で増えた新入り孤児のことを思い出す。たしか七歳と九歳の男の子だ。つまり目の前のスケルトンは、私が話していた頃から孤児院に居たということだ。私が話していた一年前のことを忘れているのね。
これだから普通の子はいや。
はあ、とため息をこぼす。食堂じゅうから向けられる『なんて言うんだろう』という好奇の見えない視線を肌で感じる。
「イエス」とだけ返すだけで、ヒソヒソ声が起きた。めんどうだな。まあすぐに慣れてどうでもよくなるでしょ。
「なんで話さなかったの? なんできゅうに話しだしたの?」
「話す価値がないとおもったから。話す価値をみいだしたから」
「なにそれ」
君と話す価値は相変わらず見出していないんだけど。ああ、でももし五歳以上ならプライマリー・スクールに通い始めているはずだ。
「君はもうスクールにかよっている?」
「今年から通っているよ」
「いいね。スクールのことおしえてよ」
「……代わりになにをくれる?」
私はちょっと考えて
「すこし注目される方法」
と答えた。彼女は目立ちたがり屋だと思ったからだ。いの一番に急に喋り出した子どもに話しかけてきたのは、目の前に座っていたからだけではないだろう。注目に臆するよりも快感を覚えるタイプ 。案の定彼女は食いついた。「なにそれ?」と問うてくる。
「それは教えてからのお楽しみ」
「うーん。まあオーケー」
彼女はキャラメル色の髪を揺らして白い頚椎を傾げた。
「……あんた、よくわかんないけど、笑うのね」
笑ったっけ。首をかしげる。孤児院の外のことや新しいことを知ることが出来ると思ったら、なんだか急に彼女が価値ある物体に思えて、それで面白くなった。つるっ禿の頭蓋骨にいきなり髪が生えたし、笑ったのかもね。
「あたしエイミーだよ。わかる?」
「……エイミー、キャラメル色の髪に鳶色の瞳の子」
「いやそれは見ればわかるでしょ」
名前と髪色と年齢を頼りに一年前の記憶を探ってみたら、正解だったようだ。
そのとき、足をゲシッと蹴られた。
「なに?」
「……べつに」
ふてぶてしく答えたのは、綺麗なしゃれこうべだった。つるりと整った長楕円形。色も濁りがない。眼窩のくぼみは左右対称だ。
大きさからして四歳、私と同い年だろう。声は高くて少年か少女かは分からない。うーん今日まで問題なかったけど、この見え方って実は不便なのかも。
じーっと目を凝らしてみる。そうするとぼんやり黒髪が生えてきた。黒髪か。黒髪で四歳児……もしかしたら、あれを喧嘩と呼ぶのかは疑問だけど、私と喧嘩した子どもかもしれない。誰であれ、べつにと言うので、蹴り返してチャラにしよう。げしっ。
ガンッと椅子を蹴られた。
「…………」
「…………」
「喧嘩したいの?」
「No」
なにこの骨……。髪の毛をモヒカンにしておこう……。ぼんやりとしていた黒髪が一部を残して消えたのを見届け、私は足を引っ込めた。あほらしい。付き合ってあげられないよ。最後の1切れのパンを口に放り込んで、トレイをキッチンカウンターに戻して食堂の扉に向かう。扉付近で振り返れば、見分けのつかない幾つかのしゃれこうべがこちらを向いていた。
椅子に座る人の腕あたりが私の目の高さだ。食堂を一望できる身長はまだない。それでも私はぐるりと食堂を見回した。
骨と私が会話をするのは、豚の前に真珠を投げるようなものだと思っていた。私の価値を理解しない者達に、いくら言葉を投げかけても無意味だ。
大人は、私よりも物知りだから話す価値があると思い直した。エイミーはスクールの情報を聞き出せるから話す価値があると再評価した。ではほかの子どもたちは?
豚に真珠でいうところの豚たち。
あるいは虚ろなしゃれこうべたち。
骸骨の中で当分、私は暮らしていく。
ならばせめて真珠で飾ってやってもいいんじゃないか。宝石で飾り立てれば少しはマシになるかもしれない。
そうだ。前向きになろう。
空っぽの骸骨に宝石をつめてみよう。
教育だ。
愚鈍な眼差しを視界に入れたくなくて人と目を合わせなかったから、彼の顔を見るのも久しぶりだった。
黒髪に白い肌。ぷいと横を向いた彼の長いまつげがくるんと上にカールしている。身動きのできない乳児期は毎日いやというほど顔を合わせていたお隣さんだから、よく分かるーー天真爛漫な輝きを放っていた深い赤黒い瞳が、くすんでいることを。
彼も彼で四歳にして荒み始めているらしい。
- 2 -
*前次#
ページ: