テンシのいぶき
「いやでも、やっぱり会長くんの日焼けは見たいかも」
「アイドルに日焼けはご法度だよ」
「それはそうだけどね」
ぱら、と会長くんは手にしていた雑誌をめくる。太陽に照らされてきらきらと光る眩しい海の写真、それに目を輝かせる彼、少しずつ曇っていく表面。
「ね、旅行の計画立てようよ」
「旅行?」
「ほんとに行くわけじゃないけどさ、行けたらこうしようって、なるべく具体的に。ほら、旅行って計画たててる時がいちばん楽しいじゃん」
会長くんは少し考えて、それからいつもの笑顔に戻った。私は本棚を漁るのをやめて、彼の隣に椅子を持ってきて座る。彼が覗き込む旅行雑誌が見えるように。
「祈蕗はどこに行きたい?」
「えっ、私? 私はね、海外ならやっぱイギリスかな」
「ああ、君はホームズが好きだったね」
「うん。ビックベンとか見てみたいし、まずい!って有名なイギリスの料理も体験したいな」
いいね、と目を細めて、会長くんは微笑んだ。彼と私はよく話すけど、比較的私の話を彼が聞く方が多い。
「会長くんは?どこ行きたい?」
「僕はね……」
彼はしばらく目を閉じていて、考えているみたいだった。私はその間、彼のコレクション棚に鎮座する明らかに浮いた湯呑みで、彼の入れてくれた美味しい緑茶を啜る。
目を閉じている彼はきれいだ。
口を閉じている彼はきれいだ。
呼吸があるか、心配になってしまうくらい。
私はそのありえない、ありえなくもない、現実的ではある、でもお隣さんではない想像をかき消して、誤魔化すみたいに彼に寄りかかった。
「どこに行っても、僕はきっとはしゃぐかな」
「そうだね、どこでも楽しんでくれそう」
楽しそうな会長くんはすきだ。楽しそうな人を見ると嬉しくなる。感受性が豊かなのが原因だけど、マイナスの感情にも同じくらいの影響を受けるので、やっぱり周りの人には楽しくあってほしい。私が痛くならないために。
触れた肩から鼓動を感じる。きっとそんなことはないのに、彼の鼓動は細く聞こえる。私の鼓動を分けてあげたい。君が、君で楽しく生きて、やりたいことをして、そういう風に生きる未来に、私はいなくていいから。彼には笑っていてほしい。そのためなら私は、なんだってきっと痛くないのだ。
「祈蕗」
「ん?」
「僕はやっぱり、君とならどこでも楽しいかな」
「えぇー」
机に腕枕を作って、彼に寄りかかったまま腕に顔を埋める。会長くんの香りがする。少し紅茶の香りと、柔軟剤。私がすきな匂いじゃない。紅茶の香りは苦手だ。でも、すきだ。落ち着くから。そばにいたくなる匂い。
「会長くん、私がいなくても楽しくなってよ」
「一緒に来てはくれないのかい」
「行きたいけどさ」
けど。天祥院英智の隣にいるのは私じゃない。それは渉さんだったり、伏見くんだったり、姫宮さんだったり。彼と対等の仲間であるひとたちの席だ。どこにいるかもわからない私が、ふんぞり返っていい席じゃない。私は彼の隣じゃなくていい。彼の未来が明るければ、私からは見えなくても、間接的でも私は照らされる。それによって濃くなる影があるとしても、私はなんにもこわくない。
「私が、お金持ちになって、君が太陽に強くなったら、一緒に行こうね」
返事はない。いらない。期待してない。
一緒に行きたい気持ちはあるけど、彼の中に、他に優先したい仲間がいるならそうすべきだ。私は彼のいちばんにはならない。
さら、となにかがおでこに触れる感覚があって目を開ける。至近距離に会長くんの顔があって、彼は私の伸びっぱなしの重い前髪を、撫で付けるようにして指先でなぞっていた。
見つめる、海とも空ともとれる青の瞳。翠ともいえる不思議な色。映り込む私がうるさい。会長くんは何も言わなかった。ただ優しく目を細めたまま、ずっと目を合わせたまま、きれいな君は溶けない。
その時、扉が開いた。私と会長くんは、目線だけを入口に向ける。立っていたのは渉さんだった。
「これはこれは、貴重な逢瀬を邪魔してしまい申し訳ない!」
「渉さんがドアから現れるの珍しいね」
「祈蕗さんがいらっしゃると聞いたもので!」
「地獄耳!そのさすがの大きなお耳でも部屋の状況まではわからなかったと」
私は前髪に緩く触れたままの彼の手を軽くどけた。
「それで、わざわざ扉から登場した渉はなんの用かな?」
「せっかく祈蕗さんが見えられたのでご挨拶をと!しかしお邪魔をしたようですね、すぐに退散しましょう、お二人の仲を引き裂くのは本意ではありませんので♪」
いつものお話し合いが始まった。こうなると長いので、私は机に突っ伏していた身体を起こしてお茶を飲む。もうじき空だ。寂しい。おいしいものがなくなる瞬間は寂しい。
「もう一杯飲むかい?」
「え、いいの?」
「もちろん。祈蕗専用の茶葉だからね」
お茶をもう一杯ということは、まだ居座ってもいいということだ。私は少し迷ったけど、やっぱり遠慮せずに頂くことにした。会長くんのお茶はおいしい。
「今日は次のライブの打ち合わせに来たの。音響照明やるので。で、時間余ったからご歓談」
「なるほど!それで旅行の計画を……Amazing!将来への期待もありほんのひと握りの寂しさをも孕んだ2人きりのご歓談!まさに唯一無二の────」
「お待たせ」
「ありがとう」
彼はまた椅子に座って雑誌のページをめくる。オシャレな街並みの写真が見開き一ページを飾っていた。
「うわ、きれい」
「ここもいいね」
「会長くんこういう景色似合いそう」
「おおっと、これでは本当におじゃま虫!日々樹渉、ひっそりと退散いたします……☆ 既にピースは揃っているのに、ああ、心底勿体ない……!」
渉さんは騒ぐだけ騒いで出ていった。帰るときに彼にお菓子でも置いていこう。
「会長くんさ」
「うん?」
「ほんとに私と行きたい?」
「そうなったら、楽しそうだと思うよ」
そっか、とか返しながら、また彼に寄りかかるみたいにして雑誌を覗き込む。雑誌の中身を表面だけ目で追って、その実私は彼の中身を追っている。
もし、君が多くのものを見ることを望んでいても。私は代わりにそれをしてあげることは絶対にしない。私は彼と同じものは求められない。彼の求めるようなものをみることはできない。だから、寄りかかるしかない。なんにもしない。その代わり、私はそばにいる。いちばん近くじゃなくていい。彼に飛んでくる痛いものはできるだけ私も受け取って、一緒に、こんなのがあるよって見せあって笑いたい。
そういうふうに、私は、会長くんと生きていたい。
「祈蕗、眠いのかい」
「そうね、会長くんといると眠くなっちゃう」
「眠ってもいいよ、帰りは送らせよう」
「べつに、寝ないよ。目つむるだけ」
会長くんの肩に体重を預けて目を閉じる。匂いがする。音がする。ぜんぶが天祥院英智の証明で、私が彼を照らして響かせるための理由になる。私が、頑張ることの原因になる。大丈夫。明日もこうがいい。
雑誌のページをめくる音がしなくなったから、そんなに熱心にみる場所があったのかと目を開ける。ページは「オシャレな街並み」で止まっていた。会長くんの視線の先を追おうとして、顔を上げる。
目が合った。彼は私を見ていた。
「どしたの?」
「眠るまで、見ていたくなっただけだよ」
「なにそれ」
人の視線は苦手だ。でも、会長くんのは大丈夫だと最近気づいた。彼の瞳はきれいなだけで、こわくない。それならいいか、なんて思ってしまって、私はまた目を閉じた。
次に目を開けたときも、彼が隣にいることを祈って。