――イナズマジャパンを敗退させるために、内部から妨害しろ。
オリオン財団の命令により、国家友好親善大使としてロシアからイナズマジャパンに派遣された一星は早速、任務遂行のために周りの人間たちからまず信頼を得られるような行動に出ることにした。プレイヤーはもちろんマネージャー、その他にも寮で選手の後援をするサポーターの人たちにも。潤滑に事を進めるには周りから絆されることが有利だと考えていた一星の作戦は単純に、偽善をはらうことだった。
練習中。パンチングで弾き返されてしまったそのボールが、シュートを打った張本人である剛陣の顔に直撃した。痛みから張り上げた悲鳴にも近い声を聞きつけたマネージャーよりも早く、一星は氷嚢を持って駆け付けた。
「剛陣さん! これで急いで冷やしてください!」
「んぬぐぐ…痛ぇッ…! 一星、サンキューな……」
心の内で企む穢れたことを何一つ知らない剛陣は、感謝の言葉を口にした。それを聞いた一星は人懐こく目をくしゃりと細くして、どういたしまして、と笑った。
練習後。みんなが足を揃えて寮へ戻る中、散らばったボールを直し、フィールドをくまなく整備。代表に加入してからこれまでずっと、一人真剣に最後までグラウンドの片付けを進んで行っていた。
「僕が全部やりますよ! 皆さんは先に戻ってください!」
「いつもありがとな、一星!」
「ありがとう、一星くん」
心の内で企む穢れたことを何一つ知らないキャプテンの円堂やマネージャーが感謝の言葉を口にする。それを聞いた一星は人懐こく目をくしゃりと細くして、どういたしまして、と笑った。
一足遅れて寮へ戻ると、重そうな買い物袋を抱えていたサポーターがドアを開けることに苦労している様子を見かけた。慌てて一星は彼女の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか? 重そうですね、僕が持ちますよ」
そう声をかけて、その買い物袋をほぼ奪うようにもらって持つと、サポーターは吃驚したように目を丸くさせた。
「…ありがとうございます」
心の内で企む穢れたことを何一つ知らないサポーターは、感謝の言葉を口にした。それを聞いた一星は人懐こく目をくしゃりと細くして、どういたしまして、と笑った。
加入してから続けてきたこの作戦により、一星は周りから「真面目で良い奴」という印象を与えることに成功した。その成果を受け、思わず笑ってしまうのを堪えられなかった。
どいつもこいつも総じて、チョロい連中の塊だった。みんなして自分のことをすぐさま良い人間だと勘違いする。しかし、これから本格的に任務を進めていくうちに勘の良い奴には気付かれるかもしれない。けれど、その時にはそいつを排除すればいい。明日はイナズマジャパンの初陣となる韓国戦。まだその試合については一星に指令は与えられていない。大方その結果次第で、財団から明確な命令が下されることになるのだろう。――光の手術代を払って貰うためなら、どんな残虐な指令だって従う。それが自分の、オリオン財団に従う理由だから。
(ああ、そうだ。俺は悪なんだ)
心の底で煮え滾るどろどろしたそれを感じながら一星は一人、ほくそ笑んだそのとき。
肩をぽんぽん、と優しい力で叩かれていることに気が付き一星はゆっくり足を止め、後ろに振り返った。
「……あの」
「はい? どうしましたか?」
「ここで大丈夫です。運んでくれてありがとうございました」
「分かりました!」
再び礼を告げたサポーターが、一星に向けて嬉しそうにふわりと柔らかい笑みを送る。――自分がどんな気持ちで手伝ってるのか露ほども知らない、呑気な表情で。
一星はそんな彼女の様子を確認してから「それじゃあ、部屋に戻りますね」と踵を返そうとすると「ちょっと待って」と女子にしては強いめの力で手首を掴まれて強引に足を止めさせられてしまった。
何事だと思わず睨みを効かせそうになったが寸でのところで堪える。そして心の中で一息吐き、どうしましたか、と優しく問いかけた。すると彼女は先ほどとは打って変わり、眉尻を下げ、困り果てたかのようなそんな情けない顔をしていた。
「……名前、聞いていいですか? 私、まだ選手の方の顔と名前を一致できていなくて……」
申し訳なさそうに、だけどどこか開き直っているような、そんな不思議でよく分からない表情をしている彼女に何を言われるのかと少し警戒していた一星は、ああ、そんなこと、と内心そうごちた。
「一星充です。これから代表の中でも活躍できるよう頑張るので、ぜひ僕のことを覚えておいて下さい!」
なんて、口先では言ってるけれど。
(まあ、俺のことなんか覚えても何の得もないさ)
馴れ合いだって、全部全部無駄だ。特に選手でもマネージャーでもない、彼女のようなサポーターは尚更に。一星は貼り付けるように満面の笑みを浮かべると、彼女は薄らと口角を上げた。そして小さく会釈をして、今度こそ一星は部屋へと戻るため踵を返した。その時には既に、頭の中は明日の韓国戦のことばかりで埋め尽くされていたのだった。
「…………」
そんな一星の後ろ姿を、まじまじと眺めていた視線に気付くことなく。
永遠なる
六等星
フットボールフロンティアインターナショナルアジア予選、第一試合。日本の初戦となる韓国戦は、オリオン財団からの指令では韓国側の勝利を定められていた。
だが、結果として試合はイナズマジャパンが白星を挙げた。
韓国代表レッドバイソンにはオリオンの使徒が数人在籍しているため、一星は自分の幕は無いと思っていた。現に財団からの命令がないため、実質的に一星の役目は今回の試合では無かった。しかし終わってみれば、結果はこの有様だ。きっと目的を果たすことが出来なかった韓国代表に潜り込んだ使徒の奴らは――考えるまでもない。
こうなれば、今後は一星が積極的に動くことが命じられる。財団からの指令は当初と変わらないまま、「イナズマジャパンを敗北に導くよう内部から妨害をせよ」というもの。役立たずのお陰で自分の指令は強く念押しをされた。一星は思わずギリ、と歯軋りをする。とはいえ、イナズマジャパンの絶対的ストライカーである豪炎寺修也の排除は完了した。これでイナズマジャパンの戦力は大幅に減少されることになる。だが、これで安心するほど組織も一星もヤワではなかった。次なるターゲットは決まっている。それはこのチームの大黒柱――キャプテンの円堂守だった。
(あいつの存在があれば、イナズマジャパンは何があっても弱らない。どんな手を使ってでも必ず、俺が排除してやる。俺のことを邪魔する奴なら、みんな全員排除してやる!)
どす黒い感情がまるで煙のようにもくもくと膨らんでいく。やがてそれはまどろっこしく蠢んでいき、自分でも想像つかないほどの闇に染まっていく。そんな暗くて酷いそれによって支配されていく心の中で一星が一人そう意気込んだ、その時だった。
「……あの」
「?!」
不意をつかれたかのように背後から声をかけられ、思わず言葉にも満たない息が溢れて、肩を上がらせてしまうほど驚きながらも素早くその声の方へと振り向いた。
すると、そこには洗濯物カゴを抱えたまま突っ立っている女の姿があった。い、いつの間に。この人は幽霊か何かかと、ありもしないことを疑ってしまうくらいに気配を感じられなかったことに冷や汗を流す。
ところで、未だに揺るがぬ視線を自分に送り続けるその女の顔に一星は見覚えがあった。マネージャー、ではない。記憶をうんと捻り返した。こいつは、確か。
「風秋さん?」
「えっ」
「えっ」
「……私の名前、知ってたんだ」
対面している自分ですら聞きそびれてしまうほど小さな声でぽつりと呟いては、なぜか抱えている洗濯物のカゴの中身を覗くように彼女は俯いた。名前を間違えてしまったのかと一瞬焦ったが、どうやらそうではないらしい。
風秋夜月。イナズマジャパンが初めて集結した日、チームの関係者が紹介されていた中の一人だった彼女はそう名乗っていた。何でもサポーターである風秋ヨネの親戚だかで、ほとんど手伝いという名目でサポーターをしているやら自己紹介のときには言っていた気がする、とぼんやり一星は思い出していた。正直サポーターにはあまり関わらないだろうと考えていたし、関わるつもりもなかったから名前だってうろ覚えだったが、どうやら記憶の中には棲み着いていたらしい。
「僕に何か用でしょうか?」
「……うん。一星くんだけ今日のユニフォームがまだ洗濯に出されてなかったから、聞きに来たの」
「ああ、ごめんなさい! 今日は試合に出られなかったのが悔しくって、夜も特訓しようと思っていたのでまだ洗濯に出してなかったんです」
「そうだったんだ」
それじゃあ全然、洗濯はあとでもいいよ。夜月は洗濯物のカゴを再び抱え直して一星にそう気を遣うように促した。カゴの中に山積みにされているユニフォームのせいで一星からは夜月の顔はほとんど見えやしない。その様子を近くで眺めている一星は、それじゃあ何度抱え直しても意味ないだろ、と内心毒を吐いた。
「特訓が終わったら、ユニフォームはそのまま洗濯機の中に入れておけばいいですか?」
「ううん、出来たら洗濯機の近くに置いてあるカゴの中に入れておいてくれると助かる」
「分かりました! いつもありがとうございます、風秋さん。本当、関係者の皆さんには感謝してもしきれないですよ」
お得意の満面の笑みを再び貼り付けて、反吐が出るくらい胡散臭い言葉を並べた。すると、夜月はそんな一星の表情を見ては少しばかし目を丸くして見開いた。その様子を見て、つられるように一星の頭の上にも疑問符が浮かぶ。すると夜月はまた、か弱い声で「あの」と呟いた。
「どうしましたか?」
「……」
呼びかけてきたくせに、一向に口を開かずにただ自分のことをぼうっと眺めてくる夜月に、一星はだんだんと我慢の限界を感じ始めていた。するとそれを読み取ったのか、はたまたただの偶然なるタイミングなのか、夜月は口角を上げて口元を緩めた。その唇は美しく弧を描く。思わず一星も一瞬、見惚れてしまうような感覚に陥った。
「特訓、頑張ってね。あっでも、いつも夜遅くまでやってるし、無理しない程度に」
そう一言二言を残し、引き止めた割に一星のことを放ったらかしにして夜月はあっさりと踵を返していった。しかし一星はその夜月の言葉を受け、眉間に皺を寄せた。一星が夜に特訓しているのは日本代表が使用しているグラウンドではなく、寮から歩いてすぐのところにある公園付近だった。グラウンドなら寮から誰でもその様子を確認できるため、敢えて場所を離れていた。なのに、どうして知っているんだ?
(……なんなんだ、あいつ)
その後ろ姿をまじまじと眺める一星の視線に気付くことなく、相変わらず夜月は洗濯カゴを抱え直してはよろけながら歩いていたのだった。
// 190329