オーストラリア戦後。試合は、またしてもイナズマジャパンが白星を挙げて幕を閉じた。
相手チームについて嘘の情報を日本代表に流したことが発覚し、洞察力に長けた鬼道は元より怪しんでいた一星をすぐさま警戒した。もっと馬鹿な奴らばかりだと思っていたけれど、やっぱり鬼道は侮れなかったと一星は悔やむ。しかし、ドーピングの疑惑をかけることに成功したし、暫くはチームには戻って来られないだろう。円堂守の排除の妨害をしてきたり、今回のサウジアラビア戦然り、一星にとって鬼道は最大の厄介者だったため、無事に排除できたことに安堵の息を漏らした。まさかヒロトや灰崎をも味方につけて自分自身を痛め付けてきたのはイレギュラーだったが。一星も受け身を取っていたとはいえ、やはりそこは日本代表に選ばれるほどのサッカー選手。一星の体にはかなりのダメージが蓄積され、試合が終わってからしばらく経った今も尚、痛みが残っている状態だった。
鬼道がイナズマジャパンのメンツに一星の悪事を暴露したことが引き金となり、一星もまた自分の行動をコソコソと隠し抜くことを辞めた。そんなわけで、予想していたよりも早い段階で、一星はチームから孤立することとなった。
廊下を歩いていればこちらを睨みつけるような視線が降りかかってくる。まるでクラス全員から総スカンを喰らった虐められっ子みたいだな、と一星は内心で嘲笑した。
別に堪えてる訳じゃない。俺はオリオンの使徒としてすべきことをしているだけで。俺には俺の、明確とした目的があるから組織に従っているだけだ。誰も俺の気持ちなんて分からないし、そんな奴らとなんか馴れ合うつもりなんて初めっから微塵も無かった。そうだ、だから俺はこのくらい。奴らと関わることを失くす方が、俺としては気が楽だったんだ。
一星は辛辣な視線を交わしながら、無意識に作った拳を握り締めた。
夕食の時間。痛む体を引きずるようにしながら部屋を出て、食堂へ向かった。他の選手にこんな姿を見られたら無様だと笑われるだろう。自分自身だって、情けなく惨めだと思っているから。一星は笑うしかなかった。食堂には既に選手が数人ほど居たため、体に力を入れて負担など何ともないように振る舞う。再び突き刺さる鬱陶しいくらいの辛辣な視線。料理を配膳しているマネージャーの表情も心なしか強張っている。一星は料理を受け取ると、そそくさと選手たちが集まって座っている処からかけ離れ、一番遠いテーブルにへと一人腰を下ろした。それでも尚いくつもの視線を感じていたが、一刻も早くこの居心地の悪い場所から退散するべく、黙々と夕食を食べていた。
(チッ……胸糞が悪いな)
一向に治る気配がない周りの視線に内心で暴言を吐きながら、もう少しで夕食を平らげようとしていたその瞬間。何やら辺りがざわつくような雰囲気を察して一星も顔を上げた。
「一星くん」
すると、一星の目の前にサポーターの夜月がなぜか立っていた。遠くで食事をしていた選手も、どうやら夜月の行動を見て顔色に焦りを浮かべた。仏頂面とした表情からは何も読み取れない。一体何の用だ。思わず刺々しい声色で「なんですか」と一星は問いかけた。
一星から対応が返ってきたからか、夜月はずっと背後に隠していた両手をそっと前に差し出した。一星は彼女の手に持っているそれを見てあんぐりと口を開いた。
「これ、今日のデザート。一星くん、まだ取ってなかったでしょ?」
そういって呑気に手渡してきたのは、弾力よく揺れるプリンが乗せられた皿だった。突っ込みどころが満載過ぎて言葉が詰まる。結局どう言い返すことも出来ずに、一星はとりあえずその皿を受け取った。
「今日のプリンはね、低カロリーを意識して作ったの」
「は、」
「一星くんはプリン、好き?」
「……いや……別に、嫌いじゃ」
周りの視線に臆することなく、夜月は一星の返事を聞くと「良かった」と、へらりと笑った。そして後から特に何か付け足すこともなく、たったそれだけを言い残して厨房の方へと姿を消す。突然現れて颯爽と消えていく奴に一星も周りの面子も呆然とするしかなかった。
(……やっぱり何なんだあいつ、一体)
☆
誰よりも一足早くに夕食を済ませてから、一星はさっさと風呂に入った。体を鈍らせないようにとロシアにいた時代からずっと続けていた食後の特訓も、今日の体の状態では以ての外だったからだ。癒しの場である風呂に入っても、負担や疲れはあまり取れなかったような気がした。
「クソッ……」
自分の腹部や脇腹、足、腕。全力で蹴り上げられたボールが当てられた箇所には痛々しい痣が浮かび上がっていた。風呂上がりもジンジンと棘が刺さるように広がる痛みに耐えながら、廊下を歩いた。部屋へ戻ると安心感からか、はたまた誰にもこの無様な姿を見られることなく部屋に辿り着いた達成感か、力がドっと抜けて一星はベッドに思い切り倒れ込んだ。
せめて湿布か塗り薬があれば自分で処置は出来るが、生憎それらの所在も知らない。かといってわざわざマネージャーに尋ねるのも気は乗らない。あの人らに体のダメージを悟られるのも嫌だし、そもそもあっちだって声をかけられるのも嫌だろう。俺も嫌だからな。一星は胸の内で毒を吐きながら、とにかく自分の耐久力と治癒力を信じて少しでも早くマシになるのを願うしかないか、と痛む体について諦めながら布団に顔を埋めた。
(……豪炎寺修也に、鬼道有人の排除は完了した。そうなると、やっぱり次のカードは……)
円堂守。お前しか居ない。
一度、鬼道のせいで円堂を排除することに邪魔はされてしまったが……支柱的存在をここで一気に消し去れば、間違いなくイナズマジャパンは敗北する。俺も、組織からの任務を遂行できる。一星は頭の中で計画を練り続けた。
とはいえ、チームは自分を最大級に警戒しているため今後は練習中に罠を掛けることは出来ないだろう。ならどうするべきか……布団に顔を埋めながら、一星はぼうっと考える。が、やはり体の痛みが気になってなかなか良い案が浮かぶことはなかった。もう今日は寝るべきか。起きているだけ無駄かもしれない。かなり早い時間帯ではあるが、一星は就寝する体制に入ろうとしたその時だった。
コンコンコン。
丁寧な間隔と力加減のノック音が部屋中に響き渡った。
(……一体、こんな時に誰だよ)
血の気が立った灰崎やヒロトが、わざわざ部屋にまで殴り込みにきたか。それとも、気を遣っている同室の岩戸か。一星の予想では前者がかなりの確率だと踏んでいた。こんな時に、しかもこんな時間帯からこんな場所で止してくれ。喧嘩は苦手ではない。むしろ得意だが、ただでさえ体がお前らのせいであちこち傷んでいるんだ。追い討ちをかけてやろうってか? 全く、気性の荒い奴は懲りないな。
一星は何とか体を起こして扉の前に立ち、ふう、と一息吐いた。溜息だったのか、はたまた深呼吸だったのかは分からない。とにかく気持ちを宥めてから、ゆっくりとドアを開いた。
「あ、一星くん」
するとどうだ。そこには一星が予想していた灰崎でも吉良ヒロトでも、岩戸でもなかった。そこに居たのは、サポーターの夜月だった。
「ああ、風秋さん……どうしたんですか? 洗濯物はちゃんと入れといておきましたけど」
「お邪魔してもいいかな?」
「……は?」
「あ、一星くんの部屋に。廊下でするのもなんだから」
「なにを……って、おい!!」
夜月は一星の問いかけを最後まで聞くこともなく、そして一星の許可も得ずにずかずかと部屋の中へ入り込んだ。一体どうなってんだ? サポーターとはいえこんな時間に用もなく男の部屋に上り込むって馬鹿なのか? それに、他の奴らから俺のことを聞いてないのか、こいつは。一星は困惑する頭の中で、思わず目の前の状況に物申した。
とにかく部屋を早々に出て行かせようと、一星は夜月の腕を掴む。が、その咄嗟に力を入れたことで体に痛みが走り思わず「いっ……!」と声が出た。そんな一星の様子を見兼ねて夜月は目を丸くさせた。まずい。一瞬ひやりとしたが、一星の一抹の不安は結局無駄だったことになる。
「ああ、ほら。痛むのに無理はだめだよ」
それはまるで、一星の体が傷だらけなのは当たり前に分かっていたかのような口ぶりだった。そんな優しい口調で一星を落ち着かせてから、夜月は一星をベッドに座らせた。そしてポケットから取り出したのは湿布に塗り薬。それを目の当たりにして、一星は戸惑いを隠すことが出来なかった。
「上の服、捲るね」
夜月はただ穏やかな表情で、一星の背後に回り込むとシャツを捲し上げた。そして、一星の背中や腹部の痣を見て、眉間をキっと寄せたけれどすぐにそれを解しては新しい湿布の袋の封を切っていた。目立つ痣の部分に湿布を貼られると、強烈な冷たさが一星を襲う。けれどそれは暫くして気持ち良さを感じるまでになる。それから幾つも湿布を貼られ、細かい箇所には塗り薬で処置をされる。「痛くない?」「ここは?」一星の体について問いかけることはあれど、それ以上のことは何も言わず、そして何も聞いてこない夜月に一星はとうとう我慢も限界で、自らから彼女に訊ねた。
「……他の人から俺のこと、聞いていないんですか?」
一星からの質問を聞いても尚、夜月は手を止めなかった。暫しの沈黙が続いて何ともいえぬ雰囲気が漂ったとき、遂に彼女の口が開いた。
「うん。聞いたよ? 試合も見てたし」
ようやく返ってきたその返答に、一星は頭に血がのぼるような感覚に陥った。けれど急いで冷静さを取り戻して、行き場のない感情を飲み込んだ。
「じゃあ、何で」
「……」
「夕食の時も、今も、……何で俺に」
一星の力ない問いかけはそのまま空気に溶けた。彼女が返事を寄越さなかったからでもある。体のあちこちの痛みは、即効性のある湿布や塗り薬のお陰で既に幾分かマシになっていた。「……」恐る恐る後ろを振り返ってみれば、やはり夜月はニコニコしている訳でもなく穏やかに緩く口角を上げているだけだった。
「はい、終わったよ。いつもの食後の特訓も、今日はだめだよ? 今日はこのまま大人しくゆっくり休むんだよ」
「………」
だからどうしてそれを、と聞き返しそうになったが辞めた。一星はそれよりも、聞きたいことがこの女にはあったからだ。
テキパキと湿布のゴミを丸めて、決して一星らの部屋に捨てようとはせず自分のポケットにそれを入れる。そして再び、特にそれ以上なにかを言う訳でもなくドアの方へと踵を返す夜月の後ろ姿を見て一星は彼女を留めるかのように口を開いた。
「アンタはどうして、そこまで俺に関わろうとするんですか?」
ドアノブに手をかけて、体を半身だけ外に出したところで夜月は動きを止めた。そして、数秒しばらく何も動かないかと思えば、くるりと一星の方へ振り返った。そして一言。たった一言だけを彼に言い残すように放っては部屋をそのまま出て行った。
一星は暫くの間、その言葉の意味が理解できなくて、飲み込めなくて、部屋の中でただ一人、間の抜けたように突っ立っていることしか出来なかった。
「一星くんのことが好きだから、かな?」
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