体がぜんぶ心臓になったみたいだ(綴)
「あれ?綴くんは…?」
入浴を終えた春組に「ショコラ焼いたから食べない?」と声を掛けてから間もなくリビングにメンバーが揃い、それぞれが好きなことをしながらリラックスタイムを満喫していた。いづみは支配人と打ち合わせがあるとのことで来られなかった。支配人といづみの分のショコラを取り分けていた時、一人見当たらない人物がいることに気が付き、カウンター越しから熱い視線を向けてくる真澄くんにそう問いかける。
今まで熱に浮かされたようなトロン…とした目だった彼が、私からの問いかけに「ああ」と天井に目を向けた。
「部屋で戦ってる」
「…ん!?た、戦ってる!?え、ちょっどういうこと?」
「飯食って、風呂上がってからパソコンに噛り付いてる。」
「ああ…。そう言えば、最近大学のレポートが忙しいって言ったな」
真澄くんの隣に並び、同じくカウンター越しでスマホを弄りながら会話に参加してきた至さん。彼らの会話から綴くんが現在繁忙期に差し掛かっていることを理解した。
私たちの会話が聞こえたのか、テレビを見ていた咲也くんとシトロンさんが心配そうに見てくる。
「綴くん、大丈夫でしょうか?確か、昨日もバイトが終わってから遅くまで起きてたって言ってましたけど…」
「お陰で俺の部屋まで遅くまで電気届いて眩しい…迷惑」
「ツヅル、心配ダヨー。ツヅルのツッコミないと、ワタシもう生きていけないカラダになっちゃったネ」
「シトロンさん…妙な言い方止めてくださいよ」
「俺はアンタなしじゃ生きてけない。だから構って」
「俺も**ちゃん摂取しないと枯れる。だからちゅーして」
「一生枯れてろ」
「ふおおおっ推しのツンデレキタコレ…!!」
カウンターに額打ち付けてゴロゴロと身悶えだした気持ちの悪い至さんを無視して(デレてない)、綴くんのことを思い出す。
そう言えば、ここ最近稽古にバイトに大学に…と、彼は多忙な日々を送っている。朝は早くに起きて帰りも遅い。一日の基礎代謝量の消費が多すぎる生活に、今更ながら心配になってきた。
「綴くん、確か明日は大学もバイトも休みだって言ってたので、ゆっくり休めるといいんですけど」
咲也くんの言葉を耳に、私は追加のショコラをお皿に乗せながら頭の中のカレンダーを確認する。
(休みか……)
明日は金曜日。私のシフトも休みだから、今晩は新作の曲作りでもしようかと考えていたが……少し予定を立て替えるか。
人が真剣に悩んでいるところを「悩んでるアンタも可愛い…」と恍惚に見てくる真澄くんと、「今日も俺の嫁が尊い」とキチガい発言をしてくる至さんの両方から視線を逸らしながら明日のスケジュールを脳内で立てていく。
…とりあえず、無言で人を撮ろうとしてくる二人のスマホはぶん投げておいた。
―――翌日。
「――ん…、……っやべ、また寝落ちてた…」
朝、目が覚めたら目の前に電源がついたままのパソコンがあった。昨日の夜は風呂上がってからレポート作成に追われてて…どうやらそのまま眠ってしまったらしい。いつ寝たのか記憶がない辺りやばいな。
(頭いてえ……)
体を伸ばしながら背もたれにもたれかかると、体のあちこちがバキバキ音を鳴らす。伸びと同時に天井を見上げると、頭の奥から鈍痛が響き渡ってきた。
妙な体制で眠っていたのと、連日の疲れが溜まって全身が悲鳴を上げているのが分かる。
(今日は一日休み……休みたいけど、レポート仕上げねえと…それに、稽古も)
これからの予定を頭の中で立てて、思わず重たいため息が口から出てきた。とりあえず、腹減ったな…何か食わないと頭も回んねえ……
お腹を擦りながら重い体を動かそうとした時、扉からコンコンとノックする音が聞こえてきた。寝起きで回らない頭で「はい」と情けない程気の抜けた返事を返すと、「綴くん、起きてる?」と**さんの声が。
あれ、**さん…今日は休みなのか?「ちょっと待っててください」と一言添え、のそのそと体を持ち上げ、扉を開けた。
「あ。おはよう、綴くん」
「おはよっす。**さん、今日はお休みなんすか?」
「ええ。綴くんも今日休みなのよね? サンドイッチ持ってきたんだけど、良かったらどう?」
「え、ほんとっすか?丁度お腹減ってたところなんで、嬉しいです。頂きます」
**さんがタッパーに入れて持ってきてくれた朝食に、腹の虫が喜びの鳴き声を素直に上げる。
**さんからサンドイッチを貰うと、彼女は「少し用があるんだけど、部屋にお邪魔してもいい?」と聞いてきた。
用、とは何だろう。気になった俺は特に気にせず「大丈夫っすよ。散らかってて申し訳ないすけど…どうぞ」と彼女を部屋に上げた。
最近忙しすぎて部屋の掃除が疎かになっていた為、お世辞にも綺麗とは言い難い。適当に物を寄せて、彼女が座れるよう場所を確保する。
「すんません。ごちゃごちゃしてて…」
「ううん、気にしないで。最近忙しいのよね?」
「ええ、まあ。サンドイッチ、食べてもいいっすか?」
「どうぞ。ゆっくり食べてね」
**さんからの了承を得て、有難くサンドイッチを手に取って齧り付く。卵とハムサンド、それに昨日の夕食の残りのコロッケが挟まった三種類のサンドイッチが6個も入っている。口に広がる卵とパン生地がほんのりと温かいのに、ついさっき出来あがったばかりのものだと気づいた。
起きたら出来立てのご飯が食べられるなんて、なんて幸せなことか…。じんわりと胃も心も満たされるのを感じながら、俺はバクバクとサンドイッチを口にしていった。
思った以上に腹が減っていたようで、俺は5分も経たずに全て平らげてしまった。最後の一口を放り込むと、**さんが持ってきていた水筒からコップにお茶を注いで渡してくれた。
至れり尽くせりな対応に涙が出そうなほど嬉しくなりながら「どもっす」と、もごもごしながらお礼を言う。
「…はふっ…。ごちそうさまっした!」
「はい、お粗末様でした。いーい食べっぷりだったねェ」
**さんはけらけらと笑いながら自然な流れでタッパーを片づけ、二杯目のお茶を注いでくれた。俺も自然に飲んでいて、こののんびりとした時間にホッとしていた。
満腹になったところで、俺はようやく**さんがこの部屋を訪れた理由を思い出した。
「そう言えば、**さんは俺に何か用があるんすよね?何でしょう」
「あ、そうそう。綴くん、今日は何か用事とかある?どこかに出かけたりとか」
「今日は、特に…。レポートを仕上げなくちゃいけないんすけど、行き詰ってて…気づいたら朝になっちまってて」
「昨日は何時に寝たの?」
「…んー…最後に時計見た時は3時半だったんで…4時か、5時っすかね」
「それ、寝たって言うより気絶したんじゃないの…?体壊すわよ?」
「あはは…。俺、不器用なもんだから…色々と時間かかっちゃうんですよ」
苦笑いを溢しつつ、我ながら酷い生活リズムだと自覚した。
それは彼女も感じたようで、**さんは呆れたような顔から一変し、どこかキリッとした顔つきになった。
「綴くん、今日用事ないなら少しだけ私に時間をくれないかしら?」
「? いいっすけど……何するんです?」
「綴くんは何もしないでいいわ。寧ろ、何もしないで欲しいの」
「はぁ…。どういうことっすか?」
「とりあえず、ちょっと此処に寝転がってもらっていい?仰向けの状態になってね」
寝転がる?何で…? そう思いつつ、彼女が何をするのか分からない以上、指示に従うしかない。恐る恐るカーペットの上に寝転がると、**さんがゴソゴソと何かを用意し始めた。
「あの…**さん。一体何するんですか?」
「すぐに分かるわ。それじゃあまず、目を閉じてくれる?」
「え?は、はい」
「目の上にホットタオルを乗せるから。適温にはしてるけど、熱かったら教えて」
ホットタオル?彼女の言葉の意図を探ろうとする間もなく、目を閉じた瞼の上で温かいタオルを乗せられる。適度に暖められたタオルが、疲れた眼球をじんわりと温めてくれる。
無意識に鼻から息を抜いていると、機械を操作する音が聞こえ、すぐに耳に心地よい音楽が聞こえてきた。これは…ピアノ?スローテンポな曲調が、耳から全身に響き渡ってくる。
「首にもタオル当てて、少し触るね。嫌だったら言ってね」
優しい音楽に乗って**さんの声が耳に届く。ぼーっとする頭では返事を返すのも忘れてしまい、俺は**さんにされるがままだった。間もなく首にも温かいタオルが当てられ、**さんの手が首筋を撫でる。
決していやらしい触り方じゃなく、血行の流れに沿うように滑らされる手に、無意識に口から息が出た。首、鎖骨、肩…と、**さんの手が撫でる度に脳が心地よく痺れるのを感じながら、俺は気になったことを口にした。
「あ、の…**さん……これは、いったい…?」
「ん?ああ。綴くん、疲れが溜まってるみたいだから、今日は私がいっぱい疲れをとってあげようと思って。疲労回復の為のマッサージとか色々調べてきたのよ〜」
「え、なんで… だって**さん、今日はお休みじゃ」
「ええ。休みだから、今日ならゆっくりできると思って。本当は何曲かヒーリングミュージック作りたかったんだけど、時間がなくて急きょ一曲しか録音できなかったのよ。ごめんねェ」
「へっ?こ、この曲…**さんが作ったやつなんすか?」
「そうよ〜。…あ、もしかしてあんまりヒーリング効果できてない? 何なら動画アプリから本物のヒーリングミュージック流すけど」
「あっいや、これがいいっす。全然、大丈夫です」
「うん?そう?なら良かった」
話をしながら、**さんはホットタオルを一度取って、用意していた温水につけて温め直したり、今度は肩から二の腕にかけて指圧するようにマッサージを続ける。
プロの技がどんなものか知らないけど(マッサージとか行ったことねえし)、これはなかなか…いや、正直めっちゃ気持ちいい。特に疲労が溜まっていた目や肩の疲れがどんどん解れていくのを感じる。
「綴くん、いつも皆のしっかり者役として頑張ってくれてるから、疲れが溜まってきてたのね。」
「…いや…そんな……俺が勝手に、慌ただしくしてるだけなんで…」
「それぐらい、貴方は無意識に人の為に動き回ってるのよ。綴くんの優しさと気配り上手なところに、MANKAIカンパニーの人たちはたくさん助けられてるよ。勿論、私もね」
「俺が、っすか…?**さん、にも……?」
「そりゃそうよ!貴方がいないと、誰が真澄くんや至さんやシトロンさんからの求愛行動止めてくれるの?」
**さんは心底疲れたような、でも可笑しそうに笑いながら話をする。右手を取られ、手のひらをぐっと指で強く、けれど優しく圧されて解されていく。
(**さんの手、柔らかいんだな…。ピアノ弾いてるだけあって、きれいな指…)そんなことをぼーっとした頭で考える辺り、俺も真澄たちのこと偉そうに言えないかもしれない。
「脚本家として、劇団員として、MANKAIカンパニーの家族として、いつも頑張ってくれてありがとう。今日はゆっくりと休んで」
**さんの声が、穏やかなピアノ曲と一緒に流れ込んでくる。ホットタオルと彼女の手の温度に温められ、タオルの下で重たく瞼が落ちようとする。
「……う、ん…」
そう、無意識に気の抜けた返事をしながら、俺はさっき起きたばかりだと言うのにゆっくりと睡魔に身を委ねていった。
「―――…ん…」
パチ、と目が覚める。目覚めたばかりだと言うのに、数時間前の起床とは違って脳も体も軽くなっていた。ずいぶん寝てしまっていたようで、窓から差し込む光は橙色を混ぜていた。
ゆっくりと起き上げた体からタオルケットがずり落ちる。恐らく、寝る前までいた彼女がかけてくれていたのだろう。
(喉乾いたな…)
からからになった喉を潤すため、俺は部屋から出て談話室へと向かった。
寝起きの頭はまだふわふわしていて、半分夢心地のまま歩いていくと、談話室の方から賑やかな話声が聞こえてきた。
「――あ!綴くん!起きたんですね」
咲也の声に弾かれ、談話室に集まっていた春組のメンバーと監督が振り返った。どうやら皆で夕飯に向けて準備したり、のんびりしていたようだ。
「はよっす」
「ツヅル、ダイジョブ?不倫はキンモツよ!」
「シトロンさん、それって無理は禁物、ですよね?とんでもない言い間違いしてますよ!」
「オー!ソーリー監督サン。早ちり取りだたネ」
「早とちり、と見た」
わいわいと賑わう春組の皆を見ながら、俺はキッチンの方へと向かっていく。大きく欠伸を漏らしながら戸棚のコップを探そうとすると、キッチンにいる彼女の姿に気が付いた。
それは向こうも同じだったようで、「あ」とこちらを振り返って柔らかく微笑んだ。
「おはよう、綴くん。よく眠れたようね」
「良かった、良かった」と耳に届いた**さんの声が、数時間前に気持ちよくマッサージをしてくれたことを思い出させる。その時の多幸感を思い出したのと、まだ覚醒しきってない思考が重なり、俺は無意識のままふらふらと彼女に近づいて…ぽす、と肩に頭を乗せてしまった。
「お?」
「**、さ……さっきは、どもっした」
「あらあら。まだ寝ぼけてるねェ、綴くん」
少し前のように、**さんはけらけら笑いながら俺の背中をぽんぽんと撫でた。子どもをあやす時のような優しい手つきにうとうとと夢の世界に再び半分入りかけた時、「ちょっと」とすげー低い声が真横から聞こえてきた。
「綴、何抱き着いてんの…。俺の場所なんだけど、そこ」
「いやいや、いつから真澄くんの場所になったのよ…。」
ドスの効いた声は真澄から発せられたもので。その言葉と**さんの声に、自分が何をしているのかに気づき、俺は慌ててバッと後ろに飛びのいた。
「すすす、すいませんっした!!お、俺…寝ぼけててっ」
「うん?大丈夫よ。それほどマッサージの効果があったみたいで、私も嬉しいわ」
「は、はい。おかげさまでっ」
情けないぐらい慌てながら彼女の顔を見れないでいると、**さん信者二号の至さんが話を聞いてたのか、異常なスピードで詰め寄ってきた。(この人、普段は怠慢なのに、**さん関連になると機敏になるんだよなァ)
「ちょい待ち。マッサージ、って…何?え、まさか、**ちゃんがやったの?綴に…?」
「え?ええ…」
「え、え…マ?待って待って何そのエロ同人的な展開。 は?俺が昼間仕事してる間に何美味しいことしてんの綴、コロスぞ」
「ちょちょっ、至さん!?意味わかんないですし、ガチギレ止めてくださいよ!」
変なスイッチが入って暴走し始めた至さんの声を聞きつけて、他の面子まで集まってきてしまった。
「つ、綴くん!?**先輩とえっちなことしてたってほんと!?ちょっと詳しく話しなさい!!」
「ええっ!?**さんと綴くんって、そういう関係だったんですか…!?えっ、そんな…お、俺……俺…っ」
「ツヅル…ワタシのフィアンセをNTRなんて、いくらツヅルでも許さないヨ」
「うざい。俺もまだシてないのに」
「いやっ、ちが…!ご、誤解だって!頼むから話を聞いてっ」
「あー……。はいはい、皆落ち着いて。圧が凄いから、ちょっと下がって」
一気に詰め寄ってきた団員たちに押しつぶされそうになると、見かねた**さんが間に入って後ろに下がらせた。
「貴方達が思うようなやらしいことは一切してないわよ。勝手な先入観で彼を困らせないで」
「はい!夕飯の準備するから、散った散った!」と**さんに言われ、皆が納得しないまま渋々と元の場所へと戻って行った。
良かった…と、ほっとしたのも束の間、胸を撫で下ろしている俺を「綴くん」と彼女が呼ぶ。「はい」と返事をして見ると、彼女が耳打ちしようとしているのが分かり、届くように背を屈める。
「今日のことは皆に内緒にしておいてね」
「え?いいっすけど…何でですか?」
「うーん…私の下手なマッサージのこと広まったら、ちょっとね…。恥ずかしいから、内緒にしてて」
何を恥ずかしがるんだろう…**さんのマッサージは凄く気持ちよかったのに。そう言おうとして、俺は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
「あの、」と、さっきの彼女のように今度は俺が手でメガホンを作って**さんの耳元でそっと話す。
「内緒にしとくんで…また俺が疲れたら、マッサージしてもらっても…いい、っすか…?」
変にドクドクする心臓を抑えて、そう言って顔を離す。すぐ近くにある顔がこちらを見上げ「もちろん」と笑ってみせた。
……あ、やばい。
何に対してそう思ったかは分からないけど、熱が集まってきた顔を「どもっす」とお礼を言う振りをして頭を下げて隠した。
体がぜんぶ心臓になったみたいだ
(ドクドクと音が鳴っているのが、どこからか分からなくなっていた)
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