少し、稽古場の雰囲気が変わった…気がする。
それと言うのも、咲也くんがつっかえずに読み通しができるようになったのだ。
これは彼にとっても、春組にとっても大きな前進だったんだろう。

少し前までのギスギスした雰囲気が緩和され、全体的に前向きなムードになっていた。
これはいい傾向だ…。

けれど、いづみの表情を見ると喜びきれないところがあるようだった。
稽古のことについて、何か思い詰めているようだけど…。

(…ド素人の私が下手に声を掛けても、返って邪魔になるかしら)

私の方から声を掛けようとも思ったが、適材適所と言う言葉もある。
少し冷たいかもしれないが、私は私の仕事に専念することを考えよう。
そして、いづみの方から相談を掛けてきた時に話を聞こう。

そう決めて、私は今日も稽古を見学しながら作曲に勤しんだ。





20.





――日は変わり、今日は仕事がオフの日。私はハルと一緒に公園に散歩に来ていた。
MANKAI寮に引っ越して来てから、毎日がバタバタしていてゆっくりとハルに関わってあげる時間をとってあげられなかった。
だから、今日はハルと二人きりの時間を楽しむことにした。

「いい天気だねー」

隣を歩くハルの足取りは軽い。初めての散歩コースにあちこち目移りしながら楽しんでいる。
因みに今日はハルに薄手の服を着てもらっている。
まあ、可愛いと言うのもあるけど…春先はダニも増えるため、ダニ対策も兼ねてだ。…どうでもいいか。

「…あ、もうこんな時間か。ハル、お昼にしよう」

少し余裕を持って寮を出てきて遊んでいたら、すぐにお昼の時間がやってきた。
予め用意してきておいたバスケットを持って、ハルと共に公園のベンチに向かう。バスケットの中から水とハル用のご飯を取り出し、尻尾を振りながら待っているハルの前に置く。

随分はしゃいで喉が渇いていたようで、すぐに容器の中の水が空になる。
その様子を見ながら、私もお昼にしようとバスケットの中からサンドイッチを取り出した。

「んっ、美味しい。やっぱりサンドイッチは卵がいいなァ」

口の中でじんわりと広がる卵の甘味に浸りながら、気持ちのいい日差しを浴びる。
これを食べたら寮に帰り、ハルをお風呂に入れて、夕方からの稽古に参加して作曲製作の続きをして……。
今後の予定を頭の中で考えながら、のんびりとお昼を堪能していた。

「はー、幸せ……。 ……ん?」

ベンチにもたれ掛って晴天を仰ぎ見ていた時、ついさっきまでなかった人の気配を感じた。しかも、至近距離から。
(何だろう?)と、違和感を感じてウトウトと閉じかけていた目を開き、自分の隣に向けて…思わず肩が跳ね上がった。

「んぐっ!? っげほ、げほ!――っ、な、なんですか!?」
「……」
「…あ、あの…っ。どなた、ですか?何でそんなに見てくるんです…?」

すんごいド至近距離からこっちを見ている男性がいたのだ。しかも、真隣に…
思わず食べていたサンドイッチが変な器官に入りむせ返る。
死に物狂いで絞り出したこちらからの質問に返答はなく、尚男性はこっちをじーっと見つめてきていた。

…え…本当に、なに?
なんで何も言ってくれないの…?怖いんだけど。

変な汗をだらだらと掻きながら知らない男性と見つめ合うという奇妙な光景が広がる中、今まで黙っていた男性の口が開いた。

「お姉さんもわんこも、さんかくいっぱーい!すごーい」
「…は?さ、三角…?」
「うん!いいなー、さんかく。きれーい」

男性の口から出てきた言葉に脳内が宇宙状態になった。随分とキラキラした目で褒めてきたのは、想像もしなかった三角を褒めるお言葉…。

「え、っと…もしかして、サンドイッチと、ハルの服の模様のこと?」
「そう!わんこ、ハルって言うのー?オレは三角って言うんだよ〜」
「は、はぁ…みすみさん、ですか…」
「さんかく、って書いて三角だよ!さんかく、さんかく〜」

にぱっと向日葵のような笑顔を広げる男性こと三角さん。普通に自己紹介してるけど…
え、待って、私たち会ってまだ一分も経ってないわよね?なんでそんなにフレンドリー…?

状況の理解も出来ていないのに我が道をマイペースに進む彼… そうか、所謂不思議ちゃんと言う人か。
人柄的に害はなさそうなので余計に毒が抜かれる。
圧倒されながら彼の話を聞いていると、彼のお腹から虫のなく声が聞こえた。

「………。あの…良かったら、お一ついります?」
「え?いいの?」
「はあ、まあ…。こんなんで良かったらですけど」
「わーい!食べる〜!いっただっきまーす」

恐る恐るラップに包んだサンドイッチを差し出すと、三角くんは満面の笑みでサンドイッチを受け取った。
キラキラした目で「きれーなさんかく〜」とサンドイッチを眺め、ぱくりと口に含む。

「美味しいー!」
「それは良かったです。サンドイッチ、嫌いじゃなかったですか?」
「サンドイッチもおにぎりもだーいすき!さんかくの食べ物ならなんでも好き〜」
「あ、やっぱり基準は三角形なんですね…」

…今更だけど、知らない人から貰った食べ物を軽率に食べるのは危ないんじゃなかろうか?
三角くんの警戒心のなさに不安になりながらも、おかわりを求めてくる無言の眼差しを受けてそっと差し出す私にも問題があるな…と反省した。

一通り食べ終わり、三角くんも満足したようでお腹を擦っていた。

「美味しかった〜。ごちそうさまでした!」
「……あの、食べさせてから言うのもなんですけど、知らない人から貰ったものをあまり簡単に受け取らないほうがいいですよ?」
「なんでー?」
「いや、ほら…悪い人だったら食べ物に何か仕込んだりするかも」
「お姉さん、わるい人なの?」
「ド直球に本人に聞く勇気すごいな!?いやいやっ、私は悪人じゃないですけど…」
「じゃあ、大丈夫〜。さんかくサンドイッチ美味しかったし!」

い、いいのか…?疑問は尽きないけど、三角くんの笑顔を見るとこれ以上言っても無駄だろう。素直に私の方が先に折れると、三角くんは首を傾げてこちらを見ていた。

「…? どうしました?」
「ねえ、オレ斑鳩三角!」
「え?あ、ああ…さっき聞きましたね。苗字もまた珍しいんですね」
「お姉さんのお名前はー?」
「私ですか?私は、△△**です」
「**…**…。うん、覚えた!美味しいサンドイッチ、ありがとう**〜」
「どういたしまして…って、痛い痛い。ちょっ、感情表現が大きい」

三角くんは私の手を掴んでぶんぶん上下に振りながらお礼の言葉を述べた。
…なんか、凄い浄化されそう…。三角くんの純粋な謝礼と笑顔に、只でさえ弛んでいた心が更にユルユルになる…。
ハルはご飯を食べて満腹になり、満足したのか今はアスファルトの上で少し休んでいた。

「**はこの辺りに住んでるの?」
「ええ、最近引っ越してきたの。一週間ぐらい前から」
「そっかー。だから見たことなかったんだ」
「三角くんはこの辺りに住んでるの?」
「んー……違うけど、最近よく来るー。天鵞絨町はさんかくがいっぱいだし、猫さんもいっぱいいるから!」
「そっか。猫も好きなのね」
「うん!どうぶつさん、みーんな好き!オレのともだち〜」

三角くんはベンチに座って、足をプラプラ揺らしながら楽しそうに自分のことを話してくれた。
出会って間もないのに、彼の独特的なオーラは思いの外心地よく、まるで日向ぼっこを体感しているような時間だった。
暫く彼と話していたが、そろそろ時間がいい具合に経っていたことに気が付く。

「あ、そろそろ帰らないと。ハルも待たせてるし」
「えー?そっかあ…残念」
「うっ、そんな捨てられた犬のような顔で見ないで…悪いことした気分になる」

午後からは作曲活動に打ち込みたいと思っている。三角くんには申し訳ないが、そろそろ帰らないといけない。
バスケットを片づけて立ち上がると、三角くんも私に習うように一緒に立ち上がった。

「**のサンドイッチ、きれーなさんかくで美味しかった!」
「そう?そんなに喜んでもらえたなら、私も嬉しいよ」
「うん。**はやさしいし、楽しいし、ご飯もじょーず!だから、オレのお気に入りのさんかくに認定〜」
「お、お気に入りにの、三角…?それって喜んでいいの?」
「もちろん!今度はオレがお礼のさんかくあげるから、また会おうね。ハルも!」
「ありがとう。私たちも楽しかったから、また今度会えるの楽しみにしてるわね」
「うん!じゃあ、まったね〜」

三角くんは私とハルに手を振ると、軽い足取りでどこかへと消えていった。
…最後、一瞬だけ木の上に登っていったように見えたのは気のせいだと思いたい。

「…帰ろっか、ハル。」

私の声に反応して尻尾を振りだしたハルを撫で、リードを握って歩き出した。
(それにしても…最近イケメンとのエンカウント率が高いなあ)と、どうでもいいことを考えながら。




---------




「**先輩、ちょっといいですか?」

皆が稽古を終え、夕食や風呂も済ませて各自がリラックスタイムに入った夜。
自室に戻ろうと談話室から廊下に出た時、後ろを着いてくるように出てきたいづみに声を掛けられた。
「どうしたの?」と立ち止まると「ちょっと、そこで座ってお話でも…」と誘われ、そのままエントランスのソファに向かう。

向かい合うように座ると、改めていづみの表情が苦いものになっていたことに気づいた。

「どうしたの?改まって」
「…先輩。今の春組の雰囲気をどう思いますか?」
「え?春組の雰囲気…?」

唐突な質問に思わず目が点になる。春組の雰囲気と言えば、今朝丁度考えていたことだ…。
いづみに聞かれ、私は本日の稽古場での皆の雰囲気を思い出す。

「そうね…読み通しがスムーズになって、いい感じに波に乗ってきていると思う。全体的にお互いをカバーし合って…良い意味で言えば、朗らかな感じかしら?」
「良くない方の意味で言えば、どうですか?」

…これは、演劇ド素人の意見を言っていいものだろうか。
そうは思ったが、いづみから向けられる真剣な瞳を見ると、正直な意見を求めていることに気が付き、私はゆっくりと口を開いた。

「……悪く言えば、気が弛んでいる、かしら。公演までの残り日数はあと僅かよね?千秋楽には満員御礼にしなくちゃいけないって言う高い目標もある。なのに、全員が危惧の念を抱いてる様子が見えないから…正直、このままで大丈夫かな、とは思う」
「やっぱり…**先輩もそう思いますよね」

私の意見を聞いて、いづみは重いため息を吐きだした。

「せっかくちょっとずつ上手くいってるところに、まだまだだって怒って水を差すのも逆効果だし、どうしたらいいのかと思って」
「ああ…。それで稽古中も苦い表情をしてたのね」
「はい…みんなの意識をもっと上に向けて、もっと頑張る気にさせるにはどうしたらいいんでしょう?」
「そうねェ…」

確かに、事実を突きつければ話は早いけど…そう簡単にできることじゃない。
春組の皆は自分たちなりに朝稽古をしたりと努力をしている。一つやり方を間違えれば、今積み上げられてきたやる気を一気に削いでしまいかねない。
…これは、なかなか難しい質問だ。

いづみと二人でどうしようか、と頭をひねっていると、2階から大荷物を持って降りてくる支配人の姿が見えた。

「よいしょっと…。ふうっ」
「支配人、なにしてるんですか?手伝いましょうか?」
「いえいえ、大丈夫です。これで最後なので」
「それ、何ですか?」
「初代組の衣装とか小道具です。この機会に一度全部整理しとこうと思いまして」

そう言って支配人が見せてくれた段ボールの中には、ボロボロになった衣装や小物が見えた。
これは、再利用は無理だろうな…。

「ぼ、ボロボロですね」
「あはは…。でも、これを機に衣装係を新しく募集しようと思うんです!すぐ見つかるといいんですが…」
「道具とかはどうしますか?」
「大道具については、頼りになりそうな知人がいるので任せてください!」
「そうですか。色々ありがとうございます」

いづみが支配人に頭を下げると、伊助さんは人の良い笑顔で笑った。

「いえいえ!監督と役者、それに作曲家の方には、安心して稽古や作業に専念してもらわなくてはいけませんから」
「伊助さんのお陰でそれができますね」
「とんでもないですよー。それで、稽古の方はどうですか?」
「ようやく読み合わせが終わったところです」
「そうですか…。うーん、やっぱり、初代組のようには進まないですね」
「初代組……」

支配人も苦虫を噛み潰したような表情で言葉を漏らす。
何やらいづみが支配人の言葉を拾い、俯いて考えだしたところで、伊助さんが私の方を向いた。

「**さんは作曲の方は進捗どうですか?」
「私の方は曲のイメージが固まって、エディットに入ったところです。大まかなメロディはできたので、後は細かいアレンジを詰めていけば完成が見えると思います」
「そうですか!確か、初代の曲をアレンジされるんでしたよね?」
「はい。支配人が持ってきてくれた資料映像が役に立ちました。ただ、あの壮大な音楽を私一人でどこまで表現できるか…そこだけが心配点です」
「確かに、初代組は華やかに奏でていましたからねェ」
「ロミジュリも、元々のストーリーは有名な作品ですし、舞台映えする物語ですから。演出面でお客さんをがっかりさせたくないので…気合い入れないと」
「大丈夫!**さんの探究心から生まれる音楽なら、どんな人の心でも鷲掴みにしますよ、きっと!」
「はは…その自信はどこから来るのやら」

支配人に励まされながらほのぼのと会話をしていると、それまで静かに考え込んでいたいづみが顔を上げた。

「あの、支配人…頼みがあるんですけど。」
「はい?」
「初代春組の方に連絡って取れますか?」
「え?初代春組に、ですか…?」

支配人の顔がきょとんと呆ける。
私もいづみからの突然の申し出に驚き、首を傾げるしかできなかった。

「いづみ、OBの方に連絡をとってどうするの?」
「今の春組の皆に必要なのは、緊張感だと思うんです。そこで、初代春組の意識の高さを目の当たりにすれば、もっと気が引き締まるんじゃないかと思って」
「なるほど…」
「そういう事なら、元春組で、今は演劇学校の教師になってる人がいるので、呼んでみましょうか」
「えっ、本当ですか?」
「忙しい人なので、いつ捕まるかは分からないですけど…」
「構いません!宜しくお願いしますっ」

いづみが頭を下げて頼むと、支配人は快く承諾してくれた。
荷物を運び終えたらすぐにでも連絡してくれる、と約束し、支配人は最後の段ボールを片づけに倉庫に向かって行った。
胸を撫でおろすいづみの姿をちらりと横目で見る。

(…本来…劇団員を指導するのは監督であるいづみがしなくちゃいけないことなんだろうけど…)

まだ監督になって日が浅いこと。春組の皆と同じように、いづみもいづみなりに頑張っていること。それらをトータルで見たら、仕方ないかと目を瞑るしかなかった。
もし本当に初代春組のOBが来れば、春組だけでなく、監督であるいづみも、作曲家の私にとっても飛躍の一端となるだろう。

そんな期待を胸に、夜の帳がゆっくりと下りていった。


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