19.
稽古の雰囲気は依然として空気が重い。
けれど、だからと言って練習を滞らせるわけにはいかない。本番までの日数は限られている。
今日もギスギスとした空気が漂う中、稽古が行われた。
(うーん……どうしたもんか)
つっかえながらの読み合わせを聞きながら、私は手元のパソコンに目を落とす。
曲作りに勤しもうとしたんだけど、中々良いインスピレーションが浮かばない。……と言うより、先ず演劇の曲のイメージがつかめない。
そう言えば…先日支配人に過去の資料映像や楽譜をお願いした件についてはどうなったんだろう?
そんなことを考えながらPCと睨みあっていると、稽古場の扉が控えめに開かれた。
「監督、**さんは……あっ、いたいた!」
「? 支配人、どうしました?」
「**さんにお見せしたいものがあって…。ちょっと、一緒に来てもらえますか?」
何だろう? 首を傾げつつ、PCをスリープモードにして支配人の後を追って稽古場から出た。
一緒に向かった先は…談話室だった。
19.
「遅くなったんですけど、以前頼まれていた資料映像と、過去に使った演劇曲の楽譜を引っ張り出してきました!…とは言っても、保存状態があまり良くなくて、ほとんどボロボロですけど…」
支配人と一緒に来た談話室には、いくつかのビデオテープと楽譜の山だった。
初代…とは言ってもそんな何十年と経っているわけじゃないのに、何故か楽譜はほとんど読めないぐらいボロボロだった。
「ど、どうやったらこんなにボロボロになるんですか…?」
「いやぁ、それが…暫く倉庫の掃除を怠っていたせいで、ネズミに巣を作られていまして…ははは」
ああ…この妙な切り口はネズミにかじられた痕か。これはもう駄目かな…。
譜面はほぼ諦めに近いけど、ビデオは有難い。音楽を直に耳で聞けるのは大きな収穫となる。
「これ、早速観てみてもいいですか?」
「ええ!勿論です」
支配人から快諾を貰い、早速ビデオをセットする。
映像は少しばかり古いものだが、私が必要とする音楽が聴ける為問題ない。
目を閉じて、音に集中する。初代春組のロミオとジュリエットの舞台が耳から流れ込んでくる。
「……すごい…」
口から自然と感嘆の声が漏れた。今さっきまで現代の春組の演技を見ていた分、先代の演技力に圧倒された。
それだけでも圧巻なのに、私が胸を撃たれたのは音楽だった。
壮大で、華美で、けれど上品で心地よく、繊細な音楽…。
シーン毎に作られた全ての曲に胸が躍らされた。
「初代の舞台では生演奏で披露することも多かったんですよ。」
「初代の作曲家の方は、どんな方だったんですか?」
「うーん…特に決まってなかった、ですかね。演奏団はいたんですが、毎公演でリーダーが変わっていたのと、皆さんで曲を作っていた感じでしたので」
映像越しから伝わるレベルの高さ。
さっきまで稽古をしていた劇団員を呑気に見ていたけど…これは私もうかうかしていられない。
彼らだけでなく、私にとっても期限は一ヶ月もないんだ。
せっかく作曲家として配属してもらったんだから、限られた時間の中で、少しでも質の高い物を作らないと…
「……支配人、ビデオや楽譜ありがとうございました。あの、稽古メンバーはまだ暫く戻ってきませんよね?」
「そうですね。今日は皆さんが揃っているので、一日詰めるかと」
「それじゃあ、私はこれから譜面を書き起こしながら曲のイメージ作りをしていきたいと思うので、暫く談話室のテレビをお借りしてもいいですか?」
「構いませんよ!…あ、譜面を書き起こすなら、キーボードとかいります?必要でしたら倉庫から持ってきますよ」
「えっ、キーボードがあるんですか?助かります!じゃあ、私も一緒に取りに…」
支配人にばかり仕事を押し付けては申し訳ないと思い、私は一旦テレビを止めてソファから立ち上がる。
振り返ろうとしたら、支配人にやんわり肩を押されて再びソファに身を沈めた。
「いえいえ、**さんはじっくりビデオを見ていてください!キーボードは僕が持ってきますから」
「ええ?で、でも…悪いですし。それぐらい自分で」
「いいから、いいから!パパッと取ってくるので、待っていてくださいね〜!」
支配人はドンと胸を叩き、まるでウサギが跳ねるような軽い足取りで談話室を出ていった。
何だろう…もしかして、この間『頼りにしている』発言をしたから、気合入っているのかしら?
まあ、もう出ていかれたものは仕方ない。
私は素直に支配人の優しさに甘え、再びテレビに目を向けた。
「………」
-------------
「――今日の稽古はここまで!皆、お疲れ様」
稽古場に監督の声が響き渡り、それまで息詰まるような空間で行われていた稽古に終了が訪れたことが分かった。
ふぅ、と反射的に出たため息を、たまたま近くで聞いていた真澄がそれを拾い「疲れたのはこっち」とか言ってくるから、再びカチンときた。
「何だよ、ため息ぐらい自由につかせろよ」
「つくのは自由。でも、俺の聞こえないところでやって」
「はあ?お前どんだけ傍若無人だよ」
「監督。**は?」
「って、おい!自分だけ言っておしまいかよっ」
ほんと、何なんだよアイツ!自分勝手すぎる横暴さに腹が立つ。
…でも、強くは言えない。悔しいことに、確かに真澄は全体的に能力が高い。
頭も良く、器量も良い。演技力もずば抜けているし、周りのことも良く見ている。
…見過ぎてて、一々細かいところまで突っかかってくるのがむかつくけど。
「んー…そう言えば、**先輩戻ってこなかったな。」
「**がいないからやる気でなかった…。はぁ」
「支配人に連れられてどこ行ったんでしょう?」
水分補給用の水を飲んでいると、いつの間にか話題が**さんに変わっていった。
本当…あの人の影響力ってすげーな。姿が見えないだけでこうも話を盛り上げられるとは…。
呑気にそう思いつつ、俺も皆の輪を眺めながら話に耳を立てる。
話を聞いていたシトロンさんがハッと顔を上げた。
「もしかしテ…ワタシ達が稽古している間に昼下がりのジョージーしてるネ!?」
「ひ、昼下がりのジョージー…?誰ですか?」
「昼下がりの情事、と見た」
「それだヨ!至偉いネ」
「シトロンさん…あんたはまたそうやって変な方に考えつくんすから…」
「そんなこと俺が許さない。支配人殺しに行く」
「ちょっ、真澄くん!?」
「じゃ、俺も一緒に行こうかな。**ちゃんのこと心配だし」
「ワタシも行くヨ〜!**を探す案件会ネ!」
「ええ?至さんにシトロンさんまで……」
シトロンさんも、それを言うなら探検隊だろ。
しかし…真澄とシトロンさんは通常運転だけど、至さんまで動くとは予想外だった。
今日の稽古が始まる時も手を振ってたみたいだけど…いつの間に**さんと密な関係になったんだ?
先日一緒に買い物に行ってから妙に関わりが多くなったみたいだけど…その時か?
…ともあれ、今この三人だけで支配人達の所に行かせるの不味いんじゃないか。
「監督、あの人達だけで行かすとやばいんじゃ…」
「そうだね。このままだとMANKAIカンパニーで殺人事件が起こっちゃう。止めないと!」
監督はそう言うと、先に出ていこうとする三人の先回りをして、**さんの名前を呼びながら稽古場を出ていった。
それを足早になって追いかける三人の背中を見ていると、俺の隣を小走りで駆ける咲也に気づく。
「綴くん!俺達も行きましょう!」
「ええっ?いや、行くけど…そんな急がなくても」
「でも、心配ですし…。俺、先に行きますねっ」
咲也は**さんをMANKAI寮に連れてきた張本人だ。それ故に責任感でもあるのか、急ぎ足で駆けて行った。
…全員が急いでるのに、俺だけ急がないわけにもいかないだろ。また一つため息を零しながら駆け足で追いかける。
意外にもすぐに先陣メンバーに追いつき、先頭を歩く監督が談話室の扉を開いた。
――ガチャッ
「**先輩、いますかー……って、ええっ!? ちょっ、何コレ!?」
扉を開いた監督が驚きの声を上げる。
何に驚いたのか気になり、俺達もすぐに談話室に入る。
するとそこには…テレビの周辺を中心に散乱する大量の紙の束が目に飛び込んできた。
思わぬ光景に俺達はぽかん…と口が開いた状態に。
その時、テレビの明かりとその前に陣取る人物の背中が見えた。
「**、さん…?何してるんすか?」
「―――ん?」
声を掛けられた人物は相当集中していたのだろう、俺の問いかけに数拍置いてから弾かれたように振り返った。
彼女の前にはキーボードと書きかけの紙、握られたペンが見える。**さんは俺達の姿を見ると「あ」と声を漏らして時計を見上げた。
「も、もうこんな時間になってたんだ。ごめん、すぐに片付けるわね」「**さん、何をしてたんですか?」
「これ……楽譜?」
高校生組が周りに散らばった紙を踏まないようにして**さんに駆け寄って行った。
真澄の口から呟かれた言葉を聞いて改めて床に広がる紙に目を落とす。よく見ると、それは簡略化された楽譜ばかりだった。
「ええ。ずっと初代春組のビデオ見ながら、採譜していたの。演劇曲のイメージを掴めるし、今後の作曲のヒントになると思って」
「え…ええ!?これ、全部**さんが書いたんすか?」
「え?ええ…まあ、自分が分かるようにメモ書きで書いたから雑だけど」
確かに紙面に並ぶ文字と記号の羅列は、本来の楽譜に比べれば簡素なものだった。
けれど、床一面を埋め尽くす紙の量を見れば、どれだけ長い時間書き起こしたのかが分かる。
そもそも、聴いた曲を譜面で書き起こすって…相当音感に自信がないとできないんじゃないか?
「神の手書き譜面……?うそ…マジか……」
「**、音楽聞いて楽譜に起こせるネ?凄いヨー!」
「**先輩、昔から音感がすごくて、よく気に入った曲とかを譜面に書き起こしてましたもんね」
「そう言えば学生の頃、いづみと二人で音楽プレーヤー聞きながら一緒に楽譜作ったりしたものね」
懐かしいねー、と監督と二人で笑いあいながら**さんは楽譜を拾い集めだした。
自然と俺達もそれを手伝い、俺が最後の一枚を拾って手渡す。
「ありがとう、綴くん」
「いえ。…なんか、俺が脚本に切羽詰まってる時みたいで親近感湧いたっす」
「あはは。綴くんの脚本の量に比べたら全然よ」
けらけらと笑いながらそう言うと、**さんは「キーボード部屋に片付けてくる」と言って逞しくキーボードを抱えて部屋を出ていった。
…すかさず真澄が着いて行ったのを見逃さなかった。
俺は彼女が今言った言葉を思い出しながら、束ねられた紙の山にちらりと視線を落とす。
確かに、脚本と楽譜じゃ文字の量に違いはあるが…。
音楽に関しては素人の俺でも、これは凄い量だと言うことは分かる。
(**さんも、集中すると周りが見えなくなるタイプなのか…)
そんなどうでもいいことを思いながら、俺は彼女の秘められた才能を垣間見て、暫く驚嘆に浸っていた。
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けれど、だからと言って練習を滞らせるわけにはいかない。本番までの日数は限られている。
今日もギスギスとした空気が漂う中、稽古が行われた。
(うーん……どうしたもんか)
つっかえながらの読み合わせを聞きながら、私は手元のパソコンに目を落とす。
曲作りに勤しもうとしたんだけど、中々良いインスピレーションが浮かばない。……と言うより、先ず演劇の曲のイメージがつかめない。
そう言えば…先日支配人に過去の資料映像や楽譜をお願いした件についてはどうなったんだろう?
そんなことを考えながらPCと睨みあっていると、稽古場の扉が控えめに開かれた。
「監督、**さんは……あっ、いたいた!」
「? 支配人、どうしました?」
「**さんにお見せしたいものがあって…。ちょっと、一緒に来てもらえますか?」
何だろう? 首を傾げつつ、PCをスリープモードにして支配人の後を追って稽古場から出た。
一緒に向かった先は…談話室だった。
19.
「遅くなったんですけど、以前頼まれていた資料映像と、過去に使った演劇曲の楽譜を引っ張り出してきました!…とは言っても、保存状態があまり良くなくて、ほとんどボロボロですけど…」
支配人と一緒に来た談話室には、いくつかのビデオテープと楽譜の山だった。
初代…とは言ってもそんな何十年と経っているわけじゃないのに、何故か楽譜はほとんど読めないぐらいボロボロだった。
「ど、どうやったらこんなにボロボロになるんですか…?」
「いやぁ、それが…暫く倉庫の掃除を怠っていたせいで、ネズミに巣を作られていまして…ははは」
ああ…この妙な切り口はネズミにかじられた痕か。これはもう駄目かな…。
譜面はほぼ諦めに近いけど、ビデオは有難い。音楽を直に耳で聞けるのは大きな収穫となる。
「これ、早速観てみてもいいですか?」
「ええ!勿論です」
支配人から快諾を貰い、早速ビデオをセットする。
映像は少しばかり古いものだが、私が必要とする音楽が聴ける為問題ない。
目を閉じて、音に集中する。初代春組のロミオとジュリエットの舞台が耳から流れ込んでくる。
「……すごい…」
口から自然と感嘆の声が漏れた。今さっきまで現代の春組の演技を見ていた分、先代の演技力に圧倒された。
それだけでも圧巻なのに、私が胸を撃たれたのは音楽だった。
壮大で、華美で、けれど上品で心地よく、繊細な音楽…。
シーン毎に作られた全ての曲に胸が躍らされた。
「初代の舞台では生演奏で披露することも多かったんですよ。」
「初代の作曲家の方は、どんな方だったんですか?」
「うーん…特に決まってなかった、ですかね。演奏団はいたんですが、毎公演でリーダーが変わっていたのと、皆さんで曲を作っていた感じでしたので」
映像越しから伝わるレベルの高さ。
さっきまで稽古をしていた劇団員を呑気に見ていたけど…これは私もうかうかしていられない。
彼らだけでなく、私にとっても期限は一ヶ月もないんだ。
せっかく作曲家として配属してもらったんだから、限られた時間の中で、少しでも質の高い物を作らないと…
「……支配人、ビデオや楽譜ありがとうございました。あの、稽古メンバーはまだ暫く戻ってきませんよね?」
「そうですね。今日は皆さんが揃っているので、一日詰めるかと」
「それじゃあ、私はこれから譜面を書き起こしながら曲のイメージ作りをしていきたいと思うので、暫く談話室のテレビをお借りしてもいいですか?」
「構いませんよ!…あ、譜面を書き起こすなら、キーボードとかいります?必要でしたら倉庫から持ってきますよ」
「えっ、キーボードがあるんですか?助かります!じゃあ、私も一緒に取りに…」
支配人にばかり仕事を押し付けては申し訳ないと思い、私は一旦テレビを止めてソファから立ち上がる。
振り返ろうとしたら、支配人にやんわり肩を押されて再びソファに身を沈めた。
「いえいえ、**さんはじっくりビデオを見ていてください!キーボードは僕が持ってきますから」
「ええ?で、でも…悪いですし。それぐらい自分で」
「いいから、いいから!パパッと取ってくるので、待っていてくださいね〜!」
支配人はドンと胸を叩き、まるでウサギが跳ねるような軽い足取りで談話室を出ていった。
何だろう…もしかして、この間『頼りにしている』発言をしたから、気合入っているのかしら?
まあ、もう出ていかれたものは仕方ない。
私は素直に支配人の優しさに甘え、再びテレビに目を向けた。
「………」
-------------
「――今日の稽古はここまで!皆、お疲れ様」
稽古場に監督の声が響き渡り、それまで息詰まるような空間で行われていた稽古に終了が訪れたことが分かった。
ふぅ、と反射的に出たため息を、たまたま近くで聞いていた真澄がそれを拾い「疲れたのはこっち」とか言ってくるから、再びカチンときた。
「何だよ、ため息ぐらい自由につかせろよ」
「つくのは自由。でも、俺の聞こえないところでやって」
「はあ?お前どんだけ傍若無人だよ」
「監督。**は?」
「って、おい!自分だけ言っておしまいかよっ」
ほんと、何なんだよアイツ!自分勝手すぎる横暴さに腹が立つ。
…でも、強くは言えない。悔しいことに、確かに真澄は全体的に能力が高い。
頭も良く、器量も良い。演技力もずば抜けているし、周りのことも良く見ている。
…見過ぎてて、一々細かいところまで突っかかってくるのがむかつくけど。
「んー…そう言えば、**先輩戻ってこなかったな。」
「**がいないからやる気でなかった…。はぁ」
「支配人に連れられてどこ行ったんでしょう?」
水分補給用の水を飲んでいると、いつの間にか話題が**さんに変わっていった。
本当…あの人の影響力ってすげーな。姿が見えないだけでこうも話を盛り上げられるとは…。
呑気にそう思いつつ、俺も皆の輪を眺めながら話に耳を立てる。
話を聞いていたシトロンさんがハッと顔を上げた。
「もしかしテ…ワタシ達が稽古している間に昼下がりのジョージーしてるネ!?」
「ひ、昼下がりのジョージー…?誰ですか?」
「昼下がりの情事、と見た」
「それだヨ!至偉いネ」
「シトロンさん…あんたはまたそうやって変な方に考えつくんすから…」
「そんなこと俺が許さない。支配人殺しに行く」
「ちょっ、真澄くん!?」
「じゃ、俺も一緒に行こうかな。**ちゃんのこと心配だし」
「ワタシも行くヨ〜!**を探す案件会ネ!」
「ええ?至さんにシトロンさんまで……」
シトロンさんも、それを言うなら探検隊だろ。
しかし…真澄とシトロンさんは通常運転だけど、至さんまで動くとは予想外だった。
今日の稽古が始まる時も手を振ってたみたいだけど…いつの間に**さんと密な関係になったんだ?
先日一緒に買い物に行ってから妙に関わりが多くなったみたいだけど…その時か?
…ともあれ、今この三人だけで支配人達の所に行かせるの不味いんじゃないか。
「監督、あの人達だけで行かすとやばいんじゃ…」
「そうだね。このままだとMANKAIカンパニーで殺人事件が起こっちゃう。止めないと!」
監督はそう言うと、先に出ていこうとする三人の先回りをして、**さんの名前を呼びながら稽古場を出ていった。
それを足早になって追いかける三人の背中を見ていると、俺の隣を小走りで駆ける咲也に気づく。
「綴くん!俺達も行きましょう!」
「ええっ?いや、行くけど…そんな急がなくても」
「でも、心配ですし…。俺、先に行きますねっ」
咲也は**さんをMANKAI寮に連れてきた張本人だ。それ故に責任感でもあるのか、急ぎ足で駆けて行った。
…全員が急いでるのに、俺だけ急がないわけにもいかないだろ。また一つため息を零しながら駆け足で追いかける。
意外にもすぐに先陣メンバーに追いつき、先頭を歩く監督が談話室の扉を開いた。
――ガチャッ
「**先輩、いますかー……って、ええっ!? ちょっ、何コレ!?」
扉を開いた監督が驚きの声を上げる。
何に驚いたのか気になり、俺達もすぐに談話室に入る。
するとそこには…テレビの周辺を中心に散乱する大量の紙の束が目に飛び込んできた。
思わぬ光景に俺達はぽかん…と口が開いた状態に。
その時、テレビの明かりとその前に陣取る人物の背中が見えた。
「**、さん…?何してるんすか?」
「―――ん?」
声を掛けられた人物は相当集中していたのだろう、俺の問いかけに数拍置いてから弾かれたように振り返った。
彼女の前にはキーボードと書きかけの紙、握られたペンが見える。**さんは俺達の姿を見ると「あ」と声を漏らして時計を見上げた。
「も、もうこんな時間になってたんだ。ごめん、すぐに片付けるわね」「**さん、何をしてたんですか?」
「これ……楽譜?」
高校生組が周りに散らばった紙を踏まないようにして**さんに駆け寄って行った。
真澄の口から呟かれた言葉を聞いて改めて床に広がる紙に目を落とす。よく見ると、それは簡略化された楽譜ばかりだった。
「ええ。ずっと初代春組のビデオ見ながら、採譜していたの。演劇曲のイメージを掴めるし、今後の作曲のヒントになると思って」
「え…ええ!?これ、全部**さんが書いたんすか?」
「え?ええ…まあ、自分が分かるようにメモ書きで書いたから雑だけど」
確かに紙面に並ぶ文字と記号の羅列は、本来の楽譜に比べれば簡素なものだった。
けれど、床一面を埋め尽くす紙の量を見れば、どれだけ長い時間書き起こしたのかが分かる。
そもそも、聴いた曲を譜面で書き起こすって…相当音感に自信がないとできないんじゃないか?
「神の手書き譜面……?うそ…マジか……」
「**、音楽聞いて楽譜に起こせるネ?凄いヨー!」
「**先輩、昔から音感がすごくて、よく気に入った曲とかを譜面に書き起こしてましたもんね」
「そう言えば学生の頃、いづみと二人で音楽プレーヤー聞きながら一緒に楽譜作ったりしたものね」
懐かしいねー、と監督と二人で笑いあいながら**さんは楽譜を拾い集めだした。
自然と俺達もそれを手伝い、俺が最後の一枚を拾って手渡す。
「ありがとう、綴くん」
「いえ。…なんか、俺が脚本に切羽詰まってる時みたいで親近感湧いたっす」
「あはは。綴くんの脚本の量に比べたら全然よ」
けらけらと笑いながらそう言うと、**さんは「キーボード部屋に片付けてくる」と言って逞しくキーボードを抱えて部屋を出ていった。
…すかさず真澄が着いて行ったのを見逃さなかった。
俺は彼女が今言った言葉を思い出しながら、束ねられた紙の山にちらりと視線を落とす。
確かに、脚本と楽譜じゃ文字の量に違いはあるが…。
音楽に関しては素人の俺でも、これは凄い量だと言うことは分かる。
(**さんも、集中すると周りが見えなくなるタイプなのか…)
そんなどうでもいいことを思いながら、俺は彼女の秘められた才能を垣間見て、暫く驚嘆に浸っていた。
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