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 お昼ごはんは近所の洋食店でバーボンとオムライスを食べ、用事があるというバーボンと研究所の前で別れて一人研究所に入った。エントランスの端の受付で、美人なお姉さんに帰ってきたことを伝えると、笑顔で「おかえり」と言ってくれて少し嬉しい。やっぱり挨拶って大事だと再確認しながらエレベーターの前に行けば先客がいた。綺麗な黒髪の若い女性。どこかで見たような気がすると近寄れば、女性が私に気づいて振り返った。
 女性は私を見て驚いたような表情をしたので、咄嗟に不審な子どもだと思われないように「こんにちは!」と大きな声で挨拶をした。女性はまだ驚いているけれど私の挨拶に返事をしてくれた。どこかで会ったかと記憶を辿ろうとすると、静かにエレベーターの扉が開いた。
 二人で乗り込むと、女性が八階のボタンを押してから私を見た。

「あなたは何階に行くの?」
「あ、えっと、……私も同じ八階です」

 女性はパチパチとまばたきしてから閉じるボタンを押した。
 偶然ですねと話かけていいのかわからず女性の後ろ姿を見つめていると、彼女はおもむろに顔をこちらに向けた。見すぎたかと焦っていると、彼女の方も私と目が合うと思っていなかったいう顔で気まずげにすぐに前を向いた。
 彼女は八階に何をしに行くのだろう。八階には私の部屋以外は仮眠室のみ。仮眠しに行くのかと思ったけれど、生気があるし隈はない。ならば、寝ている誰かを起こしに来たのだろうかと思ったけれど、それも違いそう。彼女の服はデートに行くような鮮やかで可愛い服だ。これから誰かを起こして何か研究するようには見えない。
 デート? そのキーワードに何か引っ掛かった。ここ数日の記憶をよみがえらせると、一人、黒髪の女性の存在を思い出した。そうだ、彼女は――。
 声を出そうとしたときタイミングよく、エレベーターの扉が開き邪魔をされた。ずっと乗っていると迷惑になるので喋るのはあとにして、彼女に続いてエレベーターを降りた。

「ねえ」

 エレベーターの次は彼女にタイミングを奪われた。だけど話しかけられたのは好都合。

「なんですか?」
「あなた、もしかして……」
「明美」

 聞こえた男の声に、また邪魔されたとため息を吐きたくなった。今日は随分と出鼻を挫かれる日だ。
 しかし目の前の彼女の放った「大君?」という言葉にピクリと体が動いた。バッと顔を向けるとライが少し開けた休憩スペースのソファーに座っていた。頭の中で、彼女が平然と放った「大君」という爆弾発言がこだまする。
 目の前では彼女とライが「待たせちゃってごめんなさい」「いや、平気だ」なんて会話しているけれど、それがモヤがかかったように聞こえる。耳に残っているのは「大君」だけ。

「大君?」

 ライを指差して聞けば、ライは顔をしかめて頷いた。笑っちゃダメだと言い聞かせれば言い聞かすほど笑いそうになる。だけど、そんな失礼なことはできない、とグッと堪えて「いい名前だね」と自分でもよくわからないことを口走った。案の定、ライの眉間に深い谷ができた。
 そんなやり取りを見ていた女性は、ぱちんと手を叩いて嬉しそうに「やっぱりこの子が愛子ちゃん?」と笑った。

「じゃあ、あなたはやっぱり宮野さんなんだ!」
「ええ、宮野明美よ。よろしくね」
「愛子です! よろしく、宮野さん」
「明美でいいわ。妹も組織にいるからややこしいでしょ? あの子は私と違って普段コードネームで呼ばれているけど」

 そういえば妹がいるってスコッチが言っていた気がすると思い出しながら素直に頷いた。すると明美さんは私に少し近寄って、そっと私の頭を撫でた。

「本当に小さいのね」

 そう言った顔は懐かしそうで、きっと妹の面影を私に重ねているのだろうことがわかった。いくらでも面影を重ねてくれてかまわない。私が彼女たちを騙している僅かばかりの罪滅ぼしだ。
 しばらく私を撫でた明美さんは、急に顔色を曇らせて私の顔を覗き込んだ。

「寂しくない?」

 ひどく心配そうな顔をするので言葉に詰まった。そのせいで、ずっと心の中にある「こんな仮眠室のある階で喋るのもあれだし……」と言う言葉が宙ぶらりんのまま。話の腰を折るべきじゃないと諦めて明美さんの目を見た。

「寂しくないよ。……バーボンがよく会いに来てくれるからね」
「そう、それならよかった。バーボンって優しいのね」
「優しい……。まあ優しいかな。でも会う度に一回は何かにつけて小言を言ってくるのはやめてほしいかな。……うん、やっぱり優しくないよ! だってこの前、ちょっと寝るのが遅くなっちゃっただけで、すっごく怒ってきたんだよ!」

 本気で怒ってはなかったけれど、それにしたって口うるさい。明美さんがうっかりバーボンの顔のよさに惑わされて好きになってしまわないように忠告するべくそう言ったが、まさかのライから「それはお前が理由もなく朝方まで起きていたからだろう」とバーボンの擁護をされた。本当にまさかすぎる。
 ライは呆れ顔だし、明美さんは苦笑を浮かべている。でもあれはしかたなかったんだ。だってあの日は一日やることがなくて部屋にこもっていたから体力があり余っていてまったく眠気がやってこなかったのだ。そう日に限ってバーボンが抜き打ちで様子を見に来るから困ってしまう。
 明美さんには「たまたま寝れなかっただけだよ」と言ったけれど、たぶん信じていない。結局明美さんの中でバーボンは優しい人のまま。だけど明美さんとライが話している姿を見ていたら、明美さんがバーボンをうっかり好きになるなんて心配はただの杞憂だとわかった。バーボンに心を奪われないくらい明美さんはライのことが好きなのがわかる。
 うんうん。そのまま明美さんの心を引き留めておいてよ、とライにエールを送れば、よくわからないという顔をされてしまった。

ヒトリヨガリ