42
「簡単な任務だ」そう前置きしたジンは、帽子の下の鋭い目で私を睨んだ。
本部の一階にある応接間。そこが会議室として使われている。小さな会議室は照明が少なく薄暗くて悪の組織の会議室っていう雰囲気がぷんぷんしている。
円形のテーブルの私の前に座るジンの顔を見ながら、簡単というには物々しい雰囲気だけどいったいどんな任務なんだろうと固唾を飲んだ。
「おいウォッカ」
「へい」
ジンの一声に、ジンの横に座っていたウォッカが頷いてから口を開いた。
「俺とアニキが薬を届けるのについてきてもらう。任務ってほどでもねえ、ただの見学だ」
「え、それだけ?」
「ああ。だが量が多いからすぐには終わらねえ。そこで、いちいち研究所に迎えをやるのも煩わしいから、しばらくアニキと一緒に過ごしてもらう」
「ジンと?」
驚いてジンを見れば、不機嫌そうに顔をそらされた。こっちを見るなということか。
私とジンのやり取りに気づかないウォッカは、淡々と持っていた鞄から一枚の紙を出してきて私の前に置いた。紙にはずらりと人の名前が書かれている。横にはカタカナやローマ字の単語とグラム数が書かれている、誰にどの薬をどれだけ渡すかのメモなのだろう。驚くべきことに、紙に書かれている漢字や英語にはすべてふりがなが振ってあり、五歳児でも読むことはできるようになっている。絶対にジンやウォッカの作ったものではないのだろう。
書かれている名前は知らない人ばかりだけど、一人だけ見たことのある名前があった。
――みやはら、ゆうき。
たしかお金持ちのイケメン俳優の名前も同じ三谷原裕紀だった気がする。だけど同じ漢字かまではわからない。もし同一人物だとしたら、すごい情報を得てしまったことになる。不謹慎ながら少しわくわくしてしまった。
紙は他に面白いこともなく、一通り目を通し終わって顔を上げるとすぐにウォッカが紙を回収してライターで燃やしてしまった。さっきまであった紙はあっという間に消え去った。
「別に覚える必要もないからな。一応形だけでもやっといた方がいいとバーボンが言うから作らせただけだ」
「さっきのやつ、バーボンが作ったの?」
「ああ」
やっぱりジンやウォッカじゃなかった。自分の予想が的中してちょっと嬉しい。
話はもう終わりのようで、ジンがさっさと席を立ってウォッカを呼んだ。すぐにウォッカが反応してジンの後ろについた。私は呼ばれていないけどウォッカと並ぶようにジンの後ろについて、そのまま部屋を出た。
無駄に重厚な雰囲気の廊下を歩き外に出て、ジンに連れられるまま車に乗り込んだ。もちろん運転席にはウォッカが乗った。ジンと私は後部座席だ。
来たときと同じように茶色の多い木々の間を通り、数分もすれば周囲は森から住宅地に変わった。道路も舗装されたものに変わり人工的な建物が増えて一時間弱、車内は無言のまま。車の雑音しか聞こえない。特に喋ることもないし、下手に喋ればぼろが出そうだから迂闊に口を開けない。重い空気に耐えていると、ようやく目的地に着いたようで車は静かに停車した。ジンが降りてから私も同じように車から降りると、目の前に高いマンションがそびえ立っていた。
ジンはマンションのエントランスに向かっていくが、ウォッカは車を降りる気配がない。ここでウォッカとはお別れか。運転席のウォッカに手を振ったけれど無視されてしまった。しかたなくジンの背中を追いかけた。
人を待つなんていう発想はないジンは思ったより先に行っていた。ホテルのような装飾のエントランスを小走りで走り抜け、やっとエレベーターの前にいるジンに追いついた。
「マンション……だよね?」
「ああ」
「てっきりホテルに泊まるのかと思った。バーボンやベルモットの長期のときはホテルだから」
「俺はホテルは好みじゃねえ」
あ、好みの問題なんだ、とは思ったけれど口にも顔にも出さなかった。ジンがいいならマンションでもいいんだけど、もしかしてこのマンションってジンの自宅? それってすごい情報じゃないのかな。
初めて行く組織の人の家にドキドキしながらギラギラ輝くエレベーターで、マンションの上層部に到着した。床にはシックな絨毯が敷かれていて、さながらホテルのようだけど、同じホテルのような研究所の仮眠フロアとは大違いな高級感。それもそのはず、ここはタワーマンション。ジンも含めお金を持っている人の居住地なのだから高級なのも当たり前だろう。
とある部屋の前で立ち止まったジンに、うっかりぶつかりそうになりながら踏ん張って耐えて立ち止まる。ジンは無言のままポケットから鍵を取り出してドアを開けた。高級感あふれるマンションなのに、鍵は意外と普通の形のものだった。もっとカードキーとか指紋認証とかをイメージしていた。
ジンの後ろについて、そっと玄関に入ってから小声で「お邪魔しまーす」と一応挨拶すれば、廊下を歩くジンが鼻で笑ったのが聞こえた。なにさ、挨拶は大事なんだぞと思ったけれど、これも心の中で呟いただけ。こんな調子で数日、一緒にいられる気がしない。
重い気持ちになりながら、傷一つない綺麗な廊下を通ってリビングダイニングに出た。玄関と廊下が綺麗なのだから、リビングダイニングももちろん綺麗だった。奥は一面ガラス張りで隅田川が見える。すごく景色がいい。さすが東京のタワーマンション。
リビングの中に足を踏み込むと、毛の長いラグが足の裏を撫でてこそばゆい。足の裏の感触を楽しんでいると、ジンが怪訝な顔をして私を見ているのに気づいてちょっと恥ずかしくなり、大人しく黒いローソファーに腰を下ろした。
「部屋は向こうを使え」
ジンの指差す方を見れば、キッチンの方にドアがあった。
「任務の間の食べ物は冷蔵庫に入っているから勝手に食べろ」
「お菓子は? 入っているの?」
「……入っている」
「それならよかった!」
「俺は部屋に戻る。あとは好きにしろ」
「はあい。……あ、明日って何時から?」
「八時にウォッカが迎えに来る。それまでに用意をしておけ」
「八時……早いね」
「ふん」
鼻を鳴らしてジンはリビングの奥のドアに入っていった。あそこがジンの部屋か。
ジンが部屋に入って数秒、じっとしていたけれどすぐに態勢を崩して部屋の中を見回した。モデルルームのように整っていて生活感がない。床にゴミも落ちていないし、立ち上がってキッチンを見たけれど使われた形跡はない。やっぱり普段使っている家ではないのか。なら、ここを綱吉やリボーンに教えても何も情報は得られないだろう。おしゃれなウォールラックを見ても、並べられている本はすべてフェイクだった。
部屋の中を探すのは諦めて、ジンに言われた私の部屋に入れば、さっきまでの黒を基調とした部屋とは違い、壁もベッドも白い清潔感のある部屋だった。ただ、部屋には大きなベッドとクローゼットしかなく、バルコニーはあるけれどほとんど研究所と変わらなかった。つまらない。
ぼすんとダブルはありそうな大きなベッドに飛び乗って、ごろんと仰向けになった。照明器具すらおしゃれだ。
無地の白い天井を見ながら、夜ごはんどうしようか考えつつ、とりあえず夜まで昼寝をすることにした。