そこは、白い壁と大理石の床、カーテンと寝具の布地だけがアクセントとして青でまとめられたホテルのような無機質なベッドルームだった。
そして窓辺に置かれた反発の強い、あまり馴染みのないスプリングベッドの上に僕と彼女がいた。
成熟した身体。キメ細かな柔らかな肌。僕より少し高い体温。反発するような、それでいて包み込むような弾力を掌で感じる。どくどくと走る脈は、緊張しているのか興奮しているのか普段よりも早い。
顔にかかった髪を払ってやると、彼女は物言いたげに僕を見つめた。その、僕を見上げる彼女の意志の強い目には、今にも溢れそうなほど涙が溜まっていた。僕が動けば彼女もつられて動き、シャンデリアの不規則な光も相まって涙はきらきらと輝いている。
彼女が苦しげに何かを言おうと口を開いたが、それを制するように僕が彼女の名前を、見知らぬはずの名前を呼んだ。
「――」
その瞬間、僕の視界はまばゆい朝の光で包まれた。
見慣れた天井と、馴染みのある低反発の寝具の心地。
――夢か。
そう思ったあとに今日が一月二日で、さっきの映像が初夢であることに気づいて思わず固く目を瞑った。
――なんて初夢を見ているんだ、僕は。
だけど項垂れてばかりいられない。気持ちを切り換えるように髪を掻き上げ、するりと布団の間から抜け出した。
朝食の準備をしながら、映像の女性のことを思い起こす。すでに夢は霞がかっているけれど、それでも確かに僕の記憶にはない顔だった。だが夢の中の僕は確信を持って誰かの名前を呼んだ。どうしてか、それが気になって仕方がない。所詮、夢の話なのに。
すべての用意を済ませて家を出る時も、車を運転している時も、そして愛子のいる研究所の裏口の扉を開いた時も、ずっと頭の片隅で彼女のことを考えていた。会ったことがあるという感覚は、いつしか見覚えがあるという曖昧なものに変わっていた。
ぼんやりと考えながら正月で人気のない廊下を進み、部屋の扉を軽く叩くと返事より早く扉が開き愛子が飛び出してきた。
「明けましておめでとう、バーボン!」
着替えを済ませてリュックも背負った愛子はわくわくと目を輝かせ僕を真っ直ぐに見上げている。
「明けましておめでとうございます。そんなに楽しみですか?」
「うん。屋台でいっぱい食べるつもりだからね」
意気込んだ愛子を宥めるように、僕の腰より低い位置にある彼女の頭を撫でた。子ども特有の細くしなやかな髪が指の間を通っていった、その感触にデジャブを感じて動きが止まった。
どうしたのと問いかけるような目を見て、おぼろ気になっていた夢の彼女の意志の強い瞳が鮮明に思い出した。
一瞬だけ目を閉じてから、「なんでもありませんよ」と愛子の頭を優しく叩いて「ほら、お腹空いているんでしょう」と促す。頭の中が食べ物のことでいっぱいの愛子は僕の挙動を気にすることなく、大きく頷いてから部屋の扉を施錠してさっさと歩きだした。
僕は、二歩先を歩く小さな背中にバレないように息を吐いた。
あの夢の女性は、今思えばまるで愛子が成長した姿のようだった。目元や表情がそっくりで、面影が残っていた。既視感の正体が判明して心持ちスッキリしたけれど、新たに後ろめたい気持ちが胸を覆う。
夢に整合性を求めるのはナンセンスなのはわかってはいるが、それにしてもいったい何があって僕は彼女にマウントを取っていたのか。それもベッドの上で。
夢は深層心理を反映すると言われている。となれば、あれは——。
◇◇◇
「ねえバーボン、どうしたの?」
「え?」
神社に向かう道中、繋いでいた手を引っ張って足を止めると、バーボンはきょとんと目を丸くして私を見下ろした。
わけがわからないという顔をしているバーボンだけど、私の方がわけがわからない。私は握られている手に視線をやると、釣られるようにバーボンもそちらを見た。
「なんでずっとにぎにぎしてるの?」
「……え?」
「さむ、くはないよね。バーボンの手、あったかいし」
ゆるく動いていた手が止まった。
そして手が離れていく。冷たい新春の風が無防備になった私の手に襲いかかってくる。
バーボンは呆然と自分の手のひらを見た。
「握って……ましたね」
「なんで?」
「感触が違うな、と」
「感触?」
思わず私は両手を握りしめて、自分の手の感触を確かめた。今までと変わらない、なんてことない子供らしい手だった。ということは、比較対象は私ではない。
バーボンを見上げると、失言だったのか口に手を当てていた。
そういう態度を取られると、余計に気になるものだ。
にんまりと笑って私は問いかけた。
「ねえ、誰と比べて?」
バーボンは、ふいと灰色の空を見上げた。
私に言えない、そしてあからさま態度に出るほど動揺してしまう相手。となれば、私の知っている人物な気がする。
「ねえねえ、バーボン。こっち向いて」
バーボンのコートの裾を引っ張って呼べば、さすがに無視されることはなかった。
バーボンは膝を折り、私と視線を合わせた。と思ったけど、すぐに口をへの字に結んで横を向いてしまった。
でも今は顔が近いから、私は遠慮なく寒さで赤くなった褐色の頬に手を当てて顔を正面に戻した。
じいっと目を見つめる。
今度は下を向いた。
「指先が冷たいですね……」
「バーボンが離しちゃったからね」
「……すみません」
「別に怒ってないよ」
追いかけるように私もしゃがんでバーボンの顔を下から覗き込んだ。
観念したのか、もうバーボンは逃げなかった。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありませんよ」
「……わかった。ベルモットと何かあったんでしょ?」
バーボンは、どうしてベルモット? という顔をしている。
「それじゃあ明美さん?」
他に思い当たる女性なんていない。
だけどバーボンは何も答えず、チラリと私の口元を見たあと固く目を閉じてしまった。
それはどういう反応? もしかして歯磨き粉がついてる?
聞いても答えてくれるはずはなく、バーボンは腹の底から息をすべて吐き出して、それから立ち上がって私の頭に手を置いた。
撫でてるようにも見えるポーズだけど、その力は強い。私が顔を上げられないようにするための動作だ。
「何もついていないし、誰とも何もありませんでした」
絶対何かあったでしょ。そう言いたいけど、これ以上言っても埒があかないから私が折れてあげた。
「はいはい、何もなかったんだね。わかったよ。それより早く神社に行こう。おなかすいた」
バーボンに手を差しのべると、私の頭から離した手を少しさまよわせてから、覚悟を決めたようにぎゅっと握った。やっぱりバーボンの手はあたたかい。
再び歩きだすと、バーボンも落ち着いてきたのか空気が穏やかに変化した。
「何を食べますか?」
「うーん……、まずはチョコバナナ」
「だめです」
食いぎみに一刀両断されて、「え」と声が出た。
バーボンを見ると気まずそうな顔をしていた。
「なんで!?」
「……理由はいいでしょう」
「よくない! バーボンなんだか変だよ、わけわからない」
「わからなくていいんです」
バーボンも無理な言い分だと自覚しているようで、決まりが悪そうだ。
それを見ていると、まあ私も絶対に食べたいわけではないからバーボンに合わせてあげようかと思えてくる。こういうとき顔がいいのは卑怯だ。しゅんとされると許してしまう。
そう思ったけど、その後神社に着いてからも私が飲み食いをしたり喋ったりするたびにバーボンのおかしな言動は続き、申し訳なさそうな顔をするバーボンを引き連れて早めに研究所に戻った。
何があったのかは最後まで教えてもらえなかった。
***
リクエストありがとうございました!
長さ的に「一日」にはできなかったんですけど、初夢を意識してどぎまぎする降谷さん(というかバーボン)です。リクエストを全年齢対象になるようにいい感じにボカせたと思うんですけど、どうでしょう……?