18
ホテルの玄関でバーボンからスコッチにバトンタッチした。
ホテルにいる間に夕立が降ったらしい。アスファルトが濡れ、街の光がキラキラと反射している。
スコッチの運転で研究所に帰っている途中、信号で止まった車の中から仕事帰りの大人たちを眺めていると、どこかで見たことがある男が横切った。寡黙そうな七三分けの外国人。
誰だっけと二度見して、それが写真のFBIだと気づいて思わず声を上げてしまった。その声につられて窓の外を見たスコッチは、一拍置いてから「でかした」と興奮気味に声をあげた。あっという間に信号は青になり、車は男と逆の方に曲がる。
スコッチは喜んでいるけど、私は内心気が気じゃない。こんな早くに見つけるなんて。慌てて幻術で作った蝶を雲雀くんの元へ飛ばした。
雲雀くんが到着するまで誤魔化さないと。
スコッチから言われるままに、男を監視し付かず離れずの距離を保って尾行する。
――現在男は一人きり。それに安心しきっている。これはすぐにでも殺されてしまうかもしれない。
ドキドキしながら、心の中でFBIに「頑張って逃げろ!」「尾行に気づけ!」と念を送るが、当然気づくはずなく人気のない古いビルに入っていった。一階は貸倉庫になっている。
これはもう助けられないな、と諦めかけていたがスコッチはビルに突撃する様子はない。それどころか車はビルの前を通りすぎてしまった。
「行かないの?」
「ああ。ジンから見つけたら連絡するようにと言われているから、ビルの近くに車を停めて連絡するんだ」
その言葉の通り、スコッチは車を人目につかない場所に停車させたあとジンに電話をした。一分もしないうちに電話を切り、「ジンが来るまで待機だ」と笑顔で言った。
なんて運のいいFBIだ。これならなんとか助けられるかもしれない。
――ジンの来るまでに舞台を整えるため、ビルの中の電気系統をすべて破壊した。それからFBIの前に幻術で適当な男を現し、今、黒の組織に狙われていることと助けるから言う通りに動くことを伝えた。
「男はまだ中かい?」
「うん。もしかしたら誰かと取引でもするのかもしれない。それか誰かと待ち合わせかな? さっきから時間を気にしているの」
「……じゃあ待ち合わせかもしれないな」
スコッチも腕時計で時間を確認した。
もう外は暗くなってきた。
この前まで夕方でも明るいと思ったのに、もう日暮れが早い。
「帰ったら何時だろう」
「何か用事でもあるのか?」
「ないけど、早く帰りたいなって思って。早く部屋に戻りたいし、早くお風呂に入りたい!」
「ははは、今日は疲れた?」
「疲れたよー。もうしばらく何もしたくないくらい」
背もたれにだらりと身を任せ、赤い陽を感じながらのんびりとスコッチと会話を楽しむ。今から人を殺すと思えない穏やかさだ。
「任務はスコッチと一緒がいい」
「それはバーボンに怒られてしまうなあ」
「平気だよ。バーボンはいつもツンツンしてるもんー。怒られ慣れた」
「心配してるんだよ」
「心配?」
「そう。バーボンは、……」
ノックの音でスコッチの言葉は不自然に止まった。運転席側の窓の外にはジンが立っていた。
黒のトレンチコートに散らばる銀髪は、禍々しい夕陽に照らされて血を纏ったように赤く染まっている。さながら死神のような出で立ち。
スコッチは窓を開けるとジンと少し話し、話し終わるとジンは後部座席に乗り込んできた。
「おい」
「なに?」
「中の様子を教えろ」
「はあい」
また面倒な仕事を頼まれた。ジンに言われたら断れないので、渋々目を閉じた。閉じなくても問題ないけれど、ジンからの圧力から逃れたくて目を閉じることにした。
「まだ男しかいないよ」
「男は何をしている」
「何って……ドラム缶に座って、ぼーっとしてるよ」
「そのドラム缶はどこにある」
「ええっと……、ドアを入って左の方にあるドラム缶。部屋の中は物少ないからすぐにわかるよ」
動きがないのに実況なんてできないよ、と思って振り返ってジンを睨むが、ジンは目を閉じていて意味がない。まったくジンは何を考えているんだろう。
空は一秒として同じ色を留めず、今は不気味な紫色に染まっている。
その中に淡い青色の蝶が一匹羽ばたいていた。
雲雀くんの元に飛ばした蝶だ。ということは、雲雀くんの待機が完了したということだろう。それならもう動いてもいいか。
「……誰か入ってきたよ」
後ろのジンが動くのがわかった。
「それで?」
「顔は見えない、けどたぶん男。一人、二人、三人……わからない、いっぱい入ってきた」
「数えろ」
「ええ! 倉庫の中、暗いから数えにくいんだけど。……ううーん、八人かな。暗いし動いてるし、正確かはわからないよ」
「ああ」
無茶言うなと、心の中で愚痴りながら実況を続ける。
――入ってきた男たちはFBIを探し出し一斉に銃をぶっ放した。FBIは地面を這うように低姿勢で狭い倉庫内を走り回り、どうにか命かながらといった様子で逃げ惑っている。
「左肩、右太もも……左わき腹に命中」
――衣服は血で染まり、グロテスクな姿に変わっていく。息も荒くなって、もうこれで絶命するだろうというところで、扉が開いた。
――沈みかけの夕陽を背にした黒い影。手から肘まで細身の腕に沿うように細長い棒を携えている。
「誰かが入ってきた」
「……誰だ」
ジンにとっては想定外だったのだろう。不機嫌そうな声音で聞いてきた。
「わからない。若い男。……その人が『交渉決裂だ』だって。写真の男に襲いかかった。両手に持った棒で殴りかかってる。左わき腹に命中。吹き飛んだのを追いかけてかかと落としで地面に叩きつけた」
「息は」
「してる」
「そうか」
――若い男こと雲雀くんは獰猛な肉食動物の眼差しをしている。そしてFBIの首元にトンファーを押さえつけ楽しそうに首を圧迫する。
――そのままのしかかるように腹部に右足を乗せ、ゆっくりと体重をかけていく。FBIは、口の端から血を流しながらうめき声をあげた。口から流れる血とよだれが混ざり合い、涙と鼻水と冷や汗で顔がどろどろになっている。骨も何本も折れているのだろう。苦悶に満ちた表情をしている。
――汚いFBIを見下ろして、雲雀くんは笑って止めを刺した。