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 ジンに情報が下りてくるまで私はやることがないので手持ち無沙汰だ。ソファーに沈んだ足をばたつかせたり、天井の模様を眺めてみたりしたけどそんなもので暇はつぶせない。立ち上がって、ジンの部屋に近づいて室内の音を盗み聞きしてみたけど無音だった。まだ動きはないらしい。
 時計を見ればもう十六時。今日は連絡がきても何もしないかもしれない。
 キッチンの棚にあるクッキーで小腹を満たしながら冷蔵庫を覗きこんだ。色とりどりのインスタント食品が几帳面に並べてある。そのままお皿に盛り付けるだけのものから、湯煎が必要なものも。冷凍庫には冷凍食品も豊富に揃っている。毎日冷蔵庫の中のインスタント食品を消費しているけど、気づけば補充されている不思議な冷蔵庫だ。日中、私たちが留守にしている間に下っぱ構成員が補充しているんだろうけど、まるで見えない小人がいるよう。
 今日の夜ごはんはどれにしようと指差して選んでいると、電話が鳴った。音源はリビングの棚に置かれた固定電話。私がこの部屋に来てからこの固定電話を鳴らすのは一人しかいない。物色していた冷蔵庫を勢いよく閉めて、その勢いのまま駆け出した。

「もしもしスコッチ?」
「ああ愛子ちゃんか」
「うん、そうだよ」

 この部屋に来た初日にスコッチに連絡してから、毎日電話がかかってきている。

「任務はどうだい?」
「順調、ではないかな。今日本当はまだ外にいるはずだったんだけど、ちょっと色々あって帰ってきたんだ。でも、まあ私の問題じゃないし大変なのはジンやウォッカだね。……スコッチの方は? バーボンと合流できたの?」
「いや、まだだ。少してこずっていてね」
「寂しい?」
「はは、そうだなあ寂しいのかもしれない。そういう愛子ちゃんだって、ジンやウォッカがかまってくれなくて寂しいんじゃないのか?」
「ふふ、そうだね。寂しいね。私たち寂しいもの同士だ」

 お互いに詳しい任務の話はできないけど、小さな情報の中で冗談を言い合うと楽しくなってくる。こういう、たわいない掛け合いができるのがスコッチのいいところだ。
 ターゲットに接触する時間が多くて電話ができないバーボンに代わって、私のことを心配して電話してきているのだろうに一切そんなことを感じさせない。

「寂しい愛子ちゃんは何をしてたんだい?」
「夜ごはん何しようかなって冷蔵庫を眺めてたよ」
「ほー」
「今のライの真似?」
「わかったか」
「全然似てないけどね」

 電話口からスコッチのかすかな笑みが聞こえる。いつもより機嫌がよさそうだ。
 話は夜ごはんの相談に移り、二人してあれがいいこれがいいと話し合っていると気づけば十分も話していた。話は平行線のままで今日のメニューは決まらずじまいだったけど、とりとめもない話ができて楽しかった。話を終わろうかと切り出そうとしたとき、スコッチが「そういえば」と言葉をはさんできた。

「どうしたの?」
「いや、たいしたことじゃないんだけど、ジンも一緒に食事をしているのかと思って」

 確かにたいしたことじゃなかった。だけど、それは気になるところだろう。かくいう私も初日に悩んだ。結局、キッチンで悩んでいたらジンに「いらねえ」と一言で済まされてしまったんだけど。
 そのことを伝えると、スコッチは苦笑を含ませた声で「だよな」と言った。しかしすぐに声色を変えた。

「あ、今日の夜ごはん一緒に食べてみたら?」
「そんな無茶言って……」
「案外、作って置いてたら食べてくれるかもしれないぞ。こんな機会滅多にないんだし、やるだけやってみればいいじゃないか」
「うーん」

 スコッチは簡単に言うけど、そんな簡単なことじゃない。作るのはパックの食品を温めて皿に移し変えるだけだから簡単だけど、問題は何を選ぶかだ。ジンの食の好みなんて知らない。間違ったものを出したら殺されそう。

「じゃあスコッチなら、ジンに何出すの」
「ええ? そうだなあ……。悪い、まったく思い浮かばない」
「でしょ」

 私が殺されたらどうするのよと文句を言えば、スコッチは笑いながら「愛子ちゃんは殺されないさ」と言った。そりゃあ私みたいに利用価値のある人間をそんな理由では殺さないだろうけど。怖いものは怖いんだ。あの鋭い目で睨まれたらぼろを出しそうになる。
 だけど、スコッチの言うこともわかる。せっかくジンのプライベートスペースに接近しているんだから、ジンの好みに探りを入れるのもありかもしれない。……怖いけど。
 「考えてみるね」と言った声が思ったよりも真剣で、電話の向こうでまたスコッチが笑った。
 たかだか夜ごはんごときで決死の覚悟はたしかにおかしい。私もふふと笑い声が出た。

「そろそろ切らないとな」
「うん。……あ、合流できるといいね」
「……ああ、大丈夫だよ」

 急に話を変えたからスコッチは少し言葉に詰まったけれど、すぐにそれが最初の話題のことだと気づいてくれた。
 寂しいのは冗談だろうけど、予定通りに任務を進めるのに越したことはない。特にバーボンは色んな情報を握っているのだから近くに置いておきたいだろうし。情報屋がいるのといないのとでは任務の難易度が全然違うのだから。
 「それじゃあね」と言い合って受話器を置いてから、グッと背伸びをした。
 さて、ジンに食べてもらうために夕食を考えないと。


 具だくさんのジャガイモがごろごろしたポテトサラダを小皿に移し、鮮やかな赤いプチトマトを彩りに添えた。鍋でグツグツ湯煎したハンバーグの袋を開けてお皿に落とし入れて、袋に残ったデミグラスソースを絞る。洋食だし、主食はパンでいいかと棚から柔らかいロールパンを出してきてテーブルに置いた。あとはジンが来たらコーンスープを出せば完成だ。
 テーブルの上で湯気をたてる美味しそうな料理を前に頷いた。完璧だ。時計を見れば十八時前。
 インスタントだから不味いわけがないし、味に文句を言われることはない。結局メニューはジンの好きなものなんてわからないから私の食べたいものにした。そもそも食べるかわからないから、残ったら私が明日食べることを考えて選んだ。
 美味しそうな香りにお腹がぐうと空腹を訴える。ぺったんこのお腹を撫でながら、ちらりとまな板の上に置いたままの中身を出し終えたハンバーグの袋を見やる。そして、そっとジンの部屋の方に目を向けて物音がしないのを確認してから、袋に指を入れてソースをすくって、それを舐めた。デミグラスソースの濃厚な味が口の中に広がる。これは味見だからと自分に言い訳してもう一口舐めようと指が袋に触れたとき、ドンッとジンの部屋のドアが開いた。ビクリと肩が動いた。
 そっと振り返ってジンを見れば、ジンは私を見たあとにテーブルに並んだ二人分の料理を見て眉をひそめたが特に料理には触れずに「出るぞ」と一言放った。
 その言葉に慌てて手を洗ってジンのそばに駆け寄ると、「さっさと支度をしろ」と睨まれた。ごはんなんて食べている場合じゃないようだ。名残惜しいけど、ホカホカの美味しそうなハンバーグにラップをふわりとかけた。
 ソファーに無造作に置いたままのコートに腕をとおし、テーブルに投げ出されているメガネケースをポケットに突っ込んだ。準備万端。もう一度ジンのそばに駆け寄れば、今度は睨まれることはなかった。
 玄関で小さな靴に足を突っ込み、そのまま大股のジンに置いていかれないように駆け足で後ろを追った。


 ウォッカは別件でいないので、車の運転はジンだった。私は助手席と迷ったけど結局いつもと同じところに座った。

「つけられてたの?」
「ああ。マスコミだ」
「……まさか、あんなにSPがいたってことは」
「そのまさかだ。情報によるとマスコミがすでにホテルに入り込んでいるそうだ。奴があのホテルでなにかボロを出したら、明日の朝刊に奴の名前が出るだろうな」

 そんな状況だってのに、この期に及んでクスリを注文するなんて。
 三谷原はきっと始末されるのだと悟った。マスコミをどうこうするには骨が折れるし、三谷原を助ける義理はない。それに比べて三谷原はSPさえどうにかしてしまえば暗殺できてしまうのだからそっちを選ぶだろう。
 三谷原が暗殺されるのか。明日のワイドショーが賑やかになるだろうな。
 頭の中で、昼間のワイドショーで三谷原の突然死の報道にあれこれ好き勝手に喋るコメンテーターを思い浮かべた。まさか薬物関係で暗殺されたなんて報道しないだろう。自殺と出るか、病死と出るか気になる。ああ、三谷原は今出演しているドラマがあるから代役を立てることになるのか。裏の世界に関わってしまったばっかりに他の人にも迷惑をかけることになる。そういうことを三谷原はわかっているんだろうか。……わかっていても手を出してしまうのか。
 数時間前に見た景色の違う表情を眺めながら、そういえば高校時代の友人が三谷原のファンだったことを思い出した。明日、ニュースで三谷原の死を知って、彼女はどう思うだろう。そして三谷原の死に私が関わっていることを知ったら。全部、裏の世界と関わった三谷原が悪いのだから三谷原に対して罪悪感なんてこれっぽっちもないけど、少しだけ昔の友人に申し訳ない気持ちになった。
 運転席に座る、綺麗な銀髪の男にもそういう気持ちが少しくらいあるのだろうか。いや、ザンザスだったら鼻で笑うだろうからジンもきっとそんな気持ちはないだろう。そもそもジンに友人なんているのだろうか。聞いてみたいけど、そんなこと聞いた瞬間に鉛玉で脳天に風穴を開けられそうだ。ウォッカはどうだろう。バーボンやスコッチは。ライやベルモットは、思うところがあっても割り切っていそうだ。
 思考が脱線している間に、車は三谷原のいる豪華絢爛なホテルに到着した。

ヒトリヨガリ