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 ミッションを課せられてから、私は用事のない日はほぼ散歩に出掛けていた。
 バーボンには遠くに行くななんて言われたけど、すでに研究所のそばで私みたいな子供が遊べる場所はないことを知っている。嫌というほど車で連れ回されたのだから。
 なので並盛の方面まで足を延ばしている。普段じゃ絶対に歩かない距離。今は時間も体力も有り余っているからちょうどいい。
 暇潰しにはいいけど、肝心のコネはできていない。
 自然に接触できるレベルの人なんてたかがしれているのだ。元の姿ならゼロから関係を作ることなんて造作もなかったけど、今じゃ難しい。
 組織から支給されたスマートフォンのアドレス帳には、バーボン、ライ、ベルモット、ジン、明美さんと竜太郎さんの連絡先。それとスコッチの名前。彼の電話番号は入れていない。どうせ繋がらないし。だけど名前がないのは変な気がしたから空のものを作ってある。
 まだまだ少ないけど、私が幹部になるころにはたくさん増えているのだろう。空になった名前も。
 そしてそれと同じ機種のスマートフォンを手に入れた日に、語呂に当てはめて覚えた十一桁の数字をタップして四ヶ月ぶりに服部くんの声を聞いた。コネ作りとしてやったことといえば、それくらいだ。
 服部くんは中学生だからコネとしては甘いけど、探偵として警察に協力するのならそこに突破口があると思った。会話の中で服部くんの父親が大阪府警本部長だということは知ることができたものの、物理的距離や私と服部くんの繋がりの薄さを考えると組織にコネとして名前を計上するのは憚られた。


 考えることに疲れて、ちょっと体を動かそうと自室から出た。廊下で仮眠しに来た男の人とすれ違って軽く挨拶しながら簡易キッチンに行く。冷蔵庫を開けて中をのぞき込むけど、飲み物がなかった。 下の自販機で買うために一回部屋に財布を取りに行ってから、階段で一階下のラウンジに行くとソファーに明美さんが座っていた。

「あ、明美さん! どうしてここに?」

 明美さんは、組織に属しているけど任務とかはせずに大学に通って一般人として生活していると前に聞いた。だから研究所に用事なんてないはずだ。
 振り返って私を見た明美さんが私を認めて微笑んだ。

「愛子ちゃんに会いに来たのよ」
「嘘だー、ライとデートのついでに寄ったんでしょ」

 少し離れた自販機でライが水を買っているのを私はしっかり見つけていた。
 ライの方を指させば明美さんは「バレちゃった?」といたずらっ子のように笑った。長女らしくしっかりしたところが多いのに無邪気な表情が多くて可愛い人だ。
 組織の人はみんな仏頂面すぎる。明美さんを見習ってほしい。
 そう思いながら、脳裏に比較的表情豊かだったスコッチの顔がちらついた。それを振り払う。明美さんは一般人にとけ込んでいるけど、両親も妹も組織の人だと聞いている。スコッチみたいに裏切り者として処分されることはないはずだ。
 二本飲み物を買ったライは、もう一本追加で買ってから私たちの方へ来た。

「ほら」
「……ありがとう」

 緑茶を明美さんに渡したあと、リンゴジュースを手渡された。頼んでもないのに買ってくれるとは思わなくて戸惑ってしまった。明美さんの前で格好つけたいのかな。
 何はともあれ求めていた水分だ。パキッとキャップを開けた。

「お前に会いに来たのは本当だ」

 ライの唐突な言葉に首をひねった。少し考えてから、ああ、さっき明美さんと話していたのが聞こえていたのかと納得した。なにも私だって本気でデートのついでなんて思ってない。そんなに気軽に来るところじゃない。
 明美さんは両手でペットボトルを握りしめながら微笑んだ。そんな明美さんをライは優しく見つめている。絶対に私には向けない目だ。

「なんでも困ったことがあったら言ってね。ここにも女性職員さんはいるけど、そんなに気軽には話せないでしょう? 愛子ちゃん女の子なんだから洋服ももっと色々ほしいんじゃない? 大君ってそういうの鈍いでしょ」

 明美さんにそう言われても、ライは怒ることなく苦笑している。
 明美さんの言葉はすごく嬉しいけど、私は「ううん、大丈夫。ベルモットが買ってきてくれるもので十分だよ」と誘いを断った。だけど、明美さんのことが嫌いなわけでも、出かけたくないわけでもない。逆に私は明美さんともっと仲良くなりたい。だから私は「でも」と続ける。

「そういうの抜きにして今度明美さんと一緒にお出かけしたいな。私のものだけじゃなくて、明美さんとお買い物したい」

 私のお世話係として一緒に買い物に行くのではなく、友達として買い物に行きたい。
 明美さんは大学生然とした明るくさっぱりとした笑顔を浮かべた。まるで組織のことなんて知らない一般人のような。その表情のままライを見た。

「大君も一緒に行く?」
「三人だと親子だと勘違いされるだろう。俺は遠慮するよ」
「あら、別に親子に見えてもいいじゃない?」

 まったくとライは困ったような表情をして「バーボンに怒られるだろ」と諭した。
 別にバーボンは怒らないと思うけど、と考えながら目の前の二人をじっと見つめる。ライと買い物なんて考えたこともなかった。だけど、明美さんがいるのなら楽しいかもしれない。明美さんと話しているときは、ライもまるで人を殺したことがないような、まっさらな人間のような顔をする。付き合いの短い私には、それが綺麗な明美さんのための演技なのか、それとも明美さんの影響なのかの判断はできない。

「大君がお父さんか〜」
「全然イメージできないね。明美さんがお母さんなのはすごく想像できるけど」
「そう?」
「うん。すごく優しいお母さんになりそう」

 「子守歌が上手そう」と言えば、「なにそれ」と楽しそうに笑った。
 まだ大学生の明美さんに、お嫁さんを通り越してお母さんなんて言ってしまったけど本人は気にせず、今度は私の大人の姿を想像している。それを聞き流しながら、私も明美さんの将来を考える。
 明美さんが大学を卒業したら、二人は結婚するのかな。さっきの「親子に見えてもいい」というのは、家族に見えても、夫婦に見えてもいいというある意味プロポーズみたいな言葉だ。周りさえ許したら、大学卒業直後でなくても結婚しそうだ。絶対に明美さんのウエディングドレス姿、綺麗だろうな。式は挙げるのかな。参列者は組織の関係者ばっかりになっちゃいそう。幸せいっぱいっていう顔をするんだろうな。そしてきっとその横にはライと、私の会ったことのない妹がいる。

「ライ、明美さんを幸せにしてあげてね」

 勝手な妄想で胸がいっぱいになってライに力強く言えば、不可解そうな顔をされてしまった。


「ところで、バーボンとはそのあとどうなのかしら?」

 友達の恋ばなを聞くように興味津々といった顔で身を乗り出してきた。
 残念ながら、そんな顔をされるような出来事は何も起きていない。

「仲良くはしてるよ」
「あら、含みのある言い方ね」
「だって明美さんが期待するようなことは何もないし。というかバーボンは私のことより他のことに心を囚われてるし」

 スコッチのことを引きずっていることは、絶対に組織の人に知られてはいけない。そう思ったのに、ライはあっさりと「スコッチか」と私が抱えていたバーボンの秘密を口にした。

「……ライも気づいてたの?」
「いや、あの場に彼もいたからそうじゃないかと思っただけだ。そうじゃなければわからなかった」

 あの場って? と聞くと、スコッチを始末した場所だと返ってきた。
 じわりと嫌な汗をかいた。まだ冷房のついていない室内は、熱くなった頭を冷やしてはくれない。

「そっか……。バーボンはスコッチが死んだところを見ちゃったんだね」
「正確に言うと、俺がスコッチを撃った直後に現れたんだがほとんど同時だった」

 ライはいつものように感情の乗らない声で言った。
 血なまぐさい話に、ちらりと明美さんの様子を伺ったけど予想に反して平然としていた。あとで聞いた話によると、組織を抜けようだなんて思わないようにするために、裏切り者の末路は詳しく教えられているそうだ。

「バーボンは一人でも大丈夫だと思う。でも、何もしてあげられないのもちょっとだけ苦しいね」
「だが、変わらずバーボンのそばにいるんだろう?」
「そうだけど、前とは違うじゃない」
「なら、話をしてあげればどうかしら」

 明美さんの提案は、前にバーボンはきっと心の内を私に吐露することはないと断念したものだ。だから、明美さんの言葉に返事ができず「うーん」と唸ってしまった。
 だけど明美さんは、一緒に亡くなった人のことを話すだけで気持ちの整理がつくことを教えてくれた。
 それは明美さんの実体験からきた言葉のように思えた。そういう顔をしていた。
 たしかにそれも一理ある。はたしてどこまでバーボンに有効かはわからないけど、できることなんて他にないのだから明美さんのアドバイスを実行してみることから始めようと決意した。

ヒトリヨガリ