喫煙所の側、未成年者の多い本部では自然と人通りが少なくなるその場所で、私は唐沢さんと対峙していた。
「嫌です。」
「そこをなんとか頼めないかな、牧瀬さん」
「嫌です。絶対に」
困った顔をしている唐沢さんの腹の中は私にはわからない。だけど内容から察するに、私を出汁に使って、クリス君と何らかの取り引きをするのではないかと思われる。そんなの、絶対に嫌だ。
そもそも私は黒トリガーの適合者が私しか居ないからという理由でボーダーに留まってるに過ぎない。気分は既に引退間近の老兵だ。ということを伝えたら方々から「まだ行ける」と熱く説得されて軽く引いたのも記憶に新しい。
「彼は、社長さんです。ボーダーのスポンサーです。そういう話は、彼とすべきなのでは?」
「それができたら良いんだけどね。内容的に、君も居てくれた方が助かるんだよ」
「いや、知りませんよ……」
ボーダーは民間企業だ。この組織を運営するために一人で資金繰りをしている唐沢さんの苦労は一応理解してるつもりだけど、それとこれとは話が違う。私はボーダーの人間として、彼と付き合ってる訳じゃない。一人の人間として、牧瀬春音として彼と――クリス君と付き合ってるのだ。
「大体、話の内容って資金云々の話ですよね? 私すごく気まずいのですが」
「まあ、それもあるんだけど。……あちらの社長さん、会う度に「僕の婚約者はいつそちらを辞められますか?」って笑顔で聞いてくるんだよ。だからいっそ本人も連れていけばいいかと思ってね」
「あー……」
クリス君、笑顔とスポンサーを盾にして私の除隊をごり押しするつもりだ。苦笑いする唐沢さんはそのことを察しているのだろう。だからこそ私を連れていって、私の口から「まだ辞めない」という言葉を引きずり出そうとした――といったところだろうか。
「私、過去に何度も除隊願出してるんですけど一度も受理されてないんですよね」
不思議だなあ、とわざとらしく言えば、さっきまでの苦笑とは違う、どこか後ろめたそうな笑みを浮かべる唐沢さんに、ひっそり心の中で勝利のブイサイン。
そもそも私のトリオン量は多いとはいえない、至って平均的なものだ。トリオンは年齢を重ねるごとに緩やかに衰え、最終的にトリガーを起動するのも難しくなる。そうなれば引退は免れないし、私はその前には辞めるつもりだ。ぶっちゃけ今も辞めたい気持ちでいっぱいだ。上層部が許してくれないから留まってるだけなのだ。ここ重要。
「黒トリガーは貴重な戦力だからね、個人的には辞めさせてあげたいけど、」
「私のは風刃みたいに適合者が他に居ない、だから辞められない」
ままならない世の中だ。脳裏には嬉々とした表情でいそいそと式場やドレスのパンフレットを見ているクリス君が居るのに、予定通りそれを行えるかも不明なのだから。
「……しんどいですね」
「ああ、しんどいよ」
今日の夕飯はクリームシチューにしよう。なんとなくそう決意した、寒い日の午後だった。
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