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「后ちゃん、ほんまアホなんちゃうの」
 とあるファミレスの中、奥側のボックス席に座っている影が三つ。その影の一つである少年――天神后は、鋭い指摘に思わず自分の胸を押さえた。

「琴子……どうにかならないかな」
「なるよ。異物を出せ」
「シンプルイズベスト! でもそうではなくっ!」
 向かいに座り、静かにアイスティーを飲んでいた少女――琴子は顔を上げた。

「……あのさあ、ほんと后くん、わかっててやってる? 実は彩永ちゃんのこと嫌いなん?」
「っんなわけねーだろ! 世界一可愛い妹だぞ!」
「じゃあなんで率先して傷つけてんだよ。わかってんの? お人好しで異母弟構った結果、執着されて侵食されて実の妹はストレスで死にかけてますけど? どうすんの、これ」
「……そ、れは、でも、放ってなんておけなかったんだよ」

「だから彩永ちゃんに家族として受け入れろって強要するの? 今の彩永ちゃんにそんなことをする気なの? ……だとしたら私は、后ちゃんを軽蔑する」

 少女の顔半分を隠す長い前髪越しに、ギラギラと刃物のように鋭い瞳が見えた。本当に心から怒ってるときの瞳の色だ。
 后は項垂れることしかできない。

(言を守るって決めたことが間違ってたとは思わない、し、思いたくねー……でも)
 そのせいで世界一大切な妹が傷ついてる。自分のこの選択が、妹を傷つけてると嫌なくらい理解していた。

「――ていうか、なに? 后の異母弟も自称父親も、彩永ちゃんが目の前で恐怖で気絶してる姿見ておきながら図々しく天神家に居候してんの? 比紗さんはどう言ってるのよ」
 それまで黙っていた向かいに座っているもう一人――弥早が厳しい顔で后に訊ねた。
 后にとって貴重な普通の友人達である「オモテ」の幼馴染達は、いきなり現れた闇世界の人間に――主に御門や言に対してとても手厳しかった。母が伝えたのか、二人が彩永に対して初手から地雷を踏み抜いてきたことを知っているからだ。

「オフクロは、オヤジには基本変わらねー。存在をシカトしてるし勝手に居座ろうとしてるとぶん殴って追い出す。彩永のあんな姿見てるわけだし、オヤジも流石にオフクロが本気でキレてるって分かったら帰る」
「異母弟のほうは」
「……住む前に、最低限の事情の説明と、誓約書書かせてた」


 それは、彩永が気絶した後のこと。

「后! 二階に彩永運んで!」
「――っ、分かった!」
 悲鳴をあげて倒れた少女に騒然とするなか、母である比紗はいち早く后に指示を出した。それに頷いた后は、即座に二階の部屋に妹を運び布団の上に寝かせた。
 救急箱を抱えてやって来た母が妹に手当てをする姿をもどかしい気持ちで見つめながら、それが一段落したとき。母は、后に一言だけ言った。

「誓いを忘れたらあかんで」

 それに、后は無言で頷いた。
 目の前の横たわる妹は可哀想なくらい血色がなく、体のところどころに発疹――蕁麻疹が出ている。目尻は涙に濡れ、どれだけの恐怖を感じたのか明白に語っている。
 幼馴染がくれた軟膏を塗ったので治るのは間違いないが、それでもこんな痛ましい姿になっているのが自分のせいなのだと思うと、身が裂けそうなくらい辛かった。
 なんで闇皇を目指すのか――そう訊かれたとき、異母弟である言のためと言ったのは嘘ではない。けど、それだけではなかった。
 ――妹を守りたい。
 自分が闇皇の継承権を持ってると知ったとき、頭に過ぎったことだ。闇皇になれば妹を――彩永を守れるのではないかと、そう思ったから。

「――それで彩永ちゃんが結局傷ついてんのウケるんだけど。いや全然笑えねーけど」

 弥早は后の幼馴染で友達だ。けれど友達とはただ優しくするだけではないと、時に手厳しくしてくれる、信頼できる女の子だった。

「どうしたらいいんだろ……オレ」
「異物を出せ。万事解決」
「ぶっちゃけ琴子ちゃんのこれが一番正答ですよね」
「ですよね……」

 はぁ、と深い溜め息が溢れる。
 彩永は言が家に住み始めてから、どんどん家に帰ってくることが少なくなった。家に居ると思うだけで発疹が出始めるのを見かねて、近所に住む幼馴染達が母に暫く預かると打診したからだ。
 今は同い年で親友の琴子の家で寝泊まりしていると母から聞いている。琴子の家は上の双子が成人して家を出ているので部屋が空いてるし、何より琴子の母と比紗が親しい仲だったから、自然とそうなったのだった。


「本当はこないなことしたくないし、言ちゃんには悪い思うけど、アタシは后と彩永のお母さんや。子供を守るのが親の務めで、愛情だと思ってる。せやから、うちに居候するからには最低限ルールは守ってもらうで」

 そう告げた母の顔は、女手一つで二児の子供を育てている親の顔だった。口元はできるだけ微笑もうとしているが、目は氷のように冷たい。――本気で怒ってるときの目だ。
 言もそれを感じ取ったのか、「はい」と頷いて逆らうことはなかった。問答無用で追い出された父よりはまだ温情のある対応だと理解してるからだろう。

「后、アンタは彩永の様子見とって。何かあったらお祖母ちゃんに訊き。アタシは言ちゃんと少し話さなあかんことがあるから」
「わ、わかった。――じゃあ、言。また後でな」
「うん、兄さん」
 そうして后は二階へ行ったので、残った二人が具体的にどんな話をしたのかは知らない。けれど、その後会った言から誓約書を書いたことは聞いたので、つまり母は暫定的に言を我が家に置くことを容認したということなのだろう。
 ――元々、イケメン好きな母であるし、闇世界の人間ということを除けば母親の好みそうな顔立ちをしている。ただ今回は、苦渋の判断だったということは明白だった。



「あー、比紗さん。ちょっといい?」
「うん? どないしたん、琴子ちゃん」
「ちょっと、訊きたいことがあって」
 前髪を上げ、薄く色づいた眼鏡を掛けた琴子が、どこか気まずそうな顔で比紗の下へ近づいてきた。
「どないしたん? 彩永は?」
「彩永ちゃんは、今は真弥くん達と遊んでる。……その、彩永ちゃんは訊きづらい話だから」
 心底困り果てたような声色だった。流石に知らぬ存ぜぬふりをしていた幼馴染たちも、気になるのかそろりそろりと近寄って来ている。
「も*、子供がそないなこと気にせんでええの! 周りにいる外野は置物か何かやと思っとき! それで、どないしたの?」
 琴子は、意を決し口を開いた。

「彩永ちゃんって、その、……もしかして、望んでできた子では無かった、のかな」

 その瞬間、場が凍った。
 動きが止まる野次馬(后と式神達)、お茶を吹き出すそれとなく聞き耳を立てていた大人達、そして顔色が悪い琴子。

「……なんかあったんやね?」
 深く溜め息を吐いて、比紗が言った。
「うん、まあ。……話題自体は前々からあったんだ。この人たちが現れて、比紗さんがなんで父親と面会謝絶にしてるのか、理由が物心つかない后くんに何かして、父親のよくわからん事情に同意無しで巻き込まれたからだとか、まあ、色々と……」
 后は絶句した。闇世界の説明は簡単にしていたが、自分が父親の天后であることは複雑だからと省いていたからだ。
 まさか、そこまで知っていたなんて――と、自己嫌悪が心の中を侵す。

「それで、何が知りたいん?」
「……面会謝絶した時期を鑑みて、あと、そこの異母弟の年齢が彩永ちゃんよりも一つ上っていう情報とかも含めて……その、彩永ちゃんは、自分ができたことは想定外だったんじゃないかと、産まれてこないほうが良かったんじゃ、って気に病んでて……」

「――我が皇子っ!」
 ふらっと倒れかけた身体を、咄嗟に華に支えられる。何とかお礼は言ったが、正直気絶しそうだった。

「……確かに、彩永がお腹に宿ったのは想定外やった。でも、同時にその原因らしい状況を思い出したら、御門ならやりかねんとは思ったんよ」
「な、にが、あったんだ? オフクロ」
 后の問い掛けに、母は静かに語りだした。

「……あの頃、后のことで話がしたいって御門はそれはまあしつっこくてなぁ、いい加減鬱陶しくて、仕方なしに二人で食事をしたんよ。……そしたらどうも、飲み物に細工されとったらしくてな」
 ビクッ、と父の肩が揺れるのを

「飲み物……? 何飲んでたんですか?」
「あの日はオレンジジュースが飲みたい気分でな、それを頼んだんよ。そしたら、どうもその中にアルコールが結構入っとったみたいでなぁ、アタシはそんなん知らんと飲んどるから、すっかりやられてしもうて」
 暫し考える素振りを見せた琴子は、顎に手を当てたまま、
「あー、もしかして、スクリュードライバー?」
 と訊ねた。

「そう。よう知っとるなあ琴子ちゃん。どうやらそれを飲まされとったらしくて、酔い潰されたアタシは翌日御門をしばき倒して家に帰って、その後彩永ができてるのがわかった、というわけや」

「……つまりクソ野郎ってことか。オーケー把握した」
「控えめに言っておくたばりあそばせになられた方がいいタイプね、その男」
「ドン引き侍、軽蔑し候」
「オヤジ……最低だな……」
 上から弥早、琴子の姉、兄、そして后の順である。
「まっ、待て后! 誤解、誤解だ! ちゃんと同意の上だった――グハッ!」
「アホちゃうか。人を酔い潰しとる時点で同意もなんもあらへんやろ! 后のこともあったし、妊娠が知られたら産まれてくる子がどんな目に合わせられるかわからへんかったから、面会謝絶で通しとったんや! ……せやから、琴子ちゃん
「はい
「彩永が産まれたのは確かに想定外やったけど、アタシは産んだことを後悔してへんよ。望んで産んだ子や。やむを得ず産んだわけやない。堕ろすことだってしようと思えばできた、それでも産むって決めたのはアタシ。だから、彩永が気に病むことなんて何もあらへん。そないなこと考えんと、楽しいことだけ考えとき、って伝えてくれる?」
「もちろんです。必ず伝えます」

「第一、彩永が産まれてから、どれだけええことがあったと思っとるんだか。后は妹思いのいい子になったし、琴子ちゃん達と知り合って子育てがうーんと楽になったし、仕事もやる気が出て上手いこと事が運ぶようになったし、産んで正解やったわほんま」
「そうだろうそうだろう、私のお陰だな」
「あと何より良かったんは父親が居らんかったこと! おかげで近所の皆さんが子供らの親代わりになって親身に見てくれたりしたし、ほんま面会謝絶にして正解やったわ*!」
「さっすが比紗さん、先見の明があるー」
「后様や彩永様が健やかにお育ちになったのも比紗様の判断の賜物ですね」
「甘雨、破、いくら本当のことだからって闇皇様の前で言うのは……!」
「華、

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