王子と物書き
「王子さん、この人の小説好きなんですか?」
後輩がある一冊の本とともに訊ねてきたのは、王子が自身の住まう竹青荘の面々と駅伝を走るべく練習を始めてしばらくの頃。
自身の狭い交友関係の中でも更に狭い異性の後輩――彼女のその言葉は、王子に大きな衝撃を与えた。
「この人のサークルで売り子したことあって、仲良いんです」
「えっ」
王子はこよなく漫画を愛している。無論漫画だけではなく、ゲームやアニメ、小説などサブカルチャーの類は一通り手を出している。
その中でも折に触れて読み直すのが、件の小説だった。
手作り感のある、けれど丁寧に作ってあるとわかる一冊。
彼女の本は主に『コピー本』と呼ばれるものが大半で、部数も少ない方だ。
小説というジャンル自体同人の中でも狭いのと、コピー本とはいえ製本もタダでは無いので仕方の無いことではあるのだが、推したい本は複数買いたいのがファン心。けれど現実は厳しい。
「まだ学生だから、製本にお金かけられなくて申し訳なさそうにしてるんですけど、出すことに意味があると思うんですよね」
「分かる。手元にあるというだけで幸福なんだよ……コピー本でも本は本、しかも少部数でも再販してもらえることがどれだけありがたいことか」
短いスパンでの再発行はコピー本だからこそできることだ。
特に彼女の場合、表紙はおそらく印刷所に頼んであるのだろうと思われる。肌触りが違うのだ。
その労力を思うと、手に入れた時の幸福度はひとしおである。
王子は直接サークルに買いに行ったことはなく、自分のサークル仲間から紹介されファンになったクチだ。
以降、仲間が行く時は代行を頼み、自身もまた頼まれた戦利品を求め買いに走る――ということをしているため、筆者本人に感想を伝えたことはなかった。
とはいえ作品にハズレはなく、今では見かけたらパケ買いならぬ作者買い。買ったものはどれも大切に保管されている。
「というか、同じところに住んでいるので……」
「えっ」
二度目の衝撃。
「わたしが彼女の作品のコスプレしたのが始まりで」
「レイヤーしてるのは知ってたんですけど、まさか私の作品でしてくれるとは思わなくて……」
「大家さんのお嬢さん巻き込んだからねぇ」
うふふと笑い合う少女たちを、王子はどう話を切り出すべきか悩みながら眺めていた。
箱根駅伝を走り抜け、ご褒美だと手渡されたのは前回手に入れられなかった新刊。練習に明け暮れて新刊チェックを忘れていたことに気づいたのは、箱根駅伝が終わり一息ついた頃だ。
絶望し打ちひしがれる王子を見た神童が、恋人にそれとなく訊いてくれていたらしい。神童の新しい彼女は王子がキューピット役をしていたので、その見返りが今来たのだと王子は喜びに打ち震えた。
「こっ、これ、これは……!」
「高志さんに聞いて、王子さんへのご褒美にとなにか考えてたときだったから助かりました」
すっぽりと手に収まる小冊子。表紙はリアルな写真に情緒的なフォントでシンプルにタイトルが載せられている。
夢にまで願った、手に入れ損ねた新刊だ。
「頼んだらペーパーも付けてくれたので、よかったら」
「ありがとう……それしか言えない……」
万感の思いを胸に紹介された筆者は、女子大に通っているという女の子だった。
「はじめまして」
「はじめまして」
「彼女、わたしと箱根駅伝の会場まで一緒に来てくれたんですよ」
「ええと……王子さん? のお話は常々、彼女から聞いてます。走られてるところ、見てました。お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございます」
丸みを帯びた頭に、くるりと襟足から髪が跳ねている。はにかんだ顔は純朴な雰囲気で、この少女からあの重厚な話が生み出されると思うと震えてしまいそうだった。
「いつも、買いにこられる方がいて、その方が、お友達の分も買いたいって仰ていたから、どんな方か気になっていたんです」
不思議なご縁ですねと#名前#が微笑む。
その笑みが自分に向けられたことに、王子は自分の胸に異変を感じた。ギュッと締め付けられるような感覚。走っている時とはまた違う息苦しさだった。
「男の人は、あまり得意じゃなかったんです。こわいし、ひどいことするから」