真一郎の彼女
真一郎がベタ惚れしていた彼女と恋のキューピットな彼女のマブと
#名前#
ちょっとだけクセのあるミディアムヘアの女の子。家庭科調理部所属でクレバーな性格。
以前助けた男(真一郎)に数十回にわたる熱烈な告白を受け、その情熱に折れて付き合い始める。途中から緩衝材としてマブが間に立ってくれていたものの、マブの手助けによって告白はより情熱的になった。
交際は高三まで続き、卒業後は同棲も視野に入れていた。高三の夏に真一郎が亡くなり、その後は精神的に不調になりつつもマブに支えられながら学校に通う。
その後体調の変化に気づいた親と病院に行ったところ妊娠が発覚。
もともと進学予定だったが、精神的な不調や父親である相手が既に亡くなっていることもあり、佐野家には知らせず産み育てることに。両親も真一郎の人柄を知っていたことやかつて自分たちが若くして産んだ子を縁のある家に(子供の同意の上で)養子にやっていたこともあり、サポートを決意。
その後無事に卒業、5月頃に子供を出産。
原作開始時点で男女の双子(2歳くらい)の母親。
親のサポートを受けながら在宅で仕事をしつつ勉学に励んでいる。成績は平均的だったが高校の後半にかけて右肩上がりだったこともあり、現在は通信制の大学も視野に入れている。
口では淡々としていたが心から真一郎のことを愛しており、真一郎もちゃんと理解していた。
マブ
夢主の親友。高校からの付き合いだが家族並みに仲がいい。天然パーマのウェーブヘアな文芸部。
真一郎からの告白攻撃にノイローゼになりかけていたマブのために緩衝材として止めに入ったものの、文芸部の血が騒ぎ真一郎の告白の拙さを指摘、数十回に及びリテイクを入れまくる。
結果五つ年上だったが普通に真一郎とは友達になったしマブとの親愛度はより深まった。
真一郎亡き後は献身的に親友を支え、妊娠も彼女が一番に気づいた。
卒業式の数ヶ月前に轢き逃げに遭ったうえ、頭部に打撲を受けて昏倒。大怪我で入院し、皮肉にもバイクがトラウマになる。
入院中、手慰みにと親から差し入れに貰った手芸にハマり、一切興味のなかった服飾面で才能が花開く。本人も親もビックリ。
原作開始時点では親友のサポートをしつつ服飾の勉強をしている。
幸いにも後遺症は残らなかったが、バイクの音が近づくと身構えてしまうらしい。
・マブから見た彼のこと
思うに、佐野真一郎という男は『惚れる』という言葉では尽くしきれないほどの感情を、わたしの親友に抱いていたのだろう。
数十回に及ぶ告白を――半ば執念じみた愛の言葉だった――不屈の精神で続け、ついに#名前#を折れさせたのだ。アレは後にも先にもこれ以上はあるまいと思わせるものであった。
「#名前#〜」
「真一郎くん重い」
「俺の愛だ、受け取ってくれ」
「重いな」
ホンモノの女子高生である#名前#よりも女子高生よろしくベタベタに甘え、彼女に見えないように周囲を威圧している姿はそれはもう必死な様子で、さすがに真一郎くんを慕う男たちも引いていた。
いや普通に怖い。
もろに顔に出してドン引いていたわたしは、真一郎くんを慕う彼の後輩たちから「もうちょっと優しくしてやってくれ」と頼まれるくらいには引いた。
想像してほしい。身長百八十越えの成人男性が自分よりも二十センチほど小さな彼女(それも現役女子高生)にべたべたに甘える姿を。
控えめに言って大惨事である。
その姿を可愛がってる弟やその友達に見せてみろという話である。秒速で積み上げた幻想が崩れ落ちるだろうよ――とまでは口に出さなかったが。
「……#名前#ちゃん」
「うん……やっぱり妊娠してたみたい」
目の前には眉を下げて笑っている親友の姿。気づいたのはわたしが一番最初で、まさかとは思いつつ、本人に知られないように、彼女のお母さんとお父さんにこっそり伝えてはいた。ふたりとも、真一郎くんの人柄を気に入っていたし、万が一それが現実になったとしても、きっと#名前#の意思を尊重してくれると思ったから。
――でもさあ、真一郎くん。
流石にこれはお前――とど突いてやりたい気持ちだが、本人は残念ながらお空の向こうに行ってしまった。なのでわたしは彼女の親友として、そして年下とはいえ、彼の友人として、心の中で大いに叫ばせて貰おうと思う。
避妊具(ゴム)に穴開けがったなあの野郎!!
◇
正直、察していないわけではなかった。
ときどき彼が獲物を見るような瞳で親友を見ていたこととか、普段はクレバーな親友がそういうときは飴をあげるかのように真一郎くんに甘えていたこと、二人だけしか分からない何かがあるのだろうなぁ、という程度だったけど、まあ見ていて嫌ではなかったので、わたしは静観の体勢を崩すことはなかった。
だからアレはほんのちょっとした、暇つぶしの会話だったのだ。
「真一郎くんさぁ、怖い話とか知らない?」
「怖い話? 怪談とかか?」
「どっちかというと人間が怖いオチのやつ」
「人間が怖い?」
首を傾げた彼に、わたしはそうだと頷く。
「例えば……あー、そうだな。あるカップルが居たんだけど、そのカップルは毎回セックスをするときちゃんと避妊具を付けていた。だけど彼女は妊娠してしまいました。さて、その理由は?」
なぜかもにょもにょとした表情を浮かべつつ、そうだなぁと真一郎くんは答える。
「……避妊してたんだろ? まあ、百パー避妊できるわけじゃないけど……なんで?」
「男がゴムに穴を空けていたから」
「……人間が怖いオチってそういうこと?」
「そうそう」
文芸部で定期的に作る部誌に載せるネタが尽きてしまったときの話だ。
五つも年上ならいいネタでも持ってないかなという気持ちが半分、まあどうせ惚気で締められるんだろうなという気持ちが少々。あとは不確定要素。
「なんかさあ、ない? ネタが切れてさあ……締め切り近いんよ」
「まるで作家みてえなこと言ってんな」
「#名前#ちゃんも差し入れしてくれるんだけど今回はも〜むり。ネタ切れ! 原稿落としたら顧問がうるさいんだよなぁ」
我が文芸部の顧問は古文担当の学年主任である。文芸部のメンバーは皆この先生に可愛がられているが原稿を落とした場合は話が別だ。クオリティを気にする前に書き上げることが大事、というのが先生の言い分である。
「もし落としたら次はやばい、古文で俳句作れとかめちゃくちゃなこと言われる。それだけはマジで無理」
「えっ、この子弟? かわいいじゃーん、なになになに、#名前#ちゃんとこの子になるんか? 飴ちゃん食べる?」
「た、食べる……」
「 ちゃん、イザナちゃん戸惑ってるからほどほどにね」
「わーってるわーってる。はー、かわいいなこの子! 将来有望っていうかフツーにそれ差っ引いてもかわいいな」
「珍しいね、 ちゃんがそんなに人を褒めるなんて」
「は? いや、 さんいつだって人を褒めてるが……?」
かわいいかわいいと言えば口をもにょもにょさせて居心地悪そうに目を逸らす男の子。ある日親友である#名前#ちゃんが連れてきた子で、名前はイザナくんというそうだ。
なんとあの真一郎くんの弟らしく、佐野家のご両親のことはよく知らないがなんかすげーなとだけ言っておいた。
「え、なぁに? じゃあイザナくんは今日は#名前#ちゃんとデートな感じ? わたしお邪魔じゃん、帰るわ」
「待って待って待って! 今日は ちゃん紹介するために連れてきたの!」
「あっ、そうなん?」
それはそれはご丁寧に、とお辞儀をするといえいえと#名前#ちゃんもぺこりとお辞儀。顔を見合わせてへへへと笑い合うと、その姿をじっと見ていたイザナくんが口を開いた。
「#名前#、こいつ、なんて呼べばいいの」
「うん? んー、 ちゃんって私は呼んでるけど……」
「あ、なに? 呼び方? フツーに名前でいいよ。#名前#ちゃん呼ぶみたいに呼び捨てでもオッケー」
「……じゃ、 って呼ぶ」
「いいよ。よろしくねー、イザナくん」
ハイ握手、とお手手をぎゅうと握る。わたし達より年下だけど、十分に男の子だなあと思わせるしっかりした手だった。真一郎くんの弟だそうだし、もしかしたらこの子も族に入ってるのかなあとも。
とりあえず、頭を撫でるとくすぐったそうにする顔は幼くて可愛いし、何より#名前#ちゃんが弟のように可愛がってる男の子だ。わたしが可愛がらない道理はあるまいて。
「てか#名前#ちゃんとこの子にならないの? なったら呼んでくれ、盛大に祝うから」
「んー、そういうのは巡り合わせだからなあ」
第一、#名前#ちゃんがここまで入れ込むこと自体珍しいのだ。彼女は割とガチで興味無いものには対してはドライな人だから、彼氏の弟という理由だけでここまで入れ込むことは本来無いはずだ。なのでたぶん、相応の理由があるのだろう。
イザナくんを放っておけない、そんな理由が。
「――い、たあ!」
ゼエゼエと荒い息のまま近寄ってくる女が一人。「イザナくん」と呼ぶ声は、いつだってイザナを可愛がってくれていたものだ。
「あー、もう。こんな冷えて……! あ、君なに? この子に用? 悪いんだけどちょっと後日改めて貰っていい? いいよね? ていうか君も未成年でしょ、おうち帰んな。補導されるってか風邪引く!」
「いや、あの」
「悪いね。今この子探して大捕物が起きてんだわ」
「…… ?」
「そうだよ。っとにもうこの子は! 鶴蝶くんがイザナが居ないって言いに来てくれて探してたんだぞう!」
首元に巻いていたマフラーをイザナの冷えた首元にぐるぐると巻き付け、 はぎゅうとイザナの体を抱きしめる。本当に冷えてしまっている。早く連れて帰って温かいものを与えてやらねばならない。今の彼の瞳は、全部失って真っ暗なのだ。きっと放っておけば、この子は死んでしまう――そんな気がした。
イザナを知っている様子の少年に「今日はもうおうち帰りなさいね」とだけ言いつけて、 は彼の手を引いて歩き出す。
いつもなら多少なり抵抗でも照れるでもしそうなものだが、今はそれが一切無い。その事実に背筋をうすら寒いものが駆け抜ける。本能が言うのだ、これはヤバいと。
「イザナくん、寒かったでしょ。温かいもの用意してもらおうね、しんどいかもだけど、もうちょっと頑張って歩こ」
精一杯明るい声を出して目的地を目指す。彼の冷えた手に少しでも自分の熱が移るよう祈りながら、片手で捜索してくれている他の人達にメールを打つ。
無言が気まずかったけれど、そんなことよりこの手を離すことの方が恐ろしかった。手と手が汗ばんでも、それでも繋いだ手を離すことだけはしなかった。
「…… 」
「ん? なあに」
「……オレ、シンイチローの弟じゃなかった」
「……は?」
とんでもない発言に足が止まる。後ろを振り返ると、あの真っ黒な目でイザナが を見つめていた。
だからか、と は心の中で頭を抱えた。この真っ暗な、絶望しきった目――ここまで憔悴せるのだから何かあったとは思っていたけど、まさか。
「エマは半分だけでも血が繋がってた。でもオレは違う。半分すら繋がってねえ……シンイチローは知ってたのに何も言ってくれなかった、知ってたら、こんな、こんな思いしなくて済んだのに――家族がいるなんて希望持たない方が――」
「イザナくん」
ぐらぐら、ぐつぐつ。空虚な目に満ちるのは憎悪か悲しみか分からない。だけど間違いなくマイナスのことだとわかっていた。 はイザナの名前を呼び、空いた手で冷えきった頬に触れる。
「その話は、こんなとこですべきじゃない。ここは寒いから、イザナくんの心までどんどん冷えていく。心が冷えてるとね、冷静に考えらんなくなるんだよ。どんどんマイナスのこと考えちゃう。……なにより、一回イザナくんは確かめた方がいい」
「なにを?」
「君が心配で、一体どれだけの人が駆け回っていたかを」
話はそれからだよ。そう言って はまた歩き出す。繋いだ手はそのままに――否、先程までよりももっと強く握りしめて。
「イザナちゃん!」
その声が聞こえると共に甘く柔らかなものに包まれる。それが#名前#だと気づいたのは、自分の体がぎゅうと動けないほどにきつく締め付けられてからだった。
「ああ、こんなに冷えて……ごめんね、すぐ見つけてあげられなくって……!」
「……#名前#」
「寒かったでしょう、ごめんね、ごめんねぇ」
「#名前#ちゃん、落ち着いて。イザナくんも、ほら、家入るよ。#名前#ちゃんは体冷やしちゃダメだよ」
「う゛ん……」
ぐす、と鼻をすすりながら#名前#が頷く。そして彼女はイザナを顔をじいと見つめて、「無事で良かった」と、心底安心したように微笑んだのだった。
「……あのね、イザナちゃん」
実はね、と言って#名前#はイザナの手を自身の腹部へと導いた。触れたそこはまだ柔らかくて薄っぺらい。イザナとは大違いの女の腹だ。
「ここにね、赤ちゃんがいるの」
「……赤ちゃん?」
「そう。……真一郎くんの子」
「シンイチローの……」
実感が持てない。けれどその言葉で が#名前#の体を冷やさないようにしていたことに納得が行く。妊婦の体を冷やさないようにしていたのだ。
「私はね、産むよ。産んで育てる。……それで、そのときイザナちゃんにそばに居て欲しいんだ」
「……なんで? オレ、シンイチローの弟じゃねえのに」
「私が、イザナちゃんと一緒に居たいから。……あのね、イザナちゃん。家族は人の数だけ色んな形があるよ。戸籍上は家族でも実は血が繋がってない人だってたくさんいる。難しいかもしれないけれど、血が繋がってたからって『家族』になれるわけでもないの」
血が繋がっていても家族じゃないこともある、血が繋がっていなくても家族の場合もある、「多様性」と言ってしまえばそれまでだが、けれどそれが理解できない子供だっている。心の底から繋がりを求めていた子供なら、尚のこと。
「実はね、私のお姉ちゃん、今はよその家の子供なんだ」
「……#名前#、姉ちゃんが居たの?」
「そうだよ」#名前#が微笑む。「真一郎くんよりも年上でね、パパとママがうんと若い頃に生まれて、色々あって、縁があったおうちに養子に行ったの」
それは初めて聞く話だった。隣に居る の顔を見ると、彼女も初耳の話だったのか驚いた顔をしている。けれどどこか納得した様子で「だからか」と呟いた。
「#名前#ちゃんがやたらイザナくんを可愛がってたの、そういうこと?」
「んん、まあ、普通にイザナちゃんを可愛いなぁって、大切だなぁって思ってたからでもあるんだけどね」
『家族』というと一見血の繋がりだけを重視しがちだが、それだけじゃないことを#名前#は知っている。
血が繋がっているかじゃない。当人たちが――この場合、イザナと真一郎が互いに「兄弟だ」と思っていたことこそが大事だったのだ。
「真一郎くんはイザナちゃんを『弟』だって言っていたよ。たとえ血が繋がってなくても、黒川イザナは自分の弟だって。イザナちゃんはきっと、血が繋がってるから、会いに来てくれて家族だって言ってくれたから真一郎くんを『兄』だと思ったのかもしれないけど……」
#名前#はイザナの手を自分の両手で優しく包み込む。
「イザナくんと真一郎くんの心は繋がっていた。私は例え血が繋がっていなくても、二人はちゃんと兄弟だったと思ってるよ」
言い切った#名前#の顔は、いつもと同じだった。イザナや真一郎といる時と同じ、柔らかくて、暖かくて、そして。
「……っかんねえよ、そんなの……」
泣きたくなるほどに愛情が滲んでいた。
ぼろぼろと涙を流すイザナを#名前#は眉を下げ、けれど柔らかに微笑んで見つめている。 はイザナの涙を拭ってやり、それから頭を優しく撫でる。
「今は分かんなくってもいいよ。いつかわかる日が来る。……イザナくんはさあ、自分は独りだって思ってるかもだけどさ? マジで独りだったら、誰も探しに来たりはしないんだよ」
本当の孤独とは、誰もそばに居ないことだと は言う。「だけど」と彼女は笑って、
「イザナくんを探してくれる人はたくさん居るわけよ。わたしらのとこに聞きに来てくれた鶴蝶くんでしょ、わたしでしょ、そんで#名前#ちゃんに、#名前#ちゃんのパパやママもイザナちゃんのこと探し回ってた」
これのどこが独りぼっちなのさ。からっとした笑顔で はイザナの頭を抱き寄せた。
「だーいじょーぶだよ。イザナくんは独りぼっちなんかじゃあ無い。わたし達が居るんだからさ、もっと気楽に考えりゃあいいの」
ね、#名前#ちゃん。へらりと笑う に「そうだよ」とイザナの手を握りしめたまま#名前#が笑う。
「イザナちゃんには、私も ちゃんも鶴蝶くんも居るんだから、独りだなんて言わないでよ……お願いだから……そんな、寂しいことさあ……っ」
「いやお前も泣くんかい」
「だ、ってさあ! なくじゃんか、こんな、さあ」
「ああもう、泣くな泣くな〜、イザナくんより号泣してんじゃないの! イザナちゃん泣けなくなるでしょうが!」
「イザナちゃんって呼ぶのわだじのどっけんだもんんん」
「マジ? えっマジで? ちょっと待ってよ〜」
「あ、#名前#、#名前#、泣かないで、」
「ちょっと待ってね……#名前#ちゃんのパパとママー! 助けてー! どうせ聞き耳立ててるでしょー!」
がリビングの方に向けて大きな声で呼びかける。それと#名前#の両親が飛び出してくるのはほぼ同時であった。
「あらあら、#名前#ったら泣いちゃってまあ」
「あはは、バレてたかあ」
「早くどうにかしてくださいよ〜、わたしの手に余るんでマジで」
#名前#が嗚咽を漏らしながら泣く姿を見るのは初めてだった。いつだって優しい笑顔でイザナを受け入れてくれていた年上の女の子。内心、本当の姉だったら良かったのにと思うほどには心を許していた女性の涙。それも、他の誰でもない、自分のために泣いてくれた――その事実がイザナに突き刺さる。
「#名前#、手、離して」
弱々しく離れていった温もり。離した両手で顔を覆って泣く彼女は、ただの女の子だった。
「いざ、く、っまで、いなくなった、ら、ど、どうしよ、ってえ」
えぐえぐと泣きじゃくる#名前#は、両親に宥められながら必死に言葉を紡ぐ。その剥き出しの感情はイザナの心の中を嵐のように掻き乱す。
「……ごめんね、イザナくん。この子、真一郎くんが居なくなってから、ずっと気を張りっぱなしだったんだ」
イザナに湯気の立つマグカップを手渡しながらそう言ったのは#名前#の父親だ。微笑むと目尻のしわが深くなって可愛いと#名前#が笑って言っていた、心の広い大人の男。父親というものに縁がなかったイザナにとって、#名前#の父親は不思議な存在だった。
そして
「もし良ければなんだけどね」#名前#の父親は、我が子を見るあの柔らかな瞳でイザナを射抜いた。「イザナくん、うちの子にならないかい?」
「……は?」
ぽかんとした表情のイザナに、#名前#の父親は突然だったねと言い、丁寧に事の次第を話し始めた。
「前々から話には出ていたんだよ。#名前#の言った通り、うちは上の……一番目の子は、本人も同意の上で小さな頃に養子に出していて今は#名前#一人だし、#名前#も、いずれ真一郎くんの元へ嫁ぐと思っていたから……もしチャンスがあるなら、ってね」
真一郎くんが居るから養子は難しいかなとは思っていたから、せめて特別養子縁組で里親になって成人後見人になるのも有りだ、という話も出ていたと言う。養子に行った#名前#の姉(今も定期的に会うほどに仲は良好らしい)も大いに賛成してくれていたので、あとは本人たちに気持ちを訊かなければ――そう思っていた矢先、真一郎の突然の逝去に、ショックで精神的に不安定な娘の妊娠が発覚。イザナにも会うことが出来ず、どうしたものかと思っての今回だった。
「イザナくんだけじゃなくて、鶴蝶くんもって思ってたんだけどね、鶴蝶くんはご両親とと同じ苗字を変えたくないようだったから、ならせめて後見人に、って考えてて。イザナくんにも訊かなきゃなあってずっと考えてたんだよ」
「……なんで、オレ?」
「#名前#が誰かを家に連れてくるほど心を許すなんて貴重なんだ。それこそ、今まで来たのは ちゃんや真一郎くん、それから真一郎くんの下の兄妹くらいでね、それ以外はもう、全然。だから君を家に招いていた時点で、大丈夫だとは思っていてね」
あとは親密度の問題だ。男の子が家庭に居ない状態だった#名前#の両親はイザナや鶴蝶をとても可愛がってくれたし、「人を殺したり一線を超えることだけはしてはいけない」と強く窘めるだけで、喧嘩自体を否定はしなかった。温かな食事を用意してくれたし、泊まりの時はきちんと施設の方に連絡を入れていてくれたという。
外で会う時もまるで我が子に会ったかのように嬉しそうに声掛けをしてくれたし体調は大丈夫かと心配してくれた。本当に善良な人達だ。