クロスオーバーゆめ

「痛くないか?」

 先輩はそう言いながら私の頭を優しく撫でる。大丈夫ですよ、平気ですよと何度私が伝えても、先輩の瞳の奥には未だに鮮明に痛みが残っているのかもしれない。

 高校二年の冬、私は胸の下まで伸ばしていた髪を悪魔に喰われた。
 聖十字騎士団の日本支部長であるフェレス卿が斃れたことで、彼が封じていた『門』が開き、全世界の人々に“悪魔”が見えるようになった後――混乱の中でも日本のエクソシスト達による万全の警備をもって行われた全国大会の地で、私は『それ』と出逢ってしまった。

 先輩が気に病むことではないと何度も伝えた。好きともいえない、自分でも言葉にするのが難しい、淡い感情を抱いていた先輩に好意を持たれていたことは嬉しかった。
 でも、私はそんな風に気に病んでほしいわけではなかったのに。

 伸ばしていた髪は家族がかけた護りであり、私自身が持つ純粋な『力』の塊だった。
 家族は皆エクソシストで、そうではないのは私だけで。祓魔塾に通うことも視野に入れていたのだが、両親や姉さんが私だけは『普通に』暮らせるようを願っていてくれたから、守ってくれたから、私は悪魔の存在を知りながらも無事に過ごしてきた。

 自分の髪を喰われたことを引きずってはいない。同意のない、まさに悪魔らしい一方的な搾取ではあったけれど、それで先輩やあの会場にいた一般人を助けることができたのなら、それはとても誇らしいことだ。
 髪はまた伸びる。生きている限り、いやでも伸びてくる。
 だから、どうかもうそんな顔をしないでほしい。短くなってすうすうと風が通るうなじが、なぜだか痛くて泣きそうだった。


「――せんぱい、いたいんですか?」

 烟るような睫毛に縁取られた曇りのない眼。灰紫の瞳で真っ直ぐにこちらを見て訊ねる彼女を抱きしめる。
 よく風に靡いて揺れていたあの美しい黒髪は、随分と短くなってしまった。

 ――全国大会準決勝を闘ったあの日、何よりもうつくしいものを見た。
 しかしそれは、同時にとても恐ろしい光景だった。
 憎からず思っている後輩である少女が、青白い火の怪物に身を包まれ、髪を焼き切られる姿。
 ぼんやりと灰紫の瞳が虚空を見つめる姿が幻想的だと場違いなことを思って――彼女の肉体が冷たい地面に崩れ落ちたとき、ようやく意識が現実へ引き戻されるのを感じた。
 名前のクラスメイトである二年生部員たちが声を上げた瞬間、体は勝手に動き出していた。
 試合後で疲れきっている筈の体が思い通りに動くことに驚きながら、倒れた体を抱き起こす。
 あの幻想的な瞳は伏せられ、血色の失われた顔がまるで人形のようでゾッとした。

「#名前#、起きてくれ、#名前#」

 長いまつげが震える。重ねて名前を呼びかけると、灰紫の瞳が俺を捉えた。

「せ、んぱ……」

 はくはくと口が動いて、そのまま瞳は閉ざされた。
 沈み込むのような重みを感じて、意識を失ったのだと知る。脈を測った限り、死んでいないことに心の底から安堵した。


「この子には、普通に暮らしてほしかったの。私達には縁遠い幸せの象徴になってほしかった」

 そう言い、名前の姉は目を伏せる。
 白磁の肌に空色の目をした、人形じみた美貌を持つ女性だった。

「娘を可愛がってくれているんだね」

 #名前#の父は薄く笑みを浮かべた。
 とても高校生の娘が居るとは思えない若々しい風貌の、異国の血を引いているとひと目でわかる顔立ちの男性だ。銀色の髪が風に靡き、烟るような睫毛と瞳は彼女と同じもので、灰紫の美しい色を灯している。
 すらりとした体格は優に一九〇を越えており、以前彼女が大柴を「お父さんと近い背丈」だと評していたのが事実だと分かった。

「――まあ、まだお嫁にはやらないけど!」
「最後の一言で台無しだよお父さん」
「ヤダヤダヤダヤダ! 可愛い#名前#ちゃんに彼氏なんて十年早い!」
「十年経ったら#名前#ちゃん二十代後半だよ」
「嫌だー! 男なんて作らないでくれー!」

「相変わらず先輩は凄まじいね」
「どうしようもないわ、こればっかりは」

 お父さんの溺愛っぷりは筋金入りだものと#名前#の姉が笑う。隣で苦笑しながら頷く青年は、聖蹟の非常勤講師であったはずだ。

「元々、エクソシストの仕事から離れたくてね。そしたら先輩から娘の警護兼ねて日本で教師やればって話が来て」

 元々教員免許は持っていたからと笑う彼の素性に驚いたのは仕方ないだろう。

「いやー、#名前#って結構なお嬢さんだったんだな……」
「お嬢さんというか、アレは需要と供給がマッチした結果だからねえ」

「『連弾・四重奏』」

 銃弾が弾き飛ぶ音が聞こえる。


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