キリク
「ああ! そやそや、もひとつええモン見せたるわ」
にこりと笑いながら、空は自身の隣に置いていたそれを眠りの森の面々に見せた。
「――悪趣味だな」
吐き捨てるようにキリクが言う。
それは、液体の中に浮かぶ一本の脚だった。A.Tを履いてるところからして、おそらくは暴風族の――それも女性の足だというのがわかる。
そんな悪趣味なものを見せて一体何が目的なのか――不快さを隠さないキリクに、ニヤニヤと空は嫌な笑みを浮かべたままだ。
「――な、んで……?」
「……総長?」
呆然とした
で林檎はその足を凝視している。顔色はどんどん青ざめていき、唇がわなわなと震え出す。
「なん、なんで、その、そのA.Tは――なまえお姉ちゃんの、履いてる――」
「テメェ、なまえに何しやがった……!」
震える妹の肩を抱き、殺気を抑えることなく樒柑が空を睨む。
「いやぁ、折角やからサプライズゲストにしたろと思ってなあ。せやけどなまえ、昔っからワイのこと信用してへんかったし、宙に丁重にオハナシしてもろうとってん」
「――なまえはどこだ、空」
なまえは野山野姉妹と一緒に暮らしている少女で、南樹の実姉である。
だが、彼女――なまえは暴風族ではない。弟の樹も、同居している野山野姉妹もライダーだが、なまえはただの一般人だ。走ることはできるし、その腕前は見事なものだが、彼女は戦うことが嫌だった。あくまで趣味として研鑽を重ね、うつくしい技を生み出して極めようとしていた。ただ自分が楽しいから、やっていただけなのだ。
だからこそなまえは戦いから一線距離を置いていてくれたし、姉として、家族として、二番目の年長者として、イッキや林檎達を見守ってくれていた。
――だから、さしもの空もなまえに手出しはしないだろう――そう思っていた。
その考えは甘かったのだ。武内空という男は外道なのだと目の前に突き出される。
「わたしは、いい子じゃないから」
だから、あなたにとびっきりの呪いを送ろう。
「――キリクッ! ウチの姉貴、絶対に守りきりやがれ!」
自身も負傷しながらも、それよりも再会は絶望的だと思われていた姉が生きていたことに胸を震わせながら樒柑はキリクに叫んだ。その目尻にはうっすらと涙が溜まっている。
なまえは目を見開いた空を横目で一瞥し、そのままキリクに顔を向けた。
「なまえ……何故……」
「……死なせない、絶対に……そのために、ここまで来たの」
呆然とした顔で自分を見る男に、なまえは薄く微笑を浮かべる。
虐殺の風に抗うように、小さな『風』が巻き起こる。それはなまえにとって生まれて始めての行為だった。ただただ研鑽のためにしか扱ってこなかった技を――このとき初めて彼女は『戦うため』に使ったのだ。
それはか弱くも、確かな『歪み』を生み出す。
――そして、“奇跡”を生んだ。
「ッ、ぅゔ、あ゛あぁッ……!」
だが、その『風』をひとつ起こすだけでも今のなまえには激痛の走る無謀な行為だった。
技を繰り出すとともに仮初の脚が崩れる。無理矢理付けたであろう義足は空中でバラバラに分解されていく。パーツとなって、宙(ソラ)にこぼれていく。それはさながら星屑の如く。
「……わたし、ずっとキリクさんが好きだったの」
ぽつりとなまえは呟いた。
だからどうか、願わずにはいられない。
「あなたは……生きてね」
「――なまえッ!」
そう言い残して、少女は意識を失った。
崩れ落ちた体を引き寄せる。けして離さぬようにと腕の中に閉じ込めて、キリクはやっと、なまえの顔をちゃんと見ることができた。
血の気も失せ、白を通り越して青ざめた顔、痩せ細った体には幾重にも包帯が巻かれ、見るからにひどく窶れていた。誘拐された上、宙に嬲られ、挙句片脚まで奪われたのだ。ただの一般人の彼女が拷問の耐性などあるわけもない。足を切り落とされたショックで失血死していてもおかしくなかった――だが、彼女は戻ってきた。
必死の思いで、片脚を失ってまで戻ってきたか弱い少女。――こんな愚かな男を助ける、そのためだけに走ってきてくれた女の子。
あんなに幼かった雛は、自分が気づかないうちに……否、直視しないようにと目を逸らしていた間に、こんなにも立派な大人になっていたのだ。
もはや、彼の胸の内を占めるのはなまえに対する強い感情だけだった。
あの決別の瞬間、ごっそりと、憑き物が落ちたかのように、キリクの中にあった空への激情は失せてしまった。
今はただ、生き延びることを考えている自分が居た。
「なまえ」
キリクは落下しながらもなまえの体を抱え直す。身体はキリクもボロボロだが、なまえに比べれば傷と呼ぶのもおこがましい。
レガリアは失われているが、地面への衝撃を殺し、受け身を取る事くらいはこの体でもできるだろう。
「大丈夫だ――もう、離さないよ」
どの道、悔しいが自分で空に引導を渡すことは出来ない。
託すしかないのだ。――こちらに向かっている、『嵐の王』に。
■
「一緒に暮らそう」
「んえ?」
ぼとり。食べかけのリンゴが皿に落下する。
呆けた顔のなまえに、キリクはもう一度同じ言葉を告げた。
「……な、なんで?」
「これからのことを考えてだ。私も現役を退いたが、仕事もある。君を養っていけるだけの甲斐性はあるつもりだ」
「いや、そうじゃなくて」
「――好きだと言ったのは君だろう」
アレは嘘だったのか?
そう問われて、「嘘なわけないでしょうが!」となまえは食い気味に言い返した。
嘘ひとつのためにわざわざ命を賭けるほど、なまえはいい人ではない。乙女の一世一代の無茶をそんな風に思われるなんて心外だった。
「……私の隣に居てほしい。君が失踪したと知らされた時、どれほど焦燥に駆られ……空に君の足を見せられた時、それが君の足だと分かった瞬間、殺意で目の前が真っ赤になった――もうあんな思いはごめんだ」
「キリクさん……」
命からがらふたり揃って生き延びた果て、なまえの想いを受け入れたキリクは、驚くほど恋人らしく振る舞うようになった。
その変貌っぷりたるや、キリクをよく知る重力子の仲間も驚くほどのものだった。とはいえ、なまえにとっては、いつもよりスキンシップが増えたかな程度のものという時点で、距離を置いていると言いながら、普段からキリクがいかになまえに対し距離が近かったのかが伺える。
なまえは退院してからは店長の家で暮らしていた。
既婚である店長の下で厄介になるのは正直心苦しかったが、片脚を失い大きなハンデを背負うことになったなまえを店長やその妻は温かく迎え入れ、支えてくれた。
元々、幼子で職を求めていたなまえのために開いた店だった――とは店長の談である。なまえを我が子のように思ってくれている夫妻の厚意に甘えて、なまえは店長夫妻の庇護下に入ったのだ。
夜半、足に感じた痛みで目を覚ます。
幻肢痛のようなものだ。特にこんな雨の夜はよく痛む。なまえは掛け布団をそっと捲り体を起こした。
ポツポツと雨が窓にぶつかる音が部屋の中に響く。まるで傘を指しているかのような気持ちになる。
まだ足はズキズキと疼く痛みを訴えている。なまえは痛む部位に触れ、口元に笑みを象った。
(……もう足は無いんだよ)
痛むのは足の先――今は切り落とされて失われた部位だ。切断された太もものあたりをそっと撫でる。労わるように数度それを繰り返し、自分の足はもう無いのだと頭に教え込む。
隣にはなまえの大切な恋人が眠っている。できれば朝まで静かに眠らせたいし、自分もその横でぐっすり眠りたいというのが本音だ。
(良かった。キリクさん、ちゃんと寝てる)
規則正しい寝息を耳に入れながら、なまえはすやすやと眠る恋人の顔を眺める。なまえよりも幾分か年の離れた恋人。何事にも点数をつける癖があるものの、駆け抜けたその道の名と同じく、ストイックで『石』のように固く強い我を持つ。何年にも渡る長い長い呪縛から解放され、ただひとりの人間になってくれた男(ひと)。
――そして、なまえの断ち切れなかった初恋を、気持ちに応えるという形で終わらせてくれた、愛する人。
なまえが退院をして暫く経ち、キリクに押し切られる形で始まった同棲であったが、それなりに上手く行っている方なのだと思う。
野山野家では梨花に継ぐ年長者であったこともあり家事仕事をするのは苦では無かったし、何より一緒に食事ができる相手が居る。学生の弟妹らが不在のときは適当に済ませがちだったが、同棲を始めてからというもの、キリクのおかげでなまえは一人で食事をするということから遠ざかっていた。
片足を失ったなまえは、現在義足をつけて生活をしている。
トゥール・トゥール・トゥ――及び巻上イネから提供された、エア・トレックの技術も利用して作られた最新型の義足である。まだまだ改良の余地がある「試作機」なので意見が欲しいと提供されたそれは、本物の足さながらに動かすことができた。この時点で一般に普及された義足よりも遥かに高性能というのは確定している。とはいえそれでも課題はある。なまえはモニターという名目で日頃から活用しつつ、定期的に診察やレポート、リハビリに励む日々を送っていた。
行動範囲が広がったとはいえ、長時間歩くには負荷が大きく、なまえの体力もそこまで回復しているわけではない。万が一道端で倒れたら、と憂慮したキリクによってなまえのスケジュールは決められている。
キリクもそれに合わせて自分の予定を組み立てているので、一人で食事をするということからは遠ざかっているのだった。
起こさないようにと布団から抜け出し、なまえは簡易用の義足をつけてそろそろと寝室を出た。簡易型は普段使うものより性能は劣るが、素材が違うので音が立ちにくいのと負荷の軽減で室内移動に適している。特に相手を起こしたくない夜中ならなおのこと。
リビングに移動し、なまえはコップに水を注いでからソファに座った。義足を外し、リラックスした状態で体を背もたれに預ける。
外はまだ雨が降り続いていて、
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