松陽

朝、目が覚めると知らない男の人と寝ていたら、どうしたらいいのだろうか。

――わたし、なんてことを
ぶわっと冷や汗が滲み出す。手が震えて、腹部の異物感が生々しく昨晩の失態を伝えてくる。

(逃げなければ。この場から、早急に去らなければ)

震える足で何とか立ち上がり――股を伝って溢れてきた白濁の液体に悲鳴を上げそうになりながら――わたしは大急ぎで服を着て、手持ちにあったお札を数枚置き、部屋から逃げ出した。
サイドテーブルのメモに書置きは残したので、あの人が目覚めたらきっと気づくことだろう。……本当に、なんてことをしてしまったんだ。

(ごめんなさい、知らない人……!)

仕事先は謎のガス爆発で爆発し、何やかんやと労基にしょっぴかれて倒産。働いていた人の大半は何とかなりそうだったけど、わたしはその大半の中に入れなかった。
なんとか少しでも給料が入ることを祈りながら貯金を切り崩しバイト生活。再就職なんて生活サイクルがとち狂った中で上手くいくはずもなく、親にも連絡することもできない。
仕送りもできなくなってしまった、ごめんとメールで謝って、大丈夫だと返事は来たものの、どこまで本当だか……もし裏で文句を言われていたらどうしよう、と胃がきりきり痛むこともおおくなった。
もうこれ以上の不運はごめんだ。そう、思っていたのに。

「……にん、しん……?」
「はい。おめでとうございます、三ヶ月ですよ」
にこにこと女医さんに言祝がれる。けれどわたしは頭の中が真っ白で、血の気がどんどん引いていくのが分かった。
さすがに気づいたのか、微笑んでいた女医さんが、わたしの顔を見てすっと真剣な顔になる。
「……失礼ですが、同意の上で?」
「あ、あの、わ、わた、わたし……わたし、」
「大丈夫、落ち着いて。お話をしましょう」
大丈夫だから、と何度も言われて、ほろりと涙がこぼれ落ちる。
すべてを話終える頃には、わたしの目は涙を流しすぎて少し重たくなっていた。
女医さんは真剣な顔で、「名字さん」とわたしに声をかける。
「正直、中絶するにしてももう難しいと思われます。……あなたの体を思うなら、このまま産む方がまだ金銭的にも肉体的にも、なにより産まれてくるお子さんや、あなたの心を守れるかもしれません」
「は……はい……」
「一度、誰かに相談してみてください。どんな選択であれ、できる限りのサポートはさせていただきます」
「……ありがとうございます、先生……」




思い出す。白いシーツの上に散らばっていた、亜麻色の髪。色白な肌に、まるで年齢を悟らせない柔らかな風貌。……あの夜を越えたその人が、わたしの目の前にいた。

「やっと、会えましたね」
「……は」

ずっと探していました、と男の人は微笑んだ。わたしは蛇に睨まれたカエルのようにカチンコチンに固まってしまって、動くことは出来ない。
わたしの顔色は最悪だろう。だって、この広い東京の中、また再会するなんて思ってなかったのだ。たった一晩共にしただけの名前も知らない男の人とまた会うなんて。


目を覚ますと、知らないホテルの中で眠っていた。
起き上がると鮮明に思い出す夜のこと。隣を見れば、居たはずの女性の姿はなく、数枚の紙幣がサイドテーブルに置かれていた。
備え付けのメモには「ごめんなさい」と急いで書かれたのだとわかる走り書きが残されており、それが誰の文字かすぐに分かった。
そして床の上に見つけた白濁色の液体で、自分が何をしてしまったのかも。

――情けない話だ。
少々盛り上がりすぎてしまった。年甲斐もなく、弟子たちよりまだ若いであろう女性と夜を共にしてしまった。それも、中に出して。
のうのうと眠っていた自分の阿呆さに頭が痛い。
とりあえず帰ろう。そして、なんとか探し出さなければ。

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