いのり
「まま」
 手を伸ばすと、白髪混じりの少女の年頃の女の人が優しく受け止めてくれる。「なあに、なまえ」とかすれた声で返事をしてくれるこの人は、私の今生における母だった。

 私には産まれる前の記憶がある。時は大正、人や街並みがどんどん華やかなものへと変わりつつあった時代。私はそんな時代の中、鬼を狩る政府非公式の組織――『鬼殺隊』に所属する鬼狩りの隊士であった。最期の記憶は鬼の頭領である鬼舞辻無惨の腹の中。自分ごと爆死したところで途絶えている。
 私には師匠と呼べる人がいた。桜色と葉桜色のグラデーションが綺麗な髪の、甘露寺蜜璃という名前の女の人だ。私は彼女の継子となり、彼女の使う呼吸――恋の呼吸を覚え、それを使って戦っていた。恋の呼吸は柔軟性が大事。女性特有のしなやかな身のこなしで飛び回り、鬼を殺す。私にこの呼吸はよく合っていたようで、継子となってからは一番鬼を殺しやすくなった。そんな彼女の教えは今も私の中に根を張り、今を生きるための鎹の一つとなっている。
 さて、私がなぜそんな話をしたのかと言うと、理由は私が生まれた環境にある。
 場所は薄暗い牢屋の中、明らかに幼い少女の体からおぎゃあと生まれてきたのが今生の私であった。私を抱きながら泣く母の声は明らかにこれが望んだものでは無いのだと分かるもので、それは成長する事に「正しい見解」だったのだと嫌なほどに分かった。
 産まれたばかりの頃は声や気配でしか分からなかったけれど、目が見えるようになってからというもの、私は環境の酷さに絶句した。窶れて痩けた顔の少女が、泣きながら自分よりもひと回りもふた回りも大きな、明らかに成人した男に無理やり抱かれていたのだ。毎夜のように、日替わりでである。これが吉原などならまだ仕事とわかるが、目の前のこれは明らかにそうではない。しかも、母を抱く男達はみな一様に首に枷のようなものを付け、虚ろな目をしていた。助けてとすすり泣く母の声に苦しげに顔を歪めることはあれど、その手は、その体は止まることはなく。
 大半の男たちが、情事の終わりに「すまない」と母の痩せた身体を抱きしめて(これは文字通りの意味である)、叶うなら今すぐ死にたいと言わんばかりの顔でそう謝り続けていた。
 そんな姿を傍らで見ていた赤子、つまり私は、この環境を仕組んだ『誰か』が居るのだと当たりをつけた。私を抱きしめながら「パパ、ママ」と小さな声で呟いて泣く母は間違いなく攫われてそうなったのだろうと思わせるものだったし、母を抱く男達は心も体もボロボロで、自尊心などとうの昔にぶちんとちぎれてしまった人達なのだとわかった。
 それでもなお悔しさに顔を歪めるということは、母のことを気にかけるくらいには――気にかける程度の理性が残っているということだ。
 つまり、彼らもまた理不尽にこの状況に叩き落とされた被害者ということである。そして全員が付けている枷。これが薄く光ると彼らは母を抱くということに私は気づいていた。おそらくは血鬼術のような……なにかしら人にはなし得ないような力が働いているのだろう。洗脳に近いかもしれない。
 以上の事から、私は第三者の存在を突き止めるのが急務だと考えている

「」

「そおだよ、ままはユウカイされて、むりやり子どもつくらされたんだよ」
 パパたちは五条の跡継ぎのせいだって言ってた。ならあなたのせいでしょ。私はトゲトゲした言葉で吐き捨てた。こんなもの、当たらないとやってられねえ話だ。
 えっちらおっちらと得物である古い刀を抱えて歩く。私の体よりも大きな刀だが、私にとっては大事な武器である。片時も手放すことは出来ない。
 廊下はいつもよりずっと静まり返っている。薄暗く、血と悲しみと怒りのこびり付いたこの屋敷――だけど今日は何かが『違う』と私の本能が叫んでいた。
「……おかしい」
「え?」
「しずかすぎる」
 いつもならどこかの部屋から悲鳴じみた声がしているのに。あの下衆共が使っている部屋のひとつを蹴り飛ばすようにして開ける。ずらりと並んだ拷問器具。壁にこびり付いた赤色。けれど中に人は居ない。
「おい、ガキ」
「……なぜ? この時間はいつもここに一人はいるはずなのに……」
「おいコラガキ、人が話しかけてんのにシカトしてんじゃねーよ」
「こら悟、やめないか」
「誰もいない? ……それはない……なら皆どこに……まさか」
 私は急いで廊下に出て走り出した。白髪男の言葉など対応する時間も惜しかった。嫌な予感がしている。この感じはあの時――私のことを助けてくれたあの人が死んだと聞かされた時のような――
「――まま!」
 地下牢へ続く扉を呼吸で強化した体で壊すようにして開ける。薄く香る血の匂い。この地下はいつも血の匂いがするのだ。
 薄暗い階段も慣れたものだ。後ろのノッポ二人を置いて、私は急いで駆け下りた。
「まま! いる!? まま!」
 地下牢の真ん中――そこが母の閉じ込められている場所であり、生まれてから今に至るまで私が共に過ごしている場所。
 お母さんはいつものように、その中に一枚敷かれた布団の上に横たわっていた。けれどいつもと違うのは、今日は抱かれた痕跡がなかった事だ。
「……なまえ……?」
「まま! だいじょうぶ? たすけ、つれてきた! いっしょ、でよ!」
「……そう。……あの人たちは……」
「わかんない……」
「そう……」
 襦袢姿で横たわる母の顔色は悪い。その視線が向けられた先――私の背に立つ大男二人の存在を思い出し、私は後ろを向いて睨みつける。
「でかいんだからすわれ! ままがこわがってる!」
「はァ? こんなクソ汚ねえとこに座るわけねーだろ」
「汚くしたのおまえの家のやつだけど」
 ゴミを見る目で言った私に、白髪男は頬を引き攣らせる。その傍ら、片膝をついて母に視線を合わせたもう一人の大男が、優しい声で言った。
「 さんですね? 私達は東京都立呪術高専の生徒で、呪術師をしています。外部からの情報で、貴女とお嬢さんたちを救助するために来ました。……立つことは出来ますか?」
「……ごめんなさい、もう、体に力がほとんど入らなくて……」
「いつもは私とぱぱの誰かがいて、おきるの手伝うの」
 でも今日は誰もいない。それがおかしいのだと伝えると、黒い方の大男が難しい顔になる。私は急いでここを出なければ、と必要なものがないか室内を見渡す。確か、この部屋には母の唯一残された自分を証明するものが隠してあるのだ。
「まま、たいせつたいせつ、どこ?」
「……ああ……うしろに、隠し戸があるはずなの……なまえ、わかる?」
「まかして!」
 地下牢は壁が分厚く、ここにはパパたちの一人が共謀して作った隠し戸があるのだ。その様子を、まだよちよち歩きであった私はちゃんと見ていた。
 同じように見える土壁の、ちょっとの違和感を見逃さないように目を凝らす。薄らとある切れ目を押すと、ガコンと切れ目に沿うように後ろへ倒れる。
 ふわっと舞う土埃に鼻をムズムズさせながら、私は奥に頭を突っ込む。
「……あった!」
 薄鼠色の風呂敷に包まれたそれを取り出す。母を誘拐した男達が処分しろと命令したのを、それだけは止めてと泣く母のために皆で共謀して隠した、母の大切な――誘拐された日、持っていたもの。
「まま、あったよ! ままのやつ!」
「……うん。……ありがとう、なまえ……」
 風呂敷ごと差し出すと、黒髪の方の大男に抱き起こしてもらった母はその中身を見て泣きそうな顔で微笑む。
「……これは……」
「……私が、身につけていたものです。……あの日、両親が買ってくれて……これは上の兄弟たちがプレゼントしてくれた物です……」
 経年劣化で少しボロボロだが、それでも薄暗い牢屋の中では鮮烈な赤色のポシェット。中に入っていたパスケースには、古びた写真が入っている。
 家族で観光に来ただけなのに、こんな目に遭うなんて思ってもいなかった、と母が呟いた。
「……一つでも大切なものが残っていて良かったです。早くここから出ましょう。悟、外には誰もいないね? ……悟?」
 何も言わない白髪男に、黒髪の大男が怪訝な顔で訊ねる。白髪男は宙を見つめ眉を寄せて難しい顔をしている。
「……これは……」
 何かに気づいた顔をした白髪男が私を見る。
「ガキ、いつもは人がいるって言ってたな」
「ん。ママのとこにひとりは絶対いる。それ以外にも、ごうもんべやに誰かいたり、しよう人みたいなことさせられてる人とか、とにかく誰かはいる。だから今日はへんなの」
「……お前の父親、どんな奴だ?」
「どんな……? 誰のこといってる?」
「複数人居んのか……俺に似てる奴なら?」
 その言葉に、私は白髪男の顔をじっと見る。睫毛まで白い髪の毛に、硝子玉みたいな青色のめ。なるほど、私とよく似ている。これは私が生まれたことにあの下衆が興奮するのも無理はないか。
「……私のパパ、ねずみ色の髪だけど、あなたとちょっと似てるかも」
 でも、確証はない。私の父親――と思われる男性は、鼠色の髪に、青と黒が混ざりあったような目なのだ。見た目もどこか中性的で、腰の下まで伸びた髪を流す姿は男にも女にも見えてしまうほどに。
 だから確証はない。パパは白髪男みたいにゴリラじゃないし……




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