はるち
 「しゃーないかぁ」と、マチは後ろ頭を掻きながら呟いた。
 春市の前に屈んだ彼女は、品定めをするかのような瞳で彼を見る。
「なまえはさあ、別に小湊が嫌いで連絡取らないわけじゃないよ」
「マチさん……」
「マジで別れたと思ってるからする理由が無いだけ」
「マチの姉御ォ!」
 これ以上は勘弁してやってくだせぇと喚く沢村を片手で抑えながら、マチは呆れた声で言う。
「そも、自分のせいで好きな男が調子崩してるとか最悪じゃん。罪悪感で絶対会わない気持ち強くなるだろうし、マジになまえと会いたいンなら全力で自分のやるべき事しなさいよって話」
「ウッ」
「たしかに……」
 ウンウンと降谷が頷く。
「アンタが本気でなまえ以外の女を愛せないなら、まあそれもそれで良しとして。視野を広げる努力はしてみなよ。その結果、アンタに好きなやつができたとしても――なまえは喜ぶだけで、悲しむのは一瞬だろうから」
 なまえの決断した『さよなら』は、それくらいの覚悟を決めての事なのだ。
 マチの言葉の意味を悟った春市は、苦しげな顔をしながら、それでもこくりと頷いた。
 ――これで良いんだよね、なまえちゃん……
 本当はこんな酷いことを言いたくはない。けれどそれだけなまえが行った世界は危うい場所なのだ。想い合う二人が別離を強いられる現実のなんと惨たらしいことか。
 複雑な気持ちになりながら、マチは親友の頼みを遂行すべく痛む心から目を逸らした。

「なまえちゃん、小湊のお兄さんよりもひとつ上のお姉さんがいたのよ」
「そうだったんだ……」
 そんな事も知らなかった、と自嘲的に呟いた春市にマチは「当たり前でしょ」と素っ気なく返す。
「お姉さんが言うなってなまえちゃんに言ったのよ。ただの女の子として、普通の生活を送って欲しいから」
「……お姉さんのことを隠すことで?」
「……なまえちゃんの家、厳密に言えばお父さんの方ね。少し特殊な家らしくて、なまえちゃんも元はお姉さんの行ってた学校に通わされるところだったの」
 それを母親と姉が猛反対して青道に進学できるようにしてくれたのだと。
「なまえちゃんはお姉さんとは異母姉妹で、お姉さんは血の繋がらない自分を娘として愛してくれたお母さんや妹を守りたい一心でその道に進んだ。なまえちゃんが出来ることと同じことがお姉さんにはできたから、妹は普通の生活をさせてほしいって――でも」
 マチの声に影が差す。
「一年の終わり頃、お姉さんが亡くなったの。だから繰り上げるような形で、同じ能力を持つとなまえちゃんは父親に売られた」
「――は?」
 地を這うような声。かつて前髪で隠されていた目がギラギラと怒りを滲ませている。
(気持ちは分かるよ)
「……お姉さんもそうだった。父親に売られる形でその学校に進学した。お母さんは大反対で、そんな事をするくらいなら娘たちを連れて離婚するってひどく怒ったんだけど……」
「……ダメだったんだね」
「ええ。最終的に妹だけは絶対に同じ道に進ませないって『約束』することでお姉さんは父親の言う通りに進学した」
 けれどそれも姉の死によって無効とされ、父親はなまえを売り渡したのだとマチは苦々しい声で語った。
「……なまえちゃんのお母さんとは会ったことがあるんだ。すごく優しそうな人で……いつもなまえちゃんのことを想っていて」
「なまえちゃんは、父親のことも好きだった。でも父親は――そうじゃなかった」
 いっそ冷徹な言葉だった。
「なまえちゃんの父親は、自分の奥さん――なまえちゃんの母親の事だけしか愛してなかった。前妻の娘を育てていたのも商品としてだし、愛した人との間に生まれた子のことも商品としてでしか大切にしてこなかった。その結果がこれよ」
 姉が理不尽な形で死に、『約束』は破られ、なまえは姉と同じ道を歩むことになった。
「呪術師にとって、『約束』は強い力を持つ。父親はそれほど重要視してなかったのでしょうけど、お姉さんは破られたことを許さなかった」
 ――死んだ姉は呪霊と成り、結んだ『約束』を破った両親を手に掛けた。そして呪霊となった姉を跋霊したのが、残されたなまえだった。
「馬鹿な話よ。ほんと、ばかな話。なまえちゃんは家族を失って、帰る場所も無くなって、化け物を殺すために動くしかもう道が無くて……」
 姉や母親が望んでくれたように、普通の女の子として生きることすら許されない。まるで生き地獄だとマチが嗤う。
「あたしにもなまえちゃんが見えていたものが――呪霊が見えるようになって、それで界隈に足をつけることで、なまえちゃんを見つけたってこと」
 そして今や、呪霊の存在は公となり、本来見えないはずの非呪術師にも視えるようになってしまった。けれども祓えるのは呪術師や祓う力を持つ者のみで、人手不足に変わりはない。



「マチちゃん」
 どうしてと震える声で私を見つめる親友に、私は意地悪な声で答える。
「さあ? 別に、勝手に連絡先変えて失踪しようとした親友に怒ってるとか、そんなんじゃないけど?」
「怒ってるじゃん……」
「なーんかさあ、なまえちゃんが居なくなってから、寂しさのせいかすごいキモいの感じられるようになっちゃってさ? なまえ居なくて心はどんよりなのにンなキモいの見せられてキレてたら、目隠しした変態が声掛けてきてさあ」
「変態」
 もしかしてその変態身長高くなかった? という問いに私はグッと親指を立てて頷く。
 全身黒ずくめ、髪は白、そして目隠ししてるのに何故かこっちが見えてるらしい長身の男――その男こそ、なまえの新しい担任だと知って私はこの世の不条理を嘆いた。だってあれ変態じゃんどう見ても。
「ヤベー奴だってシカトしようとしたら、なまえのこと知ってるとか言うしさー、ソロプレイしてる変態に着いてくか悩んだんだけど、背に腹はかえられぬってね」
「ソロプレイ……」
 五条先生、と遠い目で呟く親友に、少し離れてこちらの様子を見ていた三人(?)が吹き出した。
「ぐっ、ふふ……」
「はははっ! 最高だな、なまえのダチ!」
「しゃ、しゃけぇ」
 眼鏡をかけた美人な女の子と口元を隠した男の子、そしてパンダ。何故か流暢に言葉を話すパンダは異様だが、変態――五条さん曰く、生徒の一人だそうなので問題は無いだろう。
「なんだ、オマエも転入生なのか?」
「いやいや。あたしは視える感じるだけなんで。えーと、窓? ってやつ。たまに学校の方に報告することになって」
「そっか。ま、知ってる奴が一人でもいるなら良いんじゃねーか?」
「この仕事、普通の社会との繋がりが希薄になりがちだからなあ」
 訳知り顔でパンダが言う。

「乙骨くん、私のことを子供か何かだと思ってるような節がない?」
「あるな」「ある」「しゃけ」
「だよね……」
 呪術師である三人と違い、術式の性質上補助監督向きである私は、座学こそ皆と一緒だが大半は別行動である。
 私の場合、実質的な保護者が彼女ということもあるのだが――基本、伊地知さんの手伝いや結界術などの訓練、そして「窓」として市街地を散策して情報収集に励むことが多い。
 そんな事もあって、呪術師の卵である皆と一緒に学ぶのは正直気まずい部分があった。姉さんのことを知っているであろう人達と机を並べるというのもあるけれど、呪術師の補助監督への扱いの陰湿は嫌というくらい聞かされていたからだ。
 けれど、実際会ったクラスメイト達はとても優しい人達で。特に姉と仕事をしたこともあるらしいクラスメイト達は、私が転入した事に複雑そうな面持ちをしながらも、仲間だと輪の中に入れてくれたのだった。

「つーか、乙骨じゃなくて憂太って呼んでやれよ」
「そうだぞ〜、毎回乙骨くん呼びですごいかなしげな目をしてオレ達を見るからな、憂太」
「すじこ、たらこ」
「ま、憂太くん私やなまえちゃんのこと幼女かなんかだと思ってるしねぇ」
「果恵ちゃん」
 ひょっこりと現れたもう一人の同級生は、私を見て可憐に微笑んだ。
 果恵ちゃんは私よりも小柄ながら、戦法は超近接格闘というギャップの塊のような女の子だ。メリケンサックを嵌めて呪霊もクズも平等にボコボコにコンボを決めて叩きのめす姿は爽快感すら感じるほどカッコいい。
 私の今の保護者と同じように上層部から危険視されている――つまり真っ当でとても強い人である――ような人物を師匠に持つ果恵ちゃんは、上層部の嫌がらせで任務が多く割り当てられていて、あまり会うことができないのだ。
「おかえりなさい」
「たあだいまぁ〜」
 お土産だよ、と渡された紙袋の中身は温泉まんじゅう。どうやら地方の温泉街に跋霊に行かされていたらしい。
「美味そうじゃねえか」
「おやつの時間にみんなで食べるか」
「どうせなら一年達も呼ぶか。ほぼ全員が揃うのは珍しいからな」
「しゃけしゃけ」

「なまえちゃん、大丈夫?」
「あ……」
 心配そうな顔でこちらを見る乙骨くんに、私は意識を現実に戻す。大丈夫だよと頷いて返すと、彼はまだ少し不安そうな顔で、私の額にそっと手で触れた。
「熱、とかは無い? まだ具合が悪いなら僕一人で……」
「大丈夫。ごめんね、少しぼうっとしていただけだから。ありがとう、乙骨くん」
「……名前」
「あ、ご、ごめん! ありがとう、ゆ、憂太くん」
「う、うん! じゃ、行こうか」
 ニコニコと嬉しそうに笑う彼の姿は到底特級術師には見えない。けれど底知れない力を持つ彼は、私をよく気にかけてくれる優しい人だった。
 私は彼より後に転校してきたこともあって、彼にとっては自分よりも後にできた同級生である私は、構う対象になったらしい。
 補助監督志望ではあるけれど、姉の件もあって、ある程度自衛の手段を――と考えてくれた保護者の希望もあり、私も同級生の皆に体術を教わっている。右肩上がりで成長していく彼と違って根っからのインドア派の私はまだまだへなちょこだけど、彼はよく時間があれば体力作りなど手伝ってくれる。




「好きなんだ。大人になった今でも、君のことが好きだ」
 高一の頃より随分と大人になった彼が私を見つめている。
 そうか、もう私も彼も大人なんだ。その事実に雷が落ちるような衝撃を受ける。
 前髪を切って、身長もあの頃より随分伸びた彼は、今やただのかっこいい大人の男性だ。
 それに比べて私は今でもちんちくりんでどこか垢抜けない、陰気さが滲むような情けない姿で。
 会わなきゃ良かったかもと一瞬でも思った自分が嫌だった。会えたことが嬉しくて仕方ないはずなのに、記憶は記憶のままで美しくしておきたい私が喚いているのだ。「どうして会ってしまったの」「私はこんなにも醜い大人になってしまったのに」「春市くんに見られたくなかった」――そう言って泣いている。

「私……もう、家族誰もいなくて」
 辛うじて出せた声は情けなく震えていた。
 家族は全員死んでしまったのだと告げる。姉はどこぞの呪術師に無理やり肉壁のようにされて、両親は呪霊となってしまった姉によって殺されたのだと。真実をありのままに告げる。今の世界は、それが許される世界だから。あえて自分が傷つく言い方をする。
「うん。知ってるよ」
「し、ってるなら、なんで」
「それでも君が好きだから」

 真っ直ぐな言葉だった。長い前髪で目元を覆っていた頃とは違う、ハッキリと自分の意思を目を合わせて言ってくる。だから分かってしまう――彼は本気で、今も私のことを――好きでいてくれるのだと。
「親戚も誰もいないの。こんな身よりも何も無い女、困らせるだけだよ」
「困らないよ。僕はなまえちゃんが居ればそれでいい。君に家族が居なくても関係ないし、気にしたりしない」
 でも、だって、口に上手くできない言葉をモゴモゴとさせる私を、彼は穏やかな眼差しで目つめている。
「なまえちゃんが、どれだけの思いで僕とさよならしたのか、ちゃんと知ってる」
 それから、私が足を踏み入れた世界がどれだけアンダーグラウンドでおぞましい側面のある世界なのかも。
「だけどね、僕は……」
 それでも君しか愛せなかったんだ、と。
 春市くんは、そう言って晴れやかに笑った。

「……なまえちゃん」

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