視界を覆う緑色の光線。光に飲まれた人々は石になっていく。
 わたしはその日、学校の帰り道であった。家に向かって歩いていたところ、件の光線に遭ったのである。
 人々の悲鳴すら光に飲まれていく。わたしは硬直する体を叩き、必死に走った。
 ――どこか、どこか隠れるところを探さないと!
 一心不乱に走って走って、背に迫る光を迎え入れたのは神社の御神木の影だった。
影になるようにして鞄を抱えて蹲り、わたしはぎゅっと目を瞑る。
(神様、どうか……)
 どうか助けて。神様、神さま、かみさま――
 そしてわたしの意識は奈落へと突き落とされ、長い長い闇の海を漂う日々が幕を上げた。


  ◆


 ――光が見える。
 ぼんやりと現れたそれに、なまえの意識は浮上した。
「こ、こは……」
 喉からヒュウヒュウと掠れた声が出る。
 バキバキと何かが割れるような音、そして解放感。長く暗闇の中にいた目が慣れるのには少しばかり時間がかかったが、少しでも情報を得ようと手当たり次第に触ってみる。くんと鼻に漂うのは植物の匂いで、なまえはおや? と首を傾げる。
 御神木の下なので植物の――木の匂いがするのは当たり前だが、それにしたって匂いが濃い。あの神社は御神木以外に植物らしいものなどほとんど無かったはずだ。
 なのにどうして――その違和感は、視界が完全に慣れたことで解決した。
「……ここ、どこ……」
 一面の緑。目につくもの全てが植物の緑に覆われて、舗装された灰色の地面はどこにもない。
 なまえは戸惑いと共に自分の体を見下ろし、「ひっ」と悲鳴をあげた。
「ふ、ふく……!」
 服が無い。足元にはバラバラの石片が崩れ落ちているが、着ていたはずの制服もなにも無かった。羞恥で顔が赤くなる。咄嗟に胸元を隠して屈み込み、混乱する頭を必死に回転させる。
 顔だけを動かし、必死に情報を掻き集める。あの緑色の光に飲まれてからどれくらいの時間が経ったのだろう。
(わたしも多分、あの光に飲まれて石になっちゃったんだろうけど……)
 長い長い暗闇の中、色々なことを考えていた。時折意識が薄れかけたが、それでも必死に頭を働かせ続け、ここしばらくは延々と秒を数えて気を紛らわせていたほどだ。
 そうして目を覚ましたものの、目の前には一面の鮮やかな緑。流石に思考もフリーズしかけるというものである。
「ふ、ふく探さなきゃ……」
 全裸でジャングルを歩くのは正直年頃の少女としては屈辱以上に泣きたい気持ちのほうが強かったが、動かなければ何も始まらない。着ていたはずの制服も、抱えていた鞄も無くなった。文字通り身一つの彼女は自分で行動するしか選択肢が残されていないのだ。
 数分ほど蹲って、なまえは立ち上がった。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
 自分に言い聞かせるように呟き、少女は歩き出したのだった。


 2

「ううう……」
 歩き始めてから何分経ったのか。なまえは現実に打ちのめされて半分涙目になっていた。緑は延々と続き、コンクリートというものが一切見当たらない。……否、一応欠片だけならあるのだが、なまえが求めているのはもっとちゃんとした舗装された道だ。けれどそれは存在せず、現実は非情に少女を打ちのめした。
「……もう、どこにも建物とかないんだ……」
 つまり、それだけの時間が過ぎたということだろう。一年、十年、百年――とにかく、頑丈な建物が壊れ、緑に還るほどの時間、自分は石となっていたのだと言う事実だけがあった。
 まるで映画に入り込んでしまったかのような気分だった。夢なら覚めて欲しい。最近流行りのVR体験ならどれだけ良かっただろう。
 こんな状態で服を探すなど土台無理な話だ。なまえは近くの植物をいくつか検分して、どうにか葉っぱや蔦で身体を覆い隠し服の代わりにした。図鑑も何も無いので、かぶれたりしないことを祈るばかりだ。
「……おとうさん、おかあさん……」
 声に出しても答えてくれる声は無い。当然だ、あの時間、両親は二人とも仕事場に居たはずなのだから――
 頭の中で両親の顔を思い出し、なまえは少しだけ泣いて、裸足のまま再び歩き出す。
 誰かに会いたい、ただその一心だった。


 幾度か夜を越え、何とか手に入れた木の実で飢えを凌ぎ、途中見つけた水場で喉を潤わせながら歩き続けた。
(わたしが起きたんだもん、誰か他に、起きてる人がいるかも……!)
 砂の中から金を探すようなわずかな希望だったが、今のなまえにはもうそれしかなかった。道中、野生の動物を見かけることもあったが、どうにか体を隠してやり過ごし、必死に歩みを進めた。どちらかと言えば怠惰な方である自覚はあったが、人間、追い詰められれば何だってやれるようだ。
 疲れすぎて笑えてくる。足はとうにパンパンだったし、本当は青臭さのある木の実じゃなく肉や魚を食べたい。髪も風呂に入ることもできずベタベタだし、服すら無くて、奴隷だってこんな環境には居ないはずだ。最低限の衣食住が与えられているのが奴隷だと教科書に書いてあった記憶が蘇る。
 張り詰めた心はもう限界に達しつつあった。
「だれか……だれか、いないのかなぁ……」
 声に出すと、じわじわと涙腺がバカになったのか涙が溢れてくる。
 グズグズと鼻をすすり、それでも必死に歩く。もはや意地だった。ここで止まったらもう歩けなくなる、そんな確信があった。
「……だれか、いませんか……」
 なまえは何度もそう呟きながら、とぼとぼと歩き続ける。
 ――そんな時である。がさりと、葉が揺れる音が聞こえたのは。
 思わずビクッと体を揺らし、なまえは音の鳴った方を見る。野生の動物だったら、なまえには抵抗する手段がない。誰にも会わず、餌になって死ぬのだけは御免た。
 両手で口元を抑え、なまえは気配を殺して音のなる方を見る。ガサガサという音はどんどん近づいてきて――
「よかった、居た……!」
 現れたのは、帽子を被った男性だった。
「あ、あ……あぁ……」
 人だ。人が居る。自分以外の人間が――
 口元を抑えたままボロボロと涙をこぼすなまえに、男性は優しく微笑んで近寄ってくる。そして肩に触れて、「もう大丈夫だよ」と穏やかな声で言った。
「声が、聞こえたから……まさかとは思ったんだけど……ひとりでよく頑張ったね」
「うう、ううう……」
 彼はなまえよりも年上のようだった。柔らかなベビーフェイスなので確定は出来ないが、おそらく成人しているのだろう。
 久しぶりに会えた人間――それも大人の存在に、涙がこぼれるのが止められない。なまえは喉を震わせながら、必死に言葉を紡いだ。
「わ、たし、め、さめて、ひとりで、だっ、だれも、いなくてぇ……ひと、ひとにっ、あいたくて、こわくて……!」
「うん、うん……もう大丈夫。ひとりで頑張ったんだね」
 泣き崩れるなまえを抱きしめて、彼はなまえが泣き止むまでずっとあやすように背を撫でてくれた。
 そして涙が落ち着いた頃、幾分か正気を取り戻したなまえは、頬を伝う涙を拭いながら「ごめんなさい」と彼に謝った。
「わたし、ごめんなさい、人に会えて、嬉しくって……」
 誰かに抱きしめられるのも泣くのも久しぶりのことだった。気恥ずかしくて頬を染めた彼女に、男性は人好きする笑みで大丈夫だよと言う。
「ひとりぼっちで頑張ったんだ、恥じることじゃないよ」
「はい……ありがとうございます……」
「ボクは羽京。キミの名前は?」
「なまえ――なまえって、いいます」
「そう。じゃあなまえ、ボクと一緒に行こう」
 石化から蘇った人達の住むところへ――なまえはその言葉に目を見開き、
「はい……!」
 と、くしゃりと破顔した。

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