ひかる
「光くん、ピアスあけてるよね」
「おん。それがなんや?」
不思議そうな顔で此方を見る彼に、私は微笑みながら背に隠し持っていた「それ」を差し出した。
「私も空けてみたいの。お願い、やってくれないかな」
「やめとき」
即答で拒否された。正直ここまでは予想通りだ。ここからが正念場である。
私はじりじりと彼に近寄って、ぴったりとくっつく。普段から澄ました顔が多い彼だけど、こういうのが好きということは分かっている。友人(演劇部)曰く、彼のような人を「むっつりスケベ」というのだということも。
「ね、お願い。光くんにしか頼めないの……」
「……空けてどないすんねん」
「ピアスつけてみたい。服装の幅広がりそうだし」
「イヤリングとかあるやろ。それで我慢せえ」
「ピアスほど種類多くないんだもん。それにいちいちピアスをイヤリングに付け替えてたらコストがかかるし……それなら最初から空けておいた方が良いじゃない?」
「……」
「光くんなら上手そうだし……体触られるのも光くんなら別に……」
「その言い方やめえや」
私は目元に力を入れてうるうるさせる。小春ちゃん先輩直伝の『必殺・女の涙』戦法である。徐々に目元が潤み始めた私に光くんはギョッとして、それからおろおろと目を泳がせる。
これはあとひと押し。そう判断した私は、最終手段に出ることにした。私はうるうるした瞳のまま、しょんぼりとした顔を作る。
「……わかった。じゃあ謙也さんに頼んで空けてもらうことにする……」
「何でや。ふざけんなお前、謙也さんにさせたら耳ちぎれんで」
「じゃあしてくれる?」
私の言葉に彼は深いため息をついて、ジトっとした目で私を見る。
「……御褒美あるんやろうな」
「光くんがしたいことに付き合います」
私の言葉に彼がピタリと動きを止める。
「……お前それ、意味分かっとんのか?」
「どんとこい。覚悟なら決めてきた」
「アホか。……今夜は泊まる。お前、朝まで寝られると思うなや」
と言って、立ち上がった光くんが小さな箱を投げて寄越す。咄嗟に受け取った私は、それを見て「うおあ」と呻いた。
「こ、コンドーム……極薄……」
「それ使い切るまで寝させへんからな」
「無理では!? お互いに持たないと思うんだけど!?」
「は? 健全な男の性欲舐めんな。こちとら毎夜の如くお前で抜いとんねん、持つに決まっとるやろ」
「衝撃の事実」
毎夜のように……? 光くん、私のこと好きすぎでは、と言いかけて飲み込む。こういう時は大人しくしておくに限る。謙也さんを見ていればそれは火を見るより明らかだ。
光くんは据わった目で言う。
「好きな方選べ、穴開けて朝までヤるか大人しく諦めてヤって寝るか」
「どちらにせよヤることはヤるのね……」
「当たり前やろ。なに言うとんねん」
「私がおかしいの? これ」
「で、答えは」
光くんが私を射抜くように見る。愚問だ、私の答えは決まっている。
「穴開けて。そんで光くんの好みのやつ着けるから。あとエッチはお風呂入ったあと!」
「……お前もだんだんオープンになってきたな」
「大阪に来て長いからね」
朱も交わればとはよく言ったものである。神奈川に居た頃はあまり不慣れだったが、随分とオープンな話にも慣れてきた。別に恥ずかしいことをする訳でもなし、人として本能に基づいてヤるだけだし。避妊具も着けるし今日は周期的にも安全な日だ。問題はあるまい。
「それじゃ、よろしくね」
「……はいはい」
「……あー、しんど」
「やりすぎだよ」
私はベッドの上から動けないまま、上半身を起こして呻く彼を見る。真っ白な背中。私のキスマークやら噛み跡やらでまだらになった肌とは大違いだ。
宣言通り用意された新品のコンドームを使い切った私達は最早無の境地だった。最後はもう喘ぐ間もなくひたすらにキスをしながらエッチをして、精魂尽き果てた状態である。
ごろりと再び寝転がった光くんが私の耳を触る。とりあえず試しだからと片耳だけ開けたそこをツンと続いて、ぼんやりとした顔でこちらを見る彼は幼く見える。私だけにしか見せない顔。それが私は好きだった。
「――ひーくん、生きてる?」
「なんとかな……」
力無く地面に沈む彼を突きながら、私はこれはひどいなとため息を飲み込んだ。
在宅ワークで仕事をする私に対し、社会の歯車としてサラリーマンをしている彼はここ数年ですっかり窶れてしまった。同棲しているのでまだなんとか生きてる状態だが、一人暮らしだったらきっと酷いことになっていただろう。
今でさえ鬱の一歩手前のような感じなのだ。精神状態は相当悪化してるのは間違いない。
IT系がどういう仕事をするのか私は話を聞いても分からないが、どうもブラックな感じが否めない。スーツを脱がせてハンガーに掛け、用意しておいた服に着替えさせる。
顔が近づくたびにチュウをしてじゃれつくと反応してくれるので、性欲までは枯れ果てていないようで一安心だ。ヒトの三大欲求は大事だ。私のできることは少しでもマシな生活を彼に与えてやること。都合のいい女と笑われても仕方ないが、こう見えて彼は一度も浮気をしなかったマンネリ知らずの男だ。
中学時代から両耳にピアスを開け、垢抜けていかにも浮気しそうな――チャラついた見た目だったが、意外と一途な彼なのだ。私はそういうところが好きなのである。性癖ともいう。
「……スマンな、毎回」
「したくてしてるんだから謝らないで。どうせならありがとって言ってよ」
「……おおきに」
「どういたしまして」
さて、と私は両手を腰に当て、彼の前に仁王立ちになる。
「あのね、ひーくん」
少し窪んだ目で彼が私を見る。その窶れた様子に、私はいつも悲しくなる。そのことを彼は知っているだろうか。
「わたし、そこそこ貯金してるし、ちょっとお小遣いも稼いでる。……しばらくひーくんが休んでも大丈夫なくらいは稼いでるのね」
正直、限界が近いのは見て直ぐに分かった。窶れた姿、窪んだ目、朝になると真っ青になる顔、震える手――それを押し殺してスーツを身につける後ろ姿。
「病院行こ。そんで診断書ぶんどって、会社に叩きつけてこようよ。私、もう光くんをあの会社に行かせたくないよ」
「…………んなこと言うたって、しゃあないやろ。こんなん、世の中いくらでもおる」
「そうかもしれない。周りを見たらキリが無いだろうし、もっとひどい環境で働く人は居るだろうね。――でも、光くんには私がいる」
床に座り、彼と顔を合わせる。青白い顔をそっと撫でて、私は囁くようにして言う。
「私、あなたに何かあったら会社を爆発させるし上司殺すけど、それでもまだ我慢する気?」
「……目、据わっとるやん」
「マジだもの。可愛い彼女が人殺しになってもいいの? 私としては大人しく病院行って診断書もぎ取って労災認定させて退職代行に頼むのがいいと思うの」
「やたら具体的になったな」
「本気だからね。休む間もなく働かされてたんだから光くんもそれなりに貯まってるでしょ、私の貯金もそれなりにあるし、しばらくお家でバカンスしようよ」
「……バカンスなぁ」
「好きなだけ寝てご飯食べてのんびりして、あと私とイチャイチャしましょ」
「自分、ほんまオープンになったな」
「中学から付き合い始めてかれこれ十年ちょっと……さすがにいつまでも慎ましやかなよりは多少大胆な方が嬉しいかなって」
「そらまあ、家ん中なら」
「でしょ。だから病院行ってクソ会社に労災叩きつけてやろ? そのためにいっぱい貯金して下調べして、あと」
「あと?」
「えっちな下着も買った」
「…………」
「まだ見せたことないやつ。すごいよ、とってもえっちなデザイン。ひーくんのために買いました」
「……」
「ひーくんが頑張ってくれたら、そのぶん私も頑張っちゃう」
どう? と首を傾げると、彼は無言で天を仰ぎ、それから深々とため息を吐いた。
「……なんや、俺、お前の手のひらの上ちゃうか?」
「転がされてるうちが花だよ。転がされなくなったらそれもう終わりってことだから……」
「シャレにならんこと言うなや」
スンと真顔になる。随分と口が回るようになってきている。
「それで、どう? がんばれそう?」
「……おん」
ありがとな、と彼が呟く。私はにっこり笑って、両手を彼の首に回す。見つめ合って、それから触れるだけのキス。
「……ごはん、出来てるよ」
精力がつきそうなメニュー、と言うと、彼が「スケベ女」と言って小さく笑う。
「ほな、飯食うたら付き合えや」
「何に?」
「決まっとるやろ」
セックスや、と言い、彼の手がするすると私のおしりを撫でる。
お腹の奥がキュンとするのを感じながら、私は「楽しみね」と笑った。
1/48
prev next△
ALICE+