黄昏の裁定者たち
あらすじ
異世界――『エンプティス王国』に召喚された女子高生・アケビ。
彼女は同じ教室にいた十一人の同級生とともに召喚され、生き延びるために協力しながら日々を過ごしていた。
剣と魔法が煌めくおとぎ話のような世界、〈選ばれし者〉という肩書き、〈祝福〉という名の個々に与えられた異能力。
非日常が日常となり、『帰らなければ』と考えながらも、異世界での暮らしはいつしかアケビたちにとって当たり前のものとなりつつある現実。
そんな中、密やかに迫っていた崩落が、異常が、アケビたちの前に現れて――

斜陽を迎えつつある国、〈異世界〉の秘密。
すべてを知った時、アケビは、そして仲間たちは、けして逃れられない『決断』を迫られる――


 そよ風が頬を撫でる。くあ、とあくびが漏れ、目尻から涙がこぼれた。
(いーい天気だぁ)
 庭に設置したハンモックに乗って、のんびりと過ごす。この時間はアケビにとって至福のひとときだった。
 大きな作りのハンモックは、平均よりも背がある方のアケビもすっぽりと包み込んでしまう。ゆらゆら揺られる感覚は、どうにも幼い頃を思い出して気に入っている。
「今日はやることないもんねぇ……」
 呟きながら、指先で宙をなぞる。
 すると、何もなかったそこに文字が浮かび上がった。見慣れた母国語で書かれている文字――それには今日のスケジュールが記されていた。
(慣れたもんだなぁ、この生活にも)
 内容を確かめ、指先で軽く突く。文字はいともたやすく弾け、光の粒となって消え失せた。そんな幻想的な光景も、今のアケビにとっては慣れたものだ。
 かつては夢物語の中でしか見なかった『力』を、息をするように使いこなしている。
 それは高揚感を与えるとともに、アケビをどうしようもない現実へと叩きつけた。
 空を見上げると、どこまでも真っ青な、絵の具のような青空が広がっている。
「……そろそろ一ヶ月くらい経つのか」
 誰にでもなくつぶやく。
 約一ヶ月前、アケビは日本のという国で、いち地方にある田舎町に暮らしていた。県立の高校に通う、普通の女子高校生だった。
 しかし、いまは違う。
「おーい、アケビちゃん」
 遠くから呼ぶ声に気づく。ハンモックに寝転んだまま横を見れば、手を振りながら近づいてくる影があった。
「アンディ、どしたの?」
 アケビの問いに、麦藁色の髪をした少年がニッと笑みを見せた。爽やかな笑みだった。
「オレ、今日の仕事終わったから暇してんだけどさ、よかったら一緒にマヒロんとこ行かない?」
「マヒロくんの? 今日なにしてんだっけ?」
「服作るって言ってた。今なら染色してるだろうから、好きなの頼めるはず」
「え〜、マジ? 行こっかなあ」
「おう。いこいこ」
 おいで、と手招きする彼は、アケビと一緒に異世界にやって来たひとりだ。
 ひょいとハンモックから飛び降り、二人は並んで歩き出した。
「ね、アンディ」
「ん?」
「あたしたちがここに来て、もう一ヶ月過ぎちゃったよ」
「おー。月日が過ぎるのははええなあ。光陰矢のごとしってか」
「このままさあ、一年過ぎちゃうのもあっちゅーまなのかな」
「うはは、ありえそうだなぁ」
 季節は初夏を迎えていた。風通しのよい、屋敷の大回廊を慣れた様子で進んでいく。
 ジリジリと焦げつくような暑さが日本を思い出させるが、ここの暑さはさらっとしていて、湿度が少ない。
「……ソウスケくんさあ」
「んー?」
 アケビは口を開きかけ、閉じる。
「…………なんでもない」
「なんだよお、気になるなあ。ソウスケ兄ちゃんに言ってみなさいよ」
「んーん。大したことじゃないから」
「そか。ま、なんかあったら言いな」
「面倒見いいなあ、さすが年長」
「伊達に一年休学してたわけじゃないんだわ」
 快活に笑う声が廊下に響く。
 ソウスケの声は、ハッキリと遠くまでよく届く。その声が、今のアケビの『日常』の一部だった。
「ミヤコとカイくんはいつものとこ?」
「うん。|研究室《ラボ》でいろいろ話し込んでるみたいよ? レンはヨクと二人で訓練、ハナちゃんとネネは図書室、センジュとナゴミちゃんは今日の昼当番だから」
「なるほど把握。んで、暇してたあたしにお鉢が回ってきたって?」
「んな皮肉るなよぉ。オレも暇だったから誘ったんだしさ」
「べーつに皮肉ってないって」
 事実、暇を持て余してハンモックで休んでいたのだ。否定しようがない。
 このまま昼寝するところ、予定を入れてもらってありがたいくらいだ。ソウスケとは何かと馬があい、今ではニコイチである。
 一ヶ月前。アケビを含めた田舎町に暮らしていた十二人の男女が、異世界に召喚された。全員が同じ学年で、ちょうど召喚された時間に教室の中にいた生徒だった。
 空は雲ひとつない快晴。乾燥した空気が頬を撫でていく。
〈エンプティス王国〉――それが現在、召喚されたアケビたちが暮らす、国の名前である。


異世界で暮らしてる様子(一ヶ月ほど経過)から始まる→時系列が遡っていき、物語が始まる。

「城下町、どうだった?」
「すごかったよ、ヨーロッパの街並みだった」
「マジか、すげーっ」
 買い出しから戻ってきたアケビたちを迎え入れたソウスケが歓声を上げる。〈魔法〉の練習をしていたのか、服装は動きやすそうなもので、頭にタオルを巻き付けている。
 重そうな荷物を率先して軽々と持ち、話を聞く姿は手馴れているようで、正しく「お兄ちゃん」だ。
「でも、アンディは王宮行ったんでしょ? あたしたち、そっちは行ってないからなあ」
「あー、王宮なぁ」
 城下町がヨーロッパのような街並みなのだから、おそらく王宮もそういう系統なのだろう。目を輝かせるアケビに、ソウスケは困ったような笑みを浮かべる。
「アケビちゃん、オレらが召喚されたのも一応王宮の一部なんだけど」
「あっ」
 そう言われればそうだった。でも、とアケビは反論する。
「あそこは物置みたいなとこだったじゃん? 厳密には王宮とは別じゃない?」
「まあそうだけど」
「どんなとこだったの?」
 アケビの問いかけにソウスケは唇を尖らせて、小さく唸った。上手い例えが見つからないといった顔だ。渋い顔で、ソウスケが答える。
「……南国?」
「は?」
 思わず聞き返す。ソウスケも納得してないのか、口元をまごつかせている。
「なんかなあ、ヨーロッパとは違うんだよ。縦に長くなかったしさあ」
「ふんふん」
 アケビたちの共通認識として、ヨーロッパ風の城とは、縦に長い、有名なテーマパークにあるあの城である。
「一応でっけえ城壁で覆われて、その下に城下町が広がってるから、まあそこはヨーロッパぽいんだけど」
「ふんふん」
「でもなんか、王宮、横に長くて全体的に白! って感じでさあ」
「ほほう」
「ヤシの木みたいなのとかあったし、王様の服装すげえラフだったし」
「へえ」
「……南国っぽくね?」
「南国っぽい」
 これにはアケビもうなずいた。
 大陸の中央に位置するエンプティスにも四季はあるが、〈魔素地帯〉があり魔力濃度が強いエンプティスは、魔導具によってゆるやかに四季が巡る。特に、冷え込む秋や冬に魔導具が使用され、春と夏はそのままらしい。
 つまり、エンプティスの四季は、春と夏が波のように繰り返されるような気候なのだ。
 地方に住み、夏は蒸し暑く冬は雪に埋もれる土地に暮らすアケビたちにとって(というか大抵の日本人にとって)は理想的だと言っていいだろう。

 エンプティスとは〈魔素地帯〉を挟んだ、東側の国家――〈水の都〉は、〈龍貴人〉と呼ばれる種族が治める国だという。
(国なのに、〈水の都〉なの?)
「ああ、かの都は王政でも君主制でもありません。その土地に住まう〈龍貴人〉――その中で最も条件を満たす者が長の座に就き、都を纏めるのです」
 首を傾げたアケビに、バロンが説明する。
「それでよく『国』として成り立つわね」
「人間も多く住んでいますが、まず〈龍貴人〉は長命な上、大半が最低でも〈魔術〉を修めています。圧倒的実力と、自分たちよりも短い命である人間を護らねばと思っているので、それが成立するのです」
「比護欲ってやつ?」
「はい」
 ハナの問いにバロンは頷いて、
「もちろん、けして下に見ている訳ではありません。ですが、人間と〈龍貴人〉では体感する時間の流れが違いすぎる。彼らが瞬きする間に、ヒトの命は散ってしまう。だからこそ、その一瞬を守ってやりたいと思うのでしょうね」
 と、付け加えた。なるほどなぁ、と、ソウスケ。
「こりゃあ、オレらにはわかんねーやつだわ」
 その言葉に、アケビたちも頷いた。
 この〈長命種〉特有の考えは、人間しか種族がいなかった世界出身であるアケビたちにはなかなか理解しにくいものだ。
 庇護欲、献身、無償の愛――どれもこれも、きっとアケビの居た世界にいる〈人間〉ではそれだけで国ひとつを纏めることなど到底できまい。
 できる人物がいるとして、それはもうきっと――
(人間の枠、はみ出ちゃってるよなぁ)
 即仏心とか、そういう類だ。
 どんなものであれ、アケビには理解の及ばない生き物である。

「あのー、あれよ、アレ」
「どれよ?」
 ソウスケの言葉にアケビが首をかしげる。ソウスケは両手を大きく動かし、ジェスチャーでなんとか言葉を絞り出そうとする。
「あのー、あれ、古代ローマの人たちが着てるような……」
「……貫頭衣のような感じでしょうか?」
 と呟いたミヤコに、ソウスケが「近い!」と指を差し答える。その指を容赦なくハナが叩き落とした。
「指差すな」
「ごめんってハナちゃん! でもさあ、あー、何だったかなあ、あれの名前……あれっぽいの着てた。古代ローマとかのあの一枚布のやつ……」
「……それ、トーガのことかな」
 ひょこりと顔を出したマヒロが答える。
「トーガ?」
 頭に疑問符を浮かべた他の面々に、マヒロは手に持っていた布を広げ、
「……つまり、こう……一枚布で、服にする……」
 そして、自分で布を体に巻き付け、実演してみせた。
「そう、それ! そういうやつ!」
 ピンと来たのか、ソウスケが大きく頷く。
「神官の人たち、皆そういう服着てたよ」
「ほーん」
「白で簡素なので、神に仕えるという雰囲気は感じますが……」
「だとしてもちょい違和感あるよなぁ、この国、年中安定した気候……だろうけど、多少雪だったり冷え込んだりするみてえだし」
「神殿の中なら一定の気候が保たれているのでは? 〈母なる樹〉は高い魔力濃度だと聞きますし……」



 夜になれば次々と光が消え、深夜は有名なチェーンの飲食店くらいしか経営してない。
 アケビが暮らしていた町は、そういう場所だった。
 交通は車が主で、バスや電車の本数もあまり多くない、ありふれた地方の田舎町。
(あたしの家は山側だけど、割と住宅街に近かったし……まあ不便だったけど)
 年々過疎化の進む町では、その良さよりも不便さを嘆く声の方が多かったと思う。
 だから、こうしてエンプティスで暮らしていると、時々、ひどく奇妙な感覚に陥る。
『自分はもしかしたら長い夢を見せられていて、体はあの教室で、眠ったままなんじゃないか』――と。
 それくらい、この西洋風の街並みが広がる〈異世界〉での暮らしはアケビにとって夢のようだった。
 こんなことを言ったら笑われてしまうのだろう。きっといつか思い出して、自分で自分を笑うのだろう。
 だけど、『今ここに居る』アケビは、そう考えていた。――否、考えている。



「私はレイメイ。この〈水の都〉の案内役を務める〈龍貴人〉だ」
 被っていたフードを下げ、隠されていた顔が露わになる。
 三人の視線が集まり――全員が息を飲んだ。
(綺麗……)
 絹のようになめらかな深い青の髪、人外じみた縦に長い瞳孔の金の瞳。人形のように整った――作り物じみた|顏《かんばせ》の青年は、三人に微笑みかけたのだった。

「案内人は、私を含め三人の〈龍貴人〉が務める。本来ならひとりずつについてやりたいのだが、今回はちと『来客』が多くてな」
「はあ……」
 美貌に圧倒されるアケビたちは、そうなんですかと答えることしかできない。
 こうして見ると、身近にいる美形ふたりはまだ『人間寄り』の美形だったのだとわかる。
(頭の中、くらくらする……)
 唇を尖らせ、眉をひそめるアケビ。いっそ暴力的な美とはこういうことを言うのかもしれない。
 そして、バロンの説明に納得もできた。
(人外の美形ってなんじゃいって思ってたけど……)
 確かにこれは『人外』だ。
 この〈水の都〉がなぜ『国』として成り立っているのか、こうして相対することで理解出来る。
 これは、『人間』には持ちえないものだ。圧倒的な美しさ、圧倒的な力、そして圧倒的で桁外れの――愛情。
 愛情だけならセンジュも相当するだろうが、しかしこれはアケビの知る二大美形でも及ばないだろう。それくらい、《《圧倒的》》だった。



「――待っていたぞ、可愛い子供たち」
 脳に直接響くような声だった。
 男とも女ともとれそうな声。上座に寛ぐようにして座る、女性的な見目に男の体を持つ人物。
 レイメイが振り返り、三人に告げた。
「この者が、当代の〈龍貴人〉の主になる。|主《ヌシ》と呼ぶといい」
「ヌシ……?」
「あー、名前とかないんですか?」
 思わず質問したアケビに、レイメイは笑みを見せる。
「《《個体名》》はあるが、当代の『主』である以上は役目を遂行するため、そう呼ぶのが慣習となっている」
「おや、私のことを|慮《おもんばか》ってくれたのか? |愛《う》い娘だなあ」
 にこにこと笑う主に曖昧に笑い返しながら、アケビは後ろ手でミヤコの服を掴んだ。
(だめだ、あたしじゃ話が進まん!)
 交渉役は無理。即座に判断し、|頭脳役《ブレーン》のミヤコに託す。その視線に応えるように、アケビに向けてミヤコはひとつ頷き、眼前に立つ〈龍貴人〉へ顔を向けた。
「……ヌシさん」
「うん? どうしたんだい、可愛い子」
「お尋ねしたいことがあります」
「よい。答えられることならば答えよう」
 部屋が静まり返る。
呼吸の音さえ聞こえるような中、ミヤコは口火を切った。
「……私たちは、元の世界に帰る方法を探したいんです。エンプティスに居る、バロンという宮廷魔術師に、この〈水の都〉ならば保管されているかもしれないと、そう言われて、送り出していただきました」
「なるほど。しかし、お前たちは〈選ばれし者〉だろう、それでも帰りたいと言うのか?」
「――私たちは、なぜ自分たちが〈選ばれし者〉になったのかを知りません。皆目見当もつかない状況です」
 私たちは。
 ミヤコはまるで自分に言い聞かせるように、主へ告げる。
「私たちは……突然この異世界に喚ばれ、流れるままに暮らし始め、こうしてここまでやって来ました」
 一拍置いて、切実さを滲ませながら、
「……私たちは、家族にも、友人にも、なにも伝えられないまま、連れてこられたのです。そのような状況で、私たちが勝手に付けられた称号にはいそうですねと従う必要は、ありますか……?」
 絞り出したその声は、ひどく震えていた。
 今まで聞いたことのない、弱々しい声だった。異世界に喚ばれ、いちばん最初に目を覚まし、その〈情報〉という能力上、人よりも多く考え、多く働いてきたミヤコという一人の少女の偽らざる本音を、いま、アケビは聞いたような気がした。
(……ミヤコ……)
『疑り深い臆病者』だと自分を評しているミヤコだが、その臆病さが、アケビたちをここまで団結させて導いてくれた。それは疑いようのない事実だ。
〈龍貴人〉の主はじっとミヤコを見つめる。
 ミヤコもまた、主の目を見つめた。
 ――数秒の間を置いて、頷いたのは主だった。
「……なるほど。そうさな、そのようにして連れてこられたのであれば……まして、お前たちは《《元》》が人間なのだ、仕方あるまいな」
 最後にかけて、ミヤコへと言うよりも己に言い聞かせるように呟いた彼は、「わかった」とうなずき、子供を安心させるような笑みを浮かべた。
「異世界からの来訪者、そして〈選ばれし者〉であるかわいい雛鳥たち。我が〈水の都〉の書庫を閲覧する許可を与えよう。お前たちがこの〈水の都〉に滞在している間、お前たちを私たちは食客として迎え入れる」
 どこまでも見通したような目をした人外の主は、朗々と告げた。
「――思うままに探すと良い。強く|希《こいねが》う者に、希望は訪れる。この〈水の都〉で、運命を切り拓く術を探しなさい」



「レンくん、少々よろしいですか?」
「ほえ?」
 ミヤコに声をかけられたレンは、パンを片手に惚けた声をこぼした。
 ポカンとした表情はあどけなく、黙っていれば美形とはよく言ったものである。
 しかし、そんな表情も数秒も保たないのもまた、この男の特徴だった。
「…………え、え、え、ええ? はわ、はわわ!? えっ、ミヤコ殿!? オンリー!? オンリー拙者!? 拙者のこと専属ご指名!? とうとう? とうとう来ちゃいましたか拙者のターン!?」
「ふふ、よろしければ……なんですけど、二人きりで話したいことがありまして」
「っキャー!? いやんあはんうふん拙者とうとう!? 満を持して来ちゃいましたか拙者回! アケビ嬢でもセイ殿でもなく拙者に! お鉢が回って来ちゃった……!? ッカー! こりゃワンチャンありますかねぇ!?」
「ワンチャンもなにもないっしょ」
「ひたすら興奮してるレンくんがアレだなって思ってるよ」
 ガンギマリといった様子で、興奮しきりに周囲に大きくアピールするレンをアケビとセイが気持ち冷ややかに見つめている。
 他の面々も、どちらかといえばアケビやセイに近い立ち位置だ。平素の残念加減を知っているが故である。しかし、レンは何処吹く風と言わんばかりに「うっひょー!」と歓声を上げ、それをミヤコは笑顔で見つめている。
「そ、それでぇ、あのぉ、拙者モロチンあっ間違えたもちろんミヤコしゃまのお呼び出しなら地の果てまで同伴させて頂くんですけどぉ……」
「ありがとうございます」
「アッ、いえいえそんなそんなうへへこちらこそフラグあざっすみたいな? えっへへそれで本題なんスけど……これ、つまり《《そういうこと》》ワンチャンある……って……拙者……期待してもいいんすか……?」
「……?」
 目を輝かせるレンに、ミヤコが首を傾げる。
 それをどう受けとったのか、レンは内股になってモジモジとした様子でミヤコを見つめた。
「あっ、そんなそんな、そうですね、ふふ、うへへ、ミヤコしゃまはピュア枠ですもんね拙者知ってますうふふ……おほほ……いやはやこれは……拙者、大人の階段登っちゃうかなーッ!? シンデレラボーイになっちゃおっカナ!?」
「レン、やめなさい」
 ヨクが窘めるが、興奮しているレンには届かない。
「はぁ〜っ! これこれこれこれ、異世界召喚から早半年、拙者はねっ、こういうのを待ってた! だって異世界だもの! さーってミヤコしゃまとちょっと蜜月過ごしちゃおっかな! どこ行きます!? 空き部屋でもなんならおほほベッド……拙者の部屋、いつでも空いてるんで……ふふ……さ、では拙者とミヤコ殿はマリッジ決めてくるんで! 皆〜ッ、ライスシャワー頼んますわ! さ、行きましょうかミヤコ殿!!」
 怒涛のノンブレストークを、ミヤコは慣れ親しんだあの微笑で受け止めきった。
 その時点で仲間たちとしてはスタンディングオベーションである。
 レンは明らかに浮き足立って――事実、〈魔法〉を使っているのか少し浮いているので、やたらふわふわしている。折角の整った顏もあそこまで崩れたら意味がない。鬼の形相で舌打ちするネネに突っ込む気力も今の仲間たちにはなかった。
 微笑みを保ったまま、ミヤコが全員に告げる。
「それじゃあ、少し行って参りますね」
「行ってきまー!」
 女児のようにはしゃぐレンを連れ、部屋を出るミヤコを全員が手を振って見送る。
 バタン。
 二人が出ていった後、部屋に残された全員の表情は『無』であった。


「……〈扉〉を開くには、閉じる者が必要になる」
「へっ?」
「特にそなたらの場合、そちらの世界で〈鍵〉となった者が居たからこそ召喚されたのだ。帰るためには、あちらに再び〈鍵〉を用立てする必要がある。だが」
 言い淀んだ〈龍貴人〉の主の言葉を、ミヤコが引き継いだ。
「……あちらに、私たちの〈鍵〉となる人はいない。私たちが帰るためには、此方に残り、〈鍵〉として送り出す者が必要となる……ということですね?」
 ミヤコの確認に、主は「ああ」とうなずいた。
「そんな……」
 心臓が凍ったような心地だ。やっと見つけた希望だったのに、一気に絶望へと変化する。アケビは顔を青ざめさせ、震える声で問いかける。
「……じゃ、〈鍵〉になった人は、帰れない?」
「無理だろうな。〈鍵〉となった者は、〈扉〉を潜った者たちが無事に座標先――そなたらの世界に降り立つまで〈扉〉を維持しなければならない。かといって、潜った者たちが降り立った瞬間、〈扉〉は役目を終え、閉ざされる」
「次に〈扉〉が使えるようになるまで――」
「ヒトの時間で言うなら、産まれたばかりの赤子が老人になるほどの月日が必要であろうな。それだけ、アレを使うには〈魔素〉を溜め込まなければならない」
 つまり、文字通り『最初で最後』の最終手段だった。
「……僕たち、この世界に来て、魔法を使えるようになった。なら、あっちから召喚魔法で――」
 そこまで言いかけて、セイは口を閉ざした。自分の発言の『問題点』に気づいてしまったからだ。アケビがセイの代わりに答えた。
「……あたしたちの世界には魔法の概念がほぼない。空気に漂う魔素も、この世界より薄くて、とても召喚魔法は使えない、かぁ」
「そうなりますね……」
 ミヤコは考え込むような表情で、口元に手を当てた。手を当てながら親指で唇の端を弄るのは、深く考えている時のミヤコの癖だ。
〈龍貴人〉は、諭すような声で三人に告げた。

「エンプティスに居る、そなたらの仲間にも伝え、全員で話した方が良いのではないのだろうか」
「それは……」
「そなたらのうち、二人はこの世界に残ることを決めたのだろう。その者たちに助力を請い、〈鍵〉となってもらうのも一つだが」
「……いえ、それは難しいですね」
「ミヤコ」
「どうして?」
「書庫でひと通り読んで、共通点に思った一項がありました」
「え?」
「“強く希う者が御業を成し遂げることが出来る”」
「つよく」「こいねがう……?」
 顔を見合せるふたりに、ミヤコが答えた。
「……つまり、あちらの世界を強く想える人でなければ〈鍵〉たり得ない。センジュくんとナゴミさんは、思うところがあれど、自分たちで此方の世界に残ることを決めました。それは、あちらの世界を『拒絶した』とも考えられるのではないでしょうか」
「そんな――」
「なにより」
 アケビの声を制すように、ミヤコは複雑な面持ちで呟いた。
「ふたりには、今は心穏やかに過ごす時間が必要でしょうから……」



「な、んで? だって、ナゴミちゃん、弟が心配だって……」
 胸を支配したのは『困惑』だった。
 目の前で寄り添うように並び立つ二人の『選択』は、それほどまでにアケビにとって衝撃的だったのだ。
「……かえ、らないんだね? ふたりは」
「ああ」
 震える声で尋ねたアケビにセンジュが迷いなく答えた。
 あまりにも切れ味の良い答えに、それ以上言葉が出ない。事実、それ以上追求しても無駄だろうということはアケビにもわかっていた。
 ――そんな目されたら、もうなにも言えないよ。
 喉まで出かけた言葉を飲み干し、「そっかあ」とアケビは吐息混じりにつぶやく。
「……うん、そうだね。むしろあたしの考えが浅かったわ。ごめん、不快なこと訊いて」
 悪気があったわけじゃないんだよ、と付け足して眉を下げたアケビに、ナゴミは泣きそうな表情を浮かべて首を横に振る。そして、彼女は笑みを浮かべた。
「むしろ、言ってくれてありがとう、アケビちゃん。わたしは……たぶんきっと、誰かにそう言ってほしかったんだと思う……」
 《《普通》》なら考えられない選択をしたことに、ナゴミ自身心苦しさを感じているのだろう。「ありがとう」と呟いた顔は、苦しみの中で救いを与えられたような、そんな顔で、見ている此方まで胸が苦しくなる。
「――ナゴミちゃん!」
 歯を食いしばり、アケビはナゴミに駆け寄って、その小さな体を抱き締めた。
(責められたのにありがとうなんて、そんなこと言わないでよ……!)
 自分より小柄な体を包み込むように抱きしめ、アケビは改めてナゴミという少女と向かい合った気持ちになった。
 ナゴミは、アケビにとってはミヤコと同じく今までに例のないタイプの少女だった。
 異世界で暮らすようになって、出会ったばかりの頃の薄暗く不健康そうな雰囲気は薄れたが、陽射しの下で笑っていても、いつもどこか張り詰めたような目をしている女の子。その胸の内に何を隠しているのか、アケビには分からない。その人にはその人の苦しみや悩みがあるのだと、アケビはこの世界でまざまざと見せつけられた。
 それに気づくたび、自分の考えの浅はかさが恥ずかしくて、どうしようもなくなる。
「ごめん……あたし、傷つけることしか言えなくて……」
「ううん、ううん……そんなことないよ、アケビちゃん」
 優しく否定する声に泣きたくなる。喉を詰まらせるアケビに、ナゴミは微笑んで、友人の背に腕を回した。
「……この世界に来て、アケビちゃんと友だちになれて、本当に嬉しかった。……すごく明るくて、アケビちゃんの笑った顔を見てると、わたしまで明るくなれたんだよ」
「ゔん……」
 ズッ、と鼻をすする音に、ナゴミは破顔した。嬉しそうな、どこか面映ゆそうな表情だった。
 ふたりはしばし抱きしめあって、それから顔を見合わせて、笑いあった。

「……センジュくんさあ」
「ああ」
「ちゃんと、しあわせにしてやんなきゃダメだかんね」
「わかってる」
「本当に分かってんのかオメー」
 じっとりとセンジュを睨めつけるアケビの目元は赤くなっていた。
「わかってるよ、ちゃんと」
 答え、口角を上げたセンジュに、アケビはとんでもないものを見たと言わんばかりに顔をしわしわと歪ませる。
「……何、その顔」
「いや別に……」




「残念ながら、僕はこの世界から帰れそうにないから」
「セイくん……」
 顔を歪めたアケビに、セイは「そんな顔しないでよ」と笑う。
〈魔素欠乏症〉と呼ばれるそれが、虚弱体質の原因だとセイを診た〈龍貴人〉は告げた。
 この世界の人間の体は、空気中にある〈魔素〉を常に取り込んでいる。
 それゆえ、身体はもちろん、魂に至るまで〈魔素〉が馴染み、人々は〈魔術〉・〈魔法〉を身近なものとしてきた。それがこの異世界に存在する〈ヒト〉属である。
 しかし、アケビたち異世界から喚ばれた者たちは、本来〈魔素〉という概念のない世界で暮らしてきた。
 異世界で構築された肉体は、この異世界に来ても〈魔素〉を必要としない。取り込んだとしても、本人たちに目に見えるような変化はない――はずだった。
 ただ一人――セイを除いて。
 セイはもともと、自由に出歩くことも難しいほどの虚弱体質であった。
 脆く儚い体は肉体の成長を遅らせ、幾度も生死の境目へ誘った。こうして今生きていることが奇跡に近いのだと医者に告げられたことだってあるという。
「正直、ここに連れてこられた時は『とうとう死ぬのか』って思ったよ」
 明るい声で告げられた言葉にはずっしりとした重みがあった。彼は心の内でそう考えながらずっと生きてきたのだと言外に滲ませていた。
 しかし、生死の危ぶまれていた状況は一転する。
 異世界に召喚されたことで、セイの未来は大きく形を変えようとしていた。
〈魔素欠乏症〉――それは、肉体に必要な〈魔素〉が欠乏し、衰弱していく『病』である。
 彼を診た〈龍貴人〉は告げた。
 この世界に喚ばれたことで、文字通り欠乏していた魔素を豊富に身体に取り込んだことで虚弱体質が改善し、こうして自由に動き回り、遠くまで歩いて行けるほどに体力がついたのだろうと。
 ――しかしこの体質は、魔素がほとんどない元の世界に戻れば再発し、最悪、死に至るであろうと。
「戻る子たちに、手紙でも託すよ。両親ならわかってくれる。僕を死なせないことに心血注いできた人たちだから」
 産まれた時から命の火が消えそうになり、綱渡りのように生きてきたのだ。
 そんな息子が異世界でなら生きていける――きっとそれは、両親にとって福音になるはずだ。例えそれが、永遠の別れを示しているのだとしても。
 それが、セイと両親が紡いできた繋がりなのだと、アケビは知る。


「アケビさん」
 穏やかな声でミヤコが名前を呼ぶ。その声に、アケビは目の奥が熱くなるのを感じた。この感覚は、あの部屋で目覚めた時にも感じたことがある。
(……おかあさん)
 朝、目を覚ましてリビングのドアを開けた時の、包み込むようなやわらかい声。それを聞くとほっとして、ああ、今日も一日が始まるのだと頭が理解する。異世界に喚ばれ、慌ただしい日々を送りながら、頭の中でその声を何度思い出しただろう。
 けど自分がした選択は、その声を『記憶』の中に置いていくというものだった。
「……あたし、馬鹿だからさぁ」
 声が震える。どうしてだろうか、決めたのは自分で後悔はないのに、そう、惜しむ自分がいる。
「一回決めたら、もうそれしかないってなっちゃうんだ。……きっと、母さんもわかってくれるって、そう思う、から……」
 ボタボタと目から涙が溢れ出す。
 この感情は何なのだろう。温かいのに、どうしようもなく冷たくて、ズキズキと痛んで仕方ない。

「賢者の雛よ」
「……その呼び方、どうにかなりませんか?」
「ならぬなぁ。我ら〈龍貴人〉は、肉体的な見目よりその中身を見て相手を評する」
「……」
「雛、こちらへおいで」
 手招きされ、ミヤコはしばしの間を置いて、恐る恐るといった様子で歩み寄った。警戒心の強い野生の動物のような姿に、愉快そうに彼は喉を鳴らす。
「そんなに警戒せずとも、取って食うような真似はしないぞ?」
「……性分なもので」
「そうか。まあよい、我らの可愛い雛。よくお聞き」
 長椅子に寝ていた男は上半身を起こし、ミヤコの髪をすく。傷一つない真っ白な男の手が、柔らかさを残す頬を撫でた。
「おそらくそなたも分かっているだろうが、そなたが出会った『名無し』について」

「そなたと『名無し』は鏡合わせのようなものだ」
「それは……」
「ふむ、表現が悪かったやもしれぬな。正しくは互いが互いの一面、側面、欠片とでも呼ぶべきか」
「……私とあの人が、同じ生き物だと?」
「異世界から喚ばれたという点においては同じであろうなあ。しかしまあ、そなたらが〈選ばれし者〉であるのに対し、あの者はそれに該当しないようだったが」
「……ですが、あの人にも〈祝福〉はありました」
「だろうな。〈祝福〉は世界を渡る者たちへ天から与えられる餞だ。それは〈選ばれし者〉でなかろうと与えられる」
「……」
「しかし、そなたらは〈選ばれし者〉であるがゆえ、この先幾度も選択を迫られるであろう。とても辛い選択をせねばならん時もあるだろう」
「……それは、今よりも辛いことですか?」
 自分たちの選んだ、家へ帰ることを選ばないという選択。愛する家族と、帰りを待ってくれているであろう人たちとの離別の道を選ぶことより、この先強いられる選択は辛いことなのだろうか。
 問いかけたミヤコに、〈龍貴人〉はただ微笑む。赤子を見守るような、慈しむ瞳だった。

「――さあ、どうだろうなあ」



「センジュ様とナゴミ様は、三人と共にエンプティスを出られました」
 バロンの言葉は、屋敷に残っていた面々に衝撃を与えた。
「……ふたりは、帰らないつもりなんだね」
 問いかけるというよりも確認するようなヨクの言葉に、バロンは頷くことで応える。
「そうか……」と、美貌に翳らせたヨクがつぶやく。
「――ま、それも人生だろ!」
 両手を頭の後ろに組みながら、明るくソウスケが言った。
 全員の視線を集めたソウスケは、いつも通りの明るい調子で続けた。
「オレは正直、そんな気はしてたから。あの二人、こっち来てからの方が楽しそうだったじゃん? 幸せに生きられんなら、それでいいんじゃねえか? センジュも幸せにする覚悟でナゴミちゃんを連れてったんだろうしさ」
「ソウスケ……」
「人の『幸せ』なんざ、他人にゃ推し量れねえよ、ヨク。オレらにとっての幸せが、あいつらにとって幸せとは限らんだろ?」
「……それもそうだね」
 眉を下げて頷いたヨクに、「だろ?」とソウスケは笑顔を見せる。
「……まるで、こうなってくれて嬉しい顔してるのね、アンタ」
 ハナの言葉に、ソウスケは笑顔のまま答えた。
「オレは、二人が幸せになってくれればそれでいいよ」




「我が花嫁――我が“運命”を逃がすものか」
 狂気を滲ませた蛇の目が小さな身体を射貫く。華奢なその肉体を包み込むように抱きしめて、第二皇子はうっそりと笑みを浮かべた。
 狂人の第二皇子を幽閉している離宮の中から、居るはずのない少女のすすり泣く声が聞こえる。
 その噂が立ち始めたのは、それからしばらくした頃だった。


「……あの皇子は」
「貴殿は何も考えずとも良い。我が弟がすまない。あれは――弟は、星によって狂い、『運命』だけを求めていた。私には弟を救う手立てが無かった。故に――」
「俺たちを巻き込んだのか」
 左様、と歳若い第一皇子はうなずいた。
「星読みで〈聖なる乙女〉の存在を知ったというのもある。我らにとって、あのおぞましい因果を絶つことは悲願であった」
「……蛇の祝福か」
「ああ。特に、弟は特別であったせいか、その障りを強く受けてしまった。だが、その呪いも貴殿らが絶ってくれた。私たちは緩やかに毒が抜けるのを待つことしかできない」
「そのために、あの少女を贄にしたか」
 センジュの冷たい問いかけに、第一皇子は整った顔を歪ませた。心苦しいといわんばかりの声で、自分に言い聞かせるように
「……あの少女は、我が弟の『運命』だ。それは間違いない。……であれば、毒が抜けきり、正気に戻ったあの子と共に在ることがあの少女の幸福にも繋がるだろう」
「その前に彼女が狂って首を括っても、お前はそう言うのか」
「させんよ」
 力強い声で皇子は答える。
「それだけはさせん。あの少女は、私が責任をもって心と体の健康を守る。……それが私にできる唯一の償いだ」



「そうですね……正直に申し上げますと」
 ミヤコは黙した後、顔を上げた。
「血が騒ぎます」
 彼女はグッと右腕を前に突き出し、左手で服の裾を捲る。
 間違いなく、ホームラン狙いのジェスチャーだった。勢いのまま大きく振りかぶってみせたミヤコは、二人をちらりと見て、恥ずかしげに唇を尖らせる。
「……こういうところをお見せするつもりはなかったんですけど」
 あまりに露骨に喧嘩を売られたことで、どうやら堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。瞳の奥にちらつく炎に、ナゴミは唾を飲み込む。対するセンジュは、気持ちはわかると言わんばかりに頷いていた。

「……ミヤコは、もともと血の気は多い方だろうから」
「えっ」
 驚くナゴミに、センジュは微笑む。
「淑やかに振る舞おうと本人は頑張っていたし、人のことをよく気遣う人だったから、彼女と当番で組ませてもらったんだ」
 必要以上に頭を突っ込んでこない、他者との線引きが本能的に備わっている。気遣いの人というか、本人は小心者の八方美人なのだと自嘲していたが、それは得難い美点だとセンジュは言う。
 ナゴミも、その意見に同意だった。その優しさが、こうしてミヤコ自身の人徳に繋がっているのだ。
(わたしが言えることじゃないけど、ミヤコちゃんはもっと欲張っていいのに)
 人に分け与えることを当たり前にすることは、とても難しいことだ。それこそ、与えられることが『当たり前』の人間には尚のこと。
 アケビのように、人を無自覚にすくい上げてくれる優しさとは別の、自覚があるからこそ人の手を取り連れ出すことができる人間が、この世にいったいどれだけ居るだろう?
 ナゴミはその事実を痛いほど知っている。だからこそ、彼女たちがこの世界に残ったことが、嬉しくて、けど、胸が痛かった。
(……ふたりとも、きっと家族に愛されてきただろうから……)
 ミヤコは根の性格があるからかあまり話はしなかったが、母親への深い思いやりは透けて見えた。



「ミヤコちゃん、その格好は……」
「次に行く国は魔法科学の盛んな、学園都市国家だそうで」
〈龍貴人〉から支給された服――濃紺のボレロにフリルのついた立襟のブラウス、膝下丈のスカートをちょんと持ち上げ、ミヤコは困ったように笑った。
 見た目だけで言うなら、お嬢様学校の生徒といったところだろうか。〈橙の国〉の主な衣服は着物など和風のものなので、洋装は極めて珍しい。
 その証拠に、〈橙の国〉から出ることのない衛兵たちは興味深そうな顔でミヤコを見つめている。
(……たぶん、下心で見てる人も居るよね)
 異世界に来て、ふっくらとした見目から健康的な凹凸のある体になった彼女は、見た目だけなら〈橙の国〉においては結婚適齢期の妙齢の女性だ。
 どんな相手にも丁寧に対応し、素朴な笑顔の可愛い少女。鼻の下を伸ばさない男は少なくないだろう。
(女日照りっていうのかな、こういうの)
「……違うと思うよ」
 耳元でそっと囁かれる。ビクッと肩を揺らし、ナゴミは隣を見る。
 口に出していたのだろうかと青ざめると、センジュはそっと首を振った。
「大丈夫だよ、俺が勝手に察しただけだから」
「そ、そう……」
「単純に下心がある者、ミヤコに魔法で格の違いを見せつけられた後に刷り込むように優しくされて陥落した者、あとは単純に好奇心じゃないかな」
 衛兵とはいえ、仕事が終われば街へ行くくらいの時間はあるらしい。端的にそれを説明したセンジュはにこりと笑みを見せた。
「此処へ殴り込みに行くと決めた時、何日か様子を探っていたから」

「ところで、ミヤコちゃん。移動はどうやって?」
「この国にある〈門〉を使います」
「〈門〉?」
「はい。古代遺跡などに主にあるようでして、かつて――古の時代、人々が魔力を注ぎ込み、移動に使っていたものだそうで」
「だが、天は争い続ける生き物へ裁きを下された。その際、知性ある生物――主にヒト属だな、それらから際限のなかった魔力わわ受け入れる肉の器を没収なされた」
 それ故、ヒトはどれだけ頑張っても身に余る〈魔力〉を使い続けることが出来ない。それをサポートするのが魔道具や魔術だ。
「使い続けた体は……」
「命の灯を燃やし続けるのだ、当然寿命は縮む。我々ヒトは、業を抱えすぎた」
「制限を受けたとしても、こうして蛮行に及ぶくらいだからな」
「〈裁定者〉殿、それはあまりにも主上に対して無礼では」
「よい。元はと言えば、我らの後拭いを押しつけたのだから、この程度、まだ優しい方だろうよ」
 ミヤコは話を戻す。
「ですので、現状世界中にある〈門〉はただの化石のようなものです。使える者といえば、〈龍貴人〉か……」
「……わたしたち、〈裁定者〉?」
「はい。とはいえ、〈龍貴人〉の皆さんは基本、都を離れることはありません。あの方たちにはあの方たちの役割がありますから」
「……なるほど」
「アケビさんやセイくんも各国を見て回ってくれています。〈門〉が起動すれば、それはつまり〈裁定者〉が現世に現れたと、魔術師であればすぐに気づけますから」
「……でも、それって」
 ナゴミは言わずにはいられなかった。
「三人が、ずっと会えないままってことだよね? ……わたしたちも」
「それはいけません」
 即座にノーという返事がきて、ナゴミは目をぱちぱちと瞬かせる。
「ようやく、心を落ち着けて暮らせるのでしょう? 大切な時をドブに捨てるような真似はいけません。……何より」
 ミヤコはちらりと皇族の方を見る。
「この国には、まだふたりの力が必要そうですから」
 その言葉に、ナゴミとセンジュの雰囲気が少しひりつく。
「……うん、そうだね」
 泣きながら怯えていた、弱視の女官。まだ少女といって差し支えない彼女の置かれている現状。それを看過できるほどナゴミは非道になれなかった。
 例えこの体が〈裁定者〉として作り替えられたのだとしても、中身は今までの延長線上、人間としての意識があるのだから。



 ぼんやりした子供という自覚はあった。
 人よりも少しばかり考えを口に出すことが苦手で、周りの人の意見を尊重する――と言えば聞こえはいいが、つまりは自主性の薄い性格だった。
 そんな性格だから、両親も持て余したのだろう。気づいた頃には、両親と上の兄弟とではなく、祖父と祖母に育ててもらっていた。
 祖父母は優しい人たちだった。だが、同時に厳しい人たちでもあった。
 外目から見れば末子を捨てたともいえる両親をこんこんと叱り、けして逃げることを許さなかった。
 それはマヒロだけでなく、両親のためでもあったのだろう。田舎では人の噂が良くも悪くも流れ出る。中心街の方に暮らしている家族だが、

「……おじいちゃん、おばあちゃん」

 体感一年半ぶりに帰った家は、随分と懐かしく感じた。庭先に行き、縁側に並んで座っている二人に、マヒロはそっと声をかけた。
「……まぁ坊か?」
 深く刻まれたしわ、小麦色に焼けた肌に、ぽつぽつ浮かぶシミ。真っ白な髪を刈り上げた老爺。
「……まぁくん?」
 ふくふくとした丸みのある、白く垂れ気味の頬、老眼鏡を掛け、ちんまりと背を丸めている、如何にも人の良さそうな見目の老婆。
 大好きな、育ての親がそこにいた。
「……うん。ただいま、おじいちゃん、おばあちゃん」

「バカたれが、そんなデカい図体しておいて攫われよって」
「義男さん、やめてくださいな。まぁくん、よく帰ってきたねえ、半年しか経ってないのにまた大きくなって」



 氷属性――〈氷結〉と体裁的に名付けたそれの本質を知るのはふたりだけだ。
 即ち、使い手であるハナと、その情報を見ることが出来るミヤコである。
(……書き換えてもらって正解だったわね)
 ほう、と口から漏れ出す息は白い。
 部屋の中は氷に覆われていた。
 使ったのはハナで、使われたのは、この部屋にいた男たちである。

「あたしはケジメをつけに来ただけよ」

 上座に座っている男性の元へ迷わず歩いていく。
「……は、な……」
 氷に体を覆われながらも尚喋る、その執念に感嘆する。同時に、どうしようもなく吐き気も催す。
「あたしはもうここには帰らない。そして、あんたの願いは永遠に叶わない」
 ハナは人差し指を男の額に突きつける。
 その目は部屋を覆う氷のように凍てついて、一切の感情が見られない。
「――さよなら」
 突きつけた指先が淡く光り、男の目が大きく見開く。
 ガクンと俯いた男を一瞥し、ハナは

〈氷結〉と名付けた能力の本質は、結ぶこと……否、封じることにある。
 アケビが『知識』、セイが『繋がり』、ミヤコが『改竄』、センジュが『裁き』、ナゴミは『癒す』。
 ハナの見立てではあるが、おそらく間違ってはいまい。〈裁定者〉の能力は、全員が揃うことで初めてその真価を発揮する。
 世界を知り、世界を裁く者。文字通り、天に〈選ばし者〉たち。
(随分と、大層な役職についたもんね)
 ハナ自身にその自覚は薄いが、こうして元の世界でも力が使える――つまり、そういうことなのだろう。
 氷で結ぶ、という名前にしたのは、ハナが一番使い易い〈魔法〉が氷属性だったからだ。氷属性を介し、今の自分には手に余る〈封印〉という力を行使する。

(マヒロは『創造』、カイの『解剖』はおそらく本質的にはあたしの対になる)
 全てを詳らかに暴き出す――言ってしまえば〈解除〉だろうか。
(ネネとレンがブラックボックスだけど、ヨクは……『破壊』とか?)
 そこまで考え、違うなとつぶやく。
 三人が向かった〈水の都〉で、この能力は天から与えられた餞に近いと言っていたらしいが、果たしてそれは〈裁定者〉にも適用されるのか。
 謎は多い。溜息をつきたくなるが、我慢するしかない。
(あっちも大変そうだものね)
 自分たちを送り出すためにあちら側に残った友人たち、本人たちの意思あってのこととは理解しているが、それでも罪悪感はある。
(特にあたしは、別に本当に捨ててもよかったんだから)
 警備会社の社長の一人娘。その立場を羨まれたことは数しれずだったが、ハナにとっては面倒な首輪のようなものだった。

(あたしは行く。皆のところへ)

 かつて、母は言った。

 ――『自分で選んで進みなさい。あなたの後悔しない道を。だって、あなたの人生なんだから』
 もう顔は曖昧だが、声はまだ思い出せる。不思議なことに、日に日に鮮明になっていくのは声だった。ミヤコ曰く、人が最初に忘れるのは声だという。そして姿を忘れ、思い出も日々の中に埋もれていくのだと。
 記憶の中から消えることで、人は二回目の『死』を迎えるという。
 だけど、〈裁定者〉である自分たちなら、きっと忘れることはない。こうして母の記憶が、声が、自分の中にある限り。ヒトでなくなったとしても、心根はヒトで在り続けられるはずだ。

「……お嬢、これは」
 呆然とした声で尋ねる男をハナは見た。
「後は好きにしなさい。あの男はもう何も出来ないだろうから」
「……いえ、お待ちくださいお嬢、跡継ぎは」
「あたしはこの家を捨てる」
 淡々とした声で答えた。自分でも驚く程に凪いだ声。その事に薄く微笑んで、ハナは男を見る。
「……あんたの好きにしなさい。あたしは、必要なものだけ取りに来た」
 片手に握りしめたそれを見せ、ハナは男の横をすり抜ける。
「……お嬢」
 玄関を潜ろうとしたところで、背後から声をかけられる。振り向いたハナの目には、途方に暮れた顔の青年が映し出されている。
「――お体にお気をつけて、どうか何卒、ご武運を」
「……戦争に行くんじゃないっての」
 肩をすくめて、ハナは微笑んだ。
 もう迷うことはない。今度は振り返ることなく、ハナは家を出たのだった。

「ひとつ、提案があるのですが……」

 呼び方を決めませんか、とミヤコは告げた。

「フルネームで名前を知られるのは、あまり得策ではないかと思いまして。まして、異世界から誘拐できるような相手なら、尚のこと」

 ミヤコの言葉に、センジュがうなずく。

「……名前は生まれて一番に与えられる〈呪い〉みたいなものだと言うし。名前を握るのは命を握られるのと大差ないだろうから」

 無表情のまま、温度のない声色で淡々と告げられると余計に恐ろしく感じてしまう。アケビはぶるりと震えた。
「物騒なことを言うなあ」と、ソウスケが笑みを浮かべながらつぶやいた。彼はボリボリと頭を掻き、センジュに問いかける。

「名前ってさ、一般論としちゃあだけど、親から子供への『祝福』に近いんじゃねえか?」

 ソウスケの言葉にゆるく首を左右に振って、にべもなくセンジュが返す。

「『祝福』だって、子供を縛るひとつの呪いだろう。『こういう風になってほしい』『こんな人にはなってほしくない』と願い、見えないレールを引くようなものだと思えば」

 彼は淡々とした口調で「もちろん、世間の大半の親は良い意味で『願い』を込めて名付けるものだけど」――と付け加える。
 要は考え方の問題だろう。なるほどなぁ、とソウスケも納得した様子でうなずく。

「そう考えたら、まあ、名前も呪いかぁ。目から鱗だなあ」

 教えてくれてありがとなと笑うソウスケに、センジュは無言で頷く。明るく爽やかなソウスケと、どこまでも冷たく人間味の薄いセンジュ。対象的な二人である。

「んー、あたしの理解力が低いせいなんだけど、名前全部知られたら、何かマズいの?」
「例えばですが……」
 と、ミヤコは話しだした。
「両親を人に戻すために風呂屋で働く映画で、主人公は自分の名前をわざと違う字で書き、女主人に見せましたよね? 助けてくれた少年に、名前を握られたら、逆らえなくなるからと言われて」
「……んーと、つまり、あたしたちも名前がフルネームでバレちゃったら、もしかしたら良いように使われて逆らえなくなっちゃうかも……ってこと?」
「はい。そういう認識でよろしいかと」
「えっ、こっわ!」
 ぎゃあ、と飛び跳ねて身震いしたアケビに、ミヤコが「ですから」と優しく告げる。

「可能性がある限りは、警戒して損はないかと思いまして……ご提案させていただいたのですが、皆さん、如何でしょうか……?」

 言いながら、少しばかり不安になってきたのか、ミヤコは眉を下げながら全員に問いかける。




「オレは爽介。ソウスケって呼んでくれればいーから、まあヨロシクな」
「……!」
「ミヤコちゃんの気持ちはわかっけどさ、ま、一人くらいこんぐらいオープンにしてる奴が居ればちったあ気持ちも楽になるだろ?」
 ウインクをして、明るく笑う姿は文字通りの好青年である。これくらいあけすけなほうが見ていて気持ちがいい。アケビはニッと笑みを浮かべ、ソウスケの肩を軽く叩き、身を乗り出した。

「それどーかん! あたしは涼木アケビ。アケビって呼んでよ」


「地図……


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