東方妹
東方仗助には双子の妹がいる。
妹の名前は東方#名前#、穏やかな眼差しを携えた、華奢な少女だ。
「いいですか、東方さん」
ポップ、ステップ、ワンツー、ワンツー。くるくると回って、軽やかにワルツを踊る。
#名前#の腰に手を添えて華麗にリードする男は、#名前#の恩師である。
「なんですか? せんせい」
「東方さんは少々物事を深く考えすぎるきらいがありますね。君のその能力を考えると仕方ないことなのでしょうが――ですが東方さん」
フードの下、素顔を覆い隠す仮面の奥で漆黒の瞳が煌めいた。
「もう少し、人を信じてみましょう。あなたならそれができる筈です」
「……せんせたちのことは、信じてるよ?」
「にゅやあ」男の口許に笑みが浮かぶ。「ええ、知っていますとも! だからその信頼を、彼等に――ジョースターさん達に、少しばかり分けてあげるのはどうでしょう?」
#名前#の足が止まった。じっと男を見上げる瞳は、光に照らされて宝石のように淡く輝いている。――少しだけ、不安に揺れているようにも見える。
「せんせ、私は、」
「ええ、わかっています。ですが、けじめというものは必要でしょう? ジョースターさんにとっては、己の血を引いた我が子なのだから、今後を考えるとなおのことです」
「……わかってる、けど……」
片割れがいうには、高齢のMr.ジョースター――つまり#名前#にとって実父に当たる彼の遺産を整理していた際、隠し子の……東方仗助と#名前#の存在が明るみになったのだという。
「しんどいんですよぉ……」
本音を言うと、関わりたくない。遺産なんて欲しくない。自分達が隠し子――世間的には不義の子だと分かっているから尚更だ。母親のことは愛してるし、真剣に恋愛をして自分を、そして片割れを産んでくれたことには感謝している。
けれど、それとこれは別だろうと#名前#の心が叫んでいる。
「知りたくなかった……自分の存在が人様のおうちで不和を起こしてる火種になるって、こんなにも心が、しんどい……」
「東方さん、そこ胃ですよ」
「胃もいたい……ここ数日、薬が手放せなくて……」
「にゅやぁ、重症ですねぇ」
「致命傷です……知っていたこととはいえ、やっぱり、いざ会わなきゃとなったら、ほら、ね、回避したくなるのが人の性でして」
「つらいですか?」
男の問いに、#名前#の頭が縦に揺れる。
「つらいです、とても」
ぐす、と鼻をすする音が聞こえる。男が優しく包み込むように抱き締めると、弱々しく背に手を回す手が、#名前#の心細さを表しているようだった。
「……ですってよ。じぃじ」
「オーマイガーッ……!」
テーブルの上に置かれた機械が、非情な現実を教えてくれる。スイッチを切った空条#名前#は、がくりと項垂れる祖父を一瞥し、兄に視線を向けた。
「会わせない方がいいんじゃないかしらね?」
「……仗助からも、妹は繊細だからくれぐれも無理強いは止めてくれと頼まれているしな、その方が得策かもしれない、が――」
「じぃじが会いたがってるっていうのがまた、もー、ばぁばにめっちゃ怒られたくせに……はぁ」
「娘じゃぞ!? ホリィの他に息子だけじゃなくあーんな可愛い娘が居ると知ってッ、会わないなんて選択肢があると思っとるのか!?」
「思ってるよ。じぃじ、ちょっとお口閉じてて」
「最近孫娘が厳しいッ!」
溜め息を吐きながら眉間を優しく揉み込む。
明るみになった隠し子の存在は、ジョースター家にそれはそれは衝撃を与えてくれた。カンカンに怒れる祖母、この歳で弟と妹ができるなんてッ、と大喜びの母、頭が痛いとでも言いたげに呆れる兄、そして頭を抱える#名前#。
写真越しに見た女の子と男の子は、それはそれは可愛らしいふたりだった。#名前#と承太郎にとっては、年下の、あるいは歳の近い叔父と叔母にあたる双子のきょうだい。
特に叔父はジョースター家の血を引いているとわかるハンサムさだし、叔母はまるでお人形のような、華奢で可憐な、大変とってもベリーキュートな女の子。
あわよくば是非お友達に……と抱いた淡い願望は、この叔母の本音で絶望的だと悟ってしまった。
「か弱い女の子の胃を痛めてる現実がッ、私の心を抉っているの、おにいちゃん……!」
「切実だな」
「あわよくば、あわよくば、じぃじの件はすっ飛ばしてそれはそれとしてお友達にって思ったけど、それも無理そうだし……でもめっちゃ可愛いし……あぁ〜可愛いなぁ〜やべぇなこりゃ……お友達になりたいよぉ……」
足を揺らしながらごねる妹に、「やれやれだぜ」と承太郎が帽子の鍔を下げた。
「#名前#ちゃんは、本当に可愛い女の子が好きなんだね」
「ちっちっちっ、厳密にいうと、私の食指に触れるものは森羅万象老若男女問わず私にとって「かわいい」なのよ、典明くん」
「それで、お気に召したのが歳の近い叔母さんだった、ということかい?」
「そうなのッ!」
カッと目を見開いた#名前#が力強く語る。
「なにあの可憐な生き物! かわいいッ! とってもきゃわゆい! すごく可愛いッ! ご挨拶に伺ったときお母様と意気投合してお写真を一枚分けてもらったくらいにはッ! 可愛いと思ってるッ!」
「確かに、可愛い女の子だね」
「でしょう!? 日本の宝ですよ、可愛いは正義なのでっ!」
ふんすふんすと語る#名前#はメラメラと燃えていた。「気持ちはよくわかるよ」相槌を打ちながら頷いてくれる花京院と#名前#は、年齢差を越えた固い絆のようなもので結ばれている。兄である承太郎ではできないことだ。
「きゃわわな女の子とカフェとか行ってお話したいし〜なんなら恋バナとかもしたーい!」
「女の子だなぁ」
「その時は典明くんも混ぜてあげるね」
「ははっ、ありがとう」
「じぃじ、波紋続けてて正解だったでしょ?」
首を傾げてにんまり微笑む孫娘は、あの時から隠し子の、仗助と#名前#の存在を察知していたのだろうか。
幼い頃、DIOとの戦いが終わって半年ほど――電話越しに、ジョセフは可愛い孫娘にある頼まれごとをした。
「じぃじ、わたしに波紋おしえて」
最初は断るつもりだった。
可愛い可愛い孫娘の頼みとはいえ、戦いは終わった。DIOは死に、ジョースター家の血脈に受け継がれた代々の因縁に終止符を打てたのだから。安堵していたのだ。だがそれを打ち消したのは、剣呑な声色の、まだ幼い孫娘の一言だった。
「おわってない」
「まだ、きえてない。遠くない未来に、またおきる」
予知めいた、あまりにも真剣なその言葉に、耳を傾けざるを得なかった、というのが本音だ。
なんせ、孫娘はDIOのザ・ワールドが効かなかった。DIOは孫娘の時間を止められなかったのだ。
孫娘にしか見えない世界があるのだと、分かってしまったから。
――世界が終わる夢を視た。
#名前#はそれがただの夢などではないと知っていた。確信していた。これは遠からず訪れる、確かに起きうることなのだと。
だから、愛する家族を守るために旅に出た。
遠くへ行き、視野と見聞を広げ、眠るたび未来を、過去を記録し続ける。僅かな希望に縋るために、協力者となってくれた人と旅を続ける。
「記録」は随分と増えた。#名前#の直感が――厳密に言えば予知が――よく当たると、家族が理解してくれていたからだ。
東方家の一室は、#名前#がこれまで書き連ねてきた「記録」を保管するために埋まっている。
「これは――」
「凄いな。年代ごとに分けられているが、これはまさしく……」
承太郎が花京院の言葉に頷いて返す。これはまさしく、予知といって差し支えないものだ。一枚、近くにあった「記録」を手に取る。そこに描かれたもの、その懐かしさに承太郎は目を細めた。
それはDIOを倒すために駆け抜けたエジプトの旅の一場面――祖父のジョセフ、アブドゥル、ポルナレフ、イギー、花京院、そして承太郎の姿だった。裏を見ると、「#名前#十歳」と拙い文字で記されている。
つまりこれは、#名前#が十歳の時に記録したものなのだろう。
年下の叔父の話によれば、#名前#は未来と過去をランダムに観測するらしい。承太郎達が旅を終えた後に描かれたこれは、「過去」を観測したというなによりの証拠だ。
「#名前#は詳しいことは教えてくんなかったけど、きっとなんかまだあるんだと思うんスよ、俺」