シャツから露出された肌に朝の空気が纏う。夏も終わりかけて、朝はだいぶ風が冷たくなってきた。ふと瞼をちらりと開けると窓が開いていた。容赦なく新しい空気の循環が行われる。寒さを感じ取りとっさに布団を被り直す。真夜中にはあった隣からの温もりは消えていて、伸ばした腕の体温を奪っていく。新鮮な空気のおかげか、寝ぼけた頭が少しずつ覚醒していく。夢と現実が混ざりあって行くような、朝のこの時間が好きだ。この時間を過ぎれば、さっきまで見ていた夢なんて忘れてしまうのだから。新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んで深呼吸をする。ほのかに嗅ぎなれた匂いがした。
ベットからはい出て、半袖シャツと短パンのままぺたぺたとフローリングを歩く。やっぱり寒いな、と思いながらリビングへ向かった。キッチンを見ると、珍しい人が居た。
「おはよう、顔洗ってこいよ」
「……おはよう、珍しい、居たんだ」
「寂しこと言うなよ〜久々に逢いに来たんだから。愛しい恋人との時間は大事にするって」
嘘つけ。夜にふらっとやってきて、朝日が昇る前に帰っていくような男だ。さぞ、実力派エリートはお忙しいようで。
「……痛い痛いっ!脇腹つねんないでよ!」
「朝からうるさい」
サイドエフェクトのせいか、長年の付き合いのせいか、私の感情を読まれている気がする。サイドエフェクトは関係ないか。だけど気に食わないので小さな報復をしておく。
「ご機嫌ななめだな〜ホットケーキあるよ」
「それ、私が冷凍してたやつ」
「レイジさんから受け取った桃あるけど?」
「……食べる」
「おけーおけー、顔洗って待ってな」
迅はそう言って私を追いやる。仕方なく脱衣所に向かう。いがっぽさが残る口をゆすぎ、歯磨きをして顔を洗う。別に迅が居るのが嫌な訳では無い。この口が勝手に悪態を着いてしまうだけで、本心は普通に嬉しいのだ。しかし迅はあれでも、黒トリガーの持ち主でS級隊員。なおかつ玉狛支部の所属だ。自分とは所属も階級も何もかも異なる。私のあげられるもの全てをあげたとしても、迅は、その一欠片ですら背負わせてくれないだろうなと、ふと思う時がある。そう、たとえ腐れ縁で恋人だとしても。
折りたたみ式のローテーブルの上に並べられたものを見ると、家主は滅多にしない朝のオシャレなモーニングに変わっていた。した手上げた本人は優雅に朝のコーヒーを淹れている。彼に近づくことも無く、ただぼんやりと彼を見つめた。青い隊服を脱いだエリートは今、笑っていた。
「ほい、コーヒー持っていって」
「はぁーい」
湯気が上がるマグカップの淵を持って私に差し出す。慌てて駆け寄りマグカップを受け取る。なみなみに注がれたコーヒーは白い湯気が立ち上っていて、これじゃあ火傷してしまう。
「なんでこんな、いっぱい淹れるかなぁ」
「いや〜分量多くし過ぎちゃったもんで」
へらりと笑う。こんな小さな小言も悪態も未来視で全て把握されているのだろう。
□
「なんだ、もう行くの」
「うん」
程よく冷めたコーヒーを啜る。見慣れた青い上着を着たいつもの迅悠一が居た。私は迅が入れてくれたコーヒーをもう一度口に含んで飲み込んだ。食べ終わった食器はそのままに玄関まで見送る。
「迅、これ持ってて」
私は彼と目を合わせること無く、手のひらに目的の物を押し付ける。それを一瞥した迅は眉尻を下げて、かぶりを降った。
「これは駄目だよ。受け取れない」
手のひらに転がった、銀色の鍵を見ながら迅は言った。
「窓の鍵開けっ放しで寝ることになるけど?」
「うっ、それは…」
ますます迅は困った顔をした。ここまで狼狽える姿を見て、何故だろう、少し不思議に思った。
「なんで、未来視で見えていたでしょう?変えようと思わなかったの?」
ただ率直な疑問だった。酷く困った顔をしていた迅は、ふっと強ばっていた肩の力が抜けて、もう一度手のひらの鍵を見つめた。
「視てたよ。でも、ちゃんと言わなきゃって思った」
ゆらゆらと未来を見据える瞳が揺れている。
「だって君は、俺が言わないとずっと窓の鍵を閉めないだろ」
「…だって迅は、私が寝てる時勝手に来るでしょ?鍵渡しても受け取ってくれないし、ドアの鍵掛けなかったら怒るし、窓開けてたらいつでも来れるじゃん」
私が一人暮らしを始めたあたりから、迅は夜遅くに顔を出すようになった。私が寝てた時も家の前まで来たことがあって、そんな事するくらいならと一回玄関の鍵を開けたままにした事もあった。それがバレて迅からめちゃくちゃ怒られたけどそれもこれも、彼が鍵を受け取ろうとしないからであって、最終的には窓を開けておくことに落ち着いた。未だに良く小言を付かれるけれど。
彼が、鍵を受け取らないならそれでもいい。どうするかなんて、未来を視なくても自分の気持ちのまま選んでしまっても良いと思う。そうする権利は誰にだって与えられている。迅悠一というこの一人の男にも平等に。私は迅を鳥籠の鳥だと思っている。三門市という街が彼を手放そうとはしない。さらに言えば、本人がそれを望んでいる。だからこそ私は、ボーダーでも玉狛でもない。ただの普通の場所にひとつでも宿り木があれば良いと思う。
彼の手のひらに転がった銀色の塊は、きらびやかに碧色が揺らいでいた。
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