03

「さて……ここに住むとなると、日用品を揃えないとね」
「日用品?」

私の言葉にスレイが首を傾げた。
あれから晩御飯を食べ、部屋やキッチン・お風呂の使い方等を一通り説明した。さすがに全部を口頭では難しいと思ったので紙とペンを渡して、スレイの世界の言語でメモを書いてもらい、貼れそうなものには使い方を貼っている。彼の使う文字はアルファベットに近かったものの、用法が全く異なっていて読めなかったんだけど。

「生活するなら、スレイの着替えや身の回りのものが必要でしょ」
「でも、オレお金なんて持ってないし、そこまでアリアにしてもらうのは」
「面倒見るって言ったのは私だし気にしないの!ずっとその格好でいたら不衛生じゃない」

私の言い分にスレイは「それはそうだけど」と言葉を詰まらせる。そもそも身一つで来てる彼に何かを期待する方が無理な話だし、それを承知でここに住むことを提案したのだ。

「とりあえず最低限のものだけよ。すぐに帰れるかもしれないし……大量に買ってたら処分に困るもの」
「……わかった。本当に何から何までありがとう、アリア」
「どういたしまして」


納得してくれたのかお礼を言ってくれたので笑顔で答える。
明日の予定も決まったし、スレイをお風呂に送り出して私は間仕切りを作るため部屋の幅を測ったり、彼の布団を用意した。間仕切りをするのはプライベート空間を作るため。完全に分けることはできないけど、見えなくなるだけで随分違うと思うのよね。
それが終わると今度は買うものをリストアップしていく。そうこうしているうちにスレイがお風呂から上がってきた。
……水も滴るいい男、というより少年か。改めて彼の顔の良さを感じて見入ってしまった。「アリア?」と不思議そうに私を呼ぶ声にハッとして誤魔化すように言葉を紡いだ。

「どうだった?お風呂」
「すっごい気持ちよかった!」
「それは良かった。はい、じゃあここに背中向けて座って」

彼の世界には湯船に浸かるという文化はあるのかな、と思いながら座るように言えば、彼は首を傾げつつ私の指示に従う。

「? 何するの?」
「髪を乾かすのよ。ちょっと失礼するね」

スレイの肩にかかっていたタオルを使ってわしゃわしゃと髪を拭いていく。余分な水気がとれたところでブラシを使い、つむじや分け目に沿って髪を梳かした後、ドライヤーを取り出した。

「アリアの家って色んなものが出てくるんだな。それは?」
「こっちでは当たり前にあるものなんだけど……ドライヤーっていって、熱風で髪を乾かすものよ。熱かったら言ってね」

スイッチを入れて梳かすように彼の髪を乾かしていく。男の子にしてはサラサラの髪で、するすると指をすり抜けた。これは私も世界も嫉妬しちゃうわ。ああ、でも男の子が使うにはフローラルな匂いすぎるかしら……シャンプーも一応リストに入れておこう。
乾いたようなので、冷風で粗熱をとり仕上げにもう一度ブラシを通す。

「はい、終わったよ」
「……!あ、ありがとう。すごいや、本当に乾いてる」
「もしかして、うたた寝してた?」
「ははは……あんまり手つきが優しくて、気持ちよかったからつい」

ワンテンポ遅れて反応したので聞くと、照れくさそうに笑うスレイ。あ、今の顔はやばい。こう……母性をくすぐるというか、とにかくきゅんとしてしまった。

「痛くしないように気をつけたからね、そう言ってもらえて良かった」
「すっごいよかった。そうだ、後でその……どらいやー?の使い方も教えてほしいんだけど」
「もちろん」

明日からは自分でやってもらうからねと笑えば、当たり前だよなんて返ってきた。毎日乾かしてあげるのはさすがに骨が折れそうだもの。
すると、スレイがいいことを思いついたとばかりに顔を明るくした。

「あ!じゃあ使い方ついでに、今度はオレがアリアの髪を乾かすよ」
「えっ」
「……ダメ、かな?」
「……だ、めじゃない、です」

その顔は反則でしょうよ……!! 私が驚きのあまり言葉を失うと、彼は飼い主に叱られたような犬のようにしゅんとした顔になった。その様子に了承以外の選択肢が見つからなくてつい頷いてしまう。途端に、ぱっと顔を輝かせるスレイ。
ああもう、だからそんな顔に弱いんだってば!

じゃあ私お風呂入ってくるから!と着替えを引っ掴んで誤魔化すように風呂場に駆け込んだ。



「上がったよ〜……っと、何してるの?」
「おかえり。本を読んでたんだ」

お風呂から出てリビングに戻って声をかけると、スレイは1冊の本を読んでいた。随分と読み込まれており、ところどころに栞が挟んである。

「年季入ってるね……何の本?」
「『天遺見聞録』っていって、オレ達の大陸にある遺跡や伝承なんかをまとめた本だよ。例えば、」

ぱらりと適当なページを開いて簡単に説明をしてくれる。何が書いてあるかはさっぱりだったが、彼の説明が分かりやすくて聞き入った。遺跡や遺物なんてものは海外や博物館のイメージがあったので、なんとなくスレイ達の世界は文化財が手付かずの状態で残ってる自然豊かなところなんだろうな。日本での遺跡というと、どうしても人の手が入って状態が保たれてる感じがするし。街の中にあるとかね。
遺跡の話をしてる時の表情が本当に楽しそうで、思わず笑ってしまった。

「ふふっ」
「え、あ、ごめん!つい熱くなっちゃって!」
「ううん、わかりやすくて面白かったよ。遺跡が本当に好きなんだなって」
「……うん。いつか世界中の遺跡を巡る旅をするのがオレの夢なんだ」

スレイは『天遺見聞録』を閉じて表紙をなぞる。その表情に寂しさや不安などの感情が見えた気がして切なくなった。つとめて明るく振舞っているようで本当は早く帰りたいのだろう。同じ状況だったら私は間違いなく泣いてるけれど、自分にできることをやろうと前を向いているのは男の子だからかな。

「じゃあ、夢を叶えるためにもまずは帰らないとね。大丈夫、私も一緒に考えるから」
「……そうだな!ありがとう、アリア」

私の言葉なんて気休めにしかならないだろうけど。そう思いながら言った言葉に、先ほどの暗い感情をひっこめて彼は笑った。うんうん、やっぱりスレイには笑った顔が似合う。

「ところでアリア、髪の毛乾かさないの?」
「あ、えーーーっと……覚えてたんだね」
「もちろん!オレはどうしたらいいかな」

いつの間にセットしたのか。スレイがドライヤーを片手にウキウキしているので、今更断ることもできずに使い方を説明した。さすがに私のやったことまでさせるのは気が引けたので、水気をあらかたとるのとブラシ通しは自分でやる。終わるとスレイに背を向けて座った。

「どう?熱くない?」
「もうちょっと離してくれると……うん、そのへんで。わしゃわしゃするより、手櫛で梳かすようにしてもらえる?」
「こうかな」
「うん、そんな感じ」

スレイは私の指示に従いながら優しく乾かしてくれる。
誰かに髪を乾かしてもらうなんて何年ぶりだろう。よく考えたら、数時間前に会ったばかりの男の子にやってもらっているというのも変な話だ。不思議と嫌な感じがしないのは、たぶん彼の人柄がいいからだろうなと思う。なんというか、下心が全然感じられないのでつい許してしまうんだよね。
と、後ろ髪を乾かしていたスレイの手が止まる。

「っ、!」
「スレイ?」
「い、いや、何でもない!ごめん、熱かった?」
「ううん、大丈夫」

熱風が明後日の方向に飛んでいっていたので思わず声をかける。焦ったような声で熱さについて聞かれて不思議に思いながら平気なことを伝えた。それからは無言でドライヤーの音が響くだけになり、彼の優しい手つきについうとうととしていまう。なるほど、さっきのスレイもこんな気分だったのか。
ドライヤーのスイッチが消えたことに気づいてはっとした。

「こんなもんでどうかな?」
「……うん、大丈夫よありがとう。ふふ、確かに眠くなっちゃうわね」
「だろ?誰かに髪を乾かしてもらったことってなかったから、余計に……なんていうか、安心しちゃってさ。ドライヤーなんて便利なものなかったし」
「ふんふん。つまりスレイ達はタオルドライが基本だったのね」

在明はまた一つ異世界の事情を知った、なんつって。
スレイからドライヤーを受け取って前髪を乾かしブローしていく。それが終わると、今度はスレイに寝床の用意を説明した。いわゆるベッドメイキングというやつだ。

「へえ、床に敷いて寝るんだ。寝袋より寝心地よさそう!」
「布団と言って、古き良き私の国の文化なの。本当はベッドの方がいいんだろうけど……」
「そこまでわがままは言えないよ。むしろ、用意してもらえるだけでありがたいし」

夜も更けてきたということで、寝ることになった。それぞれベッドと布団に入り、電気を消す。

「おやすみなさい、アリア」
「……おやすみ、スレイ」

就寝の挨拶を交わして、目を閉じる。
なんというか、濃い一日だった……主にこの数時間だけど。さあ、明日はまた忙しい一日になるぞ。
そんなことを思っているうちに睡魔が訪れ、その甘美な誘惑に身を委ねた。