ラブ・ミー・テンダー

 今年の冬は暖かいらしい。じゃあ自分がなぜこんなに、一二三がこんなに震えているかというと、頭をことりと傾けた先を見てやっと思い出す。
 色濃いタイヤ痕。辿っていけば、電柱にぶつかってひしゃげた乗用車が見える。

「独歩、独歩!寂雷さんが助けてくれるから、助かるから!大丈夫だから、独歩!」

 名前を呼ばれて、自分の状況も思い出す。クソ寒い渋谷の、決して綺麗とは言えないアスファルトに四肢を投げ出した自分を、一二三が抱き起こしている。必死に耳元で叫んでくれているんだろうが、何光年も遠くから聞こえるような気がする。これだけの声を一二三に上げさせたことはなかった。あるかもしれないが、今は思い出せなかった。
 なんとか声をかけなければ。車も避けられないような、避けようとしなかったような自分に今まで付き合ってくれた親友に、何か言わなければ。普段ライムを紡いでいるくせに、こういう時だけ何も思い浮かばない。とりあえず、応えるくらいはしなくては。

「ひ、うん、う、えふ、ふぅ」

 くそったれ!水が邪魔でうまく一二三を呼べない。アスファルトの上で何に溺れるっていうんだ。

「独歩、いいから、喋んないでいいから」
「え、えあ、ひふ、げう」

 何光年も向こうにいる一二三に、こんな声じゃ届かない。腹に力を入れるたび、面白いくらい体が冷えていく。今日はゼリーくらいしか食べてないのに、後から後から何かを吐いている。おっかしいなあ、なんでかな。
 よくわからんけど、今回こそは新しくスーツ買わなきゃだめかな。今まで繕ってもらいながら騙し騙し着てたしな。くっそ、こんな時も仕事のこと考えて、一二三が泣いてて、ああ寂雷さんが来るっていってたな。釣りでもいくんだろうか。寒いから車の中で待ってよう。ていうか今日何日だっけ。何時だ。終電あるかな。明日はたまの休みだし、やっぱ俺も釣り混ぜてもら






「次死のうとするときは、私の前で手首を切る程度に留めなさい」

  なんか黒い御簾が見える。うわ、上の方に白いの浮いてる。顔じゃん。こわ、何なの。

「私の前なら今回よりもさっさと処置できますからね。一二三くんのメンタルがどうなってもいいなら無理に止めませんが、オススメはしませんし、何より私たちに対して不義理がすぎますよ、あなた」

 顔、なんか見たことある気がする。意識の端っこの方が全部ビリビリしてて頭よく動かない。ああもうちょい、もうちょい見えるところに。

「うちはしばらくメンバー入れ替える予定ありませんから。少なくともこういう不慮の形では。なので、多少法を破ってでもあなた方は生かします。その心算でいなさい」

 顔がちょっと笑ってる。笑顔はいいぞ、大抵笑っとけばいいみたいなところある。布がかかってゴワゴワする肌をちょっと動かして笑ったら、浮いてる顔は呆れた表情になって「寝なさい」って言った。寝る、いや、起きてる感じもしないけど。



 うわ、痛い痛い痛い。何、全身がめっちゃ痛い。なんか気管がゴリゴリ言ってる。無理無理無理、ちょっと無理、喉めっちゃ大事、ラップできなくなったらなんかもう全部無理、いや痛い!

「いたい」
「独歩!?起きた!?わかる!?」
「ゲッホ、何、無理、ゲッホェ」
「咳き込んで万一喀血するようなことあったらこれもう一回です」
「寂雷さぁん」
「はあ、無理、しんどい」

 まぶたを接着した覚えはなかったのに、びっくりするぐらい目が開かない。何?お前みたいなやつ一生寝てろってことなの?いや知ってますけど、自分の身に何が起きてるかぐらい見させてほしい。
 やっとひらけた視界には、高校の頃女に囲まれてきゃいきゃい言われた後みたいな顔した一二三と、仰々しいチューブ持った寂雷さんと、あとはもう白しろ真っ白。
 ぼぁぁ、みたいな鳴き声を上げながら一二三がシーツにすがりつく。痛い。そこ四番目に痛い。

「さて独歩くん。状況はわかりますか」
「はえ、なんかいろんなとこが痛い」
「よろしい」
「よろしくないじゃん!」
「意識が戻るまでに回復した時点で儲けものです。口もきけているし麻天狼存続の危機は脱しましたよ」
「そ、違う!!」

 一二三、痛い。今叩いたところ、そこ七番目に痛い。

「独歩、飲酒運転の車にはね飛ばされて死ぬとこだったんだからね」
「ああ、はい、なんとなく、いや知らんけど、まあそんなもんでしょ。あれ、あん時よりちゃんと喋れるや、やったー」
「もおーーーー!!!」
「それはさておき、避けれる車を避けなかったそうですね。今生きてるのは一二三くんが紙一重のところで引っ張ってくれたからですよ。なぜ避けなかったんです?」

 寂雷さんが足元から一二三を引っぺがして言う。正直あんまりよく覚えていない。普通のサラリーマンに俊敏な動き要求すんのも間違ってると思うけどと言うと、それを差し引いてもだと言われた。パニックだったんじゃないですかね。

「……まあいいでしょう。独歩くんは相変わらず特徴がないのが特徴ですね。月並みです」
「僥倖じゃないすか」

 実は発語するたびに全身ばらばらになりそうなくらい痛い。表情筋が死んだのか、きもち顔には出さずにいられてる気がする。気がしてた。

「独歩」

 一二三が神妙な顔で言う。まだ大した動けないので、うめき声で返事をする。

「死んだら絶交だから」

 全身の骨が軋む。痛みすら通り越して、気を失ったような気すらする。二の句も告げないでいるうちに、一二三は病室(?)を出た。

「だそうですよ」
「……死ぬまで友達でいてくれる」
「ほんと、そういうところですよ」

 一二三に続いて、寂雷さんも病室を出ようとする。急に空恐ろしくなって、くっついてる感じもしない腕を突っ張って体を起こそうとした。

「死なせないと言ったでしょ。私の病院にいるうちは死んでようが生かします。ただ手間なので死ぬような危険のあることはしないように」
「寂雷さん」
「はい」
「俺幸せなんです」

 目の周りが熱い。気管がおかしい。やっぱり治ってないんじゃないかな。しゃくりあげるのが止まらない。

「あの時死んでもいいってちょっと思ってました。そりゃ仕事はクッソしんどいけど、でも麻天狼にいられて、やっぱしんどいこともあるけど、俺、なんか、幸せでした」

 アホみたいだ。ズタボロの中年が身動き1つ取れないでメソメソしてる絵面を想像してちょっと引っ込んだが、それでも涙が止まらない。

「私たちは不幸になるところでしたよ。麻天狼は私たち3人しかいないんです。君は死んで、ああ幸せだった、幸せの絶頂で死ねてよかった、なんて思うかもしれませんが、私たちにしてみればとんだ災厄です。君が一二三くんを失うとどうなるか想像してみなさい。それだけの苦痛を今回あなたは彼に強いたんです。個人の幸福も尊ぶべきではありますが、独善的なのは少々いただけない。その幸福を私たちにも還元してもらえませんか」
「ほら、こんな死にかけの中年にやさしい寂雷さんと、ずっと俺なんかと友達でいてくれる一二三と、これ以上ないでしょって。これ以上は怖いんですよ」
「ほざきなさい。死んでも生き返らせると言ってるでしょう。あなたは普段から自分を罰したがるきらいがあります。贅沢な悲鳴上げてるぐらいでいいんです」
「……ほんとにー?」
「ほんとに、です。まだ言わせますか?いいでしょう、今回の治療費あなたのツケにしてあります。今度一二三くんと出かける予定があるので、車出しを頼みます。以上」

 隣まで来た寂雷さんが、新しい点滴の袋を下げる。なんだかほっとして、いや泣いたからかもしれない、まぶたが重くなってくる。寂雷さんが何光年も向こうで「寝なさい」って言う。こそばゆくて、久々に「にへへ」なんて笑い声をあげた。
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