1.”美化委員会”
「あ、スガ!」
「なにー?」

 宮城県、烏野高校。教室棟の廊下で、澤村は菅原を呼び止めた。

「合宿あるだろう、来週。そこで参加校の主将と副主将で夜にミーティングあるらしいんだが……」

 澤村は言いよどんだ。俺たちの間柄で、なにを迷うことがある。菅原は「なした?」とにこやかに先を促した。

「……その後に別のミーティングがあるそうで、霊感があって話が通じる奴が来てほしいんだと」
「なに?」
「霊感があって話が通じる奴が来てほしいって」
「なんて????」
「だからぁ」
「いやごめん、聞こえてないわけじゃないんだ。意味がわかんないんだ。どゆこと?」

 意味がわからないなりに連絡事項を伝えなければいけない主将と、マジで意味がわからない副主将は廊下で疑問符を無限生成しながら話す。システムに巻き込まれるって憐れだ。

「えーっと、梟谷学園グループの合宿な、合宿中の物理的なセキュリティはもちろん警備会社とかがあるからいいんだけど、霊的なセキュリティにまで回してる費用がないから、そこは生徒でやらなきゃいけないんだそうだ」
「うわー、なんか、ここにきて”合宿初参加校”の肩書が固いとこで殴りかかってきた感じするな」
「ああ……で、だ」
「はい」
「お前に頼みたい…………」

 澤村はまさしく「断腸の思い」みたいな顔で苦々しく言った。頼むときの顔なんだろうかそれは。菅原は「まあ、なんとかなるべ。任せろ!」と快諾し、「じゃあ次俺倫理だから!」と特別教室棟へ向かって行った。
 その背中を見送って、澤村は再び重苦しい溜息をついた。倫理、倫理か。あいつに一番必要なんだがなあ。合宿所についたらなるべく早く黒尾と他校の主将に挨拶に行かなければいけない。
 ウチの霊感持ちが大層迷惑をかけると思います、と。


*****


 梟谷学園グループ長期合宿、三日目。今年度は三回目の開催となる今回は、開催地が梟谷、参加校はホストと音駒、烏野の三校でシンプルなものとなった。

「さて」

 赤葦が真面目な顔でシャーペンをノックする。主将会議に参加した面々が部屋に戻るのを見届けた後、会議室がわりに借りた空き教室には赤葦、海、菅原が揃っていた。

「お集り頂きありがとうございます。”美化委員会”、ミーティングを始めます」
「わー」
「よいしょー」

 やんややんや、と最高学年が気楽ななかで、二年の赤葦は鉄面皮を崩さずに手元を見た。赤葦の前にはメモと学園の見取り図がある。

「”美化委員会”のミーティング自体は今合宿で一回目ですが、日程は既に三日目が終わるところです。皆さんが来る前にいたのは一通りお話ししておきましたが、気になる部分などはありませんでしたか?」
「お話し」
「お話し、だね。うーん、やっぱり去年来たときよりちょっと重いかな。今年オカ研の新入生多かったか?」
「多かったですね。七人とか入部したそうです」

 流石に練習の疲れを引きずっているらしい海が頬杖をつきながら訊ねる。赤葦とは去年から同じ”委員会”なので、話題の振り方からも馴染みが見て取れた。
 最初の長期合宿で初めて”美化委員会”に参加した菅原は、自身が参加した今年度第一回のミーティングを思い出す。

「歴代メンバーとかいんの?」
「いや、俺と赤葦が創立メンバー。だから、実はまだ今年で二年目なんだ。他は様子を見ながら臨時とかで凌いでたかな」
「へえー。様子を見ながらって?」
「例えば、烏野の日向を参加させてみてください。バレーどころじゃなくなりますよね」
「ああ〜〜……わかった。「そういうことがある」ってのをわかったうえで、それはそれ、合宿は合宿で割り切れる奴だけ呼んでたってことね。一個だけ質問させて。木兎と黒尾は?」
「論外だね」
「ここでに限り、その名前は禁句です」
「…………オッケー!」

 気になりはしたが、藪蛇は勘弁だった。
 発足してから長くはないらしいこの”美化委員会”は、菅原の知る限りでは今のところ目立った活動はない。おかしかったところはないか。目立つものは。すぐに実害の出そうなものは。あれば、誰がその対応をするか。どう対応するべきか。それらしい話し合いはあるものの、菅原はその度に二人から「遠くから来てるし、今回は俺が」と言われてしまい、未だ実績を持たなかった。気になったところも、寝て起きたらなくなっていたりする。実績を持てばいいもんでもないし、ないに越したことはないのだが。

「ああでも、正門のちょっと逸れたところにいるのは気になったかな。けっこう息の長い地縛霊っぽかったけど、去年いたっけ? 気づかなかっただけかな」
「ええ、お恥ずかしい話ですけど、あれは俺も退けられなくて。去年は裏門寄りの誰も行かないところにいたので、とりあえず無害かなと思って何もしてませんでした」
「え? 正門の逸れたとこって、あの切り株あるとこ?」
「そうそう、あの半分しかないやつ」
「あれ俺昨日友達になったんだけど」
「ん?」
「はあ???????? あスイマセン、先輩に」
「いやそれはいいんだけど……」

 赤葦は「こいつマジで何を言ってるんだ?」の顔を一瞬だけして、すぐに申し訳なさそうな顔をした。こと「あっち」の話になると殺意の高い子である。普段はそんな素振りすこしも見せないのに。人って何があるかわからんもんだな、と菅原はのほほんと考えた。海は「そうかー」とこちらものんびりした口調だが、表情はどこか複雑そうだ。

「なーあれって帰ってもらうやつ?」
「俺としてはできれば消し飛ばしたいですね」
「赤葦、ランゲージ。まあ期間中実害が出るなら何かしらしなきゃだけど、あとはもう梟谷の生徒が決定権持ってるからね」
「ええー、あいつ良い奴だよ。面白い話いっぱいもってたよ? おかげでスベらない話のレパートリー増えたのに、帰らしちゃうのもったいないべ」
「スベらない話を披露する場がないですし、そもそも連中まともな話できるんですか?」
「できるできる! 俺のネタほとんど「あっち」の人たちから教わったやつだもん」

 菅原は花でも飛ばすように朗らかに「例えばこれ烏野の商店街にいるやつから聞いたんだけどさ」と口火を切った。赤葦はそもそもの前提を知ってしまっているので全力で「面白いわけがない」と疑念マックスで聞いている。海は「菅原くんそれ普通に喋るんだ」「そして赤葦も一応聞きはするんだ」「まあ言っちゃえば人生の先輩だしネタ豊富だろうな」「そう喋りだせば普通に聞こえるもんだな」と四種の感心で目を瞬かせた。チーズか。

「……っていうオチ。どうこれ? ウケるべ?」
「事前情報さえなければ、けっこうおもしろい話だね」
「事前情報を知っているので座布団没収です。菅原さんじゃなきゃ石抱かせて手ごろなダムに沈めてました」
「手ごろなダムって。怨念の無限ループになりそうだよ」
「幽霊なのにもう一回死んで怨念になるの? 根が深そうだなあー友達になれっかなあ」

 菅原がそう言って笑うのに、赤葦は再び「んぎぎ」と歯ぎしりする。境目生まれ烏野育ち、「あっち」の奴らは大体友達を地で行くスタイルである。赤葦は初めてのミーティングの前に烏野の主将から「悪い奴ではないんだ、本当に」と頭を下げられたのを思い出した。
 この”美化委員会”をそう名付けたのは赤葦だった。彼は「あっち」をとことん嫌う。執念とも呼べるその徹底ぶりの理由を聞いてみると、「見えるようになったの最近なので、まだ視界の端でちょろちょろされるの無視できないんです。最初は努力したんですけど、あいつらかまってちゃんじゃないですか、イライラしてきて」と手を握ったり開いたりしながら天井を睨んでいた。その目線の険しさを前にしては、「わざわざレスポンスするから「あの子はこっち見えてるよ」って界隈で広まってるんじゃないかなあ」とは言えない。
 対して海は特に干渉しない立ち位置を崩さなかった。今生きている人間より今まで死んだ人間のほうが圧倒的に多いし、そもそも死者のすべてが霊になるわけではないし。いるならいるで別に気にしない。短い付き合いではないので、対処もほどほどに覚えてきた。それこそ委員会発足のきっかけは、昨年何の気なしに赤葦の肩を祓ったらいたく感動されてしまい、「弟子とったりしてませんか」と言われたことだった。
 委員会のニューカマー菅原は、二人とも口にしないものの、「あっち」に関して海と赤葦に共通の認識を抱かせていた。曰く、「だいぶ寄ってる人」である。少々特殊な育ちをした菅原にとって、「あっち」は海と同じく長い付き合いであったが、その付き合い方が海とは致命的に違った。先述のとおり「あっち」の奴らは大体友達。どんなだろうがとりあえず話しかけに行き、仲良くなれば友人に、意思疎通が不可能であれば「また今度な」でやってきた。挙句、初回に菅原の非礼を先に詫びに来た澤村が言うには「目を離すとすぐに「あっち」使ってショートカットしたりテレポートしたりする」のだとか。これにはさすがの海も「マジか」と舌を巻き、赤葦は半歩下がった。共通認識の「寄ってる」とは、「あっち」側にの意に他ならない。


 さて、菅原の「あっち」産スベらない話がぼちぼち花を咲かせてしまい、そろそろ委員はそれぞれの部屋に戻らなければならなかった。切り株のところにいる半分のやつは明日の昼休憩で様子を見に行こう、と今日のところは結論をつけた。借りていた教室を片付け廊下に出ると、途端に喧騒が三人を包む。
 バレー部とはいえ三校が集まっていれば無理もないか。そうではなかった。
 膝から下だけの足のあとを、二の腕から先だけの腕が追う。生徒らしき人影は、足が三本あった。首だけの男性。首のない女性。一見普通に見える人。時刻既に21時、大半の部員は各部屋で寝支度をして、早いものはもう寝ている時間である。「あっち」の住人の活動時間であった。

「やっぱり学校はいるもんだなあ〜」
「力及ばず……」
「赤葦、除菌って言ったら善玉菌とか大腸菌まで許せなくなるタイプ?」
「そんな自然派ママに見えますか俺が。しませんよ、手の菌でヨーグルト作るとか」
「詳しいな」
「違いますからね」
「にしてもけっこういるなあ〜! でっかいやつとかいないかな?」
「いません! そんなもの!」

 赤葦が切れ長の目を吊り上げる。
 梟谷はなぜかこの手合いが多かった。可もなく不可もなく、特に注意するほどでもないものたち。ほとんどが人型。年齢や性別に偏りもない。土地がそうさせているのかもしれないし、何より梟谷は生徒数が多く歴史も古い。卒業生なのかな、と海は思う。とはいえこうも多いと歩くのにも気を使うので、海は柏手をひとつ打った。

(お…………っと)

 やってしまったな。海が柏手を打って有象無象が散ったあと、背後に際立つものを感じた。いる。陰と陽。赤と青。温と冷。雪と墨。生者と死者。交わることのない相反するもの。見ずともわかる。というか見たらヤバい。背後には「あちら側」が在った。
 海はすかさず赤葦と菅原の間に立ち、二人の肩を掴んでから小さく言った。

「ごめん。振り返らないで」

 赤葦が固まる。赤葦の殺意の高さは畏れの裏返しだった。怖がりの後輩を嗜めるように何度か肩を叩いてやると、赤葦は唇をきゅっと噛んで前を向いた。
 菅原もまた、少しだけ気配を固くした。いる。でっかいやつが。背が高いタイプか、天井を歩くタイプか。いくら「あっち」と仲良しの菅原だって、背が高いなら人間が良かった。それもできれば高校生が。一緒にバレーができたら楽しいだろうなと思う。言ったが最後赤葦に「そこじゃない」と怒られそうなので、口にしたことはないが。
 海は懐からケータイをぬきだして、メールの本文に「はなしあわせて」と打ち込み、二人に見せた。二人が見たのを確認すると、頷くまえに文章を消し、手元を自分にぐっと寄せてメールを打つふりをしながら喋り出した。

「そういえば二人とも、今裸眼?」

 菅原が頭に疑問符を浮かべている。いや裸眼ですけど。なんだろうと思っていると、赤葦がはっとした顔をして、普段通りの声で答えた。

「裸眼です。流しちゃうの怖くて、風呂の前に外してからは翌朝までずっと外しちゃいますね、コンタクト」

 赤葦の目が雄弁に菅原に語り掛ける。はなしをあわせろ。菅原は「えーっと」と口の中で呻いてからなんとか喋り出した。

「俺もそろそろ導入すっかなー、眼鏡のほうがいいのかな。動いてたらズレたりするんだべ、ああいうの?」
「うーん、話に聞くほどズレないよ。つけ外しでミスった時のほうが結構ひやひやするかな」
「そうですね」
「えー二人ともコンタクト? シティーボーイは違うなあ」

 わはは、と朗らかな会話が続く。全身全霊の芝居で作り出した朗らかさのなかで、海は手元のケータイで夜久にメールを打った。

『各部屋俺たちが着くまで部屋の電気を消さない。烏野は澤村くんに、梟谷は猿杙くんに連絡して。ちょっと大きいのがいる。たぶん夜行性。梟谷の部屋に寄って、菅原くんを送ってから戻る。返信不要』

 送信完了の画面を見届けても海はケータイを仕舞わなかった。画面から放たれるブルーライトは本来まっすぐ天井にあたり、白い天井に跳ね返されてわずかばかりでも廊下を進む自分たちに還元されてくるはずなのに、落ちてくる光は頼りなくて歪んでいて、挙句ちらつきまでした。追ってきている。頭上に、いる。
 足音は高い。ちょうど背中のあたりでさら、さらと擦れる音がする。ああ、髪が長くて天井を歩くタイプだ。海はこっそり「ゴンさん」と呼んでいる。長い髪だけが重力に従って、ふつうに床に立った状態を考えるとものすごい髪が逆立っているから。
 命名の由来こそすこし抜けているものの、その実この手合いは海もけっこう苦手なタイプであった。下手なルートで歩くと、顔のすぐ横を、こちらをものすごく凝視しながら通り過ぎて行って、凝視したまま歩き続ける。追い抜かれたはずなのに顔だけずっとこっちを見ている、いわゆる首が大回転するパターンがあり得るからだ。
 実害はない。しいて言えば、めちゃくちゃ心臓に悪い程度。だがそれをやられると、たぶん赤葦が泣き出す。十全に人型を保っているので、けっこうダメージがでかいのだ。用の済んだケータイを仕舞わずに天井を照らし続けているのは、天井を照らして追い抜かれないようにするため。思い付きでやってみたが、案外効果があるものだ。

「めちゃくちゃ話変わるんですけど、今日のレンコンのきんぴら、美味しかったですね」
「食の好みが渋いな! まだ高2だべ!?」
「俺、去年いた梟谷の先輩のご父兄がおすそ分けしてくれた菊のおひたし好きだったなあ。今年ももらえたりしない?」
「どうでしょうね。次回頼んでみますか?」
「なに? 菊? 刺身に乗ってるタンポポみたいなやつ?」
「食用菊の花びらをおひたしにするんだ。美味しいよ」
「渋い〜、会話が渋いよお。なんかもっとキャッチーな話すんべ」
「お、言い出しっぺの法則」
「言い出しっぺが話題を変えるんだよ」
「無茶ぶり! えーそうだな、今日の夕飯の話とか?」
「きんぴらの話ですか」
「レンコンの話だね」
「ああ変わってねえー!」

 身構えはするものの、基本的に「あっち」に対して嫌悪がない菅原が、意図してかせずしてか、ケラケラと笑った。赤葦はその笑顔を見てなるほど、と思う。海からは再三「気にしすぎない」「仕方ないものは仕方ないって片付けないと、どこかで全部無理になるよ」と言われてきたが、赤葦には肝心の「気にしない」をどうすればいいかがわからなかった。今だってなるべく45度より後ろを見ないように、意識しないように必死だが、こうして平気そうに明るく笑いかけてもらうと、なんだかこちらもつられて平気になる気がする。

「あ、そういえば。前に貸した本読んだ?」
「ああ、読みました。返すの遅くなってすみません」
「大丈夫。ついでだしこのまま行こうか」
「そう? じゃあ俺角んとこでバイバイかな」

 言い切る寸前に、肩を掴む海の腕にグッと力が入る。「おやっ」と思う間もなく「よければぜひ来てみてください、あの騒がしさは格別ですよ」と声がかかる。チロっと見ると、”美化委員会”の先輩ふたりの目は「はなしをあわせろ」と語っていた。

「お……おお。行くわ。気になるかな。ウチよりヤバい?」
「寝るとき耳栓必須ですよ」
「ウチの大型は寝てからは静かだなあ。寝付くまでがすごいけど」
「赤子か」
「ふふ。そのままお返しします」
「ぐうの音も出んわ……」

 なるべく絶やさないように色々な会話をしながら歩き続けてしばらく、曲がり角を境にふと背後から気配が遠のいた。あれっ、と立ち止まりそうになる菅原を、ついに赤葦が手を引いて走る。

「ドアの前でちゃんと一回止まるんだよ」
「はい!」
「あああ、あか、あああああか!?」
「呼ばないで!」

 赤葦の必死さは、それはもう、のレベルだった。脱兎。こらえていたのを発散するように走る。菅原が海を振り返ろうとするたびに「急いで! エースのバカっぷり見逃しますよ!」と切羽詰まった声を張り、赤葦を呼び止めようとするたびに「知らない人ですね! ご友人ですか!?」と叫んだ。
 もう一度なにかすれば、きっとこの後輩は「はなしをあわせろ」とこちらを振り向いてしまう。それってつまり「振り向いて」しまうんじゃなかろうか。こんな必死な声を出して。あのトスを上げる指先を、こんなにキンキンに冷やして。菅原は自分の手を掴んで引く後輩の掌の力を感じながら、「うーん」と唸り、ひとつ閃いて、赤葦に追いつくように走るスピードを上げ、並走した。

「ぎゃっ……!」
「じゃあ今度ウチも見に来いよ! おもしろいぞー!」
「あああびっくりした、そうですね、そのうち!」
「おう!」

 わずかに息を弾ませてたどり着いた梟谷のメンバーが寝起きする部屋の前では、猿杙が待っていた。「おー」と気軽に手を上げるさまに、なんだか帰ってきたなあと思う。菅原が帰るべき部屋はここではなかったけど。

「走ったねー」
「あれはちょっと、ちょっと。見逃してました」
「夜行性なら仕方ないよ。はい」
「お願いします」

 赤葦が猿杙に頭を下げたので、菅原もわからないなりに隣で真似た。猿杙は手のひらに息を吹きかけて、二人の両肩と頭をぱっぱとはらう素振りをした。途端、急激に肩こりのほぐれるような感じがした。おお、と興味深そうにしている菅原を見て猿杙は「なるほど、期待の新人」と笑い、赤葦は「肝が冷えました」とげっそりした顔をした。

「海くんは?」
「いるよー」

 赤葦がビョッと顔を上げた。海が小走りでやってくる。背後には何もない。赤葦はどっしりと熱い溜息をついて頭を下げた。

「ご迷惑をおかけして……!」
「仕方ないよ、反省会しよう。俺たちも菅原くんに説明してないことたくさんあったしね。部屋上がらせてもらっていいかな」
「いいよ〜。その前に”おつとめ”ね」

 猿杙が先ほど同様に肩をはらい、海だけは執拗に頭を撫でた。

「もう良くない? ちょっと恥ずかしいかな」
「いいシャリシャリだなーと思って。大根おろしていい?」
「次の公式戦楽しみにしておきなよ、とだけ」
「わあ〜やめとこ。はい、”おつとめ”ご苦労様」

 梟谷の部員に宛がわれた部屋では、木兎が高らかに寝息を立てていた。レギュラーが痛ましそうに見るなか、赤葦は眠る木兎の隣に座り込んで、しきりに自分の頭や肩を撫でる。海が「大丈夫だよ。赤葦が一番分かってるでしょ」と言いながら菅原を手招き、夢の世界に旅立っている木兎の隣で三人で丸くなって座った。

「俺ら聞かないほうがいい?」

 木葉がカバンをまさぐりながら言う。カバンからはウノ、トランプ、花札、遊戯王のデッキが出てきた。

「基本のおさらいするだけだし、皆はいいかな。ご希望におまかせするよ。場所借りといて偉そうに申し訳ないけど」
「いや、海が言うならそうなんだろ。俺ら赤葦の教育行き届いてるから安心しといて。じゃ今日はウノやろーぜ猿」
「え〜大富豪やろ」
「二人で大富豪とかクソゲーじゃねえか! お前開幕革命起こしてくっからやだよ! 去年の猿杙の乱ぜってー忘れねえからな!」
「一揆みたいに言う」
「だそうだけど、普段何か言ってるの?」
「これから菅原さんにお話しするようなことを。守られないようであれば、俺がやってる木兎さんの仕事ぜんぶ投げ出して泣き散らかしますからね、とだけ」
「そりゃテキメンだべな」

 それからしばらく、結局ウノでも響くことになった木葉の悲鳴をBGMに語られたのは、「あっち」と「あちら側」の違いと「やってはいけないこと」。「あっち」のみならず「あちら側」とも懇意にしていた菅原は、目からウロコをポロポロ落としながら聞いていた。

「必死に「目が悪いです」って話してたのは、「俺たちそっちのこと気づいてません、見えません」っていうフリです」
「基本的に「あっち」に気付かれて良いことはないよ。俺たちは「こっち」の住人なんだし」
「じゃあ「あっち」経由でショートカットすんのけっこうヤバかったってこと?」
「スガくんが通ってるのはもう「あちら側」だよ。正直に言えばヤバいどころの騒ぎじゃないね。スガくんがどうなりたいかだけど、「こっち」に居たいなら立ち居振る舞いは覚えていかないと」
「あと、名前は本当に禁句です。真名なんて専業のとこでもあるかないかの時世だそうですから、俺たちはほんとに俺たちの名前が、精神を入れる箱の鍵になってるようなもんだと思ってください。ポケットティッシュと同じノリで精神の合鍵配ってるようなものです」
「はえーッ知らなかった。だから西谷とかたまに行方不明になってたんかな。てっきり元気が有り余ってだと思ってた」
「ああ西谷君は……あー早く言っておけばよかったね。申し訳ないことしたなあ」
「本人に自覚があるかわからないですけど、名前がどうしても……それを呼ばれたってなると「あっち」案件でしょうね……」
「スガくん、烏野にスガくんの事情をわかってる人いる?」
「大地と旭と、月島かな。縁下は大地から言われてるのか、たまに目光らせてくるけど」

 委員会の先輩ふたりが「ああ……」と眉間を揉んだ。なんかここまで「お察し」みたいな素振りをとられると、本当にダメなことばっかりしてきてたのかもな、と菅原はちょっとだけ身がつまされる思いだった。ちょっとだけだが。

「東峰さんはお名前「あっち」強そうですけど、本人がどうでしょう」
「なあさっきから名前名前って言ってるのなんで?」
「例えば、テケテケっているでしょ。名が体を表してる、というか体から名前が付けられたよね? さっき赤葦が精神の合鍵って言ったみたいに、名前がそもそも「あっち」に対抗する術のひとつなんだよ。「東峰旭」と「西谷夕」だと、西谷くんはちょっと「あっち」に好かれやすい名前をしてるから。行方不明になったりしたって言ってたけど、今回も元気にフライングやってるってことは、名前以上に本人が「あっち」に耐性あるんだろうね」
「それか、菅原さんが知らないところで部員の尽力があったのかもしれませんね。見た感じですが、縁下はたぶん「そういうの」に薄々勘付いてます。知らんぷりしてるみたいですけど」
「はあ〜知らない事ばっかりだ。副主将やってて大丈夫かな俺」
「これから知っていけばいいんだよ。俺たちの春はまだこれからだしね。そのために来てるんでしょ」

 海はにこりと笑った。




 遅くまで居座ってしまった非礼を詫びると、見送りに立った赤葦は「とんでもない」と頭を下げ、猿杙は「面白い話が聞けて良かった」と笑った。
 気の置ける同輩とかわいい後輩たちが待つ部屋までの帰り道は、なにもいなかった。時間を考えれば当たり前なのだが、それでもさっきまでの体験を踏まえても、あまりに閑散としていた。廊下の非情誘導灯と窓から差し込む街灯の明り意外に光るものはない。ただしく夜闇が満ちていた。

「それが”普通”らしいよ」

 菅原を送る海が言った。「らしいよ」、ということは、海もいつも賑やかな視界をしているのかもしれない。菅原は「ふうん」と下唇を突き出した。

「なんかした?」
「人を付け回すんじゃないって言っただけ」
「お話しだべ?」
「まさか。言葉通りの意味だよ」

 ええー、と腑に落ちない顔をする。ちゃんと経緯を聞いたことはないが、赤葦は海の弟子みたいなものであるらしい。あの殺意を育てたのは海なんじゃないか、まで考えて、菅原の観察眼は「ちがうな」と考えを改めた。その様子を視界の端に見ていた海は、再びにこりと笑う。

「菅原くんの「付き合い方」も、赤葦の「付き合い方」も、間違ってるとは思わない。ただ、ちょっと極端かなとは思う。人間と変わらないんだよ。だからこそ、全員と仲良くなれるわけじゃないし、全員片っ端から殴っていいわけでもない。パーソナルスペースっていえばいいのかな」
「線引き、だよなあ。俺その辺ほんとに全然気にしてなかったや」
「それで救われたひともいると思うよ。まだ「こっち」にいるひとの何割かは、寂しいからこっちにいるんだ」
「あー、卒業式の後みたいな感じ? 校舎出るの寂しいなあ、もうちょい居たいなあ、みたいな」
「まだ死んだことないから訊いてみないとわからないけど、そう言われるとわかりやすいね。流石」
「明日は俺に任せて。コミュ力には自信あるから」
「今年の新人はずいぶん心強いなあ、あっちもこっちも」

 そうして物静かな廊下をしばらく歩いて、烏野に宛がわれた部屋の前では澤村が待っていた。二人の姿をみて、根っこから全部みたいな重い溜息を吐く。

「お前は……!」
「いや今回は俺のせいじゃないから!」
「そうだね、全員のせい。ご心配おかけしました」
「えそうなの!?」
「スベらない話、おばけなんてないさ、柏手の3連フルコンボだったよ」
「ウチのが迷惑かけてすまない、ほんとにちゃんと言っておく」

 大黒柱だなあ、とは思っていたが、こうしてみると本当に父親みたいだな、と海は場違いにのほほんとした感想を抱いた。赤葦の言っていた「菅原の知らないところでの尽力」、ほぼここだったのかもしれない。「ほらお前も謝れ!」「俺だけのせいじゃないじゃん!」と睦まじくもつれ合う二人を見て、海は時間も時間なので仲裁に入った。

「俺たちから言うことは言ったし、スガくんも思うところはあったみたいだし、今まで通りにしてあげてください。むしろ、今まで通りにしてもらうのがきっと一番いいから」
「そ、そうか、そういうことなら」
「なんか怒られたっけ?」
「お前この言ったそばからそういう本当マジお前……!」
「あー! ごめんて! でもすげー勉強になったから! マジで明日から気をつけるから!」
「今日からって言え!」
「あーあーあーあーまた。明日に障るから」

 もおー、と言いながら慣れた様子で再び仲裁に入る海の掌は熱かった。「じゃあ、また明日、コートで」と言えば、烏野の二人は一瞬呆気にとられて、すぐにぎらりとした光を目に宿して「ああ、また明日」と言った。その鋭さを見て、海はまたひとつ認識を改めることになる。


***


「遅かったな」
「まあね」
「どうだった? 案内したか?」
「あれは準備がいるかな。オヌのなかでは結構力ありそう。でもなんかつかみ損ねてる気がする」
「海がぁ? そりゃやべえかもな」
「でかいのが様子見する用に拵えた定点監視カメラ、かっこ自立移動する、って感じかな。まあ昼は出ないだろうし大丈夫。夜久もごめんな、こんな時間まで」
「別に無理してねえから平気だ。リエーフが寝つき悪くてよ」
「黒尾と研磨は?」
「普通かな。ほい、猿杙がやったろうけど、”おつとめ”」
「はい。お願いします」

 夜久は海の肩をぺっぺっとはらった。先ほど猿杙がしてくれたよりも手つきこそ雑だが、塵ひとつなくなった感覚がある。

「あいご苦労さん。髪の毛ついてた」
「本当か? 木兎のとこ行ったから全部消えたもんだと思ってた」
「梟谷にいるやつが梟谷のエースで消えるもんかよ」
「いやあ、夜久がいてくれて助かるよ本当」
「そうか? 「あっち」の護りのエースに言われて悪い気はしねえな」

 風呂上りみたいな息をひとつ吐いて、なにやら随分と長かった気がする海の帰路は終わった。音駒に宛がわれた部屋では、柴山が「今日は消灯時間遅いな?」と怪訝そうな顔をして、いた。

「お、おかえり海」
「はいただいま黒尾」
「オラ、海帰ってきたから寝るぞ! 明日は朝イチ烏野と練習試合だ寝て気合充填しろ!」
「明日もコテンパンにしてやろうぜ!」
「負けねえ!」
「寝るっつってんじゃん大声出すのやめなよ」
「コテンパン……古典派と戦犯どっちがいいかな?」
「福永最近ラッパーみたいになってきてるな」
「オラ寝ろーーーッ!!!!」
「ほら夜久が怒るぞ、寝るフリだけはして」
「マジで寝ろ!!!!」
「はいはい、寝る支度寝る支度」

 促すように海が手を叩くと、部員たちは「オェース」とモソモソ寝支度を始める。黒尾が訝しげな顔で尋ねた。

「またなんかした?」
「何もしてないって。超能力者じゃないんだから」
「俺と海のママみが成せる技だ」
「誰がママって? 子供じゃなく?」
「永眠させてやってもいいぞこの野郎!」
「こーら、下の子が真似するからやめなさい」
「ガチっぽいの言うな!」

 そんなこんなで、それぞれの夜は更けていく。「あっち」の時間が終わり、俺たちの時間が始まる。始まったら最後、再び「あっち」の時間が始まるまではバレー漬けだ。寝ない事には始まらない。
 昼休憩での対応は菅原に任せるとして、赤葦が「あれ」をどうするって言うか。気がかりはそのくらいかな。まあなんとかなるか。消灯から数分で海も寝落ちた。その入眠を起床の切り替えの早さから、こっそり「電源ボタンついてんのか」と言われているのを、本人は知らなかった。



***





 きづかれたのははじめてだ。おもしろいのもいたもんだなあ。
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