7.ある後輩の記録
 梟谷学園高校。
 ことバレー部の功績も名高いこの学園には、奇妙な風習が根付いていた。
 曰く、フクロウさん。
 有り体に言えばこっくりさんの派生みたいな儀式である。それに祈れば、学業成就、恋愛成就、健康長寿、さまざまな恩恵が受けられるとある。
 長く受け継がれたんだか最近できたんだかわからないこの秘密の儀式に、代価があることを知る者は少ない。


 *


 学生は忙しい。良く言えば瞬瞬必生、悪く言えば落ち着きがない。その裏には、常に彼らを追い回すものがある。

「小見やん、何飲んでんのー」
「リポDをポカリで割ったやつ。数学の課題完全に忘れてて、徹夜で片づけたんだよ」
「大塚製薬が聞いたら助走つけて殴られそうな飲み方してるね」
「買って御社の成長と発展に貢献してんだからノーカンだろ」
「そうとも言う」
「大塚製薬よりも先に親御さんに殴られそうなチャンポンですね。やめた方がいいですよ」

 猿杙と小見の会話に赤葦が割り込んだ。どっさりと抱えた紙束の上から二部を「来週のメニューと諸連絡です」と渡す。

「おーあんがとな。でもよー、俺らフクロウさんできねえじゃん」
「できないことはないんだけどねー」
「やりたくねーっつーか、やれねーっつーか」

 小見がメニューの内容に「ぐへー」と顔をしかめた。
 梟谷学園高校男子バレー部は、フクロウさんをやらない。
 強豪校のプレッシャー、重圧、期待に伴う責任。それらをフクロウさんに願って叶うなら、こんなにハードな練習など元からしていないからだ。
 これだけ苦しんで培ったのだから、混じり気なしの純粋な自力のみで強豪として在り続けたい、とレギュラーを筆頭に部員たちはほぼ皆思っている。
 何より部員たちにフクロウさんを思いとどまらせるのは、主将でありエースであり、手のかかるデカい赤ん坊こと木兎の存在が大きい。
 全国五本の指に入るエース。その実力はセンスや才能もさることながら、彼自身の努力の賜物であり、そもセンスと才能も本人の地道な練習によって花開いたものであることを、レギュラーは痛いほど知っていた。実際に痛いときもある。死ぬんじゃないかと思うほど練習に付き合わされるので。
 その木兎が、ある時フクロウさんを「意味なくね?」と言った。

「それで勝っても楽しくねーじゃん。自分の力じゃねーんだもん」

 何かおかしなことを言ったか? みたいな顔で言ったので、聞いていた面々は「お前がそういうなら本当にそうだよな」と納得し(せざるを得なかったとも言う)、とにかくよくわからん儀式やってる暇あんなら自主練して、そんなもん頼って得た勝利がなんぼのもんじゃい、と思うものがほとんどであった。

「でも、なるべくエナジードリンクはやめた方がいいと思いますよ。命の前借り、とかよく言われますし」
「ええー、俺たかが数Bのために寿命減らしたの?」
「永遠の若さ……永遠の若さ……」
「ぎゃはは! やめろ猿!」

 きゃきゃ、と賑やかな先輩たちをしばし微笑ましく眺めて、赤葦は「鷲尾さんのとこ行くので」とその場を辞した。年の頃には似合わない色んな意味でしっかりした背中を見送って、二人はメニューをパラ読みしはじめた。

「にしても、赤葦も大変だよな。これ木兎の仕事だろ」
「木兎がこれ渡されてちゃんと皆に配りきれると思う?」
「無理だな。そもそも監督が渡さねえわ」
「ね」

 練習試合を控えたメニューは普段にも増して大盛りだ。小見と猿杙は、苦労人な後輩の背中を思わずにはおれない。あの苦労人は、このメニューに加えてデカい赤ん坊の世話と庶務をこなし、部活外では模試を控えている。

「ねー小見やん、赤葦んちってどのへんだっけ」
「なに」
「足向けて寝らんないじゃん」

 猿杙は笑った。小見はその笑顔の下に、兄のような色を見る。実際下に妹が二人いるらしいので当たり前っちゃ当たり前なのだが、なんかひどく優しい顔をしていた。

「マ、おだてるくらいは手伝ってやっか」

 物で釣る用になんか買いに行っとこうぜ、と席を立つ小見に「俺シンプルに小腹空いた」と猿杙も後を追う。やさしいお兄ちゃんの微笑みはすっかり目が細められて、アヒル口も相まってごきげんなワンコとかそんな顔に見える。
 平和そのものだった。教室に影が落ちているのを、誰も気にした素振りはなかった。
 素振りを見せなかった、とも言う。



「フクロウさん、フクロウさん、知恵をお貸しください」




 五体と意志と、ちょっとの道具。練習もフクロウさんも必要なものはあまり変わらない。結果を引き寄せるか、自分から突っ込んでいくか。求める結果によっては、いばらの道を血反吐吐きながら進むことになる。
 やなこった、めんどくせえ、痛いのなんか嫌だ。そう思うのも無理はない。高校生は瞬瞬必生、瞬きひとつすら惜しい時を生きている。すぐに手に入らないものが嫌いな時分だ。
 だからこそ、と、赤葦は思う。

「すみません、今日トス低かったですか? 高かったですか?」
「んーん。俺の調子が良くない。今日なんかダメ」
「何食べました?」
「昼は弁当と焼きそばパンと唐揚げ棒とアメリカンドック食べて、その前に天むすとドーナツ食べて、朝練の後に揚げパンとハムカツサンド食べて、朝飯ちゃんと食べた。昨日の夕飯は麻婆豆腐と白飯5杯」
「よかった、拾い食いはしてなさそうですね」
「いやめっちゃ食ってるとこに突っ込めよ! そんで木兎は明らかに胃もたれのやつじゃん解散解散! キャベジン飲んでろ」

 木葉の鋭いツッコミが冴えわたる。ひとつ手を間違えばすぐにでも体育館の隅に移動して膝を抱えてしまいそうな木兎は、今日の練習で行われたミニゲームでどうにも結果が出なかった。
 レギュラーチームと二軍チームで行われたミニゲームで、二軍チームのWSは目覚ましい活躍を見せた。その活躍ぶりはレギュラーも「おお」と声を漏らし、監督までもが「木兎がしょぼくれたらお前にコート出てもらうかもな」と称賛するほどだった。それが一層木兎の焦りを加速させ、ミスを連発する結果となったのだが。

「そういう日もあります。来週メニュー厳しくなりますし、今日はスパイク練やめて早めに帰って休みましょう」
「やだ。こんな時こそ練習やんなきゃじゃん」
「その考えは素晴らしいですが、こんな時こそ、です。がむしゃらに練習するよりも、何をやるべきか、何ができていなかったのか目標を決めてからやる方が効率がいいと思います。今日は目標を決める日にしてください。明日の朝練までなら、来週のメニューもまだ変更が効きますから」
「そうなの?」
「なんで把握してねーんだよ」
「聞かされてねえもん」
「ハー、そもそもか」
「そもそもです」

 膝を抱えるまではギリギリ行かないものの、しおしおと細くなってしまった木兎を木葉と尾長が運搬する。普段は「木兎さん重いっス」と呻く尾長も、今日ばかりは静かに木兎の足を担いだ。
 そのくらい、奇妙に何かが狂った日だった。

「赤葦。状況は」
「鷲尾さん。これ以上は悪くなるばかりって感じですね」
「やっぱりか」
「判断、明日の昼休みで間に合いますか?」
「赤葦が平気なら構わないが、いつまでもこのままじゃ困る」
「わかりました。策はありますので」
「世話をかける」
「いえ、それが仕事ですから」

 あまりにも守護をぼやかした会話だったが、二人は互いの顔を見ず言葉のみでやりとりをしてサッサと自分の次のやることに向かった。
 今日の練習はもう終わり。片付けも済んで、あとは帰るだけだ。練習が厳しくない今のうちに少しでも体を休めておこうと一同が帰路を急ぐ中で、木兎だけが練習義のままだった。




「フクロウさん、フクロウさん、俺をこのチームのエースにしてください」




「決行します。たぶんもう限界です」
「思い切ったな」
「準備はできてます。許可も貰いました。あとは放課後を待つのみです」
「祈っておくか?」
「あってもなくても、その時はその時ですね。皆さんの判断に任せます」
「なにカッコイイ会話してんの?」
「大人の話です」
「ああ。木兎にはまだ早いな」
「俺主将なんだけど!」

 むき! と歯を見せて威嚇する木兎は、八つ当たりみたいに総菜パンを開封した。昼休み、屋上にはレギュラー陣が揃って各々の昼飯を広げていた。

「木兎さん、何食べました?」
「昨日は帰り道で蒸しパンと肉まん勝手、帰って生姜焼き食って、朝飯は米と塩鮭、朝練の後におかかチーズおにぎり、今焼きそばパン。この後にメロンパンとカレーパンが待ってる」
「燃費悪いスね」
「いいぞ尾長もっと言ってやれ、実も赤葦も大概木兎バカだからな、お前だけが唯一の希望だ」

 木葉にヒシと手を取られた尾長が目をぱちくりさせている間、赤葦はすっと目を細めた。
 今日しかない。これ以上は待てない。事態が悪化していくのを防ぐために、ここで一手講じるしかない。
 赤葦と密かにアイコンタクトを交わし、鷲尾は席を立った。

「どこ行くの」
「便所だ」
「俺このあとカレーパンが待ってんのになんでそういうこと言うの!」
「うわ木兎最低!」
「思っても言うなよそういうことぉ〜」
「お前一生カレー食ってろ」
「それはそれでなんか健康被害ありそうスね」
「ないだろ、木兎だぞ」

 瞬瞬必生。密かに爆走する思惑に気付かないまま、レギュラー陣の朗らかな会話は続いた。


***


 スパイクはブロックに阻まれた。木葉がフライングで上げる。少し低い。はち切れそうな腿に「動け動け」と胸の内でキレ散らかしながら滑り込み、オーバーでレフトへ。勢いあまって転がる。
 彼の一番好きな高さ、場所、ふわりと飛び上がる影。

「一枚!」

 相手コートの配置を肌で知覚する。ああこれ決まる。フェイントかもしれないし、ぶち抜くかもしれないし、とんでもないクロスかもしれない。
 一瞬のうちに二度、叩きつけられる音。
 ホイッスル。25点目。

「ヘイヘイよっしゃあー! あかーし見た!?」
「スッ転んでました」
「んもー! でも木兎さんは優しいから何があったか教えちゃう! 超いいコース決まった! 最高のトスだったぜ!」

 今日のミニゲームは、レギュラーチームの快勝であった。昨日のしょぼくれ加減もどこへやら、全力で飛びついてくる木兎を、赤葦は今一度足に胸の内で「踏ん張れ」とキレ散らかしながら受け止めた。気を抜くと二人そろって倒れた挙句俺だけが後頭部を打つ。それは流石にやだ。

「ありがとうございます。そりゃ良かったですね。見たかったなー」
「全然思ってない言い方!」

 わぎゃ、と騒ぎ始めた木兎に、すかさずチームメイトたちが「俺は見てたぜ」「すごかったぞ」「さすがエース」「きゃあ猛禽類」と囃し立てる。デカい赤ん坊はちょろいもんで、さっさと機嫌を直した。
 ちろり、と鷲尾が目配せする。赤葦は黙って頷き、「ウチのエースのここがすごいよ選手権」が開催されている間に静かにその場を離れた。


 *

「フクロウさん、フクロウさん! この大ウソつき、役立たず!」
「出自のはっきりしないもんとはいえ、頼んだ相手にきいていい口ではないですね」

 体育館裏で行われている数人がかりの儀式に、闖入者の声が割り込んだ。振り返るとレギュラーチームのセッターが沈みかけの日を背に立っている。
 ああ、正セッター。こいつも腹が立つ。二年の癖に副主将まで任されて。どんな手を使ったか知らないが。
 二軍チームのWSは三年だった。残り少ない試合で、輝かしい実績を得たい。しかし梟谷には絶対的エース木兎がいる。なんとかして彼を蹴落としたかった。

「まして先方様は位が低ければ低いほどフッ軽ですから。手を貸してくれる時も早いですが、キレる時も早いですよ」
「何の話だよ」
「フクロウさんの話です。随分と頼まれたみたいですね」

 カッと三年の顔に血が上る。

「お前には関係ねえよ!」
「ええ関係ありません。ですが、余計な火の粉がかかるといけませんし、先輩も大事な仲間ですから」

 言葉こそ優しいものの、赤葦の顔は「ケッ」とか思っていそうな顔だった。儀式を行っていた部員たちが頭に疑問符を浮かべている間に、赤葦は指を握りこむ。
 握りこぶしをぴたりと合わせ、親指を絡め、人差し指を伸ばして合わせる。赤葦は、ともすれば環境音に紛れそうな声で何事か呟く。
 たぶん同じようなことを何度か唱えて、赤葦は手を下ろした。

「なに、厨二病? 高二病か」
「そう思うならどうぞそのように」

 にべもなく言う赤葦の顔は、後ろから照り付ける夕陽で影になってよく見えなかった。部員たちは気味が悪くなって、唇を捻じ曲げながらその場を離れようと踏み出す。

「先輩」

 横を通り過ぎる直前、赤葦は温度の無い声で言った。

「お帰りの際はくれぐれもお気をつけてください」

 赤葦はこちらを見なかった。呆気に取られて立ち止まっているうちに、「お疲れさまでした」と赤葦が体育館に戻っていく。結局置いていかれた部員たちは、夕風はこんなに冷たかっただろうかと身震いした。


*****


「なに食べてるんですか」

 翌日、赤葦は今日のメニューが変更になった旨を伝えに木兎の教室を訪れていた。木兎は教室にいたが、机の上にはわんさかと菓子が積まれ、片っ端からクラスメイトに奪われたり、「これは俺の!」と片っ端からツバをつけたりしている。

「んー。前借りした命」

 赤葦はぎょっとして木兎を見た。その顔を見て、木兎はちょっとおもしろおかしくなって笑った。あかーし、メッチャ考えてる時の顔だ。あんまりこのままにしても思いつめそうで、早々にネタばらしをする。

「小見やんに数学のノート貸してたんだよ。そのお礼でもらった」

 赤葦は再びぎょっとした。

「今のでビックリするとこあった?」
「え? 木兎さんノートとるんですか」
「とるよ。授業ちゃんと受けてるもん」
「木兎さんが言う「授業ちゃんと受けてる」、寝てないとか出席はしてるとかそのレベルだと思ってました」
「ひでーな!」

 むき! と歯を剥く木兎だったが、その口角は上がっていた。今日はことさら機嫌がいい。

「自分でも思うけど俺昨日からめちゃくちゃ機嫌も調子もいいわ。あかーしがまさかあんなこと皆に内緒で進めてたなんてな」
「鷲尾さんに協力してもらいました。上手くいって安心しましたよ」
「すげー美味かった、スイカ」

 昨日のミニゲーム後、うちのエースのここがすごいよ選手権の最中に姿を消した赤葦が戻って来たとき、その腕にはよく冷えたスイカがわんさか乗った大皿が器用に複数持たれていた。

「父母会の皆さまから差し入れで頂いてました。今日揚げ物を食べてない人から順に取ってください」

 そう言った赤葦の顔はサラリとしていた。この数日何を食べたか訊かれていた木兎は、その問いはこのためだったのだと全身から光の粒を大放出し、一番大きなスイカを何切れか選んでモリモリ食べた。

「これ以上は悪くなっちゃいそうでしたし、昨日木兎さん珍しく揚げ物食べてなかったっぽいので」
「ぜんぜん一緒に食うけどな」
「あー、そうですか、そうでしたか。なんか必死こいて頭使ってたのバカらしくなってきました」
「うそうそ! ぜんぜん一緒に食うけど、その気持ちが嬉しくて、メッチャ美味かった」
「そうでしたか」
「そう。で赤葦、なんか用事?」

 切り出されてやっと思い出した。一連の会話の冒頭で投げ込まれた衝撃(木兎がノートをとっている)の余波はやっと遠く去った。赤葦は「ああ」と返す。

「今日メニュー変更になりました。ミニゲームの予定でしたけど」
「なんかあった?」
「先輩、帰りにチャリで単独事故起こしたそうです」

 木兎は静かにフーンと言った。思い出すように上の方を見ながら呟く。

「アイツの分食べちゃったからかなあ」

 元来切れ長の赤葦の目がすっと細められるのに、誰も気が付いていなかった。学年の違う教室にいる、という場違いをすべて塗りつぶして、赤葦はただそこに在った。

「そうかもしれませんね」

 細めた目ですっと見まわす。木兎のいる教室は、隅から隅まで光に満ちていた。
 忘れてはならない。これが正常、清浄なのだ。梟谷のレギュラーの誰一人だって、「あちら」になどくれてやるものか。
 随分前のことのような気がする。そう決めた夏を思いながら木兎に向き直る。
 木兎はメントスとコーラを一緒に飲み食いして大惨事になっていて、赤葦は鼻から長く息を吸うしかできなくなっていた。
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