それも、すごくくだらないことばかり。
「今川焼きってなんて呼びます?」
「は? なんです? 君、大判焼きのことを言いましたか? 今川焼きと?」
「めっちゃ喋るじゃん、おれおやきの話しかしてないのに」
「大判焼きでしょう、一般には」
「警部そこなんだ、譲れないとこそこなんだ」
「私はベイクドモチョチョと呼びますが」
「ベイクドモチョチョ!?」
「ほどほどに腹が膨れるから好きですよ、よく噛めばいいですから。バリエーションも豊富だし」
「呼び方のね。限界労働者じゃん、やめなよ不健全だな」
「ほぼ機捜と刑事部を兼業していた事件現場入り浸りバケモノがなにか言っているようですが……」
「一言多いんだよなあ……今川焼きだけで他人の一生ぶんの頭脳労働するど変態がなんか言う……」
「ベイクドモチョチョ」
「だはは!」
だらだらと焚き火に枝を焚べて、だらだらと遅延行為みたいに話す。
夢の頂でハイファイブ、この約束はつまり別離を意味する。元々そう始まった仲だった。再会が約束されているだけまだ救いがあるような。
ただ、「ほなそれで」で済ませるのはあまりに惜しかった。玄沢龍仁の語り口もダラつき尽くしているのは、きっと同じ心持ちだと思いたい。諸伏高明は日頃の玄沢龍仁がマジで本当にダラダラ喋る手合いであったことは、今だけ失念することにした。
「ねぇねぇねぇ、夢見ましょうよ」
「ふはは。なんの夢?」
「夜明けとか」
「泣かせますね」
「こっちは本気ですよ。ねえ、夜明け見ましょうよって。開けない夜はないんですから」
「毛布を一枚。明け方はやはり冷えます」
「うるせーやマジ。真面目に聞いてる?」
「聞いてます聞いてます、トマトね。美味しいですものね」
「酔ってる」
「酔ってません」
「酔ってる奴ぁみんなそう言うの」
「酔ってません。夢も見てない。これから見るから」
明け方の冷え込みが酔っ払った頭に鈍く響いて、諸伏高明は毛布を被った。これが良くなかった。通常勤務を終えたあとに山間部まで2ケツで走ってきて、まもなく夜も明けようかなんて時間まで呑んだり呑まなかったりしている。シンプルに体力が底をつく。
疲れ切った体に毛布を被っちまって、諸伏高明はウトウト船を漕ぐ。隣では玄沢龍仁がなにごとか騒いでいて、ウン……ウン……と頷いてやっているのに、随分ヤイヤイ言い続けていた。
「ねえ警部って! あとちょっとで夜明けですよ、頑張ってよ! 今日のメインじゃん!」
「ウン……」
「ねーーーえ! 夜明け見ながら警察っていいな歌いにきたんでしょ! いいないいな警察っていいな! くそっ何も替え歌思いつかない!」
「ウン……」
玄沢龍仁がヤイヤイ言うのはいつものことで、諸伏高明はすっかり毛布に負けて寝入りかけている。
あたりがずっと暗くなって、同じころ諸伏高明はついに「あマズいもう勝てない」と思った。矢先、とろとろと暖かくなって、諸伏高明は一切を放り投げて寝落ちた。
朝日を見るまであと一瞬たりなかった。
弾ける音がして諸伏高明はフワフワと目覚めた。目覚めると、暗かった。
否、何かに覆い被られている。
身じろぐと、どうやら諸伏高明はグニャグニャの体制で横になっているらしかった。頭の下には玄沢龍仁の腿があり、雑に言うところの膝枕で寝ていたらしい。その上に玄沢龍仁が上体を折って覆い被さるように寝ていて、それで暗かったようだ。諸伏高明が這い出ようとモゴモゴやれば、玄沢龍仁はその振動で起きた。
「おぁ……おはようございます」
「おはよう玄沢くん、すみません。膝を借りていたようで」
冷える山中で寝こけた諸伏高明を抱き込んで半日、投げ出されていた手も冷え切っている。
すまないな、と思いながら起き上がると、手をついた場所が冷たい。朝露もこんなに……と見やって、脳がショートした。
赤だ。
「はっ?」
赤だ。向き直ってみれば、玄沢龍仁はびっしり脂汗をかいて真っ白い顔で微笑んでいる。木々の色をうつして、緑色に見えるほどの面立ちだ。
「いや、ね。無事でよかったです」
緑色の顔で、玄沢龍仁はゴロゴロ笑った。溺れているみたいな音だった。
ごろろ、と笑った矢先、もしくは諸伏高明が起き上がって体勢が変わったのに耐えかねて、玄沢龍仁の体が傾いだ。諸伏高明は混乱し切ったまま弾かれるように肩を抱き、横たえる。玄沢龍仁の全身をあらためて見てやれば、土手っ腹がおおきく血塗れであった。
いつから。いつ。どうして。なぜ。どうして彼が、なぜ彼は。あまりの突然さに、また起こったその規模に、諸伏高明は「まって」「なぜ」「きみ」だけを繰り返しながら玄沢龍仁の肩を撫でるだけの生き物になっている。
諸伏高明が青い顔をしているのを見て、玄沢龍仁はふたたび笑い、ゆっくり手を上げた。
上げられた手はてっきり諸伏高明本人も自分の頬に添えられるものだとばかり思ったのに、玄沢龍仁に覆い被さって狼狽する諸伏高明の顔の横を通り抜けて、何もない虚空へ伸ばされた。
合図するみたいに。
「ほらみろ、この人は何も知りませんよ。真っ白だ。保護こそすれ、暴こうなんて無法、罷るもんか」
「なに、誰に向かって言っているんです。きみは、あれから、何をしていたんです」
「それを言っちゃ、それを聞いちゃ、あなたは真っ白じゃなくなっちゃいますから。ね、俺に免じて」
「きみの何に免じろと!? 私に夢の行く末を約束しておきながら」
「おれの、ゆめに、免じて」
諸伏高明は未だ混乱の最中でパニックになりかけていても、諸伏高明の頭脳はいつだって明晰だ。これだけヒントがあれば、真相は二つにまで絞り込めた。ただ、それを自覚、理解するだけの余裕が諸伏高明になかった。
それを否定することで、目の前の現象ごと拒否したかった。
この手が、諸伏高明以外に差し向けられたものであることが認め難かった。自分を通り過ぎてしまっただけだと思いたかった。ここだ、私はここにある。見えているのかもわからない玄沢龍仁の視界に及びたくて、諸伏高明はひどく怯えた手つきで玄沢龍仁の首を抱き起こした。
より近くで、怒鳴り立ててやりたかった。
「きみの夢が、いえ、頂? こんな場所が頂? 冗談じゃない、馬鹿なことを言っていないで。もう喋らないでください」
「心配しないでも、じきに喋らなくなりますし、もういいだけ喋りましたかね」
「バ……」
「絶句せんでも」
三たび笑おうとして、玄沢龍仁は息を詰めた。吐息が明確にぜいぜい鳴り始めて、日頃ふんわり弧を描く玄沢龍仁の口角が強張る。
上げられていた手がゆるゆると力を失い、やっと諸伏高明の首元へ収まった。慰めるように、嗜めるように、温めるように、殺めるように。あらゆる思いがこもったように、冷たい手が諸伏高明の首根っこをゆるく掴む。
「……いや」
得意の故事成語なんてかすりもしない、人間性の根底から出た声。諸伏高明は玄沢龍仁の手を掴み返して叫ぶ。いやだ。
「いやですいやです、絶対いや。私、僕ばかりいつも。君まで僕を置いていくんですか」
諸伏高明を、世界が苛むようだ。ついに雨すら降り始めたらしく、玄沢龍仁の頬に露が乗る。水は健やかさからかけ離れていく頬を滑って、かすかに緑を残す草地に吸い込まれていく。
「それは、ほんと、すいません。でも、あなたが何より手に入れたい人が、あなたを待ってる」
だから、いいの、俺は。その礎になれたら、それで。
玄沢龍仁は言って、やがて呼吸が減る。いくら諸伏高明が嫌だと言っても、夜が明けるように、雪が溶けるように、木々が色づくように。冬が春になっていくように、玄沢龍仁は事切れていく。
「嫌です。それでも僕を置いていかないで」
小雨に濡れる真っ白な顔の玄沢龍仁が、笑う。何度目かの笑み、いつもの笑みだった。
空恐ろしいまでに。
「あとを、たのみます」
それだけ言って、硬い床で寝ていた玄沢龍仁は、やわらかい草と諸伏高明の腕に包まれて、目を閉じた。
日頃あれだけ諸伏高明が言えば「なぁに、もぉ」と持ち上がる健やかな頬が、健やかな形だけをそのままに、いくら揺すっても動かない。ころころ喋るたびに傾けられる首が、揺さぶりに合わせてグラグラ動くばかりで、意志がない。白い喉仏が晒されるばかりで、ここから何の音もしてこない。あの声が聞こえてこない。
ここには、玄沢龍仁のかたちが置き去られたばかりで、玄沢龍仁がいない。
諸伏高明は、だだっ広い野っ原で、すっかり燻る焚き木のそばで、ただひとりになった。
並び立つものはあの比翼だけでいい。あの二人がふたたび隣にいればいい、それまで余人は誰として必要ない。そうして新野の孤高であった諸伏高明は、依然孤高のままである。玄沢龍仁をしてなお、比肩には及ばない。お互いそれでいいし、それがよかった。
その孤高に差す朝日が、今だけは耐えられなかった。
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