残された疑問
長い1日だったシキミ逮捕から数日が経った。
兵団舎内に充満していた混乱も収まり、皆が日常を取り戻しつつある。
「失礼します、起きてらっしゃいますか?」
医務室のカーテンで仕切られたスペースに声をかける。
「アネモネかい?」
「はい。入っても?」
「良いよ〜」
返事を聞いてカーテンを開いた。
「やぁ、アネモネ」
「ハンジさん、お加減はいかがですか?」
ハンジさんはベットボードに枕を立てて、そこに凭れて起きていた。
「元気元気〜。もうピンピンしてるよ」
「それは良かったです」
私の予想が、こっちは有り難い方に当たった。
事件後医務室にて経過観察となったハンジさんは、すっかり快方に向かっている。
目立った後遺症等も出ていない。
今もヘラリと笑いながら私を迎えてくれている。
「何を読んでいたんです?」
「さっきエルヴィンが持ってきた書類だよ」
そう答えたハンジさんはその書類を私に差し出した。
「…私が読んでも良いんですか?」
「シキミ…いや、アケビ・ピエリスに関するものだ」
ハンジさんの表情が変わる。
その表情を見て、私も気を引締め書類を開いた。
「…アケビ・ピエリスは7日間の昏睡状態の後、意識が回復。聴取可能の状態になった。…最後に使った薬品の副作用は無さそうですね…」
「そうだね。だけど、」
「…黙秘」
「何を質問しても駄目だそうだ」
「意識障害の可能性は無いのでしょうか…?」
「憲兵団の医師によると、意識はしっかりあるようだよ」
「薬品服用時の筋肉の盛り上がりなども無くなってますしね…」
「それなんだけど、本当なのかい?モブリットも言っていたけど」
「はい。確かにこの目で見ました」
私の返事にハンジさんは考え込む。
「…そんな薬品が知らない所で造られていたなんてね」
「はい…」
「ドクター・ピエリスが見つけた原料のこの花…殺された団員が口に入れられていた物だったんだってね」
「はい。あの後、兄上が調べた所、成分が一致したそうです」
「薬品を投与して、その原材料を口に咥えさせるなんて、随分とサディスティックだ」
「私達が知っているシキミ・イリウムは、元々存在しません。攻撃的で、復讐に憑りつかれた者こそ、アケビ・ピエリスなんだと思います」
「あ〜あ。良く考えたら、あんなに有能で聞き分けの良い子、居る訳無いんだよねぇ」
「取り繕っていたんですもの、仕方ありません」
「アネモネは随分と割り切っているんだね」
「割り切らないと前に進めませんから。…確かに、気にはなりますけど」
「何をだい?」
「アケビ・ピエリスは…他にも薬品を所持、若しくは製薬していた可能性…。でも、これは、本人が自白しない限り、判明出来ないに等しいです」
「残念ながら、この件は憲兵団に権限が移っちゃったし、私達が知りうる手段は無いだろうね」
「それも…気にはなりますね」
「憲兵団がかい?」
「はい。壁外の事件だと聴取から身を引いたのに、犯人が特定出来たから出てくるって、変です」
「手柄を横取りされた気分だけどね。市民への発表だって憲兵団が行ったんだよ。捕まえたのは私達なのに」
「ハンジさんこそ、割り切ってますね」
「そうかい?」
「薬品撃たれて、溺死させられそうになったんですよ?」
「まぁ、そうなんだけどさ」
そう返事をしたハンジさんがフッと笑う。
「壁外で巨人に喰われそうになる日々を送っているせいか、その辺の感覚無くなっちゃってるってのも、あるかもね」
「…あ〜…」
分からなくも、無い。
「命に対して極限のやり取りしていると、やっぱりその辺の感覚に変化出てきますよね…」
「アネモネもそれだけの年数、壁の外で戦ってるってことだよ」
突然、さっき私が閉めたカーテンが開いた。
「いつまで話している」
「リヴァイ、カーテンを開ける前に声かけなよ」
「そうだよ〜。私が着替えでもしていたらどうしたんだい?」
ハンジさんがそう言うと、リヴァイは心底面倒そうな顔でハンジさんを一瞥し、視線を私に戻した。
「モブリットの手伝いをするんだろう」
「え?君達が??」
「はい。何せ取り繕っていた優秀な新兵を失って、且つ先輩団員が療養に入ってしまってますから、猫の手も借りたい位ですよ、モブリット」
「あちゃ〜…それは申し訳ない。助かるよ。モブリットに回せる書類は、持ってきて貰っても構わないと伝えてくれるかい」
「畏まりました。リヴァイ、行こう」
「あぁ」
※※
「え?ハンジさんの所に行ってたの?」
「うん、元気そうだったよ。ね、」
「あれだけ口が動きゃあ問題無いだろう」
「リヴァイ、言い方…」
普段ハンジさんが使用している個室にて、3人がかりで書類の仕分けやら提出期限別やら分別を行う。
ハンジさん、本当に受け取った側から机に載せていくから、優先順位もあったもんじゃない。
「そっか」
「そうそう、回せる書類は持ってきて貰っても構わない、だって、ハンジさん」
「本当に大丈夫なの?」
「常駐医も経過は順調だって言ってるし、心配症だね、モブリットは」
「いや、だって…」
「ん?」
「ハンジさんのあんな姿見たんだから、心配だよ」
書類を分ける手を止めたモブリットは、視線はそのままに、思い出すように言う。
「…そうだね」
モブリットはその腕に、弛緩状態で溺死させられかけたハンジさんを抱いたんだ、そりゃ、心配だよね。
「ゴメン、今の発言は無神経だったね」
「ううん。謝る必要な無いよ」
手に持った書類と整えて、近くのテーブルに置いたモブリットが、別の書類に手を伸ばそうとすると、テーブルの端に置かれていたインクの瓶が手に当たり、落としてしまった。
「わっ!モブリット大丈夫!?瓶割れなかった?」
側に行って瓶が割れてないか、インクで汚れて無いか確認する。
良かった、蓋も取れてないし、割れてない。
珍しい、注意深いモブリットの手元がこんなに狂うなんて。
「…ゴメン、俺、結構参ってるのかも」
私と一緒に屈んだモブリットが困ったように眉を下げる。
「…当然だよ」
教育していた新兵が事件を起こし、被害者は自分に1番近い先輩だ。
近しい者たちが関係した事件だ、参ってしまうのも仕方がない。
「少し休んだら?」
「いや、良いよ。身体を動かしていた方が気が紛れるから」
マーガレッタの事件の時に、私も同じようなことを経験した。
身体は休みたいのに、思考が止まらない。
起こってしまったことの後悔が、襲ってくるような感じ。
私がモブリットの立場だったら、アケビ・ピエリスが事件を起こす予兆のようなものが無かったか、止められなかったか、きっと考えると思う。
「モブリット」
「何?」
「別に弱い所を見せるのは悪いことじゃ無いよ。参ってるなら、助けるのが当然、5年以上の親友だよ」
「アネモネ…」
「もし逆だったら、私がモブリットの立場になってたら、君は私を助けてくれるでしょう?」
「当たり前だよ、訓練兵からの大事な友人だ」
「私もそう、同じだよ。だから、気負いしないで。話したくなったら、いつでも聞くから」
「…うん、ありがとう」
「さて、じゃあ書類の仕分けの続き…ぐえっ!」
「いつまでその距離で話してやがる、近ぇ」
「リヴァイ!制服の首の襟掴むの止めてってば!」
また変な声出ちゃったじゃない!!
「あはは。リヴァイはアネモネが大好きだな」
「…何か、そんな次元じゃない気もする…」
※※
「エルヴィン、居るか」
充てられた自室で書類を作成していると、ドアがノックされアドニスの声が聞こえた。
「あぁ。入って良いぞ」
返事をするとアドニスがドアを開ける。
「イェーガー先生に資料を返してきたぞ」
「手間をかけたな、助かった」
「いや、俺も改めて話をしたかったところだ」
アドニスは部屋に入り、来客用のソファに腰を下ろし、珍しく長いため息をついた。
「…どうした」
「いやな、今回の事件で、改めて医学の進歩は俺の知らぬところで起こっていることがあるって思ってな」
「医学会に参加していなかった医師が、新薬を造ってたからな」
「イェーガー先生に前に流行った疫病について聞いたんだけど、とても思いつかない方法で血清を作ってる。天才ってああいう人のことを言うのかもな。紅茶、俺も貰って良いか?」
「あぁ、構わない」
ソファから立ち上がったアドニスはカップを1つ出し、紅茶を注いだ。
「エルヴィン」
「何だ」
「お前の父君の話…本当かもな」
書類に記していた手が止まる。
「…突然何だ」
「前に俺が話したこと、覚えてるか」
「どの話だ」
「ウィスティリアには、代々医師である『記憶』はあるが、『記録』が無いって話だ」
「…あぁ」
俺が訓練兵団に入る前、父が無くなりウィスティリアの家に世話になっていた頃。
アドニスもまた、自身の一家の生い立ちに疑問を持っていた。
その話をしても、大人はまともに取り合って貰えない、と。
「イェーガー先生の話を聞いて、更に疑問に思ったぜ。だって、それなりの知識があれば、それを書き留めるもんだろ?それを何故…祖父より以前は行わなかったのか…」
「ドクター・イェーガーは書き留めていたのか?」
「あぁ。疫病から往診した患者のカルテ、全部」
「父君が言うように、何らかの理由で焼失したという可能性は?」
前にアドニスが訊ねた時、ウィスティリアの父君がそう答えていたのを俺は聞いた。
俺の問いに、アドニスは首を横に振った。
「お前も知っているだろう?あの家は、壁の中に人類が逃げ込んだ時からウィスティリアに与えられている物。どこかに火事の痕があるか?」
「…無いな」
「お前の父君が言った歴史の矛盾が…俺の家にもあるんだ」
「そうか…」
「分隊長、入っても宜しいでしょうか」
ドアからノックと声が聞こえた。
「お、我らが姫君か」
さっきまでの真剣な表情はどこへ行ったのか、カップを置いたアドニスは嬉しそうにドアを開けた。
「あれ、兄上?」
「アネモネ…と、リヴァイ君」
「何だ、俺が居ちゃあ悪いのか」
「ちょっとリヴァイ、会うなり喧嘩腰になるの止めてってば。分隊長にご用ですか?」
「あぁ。さっきイェーガー先生に借りた書物をお返ししてきたことろだ」
「え?わざわざ行って下さったんですか?」
「前回は時間が無かったから、改めて連絡をして時間を頂いたんだ。お陰で色々話が聞けて、有意義な時間だったよ」
「そうでしたか」
「アネモネ、俺に用か」
「はい。ハンジさんの書類の分類が完了しました。優先順位をお聞きしたく」
「そうか、入りなさい」
「はい」
アネモネとリヴァイは俺の前のテーブルに幾つかの書類を見せた。
「大きく部類分けをしました」
「そうだな…。この辺りから頼む。この辺は団長への提出が必須だ。他は期限が延ばせるものだ、ハンジが復帰した後でも構わない」
「畏まりました」
「モブリットはどうしている」
「少し休んで貰ってます…と言っても、寝られているか、どうか」
「…そうか」
この数日間、ハンジに代わって動き回っている。
せめて身体だけでも休息出来れば良いが。
「ありがとうございました、エルヴィン分隊長。早速かかります」
「あぁ、頼む」
持ってきた書類を回収するアネモネを見た。
「…?分隊長、何か…?」
俺の視線に気が付いたアネモネは顔を上げ、訊ねる。
『分隊長は、この調査兵団を変える方です。進展が無い壁の外の世界を進む方です。巨人の正体も、きっと真実と未来に民を導いてくれる方です』
迷いの無い琥珀色の瞳で、あの日そう俺に告げた。
彼女は、アネモネは、俺をそう思ってくれている。
この純粋な想いを、俺は踏みにじるものになる。
そう思うと、胸が痛む。
薄々気が付いていた。
俺は、父が提示した仮設が正しいと、そう証明したい為に、団員を犠牲にし、その屍の上に立っている。
私欲で動いている…それは、アケビ・ピエリスと、変わらないのかもしれない。
「分隊長?」
アネモネが改めて俺を呼ぶ。
きょとりとした表情で、無垢で、悪事に染まっていない、その瞳で、俺を見る。
彼女が俺の全てを知った時、俺達の関係は変わってしまうのだろうか。
出来たら変わって欲しくは無い。
変わらず、俺の側に居て欲しい。
これは只の欲だろうか。
「いや、何でもない」
平静を装い、分隊長という役職の仮面をつけ、俺は答えた。
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