朝日を見に行こうよ




〈コンセプトがブレてるな〉
〈表現したいことがたくさんあるのはわかるけど〉
〈これはやりなおし〉

この時期の校内、トルソーを転がしながらどんよりと歩いてる姿なんて、みんな気を遣ってかあんまり近寄ってこない。いつも話しかけてくる友人までもがそっとしておいてくれるありがたさを感じながら被服室に戻ると、おなじように……かさらにダメ出しされたらしい同級生が揃いも揃って肩を落としていた。

結構良くできたと思うけどなぁ、とトルソーの写真を撮る。そんなにぶれてたかな。差し戻されたコンセプトシートを鞄に詰め込むと、もやもやしたものを抱えて家とは逆方向の電車に乗り込んだ。

『名前さんおる?』
「いるよー、っていきなり家入ってきてそれ?」
『まぁ細かいこと気にせんといてやー』

合鍵を使って入った1LDK、昨今の影響でテレワークをしている名前さんが画面から目を離さずに出迎えてくれた。いや、出迎えと言うんだろうか、勝手に入っただけだから俺は合法的な侵入者か、単語おかしいけど。まあそこは気にしない。

通り道の激安スーパーで買ったペットボトルを冷蔵庫に押し込んで、彼女の後ろに回る。難しそうな画面の中身をサクサク触っている名前さんはOLみたいや……って昔言ったら、ちゃんとOLだって怒られた。

「んで、どうしたの謙社」
『あー…、ダメ出しされた』
「あらまー、学内コンペの期限もうすぐでしょ」
『あと1ヶ月あらへん……』

そういわれながらも、かちゃかちゃとキーボードの音が鳴っている。名前さんは卒制もコンペもなくてええなぁって言ったら、私は卒論書いたもんって言われた。付き合い始めた冬、そういえば色々やってた気がする。専門入って1年目、まだなにも実感していなくて大変やなぁとか簡単に思っただけだけど。彼女もこのくらい大変だったんだろうか、本と睨めっこしてキーボード叩いてたんは覚えてるけど。……普段なら仕事も大変よな、と思うけれど、今日のメンタルではそんな風には思えなかった。

『あ、テレビ見てもええ?この間の試合』
「ああ、容量圧迫してるから見て消しちゃってよ」
『はーい』

学生の一人暮らしの部屋よりも大きなソファーとテレビ、そこに冷やした炭酸水。ちょっとだけ贅沢な気分。気分転換といえば聞こえはいいけど現実逃避で、選手の姿を追いながらも頭の片隅にはさっきの評論が渦巻いていた。

試合を見終わって消去の操作をした頃、ようやく名前さんは仕事が終わったらしく、ぐっと伸びをするのが見えた。肩凝ったぁ、なんて言いながらソファーに座って力を抜いている。社会人って大変なんやな。

「……なに言われたの、今日」
『えー、なんか、コンセプトブレてるって』
「コンセプトねえ……」

コンセプトシートを見せると、彼女はむむ、と眉を寄せた。
名前さんの専門は正直詳しく知らないけれど、少なくとも被服とかデザインとかそういう系統でないことは確か。それでも時々的を射たことをいうものだから、行き詰まると時々話を聞いてもらう。今回もあれこれと色々言い出すものだから、慌ててボールペンを名前さんから借りてカリカリとメモを取った。

『これでええんかなぁ』
「うーん、それ以上はもう、作る人と受け取り手の話だからねぇ、素人がなんか言えることじゃないかなぁ」

相談はできるけれども、結局は自分で考えなければならないわけで、やっぱり表現は難しいなぁと類を膨らませる。まぁまぁ大いに悩みなよ、と肩を叩かれると同時に炊飯器の電子音が鳴る。そういえばお腹すいたな、と名前さんが台所に立つのを追いかけることにした。今日は野菜が多めっぽい、肉がええねんけど。

食事を終えてからも、コンセプトシートと睨めっこ。埒があかなくなって、テーマの一つである空の写真をスマホの中から探す。昼間の明るい水色、夕方の溶けるようなオレンジと紫、夜の黒と星屑の白。それから……あれ、おっかしいな、消したかな。

『朝日の写真があーへん』
「朝日……?」

お風呂から上がってきた名前さんがタオルで髪を拭きながら尋ねる。濡れた髪が色っぽい、じゃなくて。欲しい写真が見当たらない。どこいったんやろ、先週あたりにはあったのに。

「ここなら5時半前くらいだけど、日の出時間。早起きしたら」
『海と撮りたいんよ、朝日が昇りかけのさあ』
「海かぁ……始発じゃ日の出には間に合わないと思うな。明日海の近く泊まって、明後日にしたら?」
『天気予報、微妙やねん、明後日から先』

天気予報のアプリを確認する、制作に間に合うように、と思うと晴れの日は明日くらいしかない。ネットで写真を探して見たけれども、やっぱり直接この目で見て写真を撮りたい。念のため調べた海辺までの電車は、始発でギリギリ、アウトだった。

ちら、と名前さんの方を見る。若干上目遣いで。車出してくれへんかなー。みたいな。あとついでに久しぶりに二人でどっか行きたいやん。最近、卒制と名前さんの仕事とで忙しくて出掛けられてへんし。目があった名前さんは視線の意味を理解してか、そっと目を逸らしてしまった。そりゃまぁ、そうなんだけど。日の出、ってことは朝早いもん。でもほかに頼れる人もおらんし。

『名前さん」
「いやだよう眠い、朝起きられない」
『そこなんとか、なあ、たのむわあ』

パン、と手を合わせて頼み込むと、ため息をついてパソコンの電源を入れてくれた。明日が土曜日でよかった。あと頼みこまれるのに甘いのを知っている、というのは隠しておかなくては。マップを立ち上げた彼女にこの辺り、と指定した海岸までは車で1時間くらい、つまり4時頃には出発しておきたいな、という距離だった。

「本当に制作に必要なんだね?」
『ほんまほんま、ほんま、見たほうがええと思って』
「じゃあ起こしてね、わたしのこと。じゃないといかないから」
『恩に着るわ、ありがとう』

もう寝る、と名前さんは寝室に引っ込んでいった。せっかくだから一緒に寝たい、そう思ったけれど、

「ちゃんと寝たいの、謙杜乗せてるのに事故るわけにいかないでしょう」

4時前に叩き起こすことになる身としてはハイとしか言いようのない返事で、自分も起きて彼女を起こさないとな、とソファーに横になった。


まだ夜も明けきらぬ時間、遠慮がちに起こした名前さんはやっぱりちょっと不機嫌だった。もう一度拝み倒すとしぶしぶ、と言った感じで車のエンジンをかけてくれた。交通情報のラジオを聞きながら、海の方へと進んでいく。対向車もほとんどいなくて、ちょっと不気味なくらいだ。

「そういえば久しぶりだね、ふたりでドライブするの」
『そう、やなぁ』
「ま、これもいい機会か。……眠いけど」
『それはマジでごめん』

はよ免許とらんとなぁ、とは思うけれど。名前さんの運転してる顔を見るには助手席にいる必要があって、それがなかなかにちょっと、悩ましい。免許とったら自分で運転できるでしょとかいってきそうやし。

途中で寄ったコンビニのコーヒーを飲む彼女がなんだか格好良くて、何で俺はジンジャーエールなんか買ったんやろな、とペットボトルを見る。なんかガキと親戚のお姉さんみたいな気いするやん。

実際、遠目から見たらそうだろうな、みたいな場面はちょいちょいあって、何で俺とおってくれるんやろなとか思ったりもする。かといって自分が背伸びしたって彼女に届くはずもなくて、ため息をジンジャーエールで流し込んだ。

朝ゆえか、混むのは逆方向だからか車の流れはかなりスムーズで、予定よりも早めに海岸が見えた。スマホ片手に細かくナビをして、近くの駐車場に停めてもらう。

夏の終わりの朝は、湿気を孕んではいるものの少し涼しくて、繋いだ手から伝わる体温が心地いい。海岸沿いの遊歩道、そこにベンチを見つけると、二人で腰掛けた。

雲もなく、うっすらと白んでいる空と、穏やかな海。ぱちりぱちりと瞬きをして、そういえばと目的を思い出して、スマホを構えシャッターを切る。構図を変えてもう一枚。

「あふ……、そろそろ太陽が見えそうだねえ」
『ほんまやなぁ』
「夏の日の出って、そういえば初めてかも。年始は見たりするけどさ、夏って起きたらもう太陽でてるんだもの」
『名前さんも初めてってあるんや』

年上で、一足先に社会人になって、車まで買って。高いレストランでの食事も遊園地もお家デートもドライブも。彼女はなんだって経験済みで、教えてもらうことばかりだ。そんな彼女の初めてだなんて、それこそ初めてなんじゃないか、とすら思う。

「そりゃあねえ。年下の彼氏だって、彼氏助手席に乗せるのだって、謙社が初めてだよ」

なんそれ、初耳なんやけど。それについて詳しく聞こうとしたのに、「ほら、見えてきたよ」なんて正面を指すものだから、視線をそっちに向けた。そこから目が離せない。
濃い青とオレンジが混ざり合うようなグラデーションが海に反射して、ああ綺麗だなぁって、

『なんや思いついた気いする』
「へえ、連れてきた甲斐はあったかぁ」
『おん、ありがと」

持ってきていたスケッチブックにザカザカと鉛筆を走らせる。前回からガラッと変わってまうけど、センセたちなんて言うやろ、まあええか。時間も足りないけれど、何とかなるでしょ。ああそうだ、あと我儘もういっこ、名前さんにお願いせんと。

『あの、布も買いたいんやけど……連れてってくれん?』
「はいはい、運転しますよどこまでも」

かさばるもんね布、とあくびをかみ殺していう彼女。今から店に行くには早すぎるから、どこかこの辺で朝ごはんでも食べていこうか。

けれどその前に、と日が昇り切る直前の写真を一枚、彼女の背中を入れて撮った。






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