ずっとそばにいて 決定的な何かがあったわけじゃない。 『俺、あんたに飽きたわ』なんて目の前で言われたらさすがに幻滅して別れている、いくらだいすきな人だって。ただ、言われたわけじゃなくてもなんとなく…… そもそも少ない外デートを最後にしたのがずいぶん前だったり。キスが減ったり、その先のことも何となく減ったというか、欲を解消するためのものになっていたり。ハグみたいなスキンシップだってほとんどなくなって、口数も減ったし、一緒に夕食を摂ることも少なくなった。 かといって、顔を合わせれば挨拶はするし、無視されるわけでもない。夜食か朝食になるかなと用意したおにぎりはちゃんと食べられた形跡があるから、家に全然帰ってこない、というわけでもない。 最近のハードスケジュールはちゃんとわかっているつもりだ。 撮影が、打ち合わせが、と長引いたついでに泊まり込むこともよくあるし、ツアーのリハーサル、雑誌のインタビュー、その他諸々の疲労と睡眠不足の積み重なり。真っ先に削られるのが彼女への対応なのはどうしようもないことだと思う。 それにしたって、さすがに何もなさすぎじゃないかなと思う。もう付き合いも長くなったから、してほしいことはなんとなくわかる。うまい具合に放っておいてほしい、だろう。なんだったらちょっと鬱陶しいくらい思っているかもしれない。 たしかに、もう、一緒にいてドキドキするような関係ではすでにない。悪く言えば刺激がない、よく言えば落ち着いた関係性になったということだけれども。毎日平和に過ぎ去っていって、それが当たり前になってしまっている。だから多少そっけなかったり、今日顔合わせなくてもいっか、といった意識が、たぶんあるんだと思う。 慣れというか、倦怠期というか。 以前は疲れてても、ちょっとコンビニいって、深夜だけどって一緒にアイスを食べたり、30分だけでも、と合間をぬって帰ってきてくれたこともあった。 それだけでも楽しかったな、と思う。 今となっては、荷物を取りに来るほんの1分足らず顔を合わせて、一言もないまま、なんてときもある。 一緒に住んでいるのに、きっと誰よりも顔を合わせる時間が短い。 自分から誘おうか、ご飯食べよう、どこかへ行こう、キスしてほしいな、なんて。けれど、忙しい中にそんな我儘をいうのも気が引けてしまったり、気恥ずかしかったりで、結局何もできないままずるずると来てしまった。 別れたいわけじゃないけれど、忙しいからって蔑ろにされているのは嫌。倦怠期ならまだいいけれど、飽きたのに都合のいい女程度にしか必要とされていないなら、見切りはつけたい。 しばらく考えて、スマホの画面に指を滑らせた。 近くにいるあの人なら、 ――― 「急にごめんね、忙しいのに」 〈ええよ〜、仕事までまだ時間あるし〉 某仕事場のそば、意外と気づかれたことはないという喫茶店に入ってきたのは、この間までオレンジだった髪を落ち着いた色に変えた人だった。仕事大変じゃない?なんて聞けば 〈クランクアップしたから、少しなら平気〉 なんて言われた。アイドルっていうのは大変だ。アイスコーヒーが2つ並んで店員も去った頃、メッセージで聞いたことに対して口火を切ったのは彼の方だった。 〈大ちゃん、仕事中は結構普通の顔しとるよ〉 「へえー、流石にそこは持ち込まないかぁ」 〈でも、俺にくっついてくる時間が長いねん〉 「それはいつもじゃなくて?」 ちゅーっとアイスコーヒーを飲んで、頬杖をつく彼。うっかり写真を撮りそうになる程、絵になっている。同じ人間なんだけど何が違うんだろう、遺伝子かな。 〈んー、いつもやけど、いつもより長いっていうか端的にいうとちょっと鬱陶しい〉 「鬱陶しい……」 〈多分、名前ちゃんに甘えてた分が俺にきとるんよ。やから、俺としてはさっさと解決して欲しいっていうか〉 「え、そういう理由?」 〈そういう理由〉 なんだそれ、と言いながらコーヒーを一口のめば、苦味が喉を通り過ぎていく。深いところまでは聞かれないけれど、緩やかに味方になってくれそうでありがたい。とはいえ解決してほしい理由、鬱陶しいて。ちょっと大吾くんが可哀想になってきた。 〈多分やけど、名前ちゃんに飽きたとかやないんよ。大ちゃん、今演出とか構成で忙しいから、余裕ないんとちゃうかなー。ファンの人たちには見せんようにしとるけど〉 「私はいいのかな」 〈気ぃ許してるからやない?……知らんけど〉 「知らんのかーい」 ちょっとふざけた返事をすると、ちら、と彼はスマホををみる。そろそろ時間だ、と伝票を持って立ち上がった彼を制そうとしたら、 〈女の子にお茶代払わせるのは、カッコよくないからね〉 とさらりと払ってくれた。 ケーキとか頼んでなくてよかった。 時間差で店を出て、行く宛ても特になく道を歩くカップルを眺めながら歩く。初々しい二人からおじいちゃんおばあちゃんまで。 私たちが行き着く先はどこなんだろう。 アイドルの彼女なんて、全く先が読めない。10年支え続けてゴールインなんて夢物語、この世の中そんなに多くは転がってない、そうでなければ美談にならないから。 でもどうしたって、その夢を見てしまうのだ。 ―――――――――――――――――― 最近、仕事が忙しい。 明け方近くまで行われる打ち合わせ、早朝から始まる撮影、その他諸々。 デビュー1年目、たくさん仕事があるのはありがたいことで、全てをやりきりたいと思っているけれど、流石に疲れが溜まってきた。そうなると、仕事外のことはどうしても二の次になってしまうわけで、睡眠だったり、台本読みだったりの時間を考えると、彼女にかける時間というのは削られていく一方だった。 疲れてるから、デートに行くよりも寝たい。 キスとかもなんとなくめんどくさい。 セックスも溜まった時に、ちょっとだけ。 それでも、ぞんざいに扱った覚えはない、一応。放っといてほしいってことは分かってくれてると思うし 疲れてるときにべたべたするのもされるのも、なんとなく面倒だし、それがないくらいの、程よい距離感をうまいこと保ってくれてると思う。 実際、家の中は整えてくれているし、荷物を取りに帰った時だってにこやかに迎えてくれるし我儘だって言わずにいてくれる。 今は仕事に集中したい。きっと、そのくらいは分かってくれているはずだから、このままでも大丈夫。都合のいいことを考えて、ほっとけば元通りになるだろうと、呑気に思っていた。 〈そういえばさぁ、名前ちゃんと最近どうなん、話聞かんけど〉 名前に甘える代わりになんとなく流星を構っては袖にされる毎日、それも良い……、じゃなくて。忙しくなり始めてから、彼女の話題は口にしなくなっていた、というか顔を合わせる日も少ないから、話題にできることもないのだ。 『んー、別に普通やで』 〈そうなん?〉 『おん、ちょっと最近顔合わせてないだけやし』 〈それは普通やないんとちゃう?〉 そうだろうか。夕食代わりにケータリングを食べながら首をかしげる。この仕事をしている以上、すれ違いは仕方ない。日付も時間も不定、それこそ同じ仕事をしている同士ならもっと会わないはずで、それでも仲良くやってる話はたくさん聞く。普通なんじゃないか、多分。 『でも特に文句とかは言われてないしなぁ』 〈ふうん?〉 じーっと大きな瞳で見つめられる。可愛い。 いや、これ本気の何かかも、勘やけど。 〈大ちゃんにとって普通でも、名前ちゃんにとってはどうなんやろね?〉 彼女にとって?と言っても、付き合い始めた頃から俺はすでに事務所に入ってたし、きっかけやってそれやし。そんなことわかってんとちゃうかな。そのくらいは、だって名前やし、言わなくても。 『わかってくれとるとおもうけどなぁ』 流星の反応を見る前に、スタッフさんが俺たちを呼びにきてしまった。 仕事は楽しい。ずっと夢見ていた世界が現実になっている。笑顔でカメラのほうを向きながら、そういえば彼女に笑顔を向けたのはいつだっけ、と一瞬思って、けれどもそんなことはすぐに忘れてしまった。 マネージャーさんに送ってもらって帰り着いたのは、深夜もいいところだった。次は昼からだから、朝は彼女に会えるだろうか。なんとなく小言を言われそうな気がして会いたくない気もする。最近家事してないとか、話を聞いてくれないとか。だいたい好きなものもわかってきて、おんなじような話でダルい時もある、正直。それより寝たい、と思ってしまう。 でも別れたいわけじゃないから、たまにはそういうことだってしてるわけだし…… 時々ちゃんと機嫌は取ってる、つもりだけれども。この間だって、……いつだっけ、忘れたけども、夜にドライブしたし。 『普通……、やと、思うけどなぁ、』 深夜にベッドに潜り込むのも悪い気がして、ソファーに横たわる。名前が起きてきたら見送って、ベッドで寝れば良い。起こしていいからベッドで、とか言われるけれども、やっぱり寝ているところを起こすのはしのびないと思ってしまう。 〈名前ちゃんにとってはどうなんやろね?〉 なんとなく、流星の顔が瞼の裏に映る。 あれは、珍しく怒っていた、ような、 ――― 目が覚めたのは、朝日が昇った後、というか出るにはちょっと早いくらいの時間で、当たり前のように名前はとっくに家を出ていた。いつの間にかかけられたタオルケットが床に落ちる。流石にそれは拾って、キッチンへと向かう。 『なんか食べるもん、……あ、』 見渡すとおにぎりが2つ皿の上に乗っていて、とりあえず1つ手に取ると齧り付いた。最後に名前と顔合わせて食事を取ったのはいつだろう。 こうして、作りおいたものを食べることはなんどもあったけれど先月?いやそんなことないか、あれは、ええっと。 『いつやっけ』 夜はケータリングで済ましたり、メンバーやスタッフと食べに行ったり朝も作りおいてくれたおにぎりを食べたりとか…… ……あれ、結構やばいやつか、これ。 でも、今更なんていえばいいん。わかってくれてへんかな、だいたい俺の性格わかっとるやろし。そもそもこうなってもわがまま言わんし、理解してくれとるやろ。 2つめのおにぎりを食べ終わると、出かける時間だった。今日はあの二人と収録だったか、あとでマネージャーにきけばいいか。キャップとマスクをつけて、家を出る。 タクシーに乗って外の景色を見ると、ファーストアルバムの広告がちらほら見えて、ああ、ついにここまで来られたんだなと思う。長かったなぁ、とぼんやり思い返す。そうだ、この間の時はまだ2枚目の……、 ―もう2枚目なんだね、楽しみだなぁ、かっこいいなぁ…… ―みっちーのドラマももうすぐだよね 彼女はそう広告をみてはしゃいでいた、ような。 何ヶ月前だろう、それって。俺の忙しいはもうすぐ消費期限?なんて、言ってる場合でもない気が、でも。 やっぱり大丈夫だろう、逃げるように目を瞑った。 ―――――――――――――――――― 朝起きると、大吾くんは隣にいなかった。帰ってきてないのだろうか、そう思ってリビングに向かうと、ソファで寝落ちしている大吾くんがいた。 大きくため息をつく。身体が資本なんだから、起こして良いからベッドで寝てくれってあれだけ言ってるというのに。昔、ベッドを分けようかと提案したこともあったけれども、絶対に同じベッドがいいと譲らなかったのは大吾くんだった。 なら一緒に寝てくれればいいのに。 せめて肌の温もりくらい感じたい。 タオルケットを寝室から持ってきてかけてやる。随分と疲れているんだろう、一向に起きる気配がなくて、マジックでいたずら書きしてやろうかと思った。 とはいえ仕事前のアイドルにそれをやる勇気もなく、自分の朝食ついでにおにぎりを握っておいておく。 一緒にご飯食べたのなんていつだっけな。もうすぐ始まるツアーに出かければ、その機会はほぼなくなるに等しい。そこらへんの事情は飲み込んでいるし、とやかく言うつもりもない、付き合いも睡眠も大事。そんなことは分かり切っている。 「顔はいいんだよな顔は」 顔だけじゃないけれど。 ちょっとアホなところはあるけれど、アイドルとしての立ち振る舞いは尊敬している。下積み時代から、グループをやっと組めてもいいことばかりじゃなくて、たくさんの苦労を抱えてきたことだって知ってる。 だってずっと、目の前で見てきたから。 以前は、そんな中でもちゃんと気にかけてくれたし、優しかったのになぁと思う。今までで一番余裕がなさそうなのは確かだけれど。慣れとか、このくらい放置しても大丈夫だと思われているんだろう。かといって、嫌われた方向ではないことは、昨日の彼、の話でなんとなくわかった、それだけはよかった。 ソファだって、こっちを気遣ってここで寝たんだろう、そういうところに私は弱い。根っこのところでは大切にされてるからこそ、今の状態が続いて欲しくはないなと思う。家を出る時間まで、しばらく寝顔を眺めていた。いつかもとにもどれるんだろうか。 ――― それから数日、トラブルはありつつも彼らがツアーで全国を回る日々がやってきた。当たり前だけれども、その間はホテルに泊まったり久しぶりの実家へと戻ったりするわけで。結局顔を合わせたのは、ツアーに出かける当日の朝のしばらくだけだった。 「いってらっしゃい」 『行ってくるな』 そんな短い会話。いつもならキスの一つもするけれど、お見合いのように見つめあった結果、彼はじゃあ、なんて言って出ていった。ファンサなら簡単に投げキッスするんだろうな。それは仕事だからいいんだけれども。 いつの日かメッセージも送るかどうか迷って、結局は送れなかった。 もし誰かといるときに、通知が来たら困るだろうな、と思ってしまって、会いたい、たった4文字に送信ボタンが押せなかった。 代わりに、戻るボタンを4回押した。最後のメッセージはずいぶんと前、もう帰る、という彼に送ったかわいいらしいお疲れ様のスタンプだった。 呼び出しを受けたのは、そんなツアーの中休みみたいな頃で、飲むから来やん?なんていうメッセージが……大吾くんからではなくリーダーから来た。 大吾くんについては触れてなかったから、きっと来るかどうかにも触れてほしくないんだろう。 しばらく考えて、メンバーとならいいか、と参加の返事をした。 〈あ〜久しぶり〜名前ちゃん〉 〈久しぶりやんな、元気やった?〉 「元気元気、二人ともライブ終わりなのに元気ね」 個室に通されて、ハイボールひとつ、と店員に告げると、キャップとマスクを外す。誘ってきた張本人と、野球帽を被った人はすでに飲み始めていて、と言っても片方はカルピスだったけれど、机には料理の乗った小皿がいくつか並んでいた。この様子からして、大吾くんはまだ来てないか、来ないかのどちらか。どっちだろう。 「で、呼び出すなんて珍しいね?」 〈んー、ほら、大ちゃんとどうしてんのかなーって〉 〈大橋、お前探るの下手すぎん?〉 タオルで手を拭いている最中のいきなりのどストレート、多分彼は探偵とかそういうのに向いていない。話が早くて助かるけども、こっちはまだアルコールを入れていないというのに。もうちょっとジャブとかないのだろうか。 「どうって、どうとも。……聞いてるでしょ」 〈一応はな、野次馬程度やけど〉 「野次馬」 〈大吾がいつまでも元気ないのもグループにとって良くないしな?解決させとこ思ってな〉 〈それで名前ちゃん呼び出すのは野次馬越えてんで〉 それは確かにそう。これが関西特有のお節介焼きなのか、面倒見がいいのか、後者ということにしておこうか。ようやくやってきたアルコールを喉に流し込んで、野次馬の声に耳を傾ける。 〈名前ちゃんさ、大ちゃんに飽きたん?〉 「いや、飽きてはないよ?放置されてるなーとは思ってるけど」 〈でもほら、デートしたいとか、あんま言わんらしいやん。ええんかなって〉 「……下手に外に出てアイドルに彼女がいますなんてバレたら大吾くんの迷惑になるでしょ。それくらいなら、ね」 〈デートしたいとかはさ、思わんの〉 「思うけどね。でも、そんなの求めてるようじゃさ、アイドルの彼女としては失格かなって」 そうとでも思わないと、やっていられない。彼女の座を狙ってる女の子は増える一方。周りは結婚して子供の話も聞こえてくるようになったのに、私はそんな話がないどころか彼氏がいるとも言いづらい。 だから、"我儘を言わない理想のアイドルの彼女"を演じて、デートできなくても、友達に言えなくても、それが彼女の務めだからね、なんて悦に入るフリして自分を誤魔化してきた。 〈……なんかさ、一人で首絞めてへん?〉 〈首?しまってないやん〉 〈そういうことやないねん〉 〈じょおくん冷たい……〉 「……まぁ、閉塞感みたいなのはあるかな」 先行きが見えなくて、そんな矢先に彼が忙しくなって、まともに話すらできない日が続いて。彼の邪魔にならないように自分を押し込めて、平気なふりして、でも平気なわけがなくて。広い部屋の中、一人で膝を抱えたのだって一度や二度なんかじゃない。 「名前ちゃんはさ、もっと我儘言ってもええと思うんよ。あいつ、気遣えそうで抜けてるとこあるんわかっとるやろ。そうやないと、大丈夫やろって放置するで?男は。 いまさ、大吾となんかしたいことないん、なんでもええからさ」 したいこと。 いっぱいあった気がする。 けれども、そう簡単にできることじゃないからって、いろんな選択肢を勝手に封じ込めて、なかったことにして、そんなうちに何がしたいのかわからなくなって。 「……会いたい、かな」 三杯めのグラスを飲み干しながら、ぽつりと呟く。仮にも彼女なのに、そのくらいしか言えなかった。二人の顔が困ったように歪んだ数秒後、図ったかのように個室の扉があいて、視線をそちらに向けた。 ―――――――――――――――――― 「会いたい、かな」 扉を開ける直前に聞こえた声のせいで、がたんと大きな音を立ててしまった。 話は数日前に遡る。 ライブ会場の場当たりも終えて、あとはホテルに帰るだけという楽屋の中。流星は眠い、と先に戻っていった。 〈ちゃんと考えた?〉 と一言おいて。その発言を聞き捨てなかったのが丈橋コンビで、特にはっすんは興味深々といった体で首を突っ込んできた。 〈考えたって何?りゅちぇと結婚すんの?〉 『したいけどできんわ。……ってちゃうわ、そういう話やない』 〈じゃあ何の話なん?〉 『教えんわ』 〈えー、じゃあ話題変えるわ〜。彼女がさ、会場の写真ほしいって言ってんけど、大ちゃんとった?〉 『話題変わってへん……』 〈やっぱ名前ちゃんのことなんや〉 カマをかけられたと気づいた時には後の祭りで、それを聞いた丈くんまで顔をしっかりこっちに向けている。恋愛ネタは強い、まあ俺も多少気になるけど、今は他人の恋愛どころではない。 『最近あんま顔あわせてへん。けどドラマ撮影中とか結構すれ違うやん、普通やない?』 〈あー、夜までとかあるもんなあ〉 『せやろ?今楽しいけど疲れるしさ、ちょっと構ってられんっていうか。名前もわかってくれとるはずやし、』 〈それほんまわかってくれとるん?〉 真面目な顔をして丈くんが言う。あれ、これやっぱまずいやつやった? 『やって、文句言われてるわけでもないし』 〈ほんまに?いわれへんだけとちゃうの〉 『もともとあんま言わんし、デート行きたいとか』 〈それ、我慢してるんちゃうかなあー〉 『我慢……?』 〈女の子なら行きたいもんやとおもうし、てか俺よぉ言われるし、我慢させてわるいなぁ思うし。名前ちゃんは大丈夫とかは違う気ぃするなあ〉 ぐさり、と胸につきささった。いつの間にか我慢させていたんだろうか。分かってくれていると思っていたけれど、それも?いつもは誰のことも否定しない人間の忠告は、ちょっと痛い。 〈女の子の我儘汲み取って応えるってのも、男の甲斐性と違う?〉 〈そそ、見切りつけられる前になんとかせえよ〉 そろそろ閉めますよ、と見回りにきたスタッフに追われるように楽屋を出る。さすがに外でする話ではないので。話題は変わっていったけれど、頭の片隅のもやはなんとなく消えなかった。 見切りをつけられたら。どうしようもなく嫌だと思うのに、スマホ越しの小さな文字では何も伝えられない気がして、もう何日も前に既読をつけたメッセージ入りスタンプを指で弾いた。 もやもやとなにも行動できないでいるうちに、一度家に帰れるようなスケジュールになった。各地で買ったお土産の袋なんかを抱えて、家までタクシーを飛ばす。何をいえばいいのか、まだ少し悩んでいたけれど、意を決して鍵を開けた。 ――はよかったが、名前の姿がない。 今日帰るって言わなかったっけ、そう思ってメッセージの履歴を見れば、未送信のままだった。 荷物はあるから、出ていったわけではない、はず。遊びにでも行ったんだろうか、それにしては…… すーっと血の気が引いていく気がした。そんなときぴろん、と音を立てたスマホをすぐさま見ると、リーダーからの写真。 『は?』 名前がユニフォーム姿の男と飲んでいる写真で、〈ここやで〜〉なんて呑気なメッセージと共にURLが送られてくる。財布だけ掴むと、タクシーを捕まえて店に向かう。ありがたいとは思ったけれど、俺より先になんで会ってんだよ、プリン食べすぎて太っちまえとちょっと呪った。 そして冒頭に戻る。 驚いた名前と、ニヤニヤしてる二人。頬が赤いから、そこそこ呑んだんだろうか。 「どこからきいてたの、」 『会いたいってとこから』 〈全然聞いてへんやん〉 〈ヒャヒャ、普通もうちょっと待つって〉 「うるせえ」 陽気な二人を尻目に彼女の方を見る。 華奢な男の子のような変装でわかりづらいけれども、少し痩せた気がする。目の下も、化粧はしているがうっすらとクマがあって、あんまり眠れていないんだろうか。…俺のせいか。 「えっと、お帰り」 『ただいま。……会いたかってん?』 「…………うん」 小さく頷いた彼女に駆け寄ろうとして、思いとどまる。観客というより野次馬なこいつらの目の前でやったら、今度の楽屋のネタはこれで決まりだ。……すでにそうかもしれないけれど。 『帰ろうか』 手を繋ごうと差し出した手を、名前は周りを気にするようにきょろきょろしてから、そっと掴んできた。 ソファーに、一緒に並んで座ったのはいつぶりだろう。 それなのに妙にしっくりきて、それが自分の日常だったことを思い出す。 流石に放っておきすぎた、と今更ながらに反省した。 『ごめんな』 「……ううん、私も、ごめんね」 『名前が謝ることないやろ』 「私がもうちょっとしっかりしてたらよかったのかなって」 それから、二人で話をした。 付き合い初めの頃から、最近のことまで、少しずつ。怒られながらもあらかた話を聞いた後、そういえばさっき、と口にした。 『会いたいって、なんの流れやったん』 「ほんとに聞いてなかったんだね、隠れてたのかと思った」 『そんな余裕ないわ、なんで彼女があいつらと呑んでるの盗み聞きせなあかんねん』 「なんか鉄板かなって」 くすくす笑う彼女を久しぶりに見て、こんな時間も忘れていたんだな、と思う。 「大吾くんとしたいことないの、って聞かれてね。色々考えたけど、やっぱり難しい気がして。 で、しばらく会えてなかったから、会いたいなぁって…」 そんなこと、と言いかけて、それすらできていなかったのを思い出す。 誰だよ小言言われそうだからダルいし会いたくないって言ったの、俺か。 『……、あとは、なんかあるん?』 「えーっと……、温泉行きたいなぁ」 『わかった、ツアー終わったら絶対行こな』 「いいの、だって、みつかっちゃうかも」 『大丈夫やて、前先輩に聞いたとこあるから。そこなら見つかりにくいと思うし。……次は?』 「昼間の渋谷を歩くとか」 『流石にそれは無理やわ』 「夜景を見にいくとか」 『それは……、そうやな、そのうちな』 「あ、なんか雲行き怪しくなってきた」 『言うなって』 ぷくっと顔を膨らませる彼女が可愛くて、ぽんぽんと頭を撫でてやる。 でも、そのくらいの我儘は叶えてやらないとな、男として。 「あとは、」 キスして。 手を繋いで、抱きしめて、 「ずっとそばにいて」 ああこれが本音か。 アイドルの彼女なんて、いつどうなるか分からない不安定な立場にさせてしまったのは自分。 その中で俺に迷惑にならないようにとずっと考えてくれていて、それを当たり前だと思って甘えて、傷つけて、それでもそばに居てくれと願う名前が愛おしくて。 『俺のそばで、ずっと支えててくれな』 ←back |