暗い室内。伸びてくる複数の手。降り注ぐ嘲笑。名前は恐怖に震えた。今すぐにでも逃げたいのに体が動かない。助けを呼ぼうにも声が出ない。この光景が恐ろしくて目を閉じたいのに閉じれない。
するりと一つの手が服の隙間を縫って肌に触れる。その冷たさと気色の悪さに身が竦んだ。

「名前」

名を呼ぶ声にはっと目を開くと眉間に皺を寄せた獪岳の姿。

「か、獪岳?」

戸惑いつつ自身を覗き込む彼の名前を呼べば、ほっとした表情を浮かべて抱きしめてくれた。彼の胸から聞こえるとくりとくりとした音に強張る体から力が抜けていく。そうして混乱する脳内がゆっくりと状況を思い出す。
家に帰ると言ったものの、獪岳がまずそれを許さず、善逸と桑島も引き留め、最終的に彼らの好意に甘えて一晩お世話になる事にしたのだ。

「落ち着いたか?」

伺う声にこくりと頷く。彼の声が、温もりが黒い靄の様な恐怖を払う。先の夢と同じ暗い室内なのに彼がいるだけでこんなにも違う。

「悪かったな。」
「え?」

ぽつりと溢れた謝罪の言葉に名前は首を傾げる。

「俺はお前を守れたとは思えない。」
「そんな事…、」

否定の言葉を唇が塞ぐ。

「次お前を傷付ける輩がいたら俺が殺す。」
「殺すのは、ちょっと…」

獪岳ならやりかねないと苦笑する。しかし、ただ自分を守ってくれようとしている事実だけで嬉しい。

「…もう寝ろ。」

一人名前を布団に横たわらせて、獪岳はその横に添い寝をするように肘をつく。

「え?そこで寒くないんですか?」
「お前が寝たら部屋に戻る。」
「え、」

帰ってしまうの、と眼差しが言う。それに獪岳が呆れた様に笑った。

「なんだ?甘えたか?」

馬鹿にした物言いに名前はきゅっと口を尖らせる。今度こそ獪岳は笑い声をあげた。

「はっ、不細工。」
「……うるさい。……貴方に傍にいてほしいんです。」
「…怖くねえのか?」
「獪岳は特別です。」

あいつらと同じ男だぞ?という問いに間髪入れずに答える。

「今日は先生もいるんだから一緒には寝れねえよ。」
「…はい。」
「我慢しろ。俺も我慢する。」
「はい、……え?」
「寝ろ。目を瞑れ。」
「今、今なんか」
「永遠に眠らせるぞ。」
「おやすみなさい!」

幼な子にする様にとんとんと規則正しくあやす手に、名前はあっと言う間に眠りに落ちた。

***

身支度を整えた名前に桑島は心配そうな面持ちで声を掛けた。

「…本当に行くのか?一日位休んでも罰は当たらんだろう。」

おおよその事は獪岳が話したのだろう。眉が下がったその様子に名前はにこりと微笑む。

「ご心配ありがとうございます。ですが大丈夫です。」

隣に立つ獪岳の手を握って見上げる。

「獪岳さんが居てくれるので大丈夫です。」

それはそれは幸せそうに獪岳を見上げて笑うものだから、桑島も思わず破顔する。当の本人は気にした体もなく他所を見ているが、彼女の手は握って離さない。

「なら、獪岳。任せたぞ。」
「はい、先生。」
「いってきます!」
「ああ、気を付けて。」

わざわざ履物を変えて道まで見送る桑島に名前は何度も振り返っては手を振った。
初登校の小学生か、と獪岳が頭を小突いてもにこにこ笑っている。

「幸せです。」
「あ?」
「心配してくれる人がたくさんいて、私は幸せ者です。」

以前はどれだけ酷い怪我をしたとしても案じてくれる人はいなかったから。鬼が倒せなければ自分は価値が無い。いらないもの。不要品だ。
それが今は身を案じてくれる人がいて、更に自分を愛してくれる人がいる。なんて幸せな事だろう。

隣りを歩く恋人を見上げる。

「獪岳、私頑張ります。獪岳の隣りにずっといられる様に。」

彼が隣りにいてくれる事は当たり前ではない。
この当たり前が続くように努力していきたい。

獪岳は名前を一瞥して再び視線を外す。

「…んな事しねえでも俺が逃さねえよ。」
「え?」

ぎゅうっと力強く握る手。遅れて名前の頬が赤く染まる。

「獪岳、好きです。大好きです。」
「黙れ。恥ずかしい奴だな。」

そう言いつつもほんの僅かに微笑む横顔が愛しくて堪らない。好き。大好き。この気持ちが溢れて止まらない。

「獪岳がずっと一緒に居てくれるなら、私、これから先もずっと幸せです。」

貴方は?
その答えが自分と一緒ならこんなに嬉しい事はないだろう。

***
これでひとまず完結です。この後はプロポーズとか初おせっせとかちまちま書いていきたいと思います。長々とお付き合い頂きありがとうございました。

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