「まったく…。女の顔を殴るとはとんでもない輩だ。」
赤く熱を持つ頬に桑島は冷感シートをそっと貼る。他人だというのに自身の事のように憤ってくれる事がこそばゆい。
「すみません、突然お邪魔したのに手当てまでして下さって、」
「気にせんでくれ。好きなだけ居て構わん。」
「そうだよ。どうせ獪岳が巻き込んだんでしょ。」
「いえ、私が発端なので…」
名前は弱々しく微笑むとぎゅうと長い袖口のカーディガンを握り俯く。
不安そうな音がする。きっとそれは自分ではなく羽織るカーディガンの持ち主の安否を思っての事だろう。善逸は名前の前にそっとマグカップを置く。
「獪岳なら大丈夫だよ。あいつだって馬鹿じゃないから。」
「……うん、ありがとう。」
マグカップの中身は温かいココアで、口にすると強張る気持ちが少し和らぐ。
「ただいま帰りました。」
横戸が開く音と帰宅の声に立ち上がり玄関へ行くと予想通り義兄が立っていた。白のワイシャツには所々に不自然な赤のような燻んだ茶のような色の斑点が付いる。眉間に皺が寄った人相の悪さは殺人事件の犯人のよう。
「うわあぁあっ!馬鹿だったー!!」
「誰が馬鹿だ。」
「何それ何それなんなの返り血?やばくない!?」
「地獄見せてやったからな。」
「自慢げに言う事じゃねええぇえ!!」
あんたよく通報されなかったなとのたまう善逸の頭に獪岳が拳骨をお見舞いする。痛みにしゃがみ込む善逸の後ろから遅れてやってきた名前は恋人の姿を見て再び目を潤ませた。
「か、かいがく、獪岳、」
「ん。」
手を伸ばして頬に触れる。いつも少し上の視線が獪岳が土間にいる為とても近い。獪岳は触れる手を払わず、安心しろという意図を込めてその手に重ねた。
「怪我は?ひどい事されてない?」
「見ての通りだ。」
よかったと息をつく名前の後ろでニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべる善逸を蹴り飛ばし、家に上がる。獪岳は名前の手を引いた。
「泊まってけ。服貸してやる。来い。」
「え、あの、」
「とりあえず来い。」
「は、はい。」
獪岳が通り過ぎる際、小さく感謝の言葉を溢したのを床に寝そべる善逸はしっかり拾った。
***
通された獪岳の自室は想像よりも物が少なく片付いていた。
「突っ立ってるなよ。入れ。」
「お、お邪魔します…。」
とりあえず座ってろと言われた名前はちょこんとベッドの隅に腰掛けた。男の人の部屋など入った事がないので落ち着かない。少しの緊張に伸ばされた獪岳の手が肩に触れるのに気付かなかった。途端に蘇る先程の記憶。
びくりと肩が跳ね、怯えた瞳が獪岳を覗く。それに彼は舌打ちをした。
「ご、ごめんなさ、」
「謝んな。」
謝罪の言葉に否定の言葉を被せる。苛ついているのは守れなかった自身に対してだ。
冷感シートが貼られた頬が痛々しい。
腕を引いて華奢な体を抱きしめる。強く抱きしめれば壊れてしまいそうだが今暫くは許してほしい。
「…何もされなかったか?」
こくりと腕の中で彼女が頷く。
ああ、本当に間に合ってよかった。
安堵の息が漏れる。
「獪岳、苦しい…」
「黙れ。」
案の定苦情が申し出されたが敢えなく却下する。
「ありがとうございます。」
「あ?」
「守ってくれてありがとうございます。」
守れたのだろうか。
こんなに怯えていたのに。怖い思いをさせただろうに。
僅かに弱くなった腕の力に名前が獪岳の頬に軽く口付けた。
「えへへ…」
少し呆けた表情の彼に抱きつく。胸が軋む。衝動のままに再び抱きしめる。つい、と顎を掴んで口付けようと
「獪岳ー、爺ちゃんが何か出前頼もう、って」
扉をノックする音にぴしりと止まる。
名前は獪岳の額に浮かび上がった青筋にひえっと小さく悲鳴を上げた。
「これから好きなのを選んどけ。」
「か、獪岳、」
立ち上がった彼を止められなかった事に扉の向こうにいる善逸へ心の中で謝った。