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風もないのに大きく傾いだ枝からはらはらと数枚葉が落ちる。青々としたそれが目と鼻の先を通り過ぎ、感じた違和感に何となく視線を上げれば、心許ない枝の上には猫にしては大きな黒い影。
「……なにしてんだ陰毛」
直射日光に目を細め、それでもどうにか視認できた後輩の顔にザップは眉を顰めた。
「見りゃわかんでしょ?!」
「いや、見てわかんねーから聞いてんだよ」
異常が日常のこの街、HLの片隅に然として構える病院の一角。件の事件で大怪我を負ったレオを迎えに行けと、ソファーに寝転びながら暇だ暇だとごねていたザップが事務所を追い出されたのは数十分ほど前のこと。前人未到の6徹目を記録したスティーブンの機嫌の悪さと言ったら彼の足元が無意識に氷を張る程で、口答えは愚か息をするのも憚られたザップは大人しく指示に従うことにした。のだが、修理したてのランブレッタに跨り到着した病院の敷地に足を踏み入れるなり、目に入ってきた状況に何一つ思考が至らない。
「あー……夢遊病?」
「寝てねーよ!! 寝ようが寝まいが糸目なんだよクソ!!」
「なぁーにキレてんだよ童貞。欲求不満かぁ〜?」
「ちょっ、あんた女の子の前でそういうのやめて下さいよ」
「はぁ? 女?」
擡げていた首から力を抜き、レオの視線を追えば木陰に一人の少女がいた。見慣れない風貌。患者らしい白い服を纏った華奢な体躯が、スチール製の安っぽい車椅子に乗せられている。どこかで聞いた様な姿に呆然と少女を眺めていると、ふと黒々とした髪が風に揺れた。刹那垣間見た横顔は驚くほど白い。
病人。そんな言葉がザップの頭の中にポツリと浮かんだ。
「何、お前のガールフレンド?」
「ちっげーよ。あんたって本当に思考が一方向にしか流れないよな」
「ああぁん?!」
壊れそうな儚さに気まずさを覚え、少女の髪がこちらを向こうと揺れたのを素早く察知したザップは慌ててレオに向き直った。それでも、少女の視線が自分を捉えている気配はなかなか消えない。
胸がざわざわと、気持ち悪い。
「彼女、ここの患者なんすけど」
「見りゃわかる」
「そっすか。んで、この前病院のエントランスで偶ぜ、ってあッ!!」
ミシリと例の心許ない枝が軋んだかと思えば、レオを乗せたそれは案の定重量に耐え切れず遂に落下した。バキッと枝が折れるもの凄い音に引き続き、レオの跨る若い葉をつけたそれが芝生に叩きつけられる。その瞬間、霧を孕んだ生暖かい風が頬を叩いた。
「レオ?!」
少女の声がレオを呼んだ。見た目通りの透き通った少女特有の声がよく響き、ごろりと枝の上から転がり落ちたレオがにへらとどこか嬉しそうに笑っている。よく見れば、その腕に抱かれていたのは小さな猫。どうやら、木登りをした末降りられなくなった猫を助けたかったらしい。健気な後輩の意図をようやく悟ったザップは、ぶ格好に足元に転がるヒーローを腹を抱えて笑った。
「おまっ、猫一匹助けるのに体張りすぎだろ!」
「うっせー」
確かにザップなら血法を使ってスマートに猫でもなんでも助けられるのだろうが、大前提として、こんなクズが木の上に取り残された子猫を憐れむかどうかは甚だ疑問だ。そう思えば怒る気も失せたレオは「可哀想な人ですね」とぼやきつつ、一転終始心配そうにこちらを見つめていた少女に子猫を手渡した。
「もう大丈夫だよ、ほら」
「ありがとう、レオ」