プロシュートとアラクネー1

仕事を終えてアジトに向かっていたプロシュートは数メートル先の光景に気付くと足を止めた。その少し後ろを歩いていたペッシも何かに気付いたようで突然立ち止まったプロシュートを見て苦笑いを浮かべる。

「ペッシ、お前は先に戻ってろ」
「へい」

ペッシと別れたプロシュートは短くなった煙草を踏み潰すと真っ直ぐ歩き出した。

目的の人物に距離が近付くにつれて興奮気味に話す男の声が大きくなる。言い回しはいかにもなイタリア男だが距離の近さはお世辞にも紳士的とは言えない。

「君は運命を信じるかい?」
「いいえ」
「僕も信じていなかったんだが、君を見た瞬間に考えが変わったよ。まさに今この瞬間…そう、君との出会いが運命だと確信したんだ」
「私は何も感じませんでしたけど」
「"これから"ってこともあるだろう?どうかな、これから一緒にランチでも」
「シルビア」

プロシュートはシルビアの名前を呼ぶと男から引き剥がすようにして細い腰を引き寄せた。引き攣った笑顔を浮かべて男の相手をしていたシルビアが突然のことに驚いて見上げると、プロシュートが彼女の頬にキスを落とす。そのままちらりと目の前の男に視線を移せば男は瞬時に負けを悟ったのか、やれやれと残念そうに首を振り大人しく去っていった。

「さすがプロシュート。ありがとう」

シルビアがすごすごと去っていく背中を見ながら呟く。どんなに冷たくあしらっても全く引かなかったナンパ男をたった一睨みで退散させてしまうのだから、さすがとしか言いようがない。

「相変わらずお前は隙だらけだな」
「そうかな」
「そうだ。出てすぐに引っ掛けられてんじゃねぇよ」
「あはは…」

プロシュートの言う通りアジトは目と鼻の先だ。とは言え腐っても暗殺者なのだが…という意味を込めてシルビアが顔を上げれば、形の良い眉がそうじゃないと言わんばかりに顰められた。

「最近また厄介な奴に絡まれてるらしいな」
「えっ、何が?」

思わず声を上ずらせたシルビアをプロシュートがじろりと睨んだ。長年の経験から嫌な予感を覚えたシルビアは咄嗟に目を逸らそうとするが、それよりも早く顎を掴まれ上を向かされる。

「逃げるんじゃねェ」
「う…」

あまりの近さに目を泳がせるシルビアをプロシュートが見下ろした。

「この前も本部の近くで絡まれてアバッキオに助けられたんだろ」
「ずいぶん情報が早いことで…」
「そん時も体触られたんだってな。フーゴも呆れてたぞ」
「…え。あ、そっち?」

密告者はミスタ辺りだろうと勝手に思っていたのだが違ったらしい。ごめんミスタ、と疑ってしまった事に対して心の中で手を合わせる。しかしどうやらシルビアの発言はプロシュートの琴線に触れてしまったようだ。
眉間にしわが寄るのを見てしまった、と視線を逸らす。

「そっち?じゃねェんだよテメーは。どんだけ厄介な奴に絡まれてんだ、あぁ?」
「ご、ごめん」
「だいたいな、ナンパされるにしてもヤることしか頭にねェ下衆野郎に引っ掛けられてんじゃねェぞ」
「(そんな無茶な…)」

ナンパを見極めろとは無理な話である。勿論反論はしないが。

それにしても密告者がフーゴだとは思わなかったため、シルビアは若干裏切られたような複雑な気持ちになった。ついに弟が反抗期に突入した気分である。先日繊細な話に土足で踏み入るような真似をしたシルビアへの報復だろうか。

そんなことをぼんやり考えていたシルビアはプロシュートの眉間がさらに険しくなったことに気付き咄嗟に背筋を伸ばした。

「おい聞いてんのかシルビア」
「聞いてます」
「いいか、さっきみたいな女と縁のなさそうなタイプは返事を返しただけで脈アリだと勘違いして余計調子に乗るんだ。あとこれは何度も言ってるがお前はいい加減自分の容姿を自覚しろ。身分を弁えてない男に構う必要はねェんだ」

相手に対し酷い言い草ではあるが、シルビアはもはや怒られているのか褒められているのかわからない。

「それと相手がカタギの人間だからって遠慮するな。面倒だと思ったら適当に縛って転がしとけ」
「それはさすがにどうかと…」

大人しくプロシュートの小言を聞いていたシルビアだったがそのアドバイスにはさすがに反応してしまった。能力を持たず大した罪もない一般人相手にスタンドを発動させるのはいくら暗殺を生業とするシルビアでも気が咎めるというものだ。
それにたかがナンパごときでスタンドを出す必要はないだろう。アバッキオに目撃されたときも今回も運悪く面倒な絡み方をされただけで、普段は適当にあしらえば諦める男が大半なのである。

しかしプロシュートにはそんなこと関係無いらしく、大きく溜息をつくと鼻先が触れそうな距離まで顔を近付けた。

「(ち、ちかい…)」
「シルビア、わかったか」

こくこくと何度も小さく首を振ればようやくその答えに満足したらしいプロシュートが手を離した。
緊張感から解放されてほっと息を吐いたシルビアだったが、あることに気付くと腰元に視線を落とす。

「あの、プロシュート」
「何だ」
「この手はいつ離してくれるの?」

さっきから何故か抱かれたままの腰に視線を落とすと、プロシュートは不敵に笑った。

「別に俺はこのままでもいいんだが?」
「…」
「冗談だ」

困ったような表情を浮かべるシルビアに気付いたプロシュートは大人しく手を離した。代わりにジャケットから煙草を取り出して火をつける。

「今日はもう終わり?」
「ああ。詳しいことはメールで送ったから後で確認しといてくれ」
「わかった」
「それで?」
「ん?」
「お前はどこに行くつもりだったんだ」
「ああ、ドレスを買いに行こうと思って」
「…例の件か?」
「そう」

今回のターゲットであるブロスキが来賓として出席する自動車関連の新作展示会は二日後に迫っていた。既に会場に潜り込むことが決まっているシルビアはドレスを調達しにいこうとアジトを出たところで先程の男に絡まれたというわけだ。

「歩いていくのか?」
「そう思ったんだけど、さっきみたいなことがあると面倒だし車にするよ」
「なら俺も行く。ついでにドレスも選んでやるよ」
「えっ」
「なんだ不満か?」
「いや、そういうわけじゃないけど…」

プロシュートは本人を見てわかる通り抜群にセンスが良いのでそこに関しての不安は一切ない。ないのだが、それとは別の不安があるのもまた事実であった。
誰よりもそれをよく知っているシルビアはしばし考えこんだが、恐らく彼のそれは善意からの申し出なので断るのも失礼だろう。

「じゃあ…お願いします」
「よし、行くか」

迷った末にシルビアがそう言えばプロシュートは車を取りに行くためアジトに向かって歩き出した。