美女か醜女か

舗装されていない道端に転がる痩せ細った体は、一つや二つではなかった。

隣り合う店は全て厚手のカーテンで仕切らえているが、毒々しい色をしたリンゴの上を飛ぶ蠅を見る限りまともな品物の入手は期待できそうにない。店と店の間にある狭い路地には大量のゴミが積み上げられ、充満した腐敗臭と投げ捨てられた死体に集まる鴉に思わず顔を背ける。

正常な精神を持つ者では到底生活できそうにない劣悪な環境。金も地位も、権利すらも剥奪された者が、日常という地獄を生きながらえるために強奪と殺人を繰り返す…――ここは、そんな悪党が住む星。



"末端組織が契約を反故にした。至急対処せよ"

数日前、任務を終えて宇宙を飛ぶ第七師団の戦艦に入った緊急要請は、ごくあっさりとしたものだった。聞けば違法薬物取引で得た利益を着服するだけでは飽き足らず、春雨内部の情報を別の組織に売ろうとしているとか。これは見過ごせないと踏んだ元老は、その追跡から対処に至るまでの全権を第七師団に委ねた。

それ以降、例に漏れず副団長の指揮下で動いていた第七師団だったが、ある時掴んだ目撃情報によると、組織の裏切り者はどうやら伝手を頼って"この星"に逃げ込んだらしい。信頼できる筋からの情報を頼りに艦隊を進めれば、辿り着いたのは想像以上に酷い星だった。続く任務で消耗した物品やエネルギーの補給もしたかったが、これでは数日の滞在も難しそうだ。

そして現在。師団内の統率をも一任されている阿伏兎は、着陸後突然姿をくらました上司(と書いて問題児と読む)の姿を追っていた。惨憺たる街の様子に小さく肩を竦めながら、四方から飛んでくる好奇の視線に溜息をもらす。

『…全く、うちの団長はどこ行ったんだァ?』

どうにも胸騒ぎがする。何かと問題を引き起こす上司に降りかかる災難、ではない。虫の知らせ、とはまた違うもの。

『頼むから、これ以上俺の仕事を増やしてくれるなよ』

そう願うときに限って何かと問題が起こることを身をもって体験している阿伏兎は、いまだ姿の見えない上司を早々に発見・回収すべく歩く速度を速めた。



***



一面荒れ果てた土地で、サーモンピンクの髪だけが明確な意思を持っているかのように風に揺れていた。

長年の経験で培った海賊としての勘を頼りに足を進めていた神威の前に立ちはだかったのは、まさに今自分達が追っている末端組織の構成員だった。組織の解体並びに頭目の始末を目的とする上からの命を遂行するために、神威がやることは一つ。だが見た限りでは、自分を楽しませてくれそうな骨のある奴は見当たらない。

神威はざっと辺りを見渡して肩を竦めた。春雨全十二師団中最大の戦闘力たる第七師団との直接対決を前に数は揃えたようだが、見たところ雑魚ばかり。中には期待できそうな者もいるが、どれも自分の敵ではない。

今回の件がいくら上からの命とはいえ――勿論これは神威にとって取り立てて言うほどではないのだが――流石にこの雑魚相手に戦闘は気が進まない。部下に任せようにも生憎今は一人。

すると何も動きを見せない神威に勝利を確信したのか、一人の構成員が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

『いくら春雨の雷槍とは言え、この数相手では五分ともたんだろう!』
『ここに一人で来るとは、噂通り第七師団長は命知らずなことだ』

その声を皮切りに、群衆の中で嘲笑と非難が広がっていく。弱い奴ほどよく吠える。その言葉を体現する輩に、つい我慢していた溜息が漏れた。

…つまらないな。

そう吐き出しそうになった時、突如辺りに響き渡る銃撃音と共に、円を作っていたうちの一人が血飛沫を上げて地面に突っ伏した。一体何事かと動揺が広がる間にも、連中は次々と地に臥していく。

『だ、誰だ!?』
『まさか第七師団の奴らか…!?』

聞き慣れた音は彼の同胞が扱うそれだが、生憎戦闘中の神威の前に立つ命知らずは第七師団にはいない。この間にも、突然の奇襲で混乱している構成員達は成す術もなく次々と地に臥していく。
一ヶ所を中心に広がる被害を見て、敵が一人であると認識した一人が声を荒げた。

『か、頭!アイツは恐らくこの星の―――!』

しかしその言葉は最後まで続かず、喉を掻き斬られたそこは小さな呼吸音を漏らすだけだった。あまりにも一瞬の出来事に、再び動揺が広がる。しかしこの騒ぎに乗じて神威を討とうとする者は誰一人としていない。相当混乱しているのか、はたまたただの馬鹿なのか…そんなことを考えながら傍観を決めていた神威だったが、次々と片付いていく様子を見て次第に気分が高揚していくのを感じた。

『くそっ、こうなりゃ神威だけでも!』

そこでようやく自分の本来の役割を思い出したのか、勝利を確信していた哀れな男が先程とは正反対の表情を浮かべながら真っ直ぐ神威に向かってきた。まだ見ぬ強者との邂逅は、その直後だった。

大量の土埃が舞う中から姿を現したのは、夜兎が身に纏うそれだった。右手に持つ番傘も見慣れたものだったが、自分たちが持っているものよりは幾らか大きい。どこかかつての神威の師が持っていたものを彷彿とさせる。典型的な夜兎の格好ではあるが、第七師団員ではなさそうだ。

『な、に…!?』

驚愕を顔に浮かべた構成員が振り返った瞬間、神威の同族と思しき者は地を蹴って軽々と飛び上がった。

「悪いが、これは私の獲物だ」

言いながら傘を持ちなおし心臓に一突きすれば、男はすぐに活動をやめた。それを見た奇襲者はふん、と鼻を鳴らし傘を引き抜く。広がる血溜まりの上に立ち、傘から血を払うように地面めがけて一振りすれば、びちゃっ、と音を立てた血がゆっくりと地面に染み込んでいった。

「さて、あと半分か」

フードに隠れて顔を窺うことはできないが、聞こえた声は思っていたよりも高いものだった。

『…女?』

予想外のことに一瞬目を瞬かせた神威が呟くと、女はちらりと視線を送った。一瞬交わった翡翠に自然と弧を描く。

その直後、辺りを見渡していた第三者の両側から、怒号と共に大群が一斉に飛び掛かった。しかし女は一切焦ることなく、持っていた番傘から片側に銃弾を撃ち込むと、それだけでは防げなかった反対からの攻撃を素手で防いだ。と、思えば軽やかな身の熟しで強烈な回し蹴りを食らわし、その勢いのまま下から突き上げるように顎を砕く。軽く地を蹴り後退すると後ろから迫っていたもう一体の腹を素手で突き破った。引き抜いた腹から血飛沫が上がる。女はそれを気に留めずくるりと宙を舞うと番傘を両手で持って脳天に狙いを定める。敵の制止する言葉を聞き終わる前に、それは見事に脳天を貫いた。
気付けば、この場で立っているのは神威と女一人だった。

「呆気なかったな」

そう呟いた女が地面に足をつけた瞬間、風に揺られてフードが取れた。振り返った顔は血に濡れているものの、透き通った肌と美しい翡翠が印象的な女。首元に隠れていた髪をばさりと手で払えば、絹のような亜麻色が姿を現した。

「…余所者か」

その容姿から夜兎であると断定された女は手に持っていた番傘を腰のホルダーに入れ、神威に目を向け独り言のように呟いた。血に濡れた手の甲で頬を擦れば、透明感のある白い肌に鮮血が滲む。

その姿を見た神威は心底楽しそうに笑顔を浮かべると女に向かって拳を繰り出した。

『人の楽しみを奪ったんだから、代わりにアンタが相手してよ』
「全く、最近の余所者は礼儀も知らんのか」

降ってきた拳を手の平で受け止める表情は、さも面倒臭そうに歪んでいる。左で受け止めた拳をそのまま包み相手の力を利用して後ろに流すと、がら空きになった腹に右拳を叩き込む。…が、それは腹に辿り着く前に男の拳に止められた。

間近に迫った翡翠に笑んだ神威が頭突きを食らわすも、軽く頭を傾けて簡単に避けられる。不敵に笑った女が足を蹴り上げ宙を浮いた体に弾丸を打ち込めば、避ける手間すら惜しいというように全て命中した。しかし痛みなど全く感じないとでも言うように降ってきた拳を、今度は女が寸でのところで後ろに飛んでかわした。見れば地面が深く抉られている。それを見た女は不敵に笑った。

「成程、少しはできるようだな」
『次は殺すよ』

まるで動物が獲物を狙うような緊張感に、二人が笑みを浮かべる。純粋にこの殺し合いを楽しんでいるのは、どうやら神威だけではないらしい。獰猛な野生動物の、命の奪い合い。少しでも気を抜けば命はない。
互いの地面を踏む音に目を見開いた、その時。

『なーにやってんだ、このすっとこどっこい!』

気の抜けた声が二人の耳に入ってきた。倒れた敵を足蹴にしながら頭を掻いて登場したのは阿伏兎だった。何かと苦労している部下に向かって、神威は殺意を込めて笑いかける。

『今いいところなんだ。邪魔しないでよ、阿伏兎』
『何がいいところだ!敵さん全員伸びてるのに、肝心の大将が見当たらねェぞ』

いつもなら「はいそーですか。ったく、勝手にしやがれチクショー」と出来の悪い上司を罵りながら、神威の興味が失せるまで渋々傍観に徹する副団長だったが、どうやら今日はそうはいかないらしい。額に青筋を浮かべながら珍しく反発して声を上げる。やはり着陸直後に何も言わず姿を消したのがマズかったのだろうか。

『阿伏兎が適当に片付けといてよ』
『そうすると上に怒鳴られるのは俺じゃなくて団長だぜ。職務放棄も大概にしろ』

早く追い掛けるぞ、と告げられたことで破られた緊張。二人のやり取りを静かに見ていた女は構えていた番傘を下ろすと、再びホルダーに仕舞った。それに気づいた阿伏兎が目を見張る。

『まさか、こんな辺鄙な星で同族に会えるとはな』

興味深そうに視線を送ってくる阿伏兎を見ると、女は真っ直ぐ二人に歩み寄った。

「この戦闘狂は御宅の上司か?」
『ああ、悲しいことにな』
「…夜の兎の希少価値は高い。内々で殺し合いをするのは得策ではないと、あの空っぽな頭にしっかり叩き込んでおけ」

小さく笑った女が赤黒く染まったマントを翻す。ばさりとはためくそれと共に亜麻色がふわりと揺れた。遠ざかる背中に向かって神威が呼び止める。

『逃げるの?』
「まさか。無駄に時間を費やしたくないだけだ」
『アンタの名前教えてよ』
「相手に名を聞くときは自分から名乗るものだ」
『俺は春雨第七師団団長、神威』
「…零圃。見た通り、お前達と同じ夜兎だ」
『ねえ零圃、もう一回殺ろうよ』
「悪いが私は忙しい。そこの部下にでも付き合ってもらえ」

それだけ告げると、神威は仕方なく閉口した。これ以上は付き合ってくれないらしい。風に揺れる亜麻色を眺めながら、ぽつりと本音が漏れる。

『勿体ないことしたな』
『団長、あの女の有り難い忠告聞いてただろ?俺たちゃ希少価値が高い天然記念物だ。むやみやたらに同族狩るのはやめてくれ』
『あの女強かったね。また会えるかな』

部下の忠告にもあくまで馬耳東風の姿勢を貫く上司に阿伏兎は頭を掻いた。

『おいおい、女子供は殺さないんじゃなかったのかァ?』

将来有望な子供と、その母親となるべく素質を持った女。この二つは殺さないというのが彼の流儀では?その意を含んで阿伏兎が疑問をぶつければ、神威はにこりと笑った。

『だって、本気でやらないと俺が殺されてたと思うし』
『……、は?』
『久々に強い奴に出会ったな』
『…正気か?』

珍しい団長の冗談で複雑そうに顔を歪める阿伏兎を見て、神威が四方で大量に転がる死体を指さして笑った。どれも急所を一撃。生命活動を停止した人体を中心に広がるのは、どこを歩いても水音がしそうな血溜まり。実際、ここまで歩いてきた阿伏兎の靴の裏は血で赤黒く染まっている。

『ああ、そういや今日はまた一段と』
『これやったの、俺じゃなくて全部あの女だよ』

辺り一面に広がる凄惨な光景に、派手にやったな、と続くはずだった言葉が喉下で止まる。一瞬目を見開いて再び辺りを見渡した阿伏兎は、軽く見ても二百はあるだろう死体に今度こそ頬を引き攣らせた。

『おいおい…どんなバケモンだ?あの女…』