不意に視界が暗くなったことで頭上の人影に気付いた零圃が瞬時に地を蹴って後ろに避ければ、砂利でできた柔な地面が衝撃音を立てて割れた。抉れた地面から拳と共に降ってきた三つ編みに視線を移し、思わず溜息を漏らす。
「まだこの星にいたのか」
「やあ。昨日ぶりだね」
土埃の中から姿を現したのは昨日出会ったばかりの神威だった。零圃が構わず足を進めると自然な流れでその隣に並ぶ。
「何の用だ」
「昨日の続き。殺ろうよ」
「断る」
「一回で良いから」
「お前の一回は死ぬまでだろう」
「じゃあ殺さない程度だったらいいでしょ?」
「嫌だ」
「零圃」
昨日聞き出したばかりの名前を呼べばぴたりと足が止まり、微かに苛立ちを含んだ翡翠が神威を見つめた。あんな虐殺をする癖にやけに純粋な翡翠と視線が交わる。
「殺る気になった?」
「鬱陶しい。これ以上私に付き纏うな」
笑みを深めた神威に向けられたのは、柳眉を顰めた不満顔と拒絶を意味する辛辣な一言だった。それだけ言い放った零圃が再び歩き出せば、目を瞬かせた神威が手厳しいな、と苦笑を漏らす。再び横に並んだ諦めの悪い男を一瞥すると、これ以上は何を言っても無駄だと悟ったのか肩を竦めるだけにとどまった。
「組織に属しているのだろう。とやかく言われる前に出ていった方が身のためだと思うが」
「ねえ、零圃はどうしてこの星にいるの?」
忠告を聞く気はない癖に零圃に興味はあるらしい神威が首を傾げた。
「どうしても何も、生まれも育ちもこの星だ。出る理由がない」
「こんな星なのに?」
「他はどうか知らんが、私にとってはこの星が普通だ。それに、住めないこともない」
「…これで?」
神威の疑問は至極当然のことだった。舗装されていない道の両側に展開される荒んだ露店に目を向ける神威を見て、彼の言い分を察した零圃がああ、と小さく呟く。
「ここが酷いだけで他にも店はある。この星は案外広いからな」
「ふーん。じゃあもう少し滞在できそうだね」
「…」
零圃の迷惑そうな視線に気付いた神威がにこりと笑う。
「零圃はどうして昨日の奴らを殺したの?」
「仕事だ」
「仕事?」
「フリーの傭兵。ただし行動範囲はこの星限定」
「ああ、それであいつらを始末しろって依頼されたわけだ」
「獲物を横取りしたのは悪かったが、私も仕事だからな」
「俺も一応仕事だったんだけど」
「こっちは明日をも知れぬ身の上だ。銀河系最大の犯罪シンジケートと一緒にするな」
「あり、知ってたの?」
「こんな仕事をしていれば名前くらいは聞く」
それきり口を閉ざした零圃は市街地の途中にあった細路地を曲がった。その背中を追って歩みを進めれば、薄暗い路地の両側にいたのは無駄に視線を送ってくる天人達。壊れた看板を椅子代わりに腰掛け、じろじろと品定めするかのような視線を向けられる中、零圃は足を止めることなく真っ直ぐ進んだ。しかし誰一人として、彼女の行く手を阻む者はいない。神威は記憶の底にある懐かしい星とよく似た光景に小さく笑った。
しばらく進んで開けた空間に出ると、前を歩いていた背中が突然一軒の家の前で止まった。ここに来るまでに何度か目にしたあばら家とは違い、鉄筋コンクリートの一軒家だ。零圃は慣れた手つきで扉を開けると神威に向き直った。
「ここって零圃の家?」
「尾行はここまでだ。さっさと帰れ」
「えー」
それだけ言った零圃に不満の声をあげれば、小さく溜息を吐いた彼女は肩を竦める。重厚な扉の内側からドアノブを握り、不満の声を上げながらもどこか楽しそうに笑う神威を鋭く見上げた。
「もう一度言っておくが私はお前と殺る気はない。それ以外この星に滞在する理由がないならとっとと出ていけ」
***
「おはよ」
「…」
その翌日。家の扉を開けた零圃の視界に映ったのはここ数日の頭痛の原因だった。思わずひくり、と頬が引き攣る。昨日の忠告は聞いてもらえなかったらしい。からからと笑って手を振る男の前を素通りすれば、零圃のすぐ後ろに足音が続く。
「お前の部下が苦労しているのはよく分かった」
「俺が素直に従うと思った?」
「期待はしていたんだがな」
「ここにいる理由ならちゃんとあるよ」
そう言った神威が咄嗟に零圃の腕を掴んだ。行動を制限された零圃が仕方なく足を止める。みしみしと音を立てる骨に眉を寄せれば、神威はにっこりと笑ってお決まりの言葉を続けた。
「ねえ、俺と「断る」せめて最後まで言わせてよ」
間髪入れずに返って来た答えに満足したのかしていないのかあっさりと手を離す。少なからず驚いた零圃が神威を見ると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「あれ、殺る気になった?」
「何故そうなる。その頭には戦うことしかないのか?」
「まあね」
呆れ返った零圃は掴まれていた腕を擦り、不敵な笑みを絶やさない戦闘種族の典型を一瞥すると再び歩き出した。
薄暗い路地を進み昨日と同じ市街地に出る。両側に並ぶ廃れた露店に、生命活動を停止して痩せ細った体が転がる道。何の変化もない街の様子を眺めていた神威だったが、前を歩く零圃に視線を移すと不意に疑問をぶつけた。
「ねえ、今日はどこに行くの?」
「別にこれといって用はない。あそこにいても暇だから外に出ただけだ。まあ、悪質なストーカーがいるとわかっていれば外出は諦めていたが」
「零圃ならそんな奴がいても殺しちゃうでしょ?」
「…そうだな」
「ていうか、暇なら俺と殺り合ってくれてもいいじゃん」
「生憎無駄な争いは好まない性質だ。金にならなければ尚更。…お前はもう少し夜兎の希少性を自覚しろ」
「そんな阿伏兎みたいなこと言わないでよ。口煩いのはあいつ一人で十分」
「阿伏兎?…ああ、この前の」
気だるそうに頭を掻く男を思い出し頷く。
「あいつは同胞の血を愛でるあまり、夜兎を殺せる力を持っていながらあえて手加減して殺さない。それが夜兎の血に最も恥ずべき行為だと知りながらね。いつまで経っても治らない悪い癖だ」
「きっといつか、それが命取りになる」
「!」
「お前はそう危惧しているんだろう?」
「…零圃って超能力でも使えるの?」
「いずれ守ろうとした同族に食い殺されるかもしれないな」
「…」
「私達の体の底から湧き上がる殺人衝動は義理や情などの理由では制御できない。この体に流れている血も…渇きを満たそうと常に血を求めている。しかしその部下とやらはそんな化物を愛でるというのだろう?私はむしろ尊敬に値すると思うがな。それに何と言っても、本来孤独であるはずの夜兎に…お前についてきてくれてるんだ。それだけでも十分幸せなことだろう」
小さく笑う零圃を見て、神威が足を止める。突然聞こえなくなった足音に気付いた零圃がちらりと視線を送れば、先程まで相槌をうっていた神威は俯いて立ち竦んでいた。
「気に障ったか?まあ、お前が今の答えで納得するはずは」
「零圃は、俺が羨ましいの?」
その言葉に、零圃の足がぴたりと止まる。一瞬驚いたように目を見開いた零圃は微かに目を泳がせたが、返事を求める声でゆっくりと振り返った。
「羨ましい、か」
その声で顔を上げた神威が見たのは、困ったように笑う零圃だった。驚きに目を見張った瞬間、曇天から降って来た一筋の銀糸が白い肌の上で跳ねる。それが傷一つない頬を滑り落ちた時、艶やかな唇が弧を描いた。
「生憎その感情が私にはわからん」
「分からない?」
「一人に慣れ過ぎたのかもな」
小さな呟きは、突然振り出した激しい雨音の中に消えていった。
***
「やあ、おかえり」
「…お前も飽きないものだな」
一日の任務を終え、帰宅した零圃の目に飛び込んできたのは我が物顔でソファに座る神威だった。いつ家に侵入したのか、とか、何故当たり前のようにくつろいでいるのか、といった疑問は喉下で飲み込む。流石に三回目ともなれば慣れたもので、零圃はそれだけ呟くと特に反論することもなく冷蔵庫に向かった。出会い頭の暴力とストーカーに引き続き、この男の辞書に"不法侵入"という言葉は存在しないらしい。
「安心してよ、もう明日にはここから出ていくし」
「そうか」
「そう。だからさ」
ソファの背凭れから身を乗り出して不敵に笑う。
「その前に俺と勝負してよ」
「…勝負?」
珍しく正攻法で挑んできた神威に、あっという間に水一本を飲み終えた零圃は目を瞬かせた。
「そ。零圃が勝ったら俺は大人しくこの星から出ていく」
「…」
ちなみにここで「それは決定事項じゃなかったのか」という疑問が当然浮上するのだが、問いかけても聞き流されるだけである。大人しく聞き手に回るのが得策。
「そっちが勝ったら?」
「零圃が海賊に攫われる」
さらりと答え、笑みを深める神威に零圃は堪えきれず吹き出した。
「っ、はははは!それじゃ私には、っな、何の利益もないだろう…?不平等もいいところだ」
苦しそうに息継ぎをする零圃にきょとんとした神威が目を瞬かせる。
「絶対いい条件だと思ったのに」
「まあ、確かに面白いな」
「じゃあ俺と勝負してくれる?」
「勝負、か。そうだな…」
肩を震わせながらそう答えた零圃に、神威は再び笑みを浮かべた。それに気付いた零圃は空になったボトルをシンクに置くと、腰元に手をのばし長年共に戦ってきた相棒を引き抜く。ここで承諾すれば無事でいられないのは目に見えている。それを知っていて、零圃は覚悟を決めた。期待に目を輝かせる神威に傘の先端を向け、挑発的に笑う。
「仕方ない。三顧の礼として、その勝負受けて立とう」