凛と咲くや大和撫子

池田屋にいた尊王攘夷の過激派浪士二十数名のうち、新選組は七名を討ち四名に手傷を負わせた。後に池田屋事件と呼ばれる今回の戦から僅か数刻後の新選組屯所。
幾月ぶりかの突き刺さる視線に、痺れかけた足を崩した。

『今回はお前のお陰で助かった、礼を言う。が、俺は外出許可を出した覚えはねぇ』

紫紺を細める土方さんの正面で思わず肩を竦める。彼の言うことはごもっともだが、弁明の余地を与えないのは如何なものかと思う。

『だがトシ、俺達は萩野くんのお陰で助かったんだ』
『それに総司と平助に関しちゃ仕方ねぇことだろ?』

近藤さんと永倉さんが文字通り鬼の副長を諌めていると、形の良い眉を顰めた原田さんが質問を投げ掛けた。

『で?平助たちをやった奴らは逃がしちまったのか?』
「俺の力不足で申し訳ありません」
『いや、むしろ無事に生きてたのが奇跡だろ』
『それにしても、長州にそんな手垂がいるとはな』

溜息交じりに頭を抱える永倉さんもあの二人の強さを知っているからこそ、嫌でもその驚異的な強さを認めざるを得ないのだろう。しかし一つ訂正が。

「ああいえ、長州ではないみたいですよ。奴は自らのことを鬼と名乗りました」
『『…は?』』

かろうじて声を漏らさなかったその他の面子も、驚愕しているのは明白だ。多少のことでは動揺しないと定評のある土方さんやはじめくんですら驚いたように瞳を揺らしている。

「今は薩摩についてるとか何とか」
『いやいや、普通にありえない単語が聞こえたんだが』
『鬼って、奴がそう言ったのか?』
「はい」
『で、出鱈目だろ?鬼なんてのがいてたまるかよ』
「でもあれは多分本当だと思いますよ。俄かに信じ難いですけど、確かに人ならざる者の気を感じましたし…生身の人間にしちゃ強過ぎました」

以前目にした白髪の化け物とはまた違う。何より理性があったし、あの強さは間違いなく本物だった。狂気すら感じる白髪を「偽物」と称するなら、さし詰め彼らは「純正」といったところか。

「(だったら、平助をやったあの体格の良い男も仲間?)」

であれば、あの未知数な強さと威圧的な存在感も頷ける。あの場にいた二人は、何か繋がりがあると見て間違いないだろう。どこからか感じる視線にふと顔を上げれば、全員が揃って同じような顔を披露していることに気付いた。

「何か?」
『強かったってお前、』
『その"鬼"って奴と斬り合ったってのか?』
「結局押し負けましたけどね」

負けず嫌いな性格故か、技量で負けたとは思いたくない。しかしあの俊敏な動きは人間のそれを遥かに凌駕していた。長い幽閉生活で身体がなまっていたというのも否定はできないが、純粋に私は奴に負けた。ただ、それだけのことだ。

『それで無事って…』
「まともにやり合ってたら死んでましたよ。運よく見逃して貰えたんです」
『翠お前、悪運強すぎだぞ』
「良く言われます」
『で、その鬼とやらの目的は?』

それまで黙っていた土方さんの問いかけにより、一時緩んだ空気が再び張り詰めた。

「あくまで憶測の域を越えませんが、自らを"鬼"と名乗る男は何らかの恩義があって薩摩に与しているかもしれません」
『…恩義?』
「個人的な推測ですけどね。けれどあの清々しいまでの自尊心は逆に考えると、それだけ自らが受けた恩に厚いとも受け取る事が出来ます。でも、あくまで自分達は"力を貸している"だけと言っていました。ああそれから、俺達人間を卑下する発言から自分達を尊い存在だと自負していると確信しました。でもそれってつまり同輩は認めているって事ですよね。それより上も下も無い、あくまで同等の存在。そう考えるとあの鬼―――風間の同志が過去に恩恵を受けたか何か、はたまた祖先絡みか…。いやでもそんな真面目そうな奴には見えなかったな」

静まった彼らを不審に思い顔を上げると、揃って間の抜けた表情を浮かべた彼らがいた。

「…何か変な事言いました?」
『いや、』

否定しながらも何か思い当たるところがあるのか、土方さんに声を掛けると難しそうに眉を寄せながら視線を逸らした。他の幹部たちの表情も皆似た様なものである。

『鬼、か』
「狂気的な強さは似ているものがありましたけど―――奴には理性がありました」

途端、水を打ったような静けさが狭い部屋に広がる。向けられたのは、この上なく冷たい目だった。まるで今から殺す人間を見るような…何の熱も籠っていない、冷めたもの。この数ヵ月で友情を育んだ仲間(あくまで自己的な評価だが)とは思えない彼らの視線に何も感じなかったわけではない。でも、

「(―――これ以上踏み込むと、首が飛びそうだ)」

屯所に初めて足を踏み入れた時の様な居心地の悪さに肩を竦めると、絶対的な指揮権を持つ彼は早々に話題を転換した。

『何にせよ、許可なく外出した点に置いては褒められたものじゃねぇな』
「ああ、そのことなら『その点に関しては私が責任を負います』

意外な人物の介入により、私の失言で静まり返っていた広間にざわめきが広がった。

『さ、山南さん?』

呼び掛けに答える様に笑みを零した彼は、上座まで進むと自分のあるべき場所へと腰を下ろす。

「こんな感じで良かったんですか?」
『ええ、十分すぎるほどです。よく無事に帰ってきましたね』
「山南さんが祈ってくれたおかげです。情報も入手しましたし、中々に良い働きでしょう?」

悪戯っぽく笑えば、なんとも意味有り気な頬笑みが返って来た。
微かに目を見開いた私を認めた彼は、隣の土方さんに向き直ると穏やかに言葉を紡いだ。

『土方くん、これは私からの提案なのですが、本格的に萩野くんの入隊を認めたらどうです?』
「!」
『!?な、何をいきなり…』
『証拠を出すまでもなく、今回の件で誰もが実感したと思いますが?それに、彼に裏切りの意思がないことはこの数ヵ月で証明されましたよ』

初対面時の態度が嘘のようだ。最初に下した最低評価を払拭し、謝罪を述べながら心の中で手を合わせた。

「ま、あくまで憶測なんですけどね。こんな嘘みたいな話、信じろってほうが無理でしょう」
『それでも筋は通っています。信じる価値は十分にあるでしょう』

するとこれまで黙って一連の流れを聞いていた近藤さんが、どこか嬉しそうに頷いた。

『うむ、俺は賛成だ!強い味方は一人でも多いに越したことは無いだろう』
『近藤さんまで…』
『ただ一般的な隊務というよりは…今回のような鬼との接触を見ても、裏方に徹してもらいたいですね』

まさかここまで口添えしてくれるとは思ってもいなかったので素直に驚く。規律や規則といった堅苦しいものを大の苦手とする私の心情を察してか、彼はごく自然に、自由に動ける時間を与えてくれた。それだけで鈍った身体に鞭打って、苦しいながらも必死に走った私は報われたと言えるだろう。というか見返りが想像以上で、今更ながら捕縛できなかったことに罪悪感を抱いた。

『ま、萩野は人の揚げ足を取らなければ良い奴だからな』
『ほんと、たまに腹が立つけど基本的には良い奴だよ』
「二人ともさりげなく貶すのやめてもらえますかね」

褒めるところがないにしても、せめてこう、気を使ってほしかった。それに「良い奴」という抽象的かつ使いまわしの利く便利な言葉は貰って嬉しいものではない。 遠まわしにそれ以外の褒める箇所がないと言われたも同然だ。さりげなく心に傷を負った私を横目に、山南さんがそれまで黙っていたはじめくんに質問を投げかけた。

『斎藤くんは?』
『俺は局長と副長の御決断に従うまでです』

想像通りの答えに苦笑を漏らしながら改めて上座に向き直ると、笑顔を浮かべる二人の間に頭を抱える彼が目に入った。

「土方副長」
『…何だ』
「緊急時に招集頂ければ、馳せ参じる所存にございます」

恭しく頭を下げれば、苦虫を噛み潰したような土方さんと目があった。恐らく彼は賛否の問題ではなく、外堀を埋められたのが相当気に食わないのだろう。近藤さんの期待するような眼差しに容易に勝てる人間はそうそういないのだから、気持ちはわからないでもないが。

『―――本日付で、萩野翠の入隊を許可する。ただし前も言ったと思うが、』
「少しでも怪しいと思えば容赦なく斬り捨てる、でしたっけ?」

笑顔で言葉を引き継げば、彼は今にも舌打ちを漏らしそうな表情を浮かべて立ちあがった。

『それだけは忘れるなよ』
「肝に銘じておきます」

黒髪が揺れる背に返事をすると、いつかの夜に見た複雑そうな紫紺が脳裏に浮かんだ。