拷問、と言うよりは幕府のお偉い様方相手に直談判したような気疲れを感じながら、長く続く廊下を歩いていた。足の裏から伝わる冷たさと頬を掠める風にぶるりと身を震わせる。まだ陽は高い位置にあるもののどうやら師走の寒さには勝てなかったようだ。
「で、やっぱり信頼はされてないんですね」
振り返れば当然だ、とでも言いたげな蒼と視線が交わり苦笑が漏れた。強く背中を押され仕方なく部屋に入れば非情にもぴしゃりと音を立てて障子が閉められる。大方私達を部屋から一歩も出すなと鬼の副長辺りにでも釘を刺されたのだろう。しっかり軟禁状態だ。
『あっ!』
部屋の真ん中で礼儀正しく正座していた少年が声を上げて立ち上がった。聞いた話では彼は土方さんの小姓に位置づけられたらしい。
『無事だったんですね、良かった…!』
まるで自分の事のように喜ぶ姿が昨晩の腰を抜かす少年と漸く一致した。円らな瞳に幼い顔立ち、あどけなさが残る安心したような笑顔。
「(…ん?)」
そこでふと違和感を覚えた私は首を捻った。昨晩怯えていた時にはよく見えなかったが、これまた随分と可愛らしい顔をしている子だ。
『あの、昨晩は「君、もしかして女の子?」
ぽろりと口から漏れてしまった言葉に少年はピタリと動きを止めた。少年の顔を見た瞬間、疑問が確信へと変わる。口調、仕草、声の高さ、それに何と言っても可愛らしい顔立ち。本人は隠しているつもりかもしれないが、何処からどう見ても女の子のそれだ。
『やっぱり、わかり易いですか…?』
この格好、と悲しそうに眉を垂らす辺り幹部連中には早々に見抜かれてしまったのだろう。中には例外もいそうだが、と思い出したのは暑苦しい筋肉と犬の尻尾だった。あの二人に挟まれるのだけはもう勘弁だと目を細めるとすっかり気を落としてしまった少年、もとい少女と視線が交わり、謝罪を述べる代わりに頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ、不安がらなくても。ただ、君はもう少し男らしさを出した方がいいかもね」
そう言って意地悪く笑うと彼女は困ったように私を見上げた。悲しいかな、身長差はそんなに無いのだが。
「そう言えば、君の名前をまだ聞いてなかったね。俺は萩野翠」
『あ、遅くなってすみません!私、雪村千鶴と申します。昨夜は危ない所をありがとうござ、!』
瞬時に立てた人差し指を彼女の唇に寄せて障子の外を伺った。
「俺には何の事だかさっぱり」
彼女が昨夜の件を全て忘れる事を条件に此処の預かりとなったのならば発言一つとっても気をつけなければならない。すると私の言わんとする事に気付いたのか慌てて少女、千鶴ちゃんは頭を下げてすみませんと口だけ動かした。性格のひん曲がった私とは違い根が素直な良い子だ。是非とも妹に欲しい。
「千鶴ちゃんは江戸の出?」
『はい』
「良ければ京までやってきた理由を聞いても?」
『あ…えっと、半年ほど前に、父様が京に行くことが決まって。便りを出すと言っていたのに、何の音沙汰も無く…』
まだ年端もいかない女の子の一人旅なんて不安だったろうに、見かけによらず行動的な子だ。
『翠さんも江戸の方ですか?』
「生まれは江戸だけど、親類に引き取られてからは尾張や近江を転々として、今は京の人にお世話になってたんだ」
『じゃあ、ご家族は…』
「両親と姉がいたけど、みんな数年前に死んでしまってね。親類はいるけど身近な家族はいないよ」
『そう、ですか…』
どんな反応をすればいいのか困っている彼女の頭をあやす様に撫でる。
「お父上、早く見つかるといいね」
*****
『どう思う?』
淡い行灯の光を頼りにつらつらと文字を書き連ねる。誰ともなく問い掛けた質問に答えたのは少し離れた場所に腰掛ける総司だった。
『どうって、千鶴ちゃんのことですか?素直そうですよね』
『そういう話じゃねぇよ』
けらけらと笑って返された的外れな答えに思わず本日何度目かわからないため息が漏れる。だが確かに、今綱道さんの事情を知ってるのは幹部連中だけで下手に探し回る事も出来ない。
『こんな時に娘が現れるってのは…』
『副長は彼女に綱道さん探しを手伝わせるおつもりですか?』
言葉を引き継いだ斎藤にぴたりと筆が止まる。相変わらず目敏い奴だと思う。だからこそこいつには頼りっぱなしの部分もあると自覚しているが。現に今回の件だって最終的にこいつの手を借りる結果になっちまった。
『いずれはな。だが今は無理だ、あいつの存在が吉凶のどちらか判らねえし秘密を洩らさないとも限らねえ…もっとも、』
真っ直ぐに見つめてきた山吹色を思い出し目を伏せる。
『あの野郎は確実に後者だろうがな』
『萩野翠ですか』
どうにも相手に丸め込まれたような感じがして腹立たしい。特別弁が立つと言うわけでもないが、奴には抗えない何かがあった。
『あの子って本当に苛々しますけど、男の子の癖に綺麗ですよね』
笑ってそう零す総司の言葉に俺は深くため息を吐いた。
『おい総司、言っておくが情が湧いたら後々面倒臭ぇことに』
『はいはい、わかってますって。でも土方さんも同じことを思ったんじゃないですか?』
からかう様な口調を流し再びため息を零すと斎藤が静かに総司を制した。
『彼、なかなか良い腕してますよ。一君もそう思ったんじゃない?』
『…』
珍しく口を噤む斎藤を肯定だと捕らえたのか総司は言葉を続けた。
『それにあんな堂々と土方さんと渡り歩くなんて、なかなか凄い子が来ちゃったんじゃないですか?』
思い出されるのは殺意を込めた視線を受けている中での漂々とした態度。だが視線だけは必ず真っ直ぐ前を向いている。
『…奴はどうもいけ好かねえ。自分がいつ殺されるかもわかんねえのによくあんな暢気でいられるってもんだ』
それが自信に満ち溢れた萩野翠たる所以というものかもしれないが。
『どうした、斎藤?』
じっと己の手を見つめる斎藤に声を掛けるとハッと我に返ったように背を伸ばした。
『いえ、何でもありません』
『そうか』
奴の行動に若干首を傾げたがふと脳裏に浮かんだ山吹に意識を奪われ特に追及する事はしなかった。
『まあいい…奴は敵だと判断すれば斬るまでだ。その時は頼んだぞ、斎藤』
『承知致しました』