上官が入れ替わりました
「あー疲れたーっ!もう、夏侯覇殿ってば手加減しないんだから」
疲れ切った体を解しながら歩いていると、向こう側から見覚えのある人物達が歩いてきた。挨拶代わりに左手を挙げようとした瞬間、聞こえてきた会話に思わず手が止まる。
「全く、これじゃ対処出来ないじゃないですか!」
「まあまあ、そう怒るなって」
「っ、元はと言えば貴方の不注意が招いたものなんですよ!?」
「だから何回も悪いって言ってるだろー?」
…あれ?何だか様子がおかしい…?
「(だって今、鍾会殿が笑って…怒ってる様子の司馬昭殿の肩に、手を、回した…?)手を……え??」
目の前に広がる信じ難い光景に思わず得物を落としてしまう。するとどうだ。その音に気付いた二人がこちらを振り返り、鍾会殿が満面の笑みでこちらに歩み寄ってくるではないか。
「(え、ちょ、何怖い怖い怖いなになに何でどういうこと!?)」
恐怖に顔を引き攣らせ、後退する私の肩を物凄い勢いで掴んでこう言った。
「名前!丁度良い所に!」
「ぎゃああああああああ何なんですか一体!!?ご乱心ですか!?落ち着いてください鍾会殿!!今ならすぐに楽にして差し上げますから!!!」
「取り合えずお前が落ち着け」
構えた武器を鍾会殿に取り上げられると、しかめっ面の司馬昭殿がまるでゴミを見るような目で私を見下してきた。
「え…あの、司馬昭殿…?」
「ふん、相変わらず貴様はいつ見ても情けない面をしているな」
「いくら事実とは言え司馬昭殿には言われたくなかったです」
「あー違う違う、そいつは俺…司馬昭じゃなくて、中身は鍾会なんだって」
「え?」
「つーかお前そんな事思ってたのかよ」
「……え?」
えっと、じゃあ、何だ。
「俺割とショックだわー」と現在進行形で頭を抱える鍾会殿が司馬昭殿?
つまり私を見下している司馬昭殿は、司馬昭殿であって司馬昭殿じゃない…?
「い、一体どういう…」
「あー…まあ、ちょっと色々あってな。ったく、めんどくせ」
「そう言いたいのはこっちですよ司馬昭殿」
偉そうに腕を組んでため息をつく司馬昭殿が、鍾会殿…?
「(…???)」
駄目だ、私の小さな脳如きではこの事態を理解しきれない。
だが、一つだけ分かる事がある。
面倒事に巻き込まれる前に逃げよう。
「すみません、私疲れてるみたいなんで失礼します」
「は!?っちょ、名前待てって!」
「はいっ!?」
慌てた鍾会殿(中身は司馬昭殿)が私の腰に腕を回し勢いよく引き寄せる。
つまり、傍から見れば鍾会殿が私を腕に抱くという有り得ない光景が繰り広げられているわけで。
それまで偉そうに踏ん反り返っていた司馬昭殿(中身は鍾会殿)が目を見開いた。
「なっ、司馬昭殿!?」
「なあ助けてくれって!俺ら昔からの仲だろ?」
「近い!顔近いですって!!鍾か、っじゃなかった司馬昭殿!!」
「名前〜」
あああほら鍾会殿固まっちゃってるよ気付いてあげて司馬昭殿!
しかしそんな鍾会殿もお構いなしに彼はぎゅうぎゅうと物凄い力で抱きしめてくる。
「ぐふぅっ…わ、わかりました!!わかりましたから!!とりあえず話は聞くんで一度離してもらえますか!?」
「さすが名前!そう言ってくれると思ったぜ!」
「でも何か言わされて…ああもういいです。それで、こうなるまでの経緯は?」
「あー実はさ、」
***
「要するに、司馬昭殿が司馬師殿から逃走している途中に鍾会殿とぶつかってしまい、何故かお二人の中身だけが入れ替わっていた…と。ていうか、何故司馬師殿の肉まんに手を出すんですか貴方は」
ふと司馬師殿が兵を率いて司馬昭殿を追跡していた過去を思い出し頭が痛んだ。
いくらなんでも無謀だ。何でこの人はこんなにも学習しないんだ。もう泣けてくる。
「で、信じてくれるのか?」
「はあ…まあ、俄かに信じ難いのですが…えっと、つまりこちらの鍾会殿が司馬昭殿で…あちらの司馬昭殿が鍾会殿、って事ですよね」
「おう!理解が早くて助かるぜ!」
「だああああ!?一々抱きつくの止めてください!!!鍾会殿の顔心臓に悪いんですから!!」
飛びかかってくる司馬昭殿を思わず叫びながら避けると、隣から心底不愉快そうな声が聞こえた。
「貴様、私を愚弄しているのか?」
「愚弄はしてませんけど、事実ですよ?こんなに急接近されたら誰でも引きます。特に女子は」
「な…っ」
あの性格さえなければ鍾会殿って素敵よねーウフフーと女官たちが噂しているのは以前から知っている。しかしそれがどう伝わったのか、自信家な彼は珍しく肩を落としてダメージを受けていた。
「それで、どうすれば戻れるのか方法を探してんだけどよ。何か良い策ねぇか?」
「…」
頬杖をついて首を傾げてくる鍾会殿(中身は以下略)の姿に思わずキュンときた。
多分今なら女官も喜んで従事するだろうと思う。
「多少荒療治ですが、もう一度ぶつかってみては?」
「っ貴様、私に再び痴態を晒せと言うのか…!?くっ、やはり低俗な人間の考える事は理解出来んな!」
前言撤回。やはり彼は彼女たちの手に負える人間ではない。
というかあと半刻くらい静かにしててもよかったのに。
「もしかして、司馬懿殿なら何かしらご存じでは?」
困った時の司馬懿様(ちなみにこの国では常識である)。
とはいっても、今回は例外中の例外だ。
オカルトなんていう非科学的なものは真っ向から否定するであろう彼を思い浮かべると、そもそも取り合ってくれるのかすら怪しいのでは?という疑問に辿り着く。
どうやらそれは実の息子である彼も同じらしく、困ったように笑うだけであった。
「はあ…」
二人して大きくため息をついた、その時。
「見つけたぞ昭よ…!」
「なっ、あ、兄上…!」
鬼の形相を浮かべた司馬師殿が、殺気丸出し武器剥き出しという何とも危ない状態でやって来た。ああ、なんてタイミングの悪い。
しかしやはりここは司馬一族に仕える将である私が止めなければならない。
瞬時に決断を下した私は得物を置いて二人の間に立ち塞がった。
「お待ちください司馬師殿、その方は司馬昭殿ではありません!」
「名前、何を言っている?何処からどう見ても私の肉まんを盗んだ昭にしか見えぬが」
「信じて貰えないかもしれませんが、この方は司馬昭殿ではなく鍾会殿なのです。そしてあちらの鍾会殿が司馬昭殿で…その、中身だけが入れ替わったようなんです」
「そのような奇妙な話を、俺に信じろと?」
「虚言だと仰られても、仕方ないとは自覚しておりますが…この名前、決して嘘は申しておりません」
「…フッ」
「?」
「フハハハハハハハ!」
「!?」
突然笑い出した彼に思わず後退すると、すぐ後ろにいた鍾会殿に腕を掴まれる。
振り向けばその目は語っていた。「私を置いて逃げるなど許さんぞこの庶民が」と。
「そのような話を誰が信じるというのだ。嘘をつくならもう少し頭を使え」
「で、でも司馬師殿…!」
「この話はこれで終いだ。―――ところで昭よ。私の肉まんは美味かったか?」
そう問われて言葉を詰まらせる鍾会殿とは反対に、私達の少し後ろで知らぬ存ぜぬを貫いていた諸悪の根源はけろっとした表情で答えた。
「ああ、美味しかったですよ。それにしてもあの肉まん、いつもの店の味じゃなかったような……え、」
「さて、覚悟はいいか?」
「っああああそれ鍾会殿の体です司馬師殿!!!!」
「〜〜〜ッ!!」
次の瞬間、無双乱舞を発動させた彼に成す術なく、鍾会殿の体は華麗に宙を舞った。
「随分大きな戦があったのね」
まさに満身創痍。
ボロボロになって足元に転がる司馬昭殿を見下ろした元姫殿は「知らなかった」と無表情で呟いた。
「名前殿もお疲れの様子ね」
「ええ、肉まん争奪戦という名の戦に半強制的に参戦しまして」
「…鍾会殿が?」
「元姫、俺だよ!俺が子上なんだって!」
ガバッと勢いよく起き上り、せめ寄ってくる司馬昭殿を前に形の良い眉を寄せる元姫殿。見た事も無い鍾会殿の姿に困惑し視線で助けを求める彼女に苦笑を返す。
「何の冗談かしら」
「…信じて貰えないとは思いますが、本当なんです」
やはりここでも偉そうに仁王立ちをする鍾会殿をちらりと見やれば鼻で笑われた。
なんか今日はいつもに増してムカつくなあの人。ていうか戻る気あるのかな。
そんな私達のやりとりを眺めていた元姫殿は肩を竦めると目の前の男をじっと見据えた。
「…確かに子上殿ね。鍾会殿がこんなことするはずないもの」
「元姫…!」
「司馬昭殿、今すぐその手を離してくださると嬉しいのですが」
手を握って見つめ合う二人に横槍を入れたのは鍾会殿だった。
どうやらあまり元姫殿との仲はよろしくないみたいでお互い険悪な空気が流れている。
無意味な争いはもうまっぴらご免だというのに。
別にいいじゃねぇか!良くありませんよ!といがみ合う馬鹿二人はとりあえず放置して、元姫殿に司馬懿殿の居場所を尋ねる。
「元姫殿、司馬懿殿の居場所をご存じないですか?」
「司馬懿殿なら、先程執務室に入って行かれるのを見たわ」
「そうですか!ありがとうございます」
よし、そうと決まれば。
「司馬懿殿!!!助けてください!!」
「断る」
「何故ですか!せめて用件くらい聞いてくれてもいいでしょうに!」
扉を開けて早速本題へ。しかし返答は何とも冷たいものだった。
「貴様がそうやって私の元へ来る時は決まって面倒事を引っ提げてきた時だ」
「ぐっ、そんな正論を…!」
「挙句武器を構えたまま入室するとは、貴様謀反者と言われても言い逃れできんぞ。ただでさえ貴様の得物は危険だと言うのに、全く」
「そ、そうですよね!これは大変失礼致しま」
「説得されてる場合じゃねぇだろ!父上、助けてほしいんです!」
同じように勢いよく扉を開けて入室してきた全身ボロボロの司馬昭殿に彼は眉を顰める。
「…私はお前を息子にした覚えはないが」
「俺は昭です父上!姿は違いますけど、正真正銘貴方の息子ですってば!」
「何の真似かは知らんが、お遊びに付き合う暇はない。他を当たれ。ほら、そこに暇そうなのが一匹転がっているではないか」
「暇そうって私のことですか」
「他に誰がいるというのだ」
「一応私も被害者なんですよ」
「だあぁぁ!お願いですから信じてくださいよ!兄上の肉まんのせいで妙な事が起きたんですって!」
「その兄というのが師であれば、あやつの肉まんに手をつけた貴様が悪い、以上。わかったら帰れ」
「ちょ、父上!」
「っもう!この際誰が息子とかいいですから!司馬昭殿、取り合えず状況を説明して解決策を貰うのが一番手っ取り早」ガツンッ!!
「……え?」
部屋に響き渡るのは何かが接触した音と、手にする得物から振動してきた鈍い感触。
前の二人は「あーあ」とでも言いたげにこちらを見ている。こんなときだけ親子かこの二人は。
「(こ、これはもしかしなくても…)」
嫌な予感を覚えながら振り返れば、床に伏している我が直属の上司…もとい今回一番の被害者の姿が。
「うわあああああすみません鍾会殿ぉぉぉ!!!」
「名前お前、いくらなんでもそれは…」
「だから言っただろう、貴様が絡むと面倒事が積み重なると。その戦斧を持ち歩く癖、いい加減直したらどうなのだ」
「っい、生きてますか鍾会殿!!お願いですから目を開けてください!!貴方が死んだら…私っ、私…!」
「名前、取り合えず揺さぶるの止めたほうがいいんじゃないか…?」
***
「い、一日で戻って良かったですね!」
「…」
「それにほら、司馬師殿も誤解だって気付いてくれましたし」
「…」
「頭の傷も、その、大した事なかったし…本当に良かったですよね、当たったのが柄の部分で!」
「…」
何の反応も無い鍾会殿に思わず漏れそうになるため息を飲み込む。
元はと言えば私のせいだし(いや元凶は司馬昭殿だけど)、ここは下手に出て反応を待つしかない。が、
「あの…本当に、すみませんでした。決して悪気があったわけではないんですけど…」
「…」
かなりやり辛い。 書簡も溜まって来たからいい加減口を利いて貰えないと業務に差し支えるというのに。
さてどうするかと頭を抱えたところで、不貞腐れた様な声が聞こえた。
「…私が」
「?」
「私が死んだら、何だと言うのだ」
「え?」
「だ、だから…っ」
首を傾げると彼は椅子から立ちあがって私を指差した。
「あ、あのとき言っていただろう!貴様の戦斧が当たった時に、私が死んだら…と」
「あの時…?」
記憶を探れば、私の得物が彼の後頭部に直撃し、崩れ落ちた彼に駆け寄ったつい昨日の光景がよみがえる。
「ああ!鍾会殿は私にとって大切な人だから、今死なれては困る、って言おうとしたんですけど…」
「なっ…!」
「それがどうかしたんですか?」
手を打って聞き返せば心なしか顔が赤い彼は気まずそうに視線を逸らした。
「そ、それは…貴様の本心か?」
「はい、勿論です!上官の身を案じるのは部下として当然の事でしょう?」
「じょっ、上か…!?っ〜貴様など知らん!もう二度と口を利かないからな!」
「え」
差し障りのない返答を返したつもりだったが、何故かご立腹した様子の鍾会殿はそう言い残して執務室を後にした。
時々よく分からない言動をする人だとは認識していたけれど、今回は全く持って何が何だかわからない。今何が起こった。
「やっぱり、頭を打ったせいかな…」
だとしたらごめんなさい鍾会殿。
開け放たれた扉に向かって静かに拱手すれば、廊下を通ったトウ乂殿が不思議そうに首を傾げた。