幸福になるための必須条件

両親に手を引かれた子どもを見て、シルビアは考える。

例えば自分の両親がとても素晴らしい人格者で、娘のことを特別大事にしていたら。
小さい頃から周りのみんなと同じように学校に通って、裏の世界のことなんて何も知らないまま育っていたら。
スタンド能力も発動せず、暗殺チームにも、パッショーネにも入っていなかったら。
自分は一体どんな人間になっていたのだろうか。
いわゆる「普通の人生」というものに対する漠然とした憧れは、裏の世界で生きる人間であれば誰もが一度は感じたことがあるだろうとシルビアは思う。
愛情深い両親に育てられ、学校で勉強して、就職して、結婚して、子どもを産んで。そんなありきたりな人生を送っていたら、今頃は。

「何か悩み事?」

顔を覗き込んできたメローネに意識が引き戻される。一緒にプランゾに来ていたギアッチョもマルゲリータを咀嚼しながらシルビアを見ていた。お昼にしては遅い時間ということもあってか、テラス席に座っているのは三人以外誰もいない。

「というよりも、ちょっと考え事?あったかもしれない"もしも"の話を考えてたの」
「もしも?」
「そう。もし私が暗殺者になってなかったら、どんな人生を送ってたのかなと思って」
「へえ?現実主義者のシルビアにしちゃ珍しいこと考えてるな。そんなことを考えるくらい今の人生が嫌ってことか?」
「まさか。今でも十分楽しいよ」
「こんな仕事してて人生楽しいなんて言うヤツはお前くらいだろーよ」
「俺も結構楽しいぞギアッチョ?」
「アァ!?オメーの意見は聞いてねェんだよ!」

常に危険と隣り合わせであるこの仕事を嫌だとか辞めたいだとか思ったことは一度も無い。それはこの仕事しか知らず、比較対象がないからかもしれないが。

「つーかよォ、今が楽しいならわざわざ考える必要無ェだろうがよ〜〜。何でそんなこと考えてんだよ」
「ギアッチョは考えたことないの?」
「…、…無ェよ」
「(あるんだ)」

一拍遅れて返ってきたことが何よりの証拠である。

「もし暗殺者じゃなければ、か。俺もたまに考えるぜ」
「え、メローネはちょっと意外だったかも」
「街ですれ違う人間を見てると”ああ、こいつらは普通の人間なんだな”って思うさ。この世界で生きるのって色々とストレスがかかるだろ?潜在的に”平凡な生活”ってのに憧れがあるんだろうな。まあ冷遇されてた頃に比べりゃそういう悩みも少なくはなったが、人を殺して生きてることに変わりはないからな」
「メローネにそんな常人の感性があったなんて…」
「シルビアは俺のことなんだと思ってる?」
「変態」
「ギアッチョには聞いてない。…ま、でも俺は今更この生き方をやめたいとも思わないし、仮にやめたところでまともに生きていける自信はないからな」
「それはあるかも」
「シルビアなら上手いことやれるだろ?」
「ううん、私は学校にも通ってないから。ちゃんとしたところに就職はできないかなぁ」
「じゃあさっきの話に戻るけどさ、もしシルビアが別の境遇で生まれ育ってたら今頃どうなってたと思う?」
「そうだなぁ…」

メローネに言われて少し考える。

「ちゃんと勉強してたら警察官になってみたいかも。治安維持に努めればみんなの仕事の負担も減るでしょ?あとは料理人もいいなぁ。それならみんなにもっと美味しいご飯食べてもらえるし」

それを聞いていた二人が顔を見合わせたかと思えば、メローネが口角を上げながら頬杖をついてシルビアを見つめた。

「やっぱシルビアって最高だね」
「どうして?」
「いや、俺たちと一緒にいる前提なんだなと思ってさ」
「そんな平和な世界線で生きてりゃ、わざわざ俺らと出会うことねぇだろ」
「…あ」

思わず声が出る。シルビアにとって彼らと共に過ごすのがあまりにも当たり前すぎて、そもそも彼らと「出会わない」という考えが浮かんでこなかった。
確かにシルビアの人生は人から見れば悲惨なものかもしれないが、そんな人生だったからこそ大切に想う仲間に出会えた。地獄のような幼少期を過ごした分、暗殺チームの彼らと過ごす日々はかけがえのない時間であり、彼女にとって幸福そのものだった。

「どんなに恵まれた人生だったとしても、そこにみんながいないなら私は幸せになれないよ」

冷めてしまったアラビアータをつつきながらぼやく。もう一度歩道に目を向けるが、さっき見た親子連れはもうどこにも見えなかった。

「…シルビア」
「ん?」
「俺今めちゃくちゃ感動してるんだけど、とりあえず抱きしめてもいい?」
「いやダメだよ」
「じゃあキスだけでも」
「何で譲歩した体なの?ダメだってば」
「だってさぁ、それってつまり俺たちがシルビアを幸せにできてるってことだろ?」
「そうだね」
「ああっベネ!そんなの興奮…じゃなくて、感動しないワケないだろ?だから頼むよ、今夜だけでいいから一緒に寝てくれないか?この通り!」
「お願いすればセクハラしていいとかないからね。ダメです」
「もしこの場にリゾットとプロシュートがいたら感動で咽び泣いてただろうな。あの二人の泣き顔なんてそうそう見れるもんじゃないからな。シルビアのおかげでいいネタができた」
「さすがにあの二人はそんなことで泣かないよ。ねえギアッチョ?」
「…」
「…ギアッチョ?」
「……今こっち見んな」
「ほら見ろシルビア!あのギアッチョでさえこのザマだ!耳まで真っ赤にして照れてるぞ!」
「ハァア〜〜!?誰が照れてるってんだ〜〜〜!?」
「さすが童貞は初心だな」
「ッ〜〜〜ぜってー殺す!!!!!」

シルビアは一気に騒がしくなった二人にやれやれと肩を竦めながら、ドルチェを注文するためにメニューを開いた。


***


「…あれ?」

翌朝、シルビアはキッチンに行くとワインの空ボトルが置いてあることに気付いた。昨日の夜は金曜日だったし、普段ならみんな外で飲んでいるはず。はて、と首を傾げていればリビングの扉が開く。

「あ、おはようリゾット」
「おはよう」
「もしかしてこれリゾットが飲んだの?」
「ああ…プロシュートと二人でな」
「最近全然飲んでなかったのに珍しい。何か良いことでもあったの?」

そう聞けばリゾットはじっとシルビアを見つめた。

「まあそんなところだ」
「…?」

そう言って微かに笑ったかと思えば、首を傾げるシルビアの頭に大きな手のひらを乗せて優しく撫でた。数分後にやってきたプロシュートにも同じことをされたシルビアは、メローネが帰宅するまでどことなく機嫌の良い二人に首を傾げることになる。