01



海軍本部へ移動する船の上で男に刺されてから3か月ほど、私は無人島で生活している。
あの時突然現れた海王類によってここに連れてこられた。
彼は私を迎えに来ただけだったようで、私を無人島に置いたらすぐに海に引き返していった。

男に刺された傷は無人島に来るまでに癒えていた。
浜について自分のお腹を見た時の驚きたるや。
刺されたのは夢だったかと思ったくらいだ。
実際に服に穴が開いていたので夢ではないと分かったわけだけれど。

この無人島は一日もあれば島を一周できてしまうほど小さく、果物が群生し、湧き水も沸いていた。
少しの雨風なら防げる小さな洞窟や、島全体が見渡せる小高い丘もあった。
なんて無人島生活に向いている島なんだと思ったけれど、そーゆー島を選んで連れてきたのだろう。
海は案外私に対して過保護なようだ。


生活しやすい無人島ではあったが、今日は陸がひどい嵐のため海の中に避難している。
嵐の日は海の中の方が波が穏やかなのだ。

「戻りたくない…」

ぽつりと呟いた言葉は暗い海に溶けていった。

3か月もたてば髪はぼさぼさ、服はボロボロ、女子力が裸足で逃げ出すような有様になっているのも帰らない原因の一つだ。
この格好で今更人前に出るのが恥ずかしいという思い。
なまじ食料に困っていないだけにこんな考えに至ってしまうのだ。


そんなふざけたことを考えつつも、帰らない理由は他にある。
というか正しく言い換えると帰る理由が見当たらないのだ。


歌手活動は上手くいっていたように思うし、多くのファンもいた。
毎日が充実していたが、同時に精神的には摩耗していた。
この世界に来てほぼ2年が過ぎ、元の世界に戻る手がかりは何一つない。
それならば、一日中海と戯れ、好きなだけ歌を歌うことができるこんな環境から離れるのはもう少し先だっていいじゃないか。


そんな風に思いながら深い海の中でまどろんでいると、急に肌にチリチリとした熱が走る。

クラゲの触手でも当たったのかと目を開けて周りを見ても、それらしきものはなかった。
暗い海でも関係なく見ることができるが、魚たちや他の生き物もいつも通り悠々と泳いでいる。
それなのにチリチリと肌を熱いものが撫でるような感触は依然としてある。


「何かを嫌がっている…?」


ぼんやりと、海が何かを嫌がっているような、そんな感じがした。
すいっと仰向けだった身体を反転させ、熱が強くなる方へ進む。


そう長く泳がないうちに、海に沈みゆく黒い塊が見えてきた。
近づくにつれてざわめきが強くなり、原因がその塊だと分かる。


「…人だ!」

黒い塊が人間だと分かるとほぼ同時に移動の勢いを殺さず腕をつかみ水面に引き上げる。


派手な水飛沫を上げて水面に顔を出した瞬間、冷たい雨が顔中に降りかかってきた。

「うわっ!」


強い風と雨によって視界が悪い。
海の中では温度も波の強さも関係なく過ごせる自分には関係なかったが、普通の人間には今浸かっているこの海もひどく冷たく感じるはずだ。
しかもこの引き上げた男性はなぜか上半身裸である。
暗闇の中、この人が乗っていたであろう船を探すも、この風と波で遥か遠くに行ってしまったらしい。
海の中では遠くまで見える視力も、海から出れば普通の視力に戻る。
風と雨で視界がふさがれる中、目視で船を見つけることは諦めたほうがいい。
それよりもこの抱えている人を何とかしなければ。
男性の顔は見えないが、身体が冷え切っており、気のせいか脈も弱い気がする。

「まずい…!すぐ温めてあげないと…!」

男性を抱えたまますぐに無人島に戻る。


***


「…っはあ、はあっ」

どしゃり、と男性とともに崩れるようにして地面に座り込む。
島まではすぐについたが、浜に上がってからほぼ引きずるような形で洞窟まで来た。
以前雨風は強く、しばらくはここで休んでいた方が良さそうだ。
それよりも、

「はやく温めてあげないと…」

降ろした時の体制から仰向けにしようと男性の身体をひっぱった時に見えた顔に息を飲む。



「エース…?」


幾度どなく眺めた写真の主が目の前にいる。
真ん中で分けられた少しうねった黒髪が濡れて顔に張り付いている。
両頬にはそばかす。
眠たげなたれ目は今は閉じられているが、間違いない。


「エースだ…」


よく見れば首元には大きな赤いビーズのネックレスに腕にASCEの入れ墨。
Sには×マークがついている。

おそらく背中にはあのエースの誇りである白ひげのマークが入っているに違いない。
水を飲まないよう仰向けに運んでいたし、陸に着いてからは運ぶのに必死だったためどんな様相か見ている暇はなかった。


そっと彼の頬に触れ、そのまま首元に手を滑らせ彼の脈を感じる。
大丈夫、まだ生きてる。

何度も何度も目に焼き付けるようにして見てきた写真の本人が、今目の前にいる。
有名人に会った時の興奮のような、久々に友人に会った時の驚きのような、嬉しさやらなにやらがこみ上げてきて視界が歪む。


至近距離で彼の顔を見つめていたが、身体に置いていた手が冷たさを訴え我に返る。


「そ、そうだ…あたため、あたためなければっ…!」


慌てて薪になりそうな枝集めるもみんな湿気っていた。
サバイバルの知識もなく思考停止しそうな中、一つ思い浮かんだ。


「歌ってみる…?」


どんどん身体が冷えていくエースの顔は今や青白くなっていた。
せっかく会えた恩人をここで死なせたくない。
知識がない中で、何かするとすれば、今はもうこれしかない。
縋るような思いでエースの手を握り、歌い始める。


「ねぇ、聞こえる?私の歌が。
暗闇に明かりが灯る 希望の光が」

そう歌いだせば集めた薪に火が灯る。
よし、と思いながら即興のメロディーと歌詞で歌を続ける。

「ねぇ、見せてよ あなたの顔を
陽だまりのような あなたの笑顔を

ほら、暖かくなってきたでしょう。
心の底から温まる歌をあなたに
暗くて冷たい海は青く穏やかな海に
あなたの苦しみも不安も何もかも海に流して」

気持ちを込めて歌っていると、握りしめたエースの手がポカポカと熱を持ち始める。
青ざめていた顔もさきほどより血色がよくなっている。


エースの体調が回復しますように、いい夢を見られますように。
生きていてくれてありがとうの気持ちを込めて。
もう一度エースの手をぎゅっと握り直し、歌を続けた。


***


「ん…」


地面に横たえた体が軋んだことで意識が浮上した。
歌を歌いながらいつの間にか眠ってたらしい。
ゆっくりと目を開けると、目の前に自分以外の目が。

「うわっ…!?」

驚いて身を引こうとしたが、寝転んだ体制では頭を少し後ろに引いただけだった。

「起きたか?」

ニカッという効果音が付きそうな笑顔でエースが笑い、上体を持ち上げる。
それにつられるようにして私も上半身を起こす。


「あの…」
「お前が助けてくれたんだろ?ありがとなっ!」
「うっ!」

ま、まぶしい。
笑顔がまぶしいとはこのことだろうか。
いくら日が差し込んでいるとはいえ薄暗い洞窟で、エースが後光を背負っているように見える。
きらきらと輝くエースを直視できず、目を背ける。

「あ、た、体調の方はどうでしょうか…」
「ああ!なんかすげーよく寝たみたいですっげえ元気だ!」
「そ、それはよかったです…」
「おう!」

きらきらきらー。
輝きものすごいよ。どうしよう。
目を合わせず、どもりまくりな私にも爽やかに答えてくれるエースはなんだ。天使か。

「嵐も過ぎたみたいだし、外出てみないか?」
「あ、あ、はい…」

そういったエースは私の手を引っ張り立ち上がった。
立ち上がった私はふと自然に繋がれていた手に目を降ろし―

「う、うわああああ!?」
「うわっ!?」

ばっと繋がれた手を振り払い、後ろに勢いよく下がろうとして足を滑らす。

「わっ!」

どしゃりと地面に倒れたついでに壁面の岩に頭をぶつける。

「うっぐぅ…」
「おい大丈夫か!?」

痛みで蹲る私にエースが慌てる。
繋いだ手にびっくりして足滑らせて転ぶとか本当かっこ悪いな。
恥ずかしさで顔に熱が集まる。

「だい、だいじょうぶです…ちょっと驚いただけです」
「そうか?足場悪いから気をつけろよ…」

差し伸べてくれた手を制し、自力で立ち上がる。
昨夜は必死だったから手をつないだけれど、思考が正常な今ではとてもじゃないが手を握るなんてできない。恥ずかしい。


「いーい天気だ!昨日の嵐が嘘みたいだな!」
砂浜に駆けていくエースが叫ぶ。
ほんとうにいい天気だ。
嵐の後の空は突き抜けるように青く、雲一つない。

「あの、あっちに島全体見渡せる場所ありますよ!」
「ほんとか!?どっちだ?」

きょろきょろとあたりを見回しているエースに声をかけるとすぐにこちらに走ってくる。
昨日の青ざめた顔が嘘のように今は走り回っている。
私のもとに戻ってきたエースを連れて丘に向かって歩き始める。

砂浜から離れれば中心部はジャングルのようになっている。
よくわからない植物とかが生えているが、道中あれは食べられる、これはまずいなどの説明をしていく。

「エースさん、この木の実は一見美味しそうで、食べても問題はありませんが苦みがあります。奥にもっとおいしい果物が群生している場所があるんですけど…」
「へーじゃあしばらくは大丈夫そうだな…なあ、俺お前に名乗ったっけか?」
「えっ?」

エースの一言に心臓が跳ねる。
普通に呼びかけてしまったが、まだ自己紹介もしていなかった。
一瞬ひどく焦ったが、エースの名前は手配書で何度も見ているのだから、それを言えば何も問題はない。

「あ、あの、手配書を見ました…」
「なんだ!そうだったのか!どおりで俺の名前知ってるわけだ!」

にかっ!とまたもあの輝く笑顔を返してくれた。
きゅうう、と心臓が締め付けられるような苦しさに襲われる。

「お前の名前は?いつからこの島にいるんだ?お前が俺の事助けてくれたんだよな?」
「あっ私、ナマエと言います。えっと、3か月くらいこの島にいて…エースさんのことは、あの、見えたので、引き上げました…」
「3か月もいんのか!?お前すげーな…あ、俺のことはエースでいいぞ。助けてくれて本当にありがとうな。お前は命の恩人だよ」

矢継ぎ早にされる質問につっかえながら答えると、
滞在期間に目を向いて驚き、呼び捨てで呼んで良いと告げるときは微笑みながら、命の恩人だとお礼を告げるときは真剣な顔で。
なんて表情豊かなんだろう。

「いえ、エースさん…エースくんでいいですか。こちらこそ、エースくんが生きていてよかったです。」
「…ありがとな、お前のおかげだ」

いえいえこちらこそ、と二人してジャングルの真ん中で頭を下げあう。
ぺこぺこと頭を下げ続けたところで、耐え切れず二人で笑う。

「ふふっ、何してるんでしょうね」
「ははっ、そうだな、お互いにお礼はこのくらいにしておくか」
「もう少しで着きますよ。ほら、あそこ。足場が少し悪いので気を付けてくださいね」
「あそこか。よし、行くか」

ほら、と当然のように差し出された手をしばし見つめる。

「足場悪いんだろ?」

エースくんを見るとなんで手を取らないんだというような顔をしてこちらを見ている。
さっきは恥ずかしくて手を取ることができなかったけど、エースくんは男女とか関係なく親切心から手を伸ばしてくれているのだろう。
ここで取らなかったら逆に不自然か。

もう一度エースくんを見上げる。

エースくんは手を差し伸べたまま先ほどと変わらず私を見つめている。

「…ありがとう」

そういって手を取ると、またあの輝く笑顔でおう!と返事をしてくれた。



そのまま手をつないで丘に上がる。
島のほぼ真ん中に位置し、島全体を一望できるのだ。

ゴツゴツとした岩肌がむき出しの地面をあるき、頂上につく。
片面は坂になっているが、もう片面は崖のようになっている。

「おお、着いた!」
「着きましたねー」

そのままぐるりと周りを見回す。
今日は天気が良いため、遠くの海まで見ることができる。
ここから見る眺めは素晴らしく、よく夕日を見に来たりしていた。

「……」
「船、見えないですね」
「ああ…」

遠くを見つめるエースくんの声は低い。
今は見えない自分の船に思いを馳せているのだろう。

「ま、生きてりゃそのうち仲間が迎えにくるさ!」

しばし遠くを見つめていたエースくんが、くるりとこちらを向く。
元気なセリフとは裏腹にその笑顔はどこか痛々しい。
そのまま歩き出そうとするエースくんを引き留める。

「…エースくん!」
「あ?」
「大丈夫です!迎えは必ず来ます!必ず!」
「…おう!」


エースくんの笑顔を見て私も笑う。
そうして二人でまた手をつないで元来た道を戻り始めた。



エースくんの迎えは必ず来る。
この言葉は嘘じゃない。
島の場所がわからないなら無理やり連れてくるだけだ。
「私の」命の恩人をこんなところでむざむざ死なせるわけがないじゃないか。



エースくんの横顔を見ながらそっと心の中でつぶやいた。