おめでとう


 暗闇から、ゆっくりと引き上げられる。手足の感覚がじんわりと戻ってくる。遠くから鳥の声がする。今は何時だろうか。時間の確認をしようと、枕元に手を伸ばそうとするが、動かせない。薄目を開けて見ると、いつになくしっかりと抱き締められていた。起こさないように、どうにか体勢を変えて、携帯に手を伸ばす。八時前。そろそろ起きなければならない時間だ。
「……ふぇーじゃ」
 声を掛ける。腕の力が強くなった。
「フェージャ……先輩、朝だよ。起きなきゃ」
「…ぃや、です……」
 意識を浮上させることには成功したものの、肩に額を押し付けて、再び寝ようとする。相変わらず朝に弱い。大きい子供みたいで可愛いけど。
「駄目だよ、起きようよ。出掛ける約束でしょ?」
「そ、でしたっけ……」
「そうだよ」
 腕の力が抜ける。先に寝台から抜け出す。すると先輩はゆっくり体を起こして、立てた膝に肘を付いて、手で頭を支える。
「おはよう、先輩」
「……はい」
 小さな返事。まだ半分寝ているのかもしれない。白湯を用意してあげよう。
 白湯を持って戻っても同じ体勢のままで。今日も今日とて低血圧。舌打ちされないだけマシな方か。
「先輩、白湯飲む?」
「飲みま、す……」
 マグを渡して、その間に着替えと身支度。朝ご飯はどうしようか。そんなにお腹は空いていない。お粥にしようかな。先輩も食べるかな。一応二人分作って、余ったら考えよう。
 一先ず鍋に水を入れて、洗った米を入れて煮込む。焦げ付かないように弱火で。時々様子を見て、好みの固さになったら塩。火を止めて、おかずをどうしようか悩んでいると、ぼんやりした足音。
「おはよ、…ございます……」
「おはよう。朝ご飯どうする?」
「詩音と同じで良いです……」
「お粥だよ?」
「それで……」
 うん、頭が働いてないね、これは。でもお粥が良いって言うのなら。さておかず、と冷蔵庫を覗く。作り置いてるきんぴらがある。あとは卵を焼いて、梅干しは、先輩の分は別にして持って行く。
「先輩、ご飯出来たよ」
「ありがとうございます」
 漸くお目覚め。でもまだぼんやりしてる。いただきます、と手を合わせる。
「今日は厚焼き玉子ですか」
「お粥だしね」
「詩音のは甘いですよね」
「私の好みになっちゃうからね」
 私が甘い卵焼きが好きだから甘くしてるけど、先輩の好みはどうだろう。今度、出汁から取って出汁巻き卵を作ってみようか。出汁の取り方を練習しなきゃ。
「美味しいです」
「それは良かった」
 同時に食べ終わって、片付けは一緒に。洗った物を拭きながら、先輩が口を開く。
「それで、何処に行きたいか決めました?」
 約束したお出掛けの話。手を動かしながら少しだけ考える。
「本屋に行きたいなあ。料理の本を見たい」
 出汁の取り方を覚えたいし、レパートリーも増やしたい。出来ればロシア料理の本が欲しい。
「他には?」
「後は、んー……お買い物したいな。洗剤無くなっちゃったし」
「そうではなく」
「ん?」
「折角の誕生日なんですから」
 そう言われても。一緒にお出掛けしようと約束したけれど、特別やりたい事も、行きたい場所も無い。遊園地なんて混んでるだろうし、遠くに行くには計画性が無さすぎる。だったらいつもみたいに、お買い物をしてる方がずっと楽しいし、嬉しい。特別感は無いけど、それだけで充分だ。
「まあ、詩音らしいと言えばらしいですけどね」
「貶されてる気がする」
「褒めてるんですよ」
 本当に?とじっと見つめる。当人は目が合うと、クスクスと笑って布巾を片付けてしまう。
「昼と夜はどうするんです?」
「あ、お昼は新しく出来たとこ!行きたい!パンケーキが美味しいんだって!」
「ではそこにしましょうか」
 鞄を持って、玄関を出る。鍵を閉めようとして、思い出したように先輩が此方を見る。
「詩音」
「うん?」
「誕生日、おめでとうございます」
「うん!」


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