至急応答願います
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そのまま何度か視点を変えて、最後の一匹。確か尾行をさせてた一匹だが、いつの間にか何処かの家に居たらしい。窓から見える範囲の情報を書き留める。それから室内を見回せば、男女の睦み合う姿が見えた。こんな昼間から仲の良い事だ。この間に色々調べさせてもらおうと、鼠を走らせる。外の景色と室内の雰囲気からして賃貸住宅だろうかなどと考えて、ふと鼠を止まらせる。写真だ。覗き込めば、男女の姿。左手の薬指に指輪を嵌めている、夫婦の写真。確認の為に視線を移す。女の方は写真と同一人物だ。しかし男は――。
「っ!」
一気に頭に血が上り、視界共有を切る。視界一杯に広がる紙にほっと息を吐いた瞬間、頭痛。異能力の反動だ。目を酷使し過ぎたか。目頭を抑えて手元を見下ろせば、先程見たものの仔細。蘇る記憶に、歪む女性の顔。それら全てを振り払うように、机から紙を払い落とした。がんがんと頭が痛む。息を吐いて痛みに耐える視界の端に、鼠が映った。こちらを見上げる小さな生き物。"気持ち悪い"と怒鳴る声。ペンを持った手を振り上げて、鼠目掛けて振り下ろす。机に傷を作るだけで終わったのは、寸でのところで理性が異能を解除したのか。
「…………頭、痛い……」
痛い。痛みが響いて、思考が止まる。なのに記憶の奔流は止まらない。慄く母の顔。怯える父の顔。言い争う両親の姿。出て行く父の背中。毎日違う男が来ていた。声も顔もろくに思い出せない母の罵声。嫌い、産まなきゃ良かった、お前を愛した事なんか無い、お前なんか居なければ良かった。頭痛と共に響く言葉の全てがまるで呪いのように反響する。止まらないのなら、いっそ強制的に止めてしまおうか。もう一度ペンを握りしめた時、扉の開く音。近づく足音。
「薬は必要ですか?」
平坦な声にゆっくり顔を上げると、こちらを見る紫水晶と視線がかち合う。
「ド、スさん……」
「一先ず、目を休めましょうか」
「は、あ゙っっっつ!!」
ポイッと顔に乗せられた蒸しタオル。あまりの熱さに机に叩き落とした。
「めちゃくちゃ湯気出てるじゃないですか、これ!!」
「熱湯に浸した後、電子レンジで温めたので」
「よく持てましたね?!目が焼けるかと思ったのに!!」
つつきながらある程度冷めるのを待つ。触れる程度になってから、折り畳んで目の上に。凝り固まった目の周りが熱で解されていく感覚。ぼんやりしていた頭が、少しだけクリアになる。つられて痛みも和らいだ気がして、肩から力が抜けた。
「……ドスさん」
「はい」
「ドストエフスキーさん」
「何ですか?」
何となく、名前を呼ぶ。応える声に安心する。特に何か言いたい事がある訳でもない。しかし脳に響く不鮮明な声に押し出されて、口から勝手に言葉が出ていく。
「私、此処に居ても許されますか」
沈黙が訪れた。ほんの少しの、けれど重い沈黙。数秒程度の静けさなのに、気が急いて仕方が無い。聞かなければ良かったと、早くも後悔の念に駆られていると、額に触れる温度。前髪を避ける動きの後に、そこに触れる柔らかな感触。一瞬だけの温もりに、思わずタオルを落としてしまう。開けた視界に、思ったより近い位置にあった彼の顔を呆然と映していると、頬を両手で包まれ、額を合わせられる。
「……好きです」
「え」
触れ合っている所に熱が集まるような感覚。上手く焦点を合わせられないほどの距離に、心臓が早鐘を打つ。低く掠れたたった四文字の言葉に、ギクリと身体が強ばった。
「許可は与えません。けれど拒絶もしません。貴方が貴方の居場所を選ぶのです」
ドクンと、一際大きく心臓が跳ねる。何か、核心に触れられたような。
額が離れても、息が交わるくらいには近い距離。紫の双眸から目が逸らせない。
「許しを得たいのは、貴方が自身を許せないからでしょう?嫌悪されてしまう自分自身を許せない。故に他者の許可を得ようとする。けれど貴方が真に欲しているのは許可ではなく、他者からの好意です。貴方は許可を得ることで、相対的に好意を推し量ろうとする。全く、狡い方法ですね」
もしかして、最初から、全て見透かされていたんだろうか。
吐息が離れる。視界に入る顔が鮮明になる。離された手を掴むことは出来なかったけど、代わりに袖を掴んだ。
「あ、の……」
「何か?」
未だバクバクと鳴る心臓。声が喉に張り付いて、上手く言葉が出せない。先程の言葉を、心の中で繰り返す。だったら、それならば、と考える。全ての"もしも"は、何度か口を開閉させて、漸く言葉の形を成した。
「……もっかい。もう一回、好きって、言って」
振り絞れる勇気をありったけ出した。喉が震えるせいで、途切れ途切れになってしまった。彼が言った事は、多分正解なんだろう。私には分からない。だから、もう一度。
「私の事、好きで、いてくれますか」
この一度だけでいい。この一度だけ、応えてくれればそれでいい。もし、誰かに許されなくてもいいのなら。もし、私の事を好きだと思ってくれる人がいるのなら。もしその好意を、言葉にしてくれる人がいるのなら。
「好きですよ。傍に置いても良いと思うほどには」
少し、ほんの少しだけど、私は自分を許せる気がする。
「私、ここに居たい、です」
「そうですか。では、お仕事、続けられますね?」
頷いて、床に散らばる紙を集める。多分、きっと、もう大丈夫。
拒絶されるのが先か、捨てられるのが先か。少なくとも、好意を持っていてもらえる間くらいは役に立とうと、ペンを握り直した。
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