しかしそのことを知る人間は将軍の中でも一握りの者しかいない。魏と同盟を結んでいるが、常に睨み合いを続けている騰軍はその報せを受けながら砦を築くことに専念する。
「李牧と王翦、勝つのはどっちだと思う?」
「あまり王翦将軍の戦を見たことがないからなぁ……。隆国はどっちだと思うの?」
「そりゃあ王翦将軍だろう、と言いたいところだが……李牧の底はまだ知れていない。難しいな」
木材を運ぶ瑛藍と隆国、二人の話題は当然先の連合軍による趙西部のことだ。
「お前は行かなくて良かったのか?」
「隆国までそんなこと言う……。わたしも騰軍なんだけど」
「そうだが、お前は軍の垣根すら無いものとして扱われているだろう」
「…………そうだけど」
「なんだ、もしかしてその事で騰と揉めたか?」
「何で分かったの……!?」
資材置き場にドンっと木材を置くと同時に図星を突かれ、瑛藍はギョッとした様子で隆国を見上げた。同じように木材を置いた彼はフンと鼻で笑った後、いつもと変わらない笑顔を浮かべながらも録鳴未に対する態度が普段より三割り増して厳しい騰を思い出す。
あの男の機嫌を一喜一憂させるなんて、それこそ殿か瑛藍しかいないと知っている隆国は、それを敢えて彼女には教えてやらずに来た道を再び戻ろうと踵を返す。
「普段のお前達を見ていれば分かる」
「え、え〜〜……そういうもん?」
「そういうもんだ。それで、騰には何と言われたんだ?」
「……わたしが騰軍に所属していることが足枷になってるみたいだって騰は考えたみたいで、その……騰軍をやめるかって」
「最後までははっきり言わせなかったけど、そんな感じのことを言われた」と、ごにょごにょと小さな声で密告された隆国は深い溜め息を吐き出した。言葉足らずにも程がある。そこまで彼奴は不器用だったかと騰の姿を思い浮かべながら、非常に癪だが彼の援護に回ることにした。
「……馬陽にて、騰は殿から全てを引き継いだ。王騎軍だけじゃない。そこに関わる全ての人間、土地、目指すべきもの──。そして、
「…………」
「責任があったのだろう。何せ殿はお前を遊撃部隊に位置付けさせようとしていたからな。殿が思い描いていた瑛藍の使い方を考えていれば、自ずとそういう思考になるのも頷ける」
「…………うん」
「お前が中華を駆け上がっていく様を、一番見たかったのは殿と騰だ。そして殿が亡き今、その想いを受け継いでいるのは最早騰のみ。背負う責任も人一倍あっただろうよ」
前を歩く隆国の後ろを、瑛藍は俯きながら着いていく。他人から聞けば聞くほど、昨日の自分が如何に子どもだったかを理解できてしまうから、自然と顔が下を向いてしまうのだ。
「此度の戦がどれほどのものか、仔細を知らされていない俺たちでさえ察しがつくのだ。これまでの武功を考えたら、お前をこのまま騰軍で遊ばせておくより着いて行かせた方が余程勝機も上がるに違いない。──と言うより、この俺でさえこう思うのだ。お前が一番分かっているのではないか?」
「……相変わらずネチネチ突っついてくるね」
「正論を述べたまでだ。そもそもこれまでも勝手な行動で軍を離れることが多かったのに、何故今更そこに拘る?」
積んである木材を再び持ち上げた隆国に純粋な疑問をぶつけられ、瑛藍も木材を持ちながら頬の内側を柔く噛んだ。しかしいつまでも黙っていられるはずもなく、他の兵士たちの音に紛れるように口を開いた。
「……だって」
「何だ」
「だって……最近、一緒に戦に出てないじゃん」
「?」
言っている意味がわからないと言わんばかりにこちらを振り返って首を傾げる隆国に、恥を投げ捨てながら繰り返した。
「だからっ、一緒に戦に出たいって言ってるの!」
瑛藍が想定していたよりも大きな声が出てしまい、すぐにハッと口元を押さえる。周りを見渡せば一般兵士達はもちろん、少し距離がある騰の目もこちらに向いていて瑛藍は「〜〜〜〜っ、もういい! ならわたしも行ってやるよ!」と自分の持っていた木材を隆国に全て預けてさっさと自分の天幕へ行ってしまった。
遠く揺れる薄藍色が光に照らされて海のように光る。女の後ろ姿を見送りながら隆国はふと騰の方へ目線を走らせると、既にそこに男の姿はなかった。
「……全く、世話の焼ける奴らだ」
にしても、と己の腕の中にある木材に目を落とす。預けられた木材のせいで腕がプルプルと限界を訴えてきているのだ。
「最後まで自分で運ばんか!!」
などと文句を言いながら、隆国はやっとの思いで持っている木材を運んでいくのであった。
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天幕の中は割と広い。カッカと熱くなる頬に手の甲を当てながら、ひとまずは落ち着こうと深呼吸をする。勢いで天幕に戻ってきてしまったが、ここを出て連合軍に行くならそのことを自分の隊の人間に伝えなければならない。荷物を纏めるのはその後だ。
先に海羅を探そう。少しずつ冷静になってきた頭のおかげで、やるべきことをちゃんと思いつけた。まだ頬は赤い気がするが、海羅を探しているうちに治まるだろう。
ふう、と気持ちを誤魔化すように息を吐き出して天幕の入り口に手を掛けて捲り上げれば、そこには巨漢の男がいた。
「ウワッ!? とっとと、騰!? 何でここに……」
「邪魔するぞ」
「は、えっ、ちょっと!?」
ズイッと瑛藍を押し除けて中へ入ってきた騰。あまりの遠慮の無さに苦言を呈したくなったが、そもそもこの男はいつもこうだと思い直して瑛藍も大人しく天幕の入り口から手を離して中へ戻った。
昨日の言い合いは昨日で終わった、はずだ。それを上手く切り替えられずに隆国に見破られたのは瑛藍の失態である。
また何を言われるのだろうと若干身構えていれば、騰が徐に立て掛けていた斬馬刀へ手を伸ばした。瑛藍の背丈を悠に超えるそれは、実は昔、王騎から贈られた物だった。
「……私はずっと、過去の幻影を追い過ぎていたのかもしれない」
「過去の……幻影? 急に何──」
「お前の脚を止めることは殿との約定を反故にすることだと、私はずっと思っていた」
「…………」
「だからお前がお前らしく在るためならば、我が軍にいる必要も無いと……」
「……昨日突然あんなことを言ってきたのは、それが本当の理由?」
「…………、あぁ」
斬馬刀“隗月”に目を落としたままジッと佇む騰の頷きを聞いて、瑛藍は怒りの色を二つの双眸に乗せて男を睨んだ。
「ねえ、わたしと何年一緒にいるの?」
声にすら怒りが滲み出ているのに、騰は斬馬刀から全く視線を離さない。そのことがやけに苛ついてツカツカと彼の下まで歩み寄ると、精一杯腕を伸ばして騰の胸倉を掴み、グイッと自分の方へ引き寄せた。戦闘でもないのにこんなに力を入れる羽目になるなんて、と全然傾かない巨躯が恨めしい。
それでも今は、
「わたしは騰と一緒に戦に出たいし、騰のいる
声が震えるのは怒りからか、寂しさからか、それとも──もっと別の感情からか、瑛藍にはまだ分からなかった。
けれど、確信していることはある。
「……あぁ、そうだな。──そうだったな」
騰の気持ちがわたしと変わらないってことだけは、自信を持って言えるから。
まだ戦に出られなかったあの頃、演練で殿の後ろに並ぶのは必ずわたしと騰だった。今よりもっと口が悪かったわたしを騰が馬鹿にして、言い合いが始まって、殿がやんわりと諌める。
そんな日々が何よりも暖かくて、楽しくて、輝いていて──幸せだった。
だから、騰にはあの言葉を言ってほしくなかった。他の誰でもない、騰にだけは。
「……これから、連合軍と合流できる場所に行ってくる。王翦将軍には早馬を飛ばしておくね」
「……あぁ、気をつけて行け」
「そっちこそ」
「──必ず帰って来い、瑛藍」
ああ、ほら。
騰がそう言ってくれるだけで、わたしは絶対に帰ってこられるんだから。
「──うん、待ってて」