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夜空には星が輝き、丸い月が街を仄かに照らす。明かりの付いていない部屋の中、ベッドに座る少女は目元を両の手のひらで覆って深い溜め息を吐いた。

あんなにムキになって戦うつもりはなかった。適当に作戦を立てて、適当に役割をこなして、適当に終わらせるつもりだった。それがわたしの処世術だから。
それをしなかったのは、ただ単純な話。――貴方に怒られたくなかった。見放されたくなかった。呆れられたくなかった。

「何処の誰かも分からぬ有象無象の目など、気に留める価値もない。お前はただ好きにすれば良い。我が赦す」

星だけが輝く夜。閉め切った部屋の中でも煌めく緋い瞳を和らげ、両手でわたしの頬を包む。顔にかかる貴方の金糸の髪が、周りの風景を遮断させた。


永遠は叶わない



翌日、昨日と同じ時間に家を出ると、雄英高校の前には人だかりが出来ていた。よく見てみれば、カメラやらマイクやらの機材を持つ人が多く、雄英生を見つけては片っ端から話しかけている。
なるほど、あれがマスコミか。一人納得した葵だったが、ついに彼女にも白羽の矢が向けられた。

「貴女も雄英生ね! オールマイトはどうですか!?」
「お、オールマイト? えっと…」

抽象的な質問をされて答えに困っていると、グイッと腕を引かれてマスコミの包囲網から抜け出せた。パッと顔を見上げれば、いつも通りの格好をした相澤が自分を見下ろしている。

「相澤さっ……先生!」
「何やってんだ」
「それがわたしにもさっぱりでして……」

はは、と苦笑する少女に溜め息を吐くと、相澤は「彼は今日非番です」と言って群がるマスコミを追いやる。それでも諦めきれない一人の女性記者が門を越えようとした瞬間、ピーという電子音と共に門が強制的に閉まった。

「あ、ああやって閉まるんですね、あれ」
「あぁ。…それより、昨日の戦闘訓練見たぞ。“個性”の使い方…上手くなったな」

ポン、と軽く頭を撫でられ、すぐに温もりが離れていく。思わず両手で頭を押さえれば、既に彼は校舎の方へ向かっていた。

「……えへへ」

きっと今、自分の顔はだらしなく緩んでいるに違いない。教室に着くまでになんとかしなくては。そんなことを思いながら葵は遠ざかる相澤の背を追いかけた。



教室には既に半分以上の生徒が登校していた。クラスメイト達に挨拶をしながら自分の席に鞄を置くと、耳郎が手を上げながら歩み寄ってくる。

「おはよ、葵」
「おはよう、ジロちゃん」

朝の挨拶を交わせる友達ができたことを喜びながら、耳郎と昨日の授業や互いの“個性”について話し合う。するとHRのチャイムと共に相澤が教室に入ってきた。

「昨日の戦闘訓練お疲れ。Vと成績見させてもらった。――爆豪」

持ってきていた紙束を教卓に置きながら、相澤は爆豪の名前を呼ぶ。つられて葵も彼を見れば、薄い金色の髪がぴくりと揺れた。

「お前、もうガキみてえなマネするな。能力あるんだから」
「………わかってる」

声色は昨日の授業とは比にならないくらい落ち着いていて、一晩で何があったのかと疑ってしまう。あんなに野蛮な人、普段なら気にすることもないのに――どうしてこんなにも気になるのだろうか。

「(…粗野で粗暴で、攻撃的な性格。あの人に似ているところなんて“目”だけ…でも、)」

だから、だろうか。視線を落とす彼から目が離せなかった。

「さて、HRの本題だ。急で悪いが今日は君らに…学級委員長を決めてもらう」
「「「学校っぽいの来たーー!!!」」」

一瞬で喜びの声が上がったかと思った次には、皆が一斉に挙手をしていた。“委員長”、響きは素敵だし憧れではあるが、学校初心者の自分には厳しすぎると、起立までしてアピールするクラスメイト達の影で肩を縮こませる。

最終的に多数決を取ることになった結果、三票を獲得した緑谷が委員長、次点で二票を獲得した八百万が副委員長になった。三票も入っていたことに緑谷本人も驚いていたが、反対の声はない。葵も誰がどんな人かの把握も出来ていないので、無難な結果ではないだろうかと納得していた。



「あ、その玉子焼きおいしそう」
「食べる?」
「やった。じゃあウチのハンバーグあげるね」
「へへ、ありがとう」

おかず交換も夢だった葵は、耳郎とのやり取りに頬を緩ませながら交換したハンバーグを口に入れる。ふにゃりと幸せそうに微笑む友人に、耳郎もまさかそんなに喜んでもらえるとは思っていなくて、照れたように玉子焼きを食べた。
次の授業は何だとか先程のHRの話をしていた二人だったが、突如ウウーーッ!と教室に鳴り響いたサイレンに肩を揺らして反応する。クラス内に残っていたのは自分達を入れて10人にも満たないが、軽くパニック状態に陥っているのは目に見えて明らかだ。

《セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは、速やかに屋外へ避難して下さい》
「せっセキュリティ3……って何だったっけ!?」
「誰かが侵入したとかじゃなかった!?」
「早く避難しないと!」

けれど教室の外はもう他クラスの生徒で溢れていて、とてもじゃないが割り込めそうにない。比較的冷静な葵は、自分の傍で不安そうにする耳郎を見た後、自分の手のひらに視線を落とした。

「(……自然にすればバレないかな)」

廊下に出ようと焦るクラスメイト達から見て不自然に思われないよう、流れる動作で弁当を広げていた机に手をつく。自身に流れる魔術回路を意識すると、肩から指先にかけて幾つもの“線”が光る。そのまま手のひらから届く情報を処理する為に目を閉じると、警報の理由がすぐに分かった。

「………マスコミ?」
「ッ葵、何してんの! 早く逃げないと――」
「大丈夫だよ、ジロちゃん。侵入者はマスコミだから」
「ま、マスコミ? 何でそんなの分かんの…?」
「だってほら、窓の外から声が聞こえてくるし」

葵が指を差した方を見れば、確かに今朝から門前で張り込みをしていたマスコミ達がなだれ込んで来ていた。原因が判明して落ち着きを取り戻すクラスに安堵しつつ、葵は索敵を続けた。
手のひらを通して伝わってくる情報。その中には相澤とプレゼント・マイクが対処に当たっている情報も流れてきたが、それよりも驚愕したことがあった。

「(門が壊されてる……!)」

間近であの門を見た葵には、あれがどれほどの強度を誇っているかは知っていた。だがあの壊され方は、強度なんて関係ないと言わんばかりだ。ボロボロと豆腐が崩れ落ちたような、そんな風にも見えてしまう。

「(ただのマスコミがあんなの出来るわけがない。一体誰が……)」

もっと深く周囲を探ろうとしたが、耳郎に話しかけられてそれも中断されてしまう。食堂に行っていたクラスメイト達も帰ってきて、葵は心残りを感じながらも机から手を離したのだった。

――午後のHRが始まる前に。セキュリティ騒動で食堂の混乱を収めた飯田が、委員長を務めることになった。



帰り道、夕焼けに染まる街中を歩きながら自分の手のひらを見る。昼に使用したものは“水”とは違う別のもので、相澤すら知らない“魔術”だ。今世に生まれ落ちて初めて使用したが、以前より精度も速度も格段に落ちている。

「分かっていたことだけど……この世界は魔術基盤が弱すぎる。…マナは問題なく使えるけど」

“魔術基盤”とは、既に世界に定められたルールであり、人々の信仰がカタチとなったものだ。人の意思、集合無意識、信仰心によって『世界に刻み付けられる』ものと言われているが、この世界では“個性”という超常現象が当たり前になっているからこそ、神秘魔術などないという概念が強く根付いてしまっている。これによって信仰心が弱まり、『世界に刻み付ける』力が脆弱になってしまい、魔術が真っ当に機能しないということが起こってしまうのだ。

そして“マナ”とは、外界(自然界)にある魔力の呼称だ。魔術師であればマナは自由に行使できるが、その行使量は魔術師の実力に依存してしまう。

「他の魔術も少しずつ試してみないと、いざという時に使えなかったら怖いなぁ…」

魔術師にとって魔術とは、当たり前にあるものだ。けれどその目的はただ一つ――根源に至るため。その為に魔術師は魔術を学ぶのだ。
葵のかつての両親もそうだった。早くから自分達の死期を悟っていた彼らは、自分達の魔術刻印を葵に譲渡した。そんな両親の意思を、受け継ぐことは出来なかったけれど――。

「…いつか、本当のことを話さないといけないよね」

そんな日が永遠にこなければいいのに。